02
食堂前。
食事を済ませた俺たちは、食堂を後にした。
結構多かったな。つい食べ過ぎてしまった俺は、やけに重たい腹部を擦り息をつく。
「齋籐君は、このまま教室に行くのか?」
「……ええ、まあ」
芳川会長に聞かれ、歯切れの悪い返事をする。
いまのところ、部屋に戻る気はまったくない。
阿賀松と顔を合わせることは避けたいし、自分から会いに行くほど俺は馬鹿じゃない。
そこまで考えて、昨夜、自分のとった行動を思いだし自己嫌悪に陥る。
「校舎まで一緒に行こうか?まだ道、覚えてないだろ?」
「俺なら大丈夫です。……お気遣いありがとうございます」
「遠慮しなくてもいいんだぞ」
残念そうな顔をする芳川会長に、俺は「大丈夫ですから」と念を押す。
廊下を通りすぎていく生徒たちが、チラチラと俺たちを見ていることに気が付いた。
「……じゃあ、先に失礼します」
俺は芳川会長に軽く頭を下げ、足早に食堂の前から離れる。
人目が嫌で慌てて会長と別れたけど、嫌な感じだったかもしれない。
今度会長と会ったら、ちゃんと謝ろう。歩きながら俺は、芳川会長への謝罪を考えた。
生徒と擦れ違う度に背後に突き刺さる視線から気を紛らすため、俺は必死に考えた。
視線から逃げるように教室に入った俺は、慌てて扉を閉めた。
教室にはあまり人がいない。殆どの生徒は違うクラスの教室に行っているようだった。
志摩はいない。俺は志摩の机を横目に、自分の席に座った。
「……はぁ」
俺、志摩くらいしか話す人いないんだった……。
一人でいることには慣れていたつもりだが、一度人といるときの楽しさを知ってしまったら無意識に人が恋しくなってしまう。
静かな教室。
本でももってこればよかった。思いながら、俺は教室の扉をぼうっと眺める。
そのとき、扉が開いた。
「……」
一瞬志摩だろうかと反応するが、扉から出てきたのは数人の見知らぬ生徒だった。
少しでも期待してしまった自分が恥ずかしくて、俺は扉から目を逸らす。
「ね……ねえ、齋籐君」
「え?あ、はいっ」
すると、机の傍にやってきた数人のクラスメートに名前を呼ばれ、俺は慌てて背筋を伸ばした。
クラスメートは気まずそうな顔をしてお互いにチラチラと目配りをしている。
俺、なんか変なことしてしまったのだろうか。そわそわとしたクラスメートの様子に、俺までそわそわしてしまう。
「ねえ、三年の阿賀松って人と付き合ってるって本当なの?」
「はい?」
俺は一瞬聞き間違えかと思い聞き流そうかとするが、どうやらそうではないらしい。全身に嫌な汗が滲む。
なんてこった。なんでこんな早く広まっているのだろうか。
「違う、違う。俺、そんな趣味ないし、てか阿賀松先輩のことよく知らないし。ほんと、誤解だから」
勢いで椅子から立ち上がり、俺はクラスメートの言葉を否定した。
嘘はついていない。本当のことだ。だというのに、クラスメートはひきつったような苦笑を浮かべ妙な顔をする。
「でもさあ……ほら」
「廊下で、キスしてたって……ねえ」
クラスメートは確かめ合うように目配りをする。
さっきのあれか。俺は今朝の寮でのことを思いだし、カッと顔が熱くなる。
「あれは、違う。付き合ってないって、本当に」
「誰と誰が付き合ってないって?」
俺が必死になって誤解を解こうとしていると、背後から声がした。
クラスメートたちは俺の背後に立つ人物を目にし、顔を青くして机から離れていく。
振り向くと、そこには相変わらず涼しい顔をした志摩がいた。
「志摩……」
「おはよ、齋籐」
なんだか随分と久しぶりに会ったような気がして俺は嬉しくなったが、いまの会話が聞かれてたと思うと素直に喜べなかった。
「志摩、……あのっ」
「そういえば、昨日はごめんね。予定すっぽかしちゃって」
さっきの話は誤解だから。そう言いかけた矢先、遮るように口を開いた志摩。
もしかしたから突っ込まれるかもしれない、そう構えていただけに突然昨夜のことを掘り返され戸惑いを覚えずにはいられないわけで。
「いや、別に俺気にしてないし、大丈夫だよ」
「ん?そうなの?齋籐のことだから、一人寂しがってるのかと思ってたんだけどな」
「……別に、そんなこと……」
強がってみたのはいいが、余裕の笑みを浮かべる志摩に見透かされ口ごもる。
