07
確証はなかった。けれど、これしか考えられない。
栫井が阿賀松と関わることで得られるメリットなんて、これしか。
「…………」
「あの、栫井の邪魔をするつもりはないんだ」
「…………」
「……栫井」
押し黙る栫井。やはり、本当のことを話してはくれないのか。そう、俯いた時だった。
「聞いて……どうするんだよ……そんなこと……っ」
それは、押し殺したような声だった。何かを恐れてるような、そう俺には聞こえた。
咄嗟に、俺は栫井の腕を掴んでいた。
「違う、聞いて、栫井。俺は……会長を陥れるつもりはないよ。本当に……っ」
冷たい手。嫌がられるだろうとわかっていたが、こうしておかないと逃げられてしまいそうだったから。
栫井の腕を掴む手に力が籠もる。
「会長を止めたいんだ」
「だけど、その為には、阿賀松先輩を」本当は、順番とかそんなことは考えてなかった。
けれど、どちらにせよ今の俺にとって一番の障壁は阿賀松であることは間違いないだろう。
「……お前」
目を見張る栫井。
嘘をついたつもりはない。けれど、俺は説得なんかで会長を止めることは無理だろうと確信していた。
だから、きっと、栫井が思うようにはならない。それでも、今だけは。
そう、栫井、ともう一度促すようにやつの名前を口にした時だった。
「齋藤!買ってきたよ!」
ガラリと勢い良く開く扉。そこから、袋を掲げた志摩が入ってきた。
なんというタイミングだろうか。
「……っ」
瞬間、栫井に手を振り払われる。
「栫井」と慌てて呼び止めるが無視。
そのまま栫井は志摩と入れ違いになるように病室から出ていこうとする。
「気が向いたらでいいから、お願い、気が向いたらここに――」
せめて、と声を上げるが俺が言い終わるより先に扉が閉まった。
何事だと栫井の出ていった後を呆然と眺める志摩。
「齋藤、何かしたの?」
「……いや、何もしてないよ。でも、栫井は気付いてたから、俺達がしようとしてること」
「ふーん、なら余計なことされる前に口封じしておこうか」
さらりと物騒なことを口にするやつに「志摩」と咎める。
しかし、志摩は悪びれた様子もない。
「だって、あの様子じゃ乗る気無さそうだしね?阿賀松たちにチクられる前にさ、先手打たなきゃ」
志摩が言うことにも一理ある。
もしかしたらと思い、栫井に本当のことを話したがもし栫井が俺に着いてきてくれなかった場合を考えたら相当な痛手になる。
最初からハイリスクな駆け引きだとはわかっていたが、やはり、痛い。
「……今晩だけ、待って」
それでも、諦めるのはまだ早い。
栫井の性格なら、良くも悪くも今日中に結果が出る筈だ。
「齋藤がそういうならそうしたらいいよ。けれど、引き伸ばしのお願いは聞かないから」
笑う志摩。志摩にとって栫井の意思はどうでもいいのだろう。手段が選べない状況だ、それでも少しでも可能性があるのならそれを信じたかった。
俺は無言で頷き返す。
「あーでもわざわざ買いに行った意味なかったな、これ」
「……ごめん、ダシに使ったりして」
「そうやって先に謝られると嫌なんだよねえ。思いっきり文句言ってやろうと思ったのに」
てっきり怒られると思っていたが、やはり本人もそのつもりだったようだ。
詰るようなその言葉に耳が痛かったが、「まあいいけど」と志摩は笑う。
え、いいのか。と顔を上げた時。
「それより齋藤、あの事なんだけどさ」
「え?」
「なんでも言うこと聞くって言ったよね?」
なるほど、通りで先程からやけに煩くないと思えばそれが理由だったのか。
しかし、咄嗟のことだったので深く考えてなかっただけに今掘り出されてしまえば狼狽えずにはいられない。
「いや、あの……それは……」
「まさか、その場凌ぎだなんて言わないよね。ここ炭酸ないからわざわざこんな暑い中走って隣のコンビニまで行ってきたのに、嘘でしたなんて鬼みたいなこと」
「……う」
しかも、誤魔化しは利かないようだ。
仕方ない、自分から言ったことだ。いくら口約束とはいえ、それを無下にすることは信用を傷付けてしまうことになる。
「わかってる……嘘じゃないよ、五百万までならなんでも買えるから……でも、今は降ろせないからここを出てからじゃないと」
「はい、ストップ。ちょっと待ってよ齋藤、俺が齋藤にタカるようなやつに見える?」
「つか、サラッと五百万って出たね」そう呆れたように笑みを引き攣らせる志摩。
もしかしたら提示した金額が悪かったのか。
「ここに来る前に少し使ったから少ないけど……、もう少し待ってくれるなら上限も……」
「いいって、もう。それ以上聞いたら俺のプライド砕けそうだから」
慌てて訂正しようとするが、それすらも志摩に制されてしまう。
金でも物でも駄目だというのならどうすればいいのか。
押し黙っていると、志摩は少し考え込む。
「でも、もう少ししたらか……」
「え?」
「今の『なんでも聞く』ってやつ、取っとってもらっていい?無期限で」
突然の申し出に「無期限?」と聞き返せば、志摩は頷いた。そして微笑む。
「うん、すぐに使うのも勿体ないからね」
その笑顔になんとなく嫌な予感がするのだが。
「でも、俺が覚えてられるかどうか」
「その心配はないよ」
そう言って、どこからとも無く取り出したのは掌サイズの機械で。
ボイスレコーダー。ミステリー映画やらでよく見かけるそれに軽く戦慄する。
「なんなら手記も残しとく?」
「……いや、いいよ、もう」
「じゃ、約束ね」
いつから盗聴していたというのか。
聞きたかったが、恐ろしい返答が返ってきそうだったので俺は敢えてそれについて追及することはやめた。
◆ ◆ ◆
夜。面会時間も終わり、志摩は一旦病院を後にした。
そして今夜の時刻が変わる頃、俺は志摩からの連絡があり次第ここを出る予定になっている。
立ち去り際、志摩から受け取った携帯を握り締める。
そろそろ、日付が変わる。けれど、栫井が来る気配はない。
「……栫井」
栫井には来てほしい反面、栫井が来なくても仕方ないと思う自分がいる。
やけに一秒が長くて、手の中握り締めた携帯端末を見詰めていたその時だった。扉が、開く。
「……あ……っ」
「……」
「栫井」
薄暗いその中、佇む影は間違いなく俺が待っていたその人そのもので。
名前を呼べば、栫井は俺から視線を外す。
「勘違いするなよ。……聞き忘れていたことがあったから、来ただけだ」
「聞き……忘れていたこと?」
ということは、話してくれる気になったわけではないということか。
どう反応すればいいのかわからず、自然と身体は緊張してしまう。そんな俺を一瞥した栫井は静かに口を開いた。
「……どうして灘を阿賀松に預けた?」
一瞬、聞き間違いかと思った。だって、このタイミングで灘の名前が出てくるなんて思わなかったから。
それに、栫井は知らないはずだ。知らないはず、なのに。
「……っ、どうして」
「こいつから聞いた」
その言葉に、つられて栫井の背後に目を向けた。
そこには、確かにもう一つの影があって。
「灘君……っ!」
「……すみません、見苦しい姿をお見せしてしまい」
そう現れた灘は小さく頭を下げる。
突然頭を下げられたことにも驚いたが、それだけではない。顔面の半分を覆う白い包帯が痛々しくて、俺はつい目を逸しそうになる。
それよりもいつからいたのか、いや、灘のことだ。恐らく最初からだろう。
「そんな、いや……それよりも、怪我は……」
突然の灘の登場に予想以上な戸惑っている自分がいた。
灘とこうして話せることに安堵する反面、なんで灘がという困惑が拭えない。
そして案の定、脱線する俺に栫井が眉を潜める。
「んなことはどうでもいいから質問に答えろよ」
阿賀松に助けを求めた理由。確かにそう、栫井は言った。
「……あの時は、焦っていたから覚えてないよ……それに、理由なんて……」
「俺を利用したがっていた阿賀松伊織に恩を着せる事。それが貴方の利害と一致した。……そう言ってましたね」
聞いていたのか。灘の口から告げられた事実に全身が強張る。
どこまで聞いていたというのか、気になったが今はそんな段ではないのだろう。
二人の目的は分からない。けれど、詰られてるわけではないのだろう。……多分。
「……それは……ごめん。ああ言うしかなかったんだ」
「別に責めてるわけではありません。感謝してます」
「おい灘、お前の話はどうでもいいんだよ」
感謝という単語に緊張した矢先、栫井のイラついたような声が飛んでくる。
不意に栫井と目があい、やつは睨むように俺を見た。
「……お前は、自分の利害のためなら何でもするのかよ」
「……」
それは罵倒でも雑言でも、ただ純粋な疑問のように聞こえた。それを聞いて栫井がどうするつもりなのかはわからない。それでも、栫井が聞くのなら俺は答えるしかない。
「するよ。……俺に出来ることなら何でも」
自分でも、こうしてハッキリと意思を告げられるとは思わなかった。
それは栫井たちも同じのようで、押し黙っていた栫井だったがやがて溜め息をついた。
「やはり、似てますね」
「うぜぇ」
「それは同族嫌悪というやつですか?」
「うぜぇっつってんだよ……っ」
どういう意味だろうか。何やら揉めてる二人に何かまずいこと言ってしまったのだろうかと戸惑っているときだ。
握りしめていた携帯端末がメッセージを受信する。志摩だ。とうとう、時間がやってきたようだ。
そして、栫井は最後まで俺に話してはくれなかった。それがすべてを物語っている。
「……ごめん、二人には迷惑を掛けてしまうかもしれないけど、よかったら黙ってて欲しいんだ」
「……黙るって、何を」
「俺はここを出る」
「お前らだけでかよ」
そう、吐き捨てるような栫井の言葉に咄嗟に俺は「え?」と聞き返していた。
「栫井君、回りくどすぎて伝わってないですよ」
灘の言葉に、栫井はうんざりしたように息を吐き出した。
「……あんたら二人じゃどうせすぐに捕まるだろうから……手伝ってやるって言ってんだよ、俺が」
「……え?」
「いいから、時間がねえんだろ。……早く連れて行けよ」
今度こそ、頭がこんがらがってしまう。
栫井が手伝う?ってことは、協力してくれるということか?聞き間違いかと思ったが、「早くしろ」と苛ついたように手を掴まれればそれが聞き間違いでも幻聴でもないことになるわけで。
「でも……」
「でもでもうるせえよ」
「だって、いいの?」
「お前が言い出したんだろ」
それもそうだ。だけど、栫井を騙しているみたいで、というか実際騙しているのだが、……今更怖気づいてしまいそうになってしまう。
狼狽える俺に、栫井は舌打ちをする。
「言とくけどお前のためじゃねえからな」
なら、誰のためなのか。
聞きたかったが、それ以上は俺に踏み込む資格はないはずだ。何方にせよ、願ったり叶ったりだ。
「ありがとう……栫井」
栫井は何も言わなかったが、それでも構わない。ここにいてくれるだけでも十分嬉しかった。
ベッドを降り、病室を出ようとする俺たちの背後、灘はその場を動こうとしなかった。
「では、ご武運を祈ります」
「灘君は?」
「俺はここに残ります」
え、と固まった時、予め俺の反応を予想していたのだろう。
「俺のことは気にしないで大丈夫です。……どうやら俺には俺の役目があるようなので」
なんでもないように続ける灘。その役目がなんなのかわからなかったが、それでも俺たちがいなくなる今灘だけ残しておくのは危険だ。
「おい、いいから行くぞ」
「ちょっ、待って、栫井っ!」
おまけに栫井は栫井で全く灘を気にした様子もない。
せめて、と灘の腕を掴もうとするがそれもやんわり制された。
「灘君……っ」
「阿賀松伊織は俺に危害を加えない。そう言ったのは齋藤君じゃありませんか」
そう、伸ばしかけた手を灘に握り締められる。
その動作にも驚いたが、ほんの一瞬。確かに灘は笑った。
「俺は大丈夫です」
「……っ」
どうして、こんな時に笑うのだろうか。
益々放っておくわけにいかなくなるのに、灘は付いて来てはくれない。
もどかしくて、出来ることなら無理矢理にでも一緒に出て行きたかった。けれど、俺達にも余裕は残されていない。
「……誰か来てる」
そう、ぽつりと呟く栫井。咄嗟に耳を澄ませば、本当だ。通路の奥から聞こえてくる複数の足音に胸が高鳴る。
一瞬にしてその場に緊張が走った。
「お前がトロすぎるんだよ」
「早く先歩けよ」と栫井に促されるがまま、俺は歩き出す。
灘と、志摩のお兄さん。最後まで、何もすることが出来なかった。
後ろ髪を引かれる思いだったが、立ち止まることは出来ない。半ばヤケクソになりながら、俺は志摩との約束の場所へ向かった。
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