もしかしてわざとすっぽかしたのだろうかと疑ってみるが、考えても仕方がないことだ。
「十勝君に外に出てたって聞いたけど、どこか行ってたの?」
「ん、あぁ。俺?まあ、ちょっとお見舞にね」
ほんの一瞬、志摩の笑みが僅かに強張ったのを俺は
もしかして俺、余計なことを聞いてしまったのだろうか。
言ってから後悔する俺に、志摩は微笑んだ。
「俺、一つ上に兄貴いるんだけどさ。そいつ、いま入院してるんだよ。そんで容態が急変したって、呼び出されたってわけ」
そう笑う志摩に、俺は思わず言葉に詰まった。
まさかそんなことがあったなんて露知らず、それなのに自分のことばかり気にしていた自分が不甲斐なくて。
「……なんか、ごめん」
「齋籐が気にする必要はないよ。嘘だから」
そうニコニコと笑いながらいう志摩。
なんだかもう人間不信になりそうだ。
「ホントに、どうしようって思ったのに」
「だから悪かったって。まさか信じるとは思わなかったからさ」
「誰だってそんなこと言われたら信じるだろ。志摩の家のことわかんないんだから」
「そうだね」と笑う志摩。
でも、冗談でよかった。席につく志摩を横目に、俺はそう思ったりする。
上手く話をはぐらかされた感がハンパない。
結局志摩がなにをしていたかはわからなかったが、本人が言いたくないならそれでもいい気がする。
「それで?」
「ん?」
「誰と誰が付き合ってるって?」
志摩は目を細め笑いながら、俺の方を見る。
すっかり無かったことにされたと思っていただけに、俺は冷や汗を滲ませた。
「なんのことか、わかんない」
「廊下でキスしてたんでしょ?いま言ってたじゃん」
最悪だ、しっかりと聞かれている。
変に食い付いてくる志摩に、俺は困惑した。寧ろドン引きしてくれた方がよかったのかもしれない。
自分の口に出して説明するのは結構キツイ。
「教えてくれないの?」
志摩は俺の手の上に手を重ね、指を絡める。
ボディータッチにしてはやけに生々しくないだろうか。
耳元で囁かれ、別に変なことをされているわけではないのに顔が熱くなってしまう。
「……ただの噂だって」
俺は顔を逸らし、然り気無く手をずらすがあまりにも然り気無さすぎたせいで効果はなかった。
指と指の間を撫でられ、ひどくこそばゆい。
指の隙間にある違和感に、俺は体をもぞつかせた。
「本当に?」
「本当だって……」
執拗に聞いてくる志摩に、俺は戸惑いながらも答える。
なんでだろう、少しだけ志摩が不気味に思えた。笑っているけど、なにを考えているかがわからない。タイミングを計らい、志摩から逃げるように手を退かした。
「そう。ならいいんだけど」
「う、うん」
志摩はようやく観念したように、いつも通り爽やかな笑みを浮かべる。
俺はほっと安堵の息を漏らした。
「んで、誰と誰が付き合ってるの?まじでわかんないんだけど」
「……」
志摩は困ったように眉を寄せ、俺に小声で問い掛けてくる。
まさか、本当に知らなくて聞いてきたのだろうか。俺は呆れたように志摩の顔を見て、「志摩には関係ないよ」と苦笑する。
だからといって俺の中にできた志摩に対する違和感は完全に拭われることはなかった。
それからまた、慣れない教室での授業が始まる。
志摩と話すのも楽しいが、学生の本業は勉強だ。
俺は教科書と黒板を交互に睨み付け、カリカリとノートにシャーペンを滑らせる。
「齋籐って、意外と真面目なんだ」
「真面目っていうか、普通じゃないかな」
「そういうの真面目って言うんだよ」
「大袈裟だよ」
横からちょっかいをかけてくる志摩に、俺は苦笑する。真面目って言われて、ちょっぴり嬉しい自分がいた。
褒められているのかはよくわからなかったが、やっぱり自分のやってることを評価されるのは嬉しい。
俺は緩む頬を必死に引き締め、止めたシャーペンを再び走らせる。
ちょうどその時、教室の扉が開いた。
他の生徒たちにつられ、俺は扉の方に目をやる。
「……君、入るならさっさと入りなさい」
「……」
教師は開いた扉の向こう側にいる生徒に声をかける。
無造作に伸びたボサボサの黒い髪に、だらしなくシャツを出したその生徒は無言で教室に入ってきた。阿佐美だ。
「誰あれ」「阿佐美だろ。不登校の」「俺初めてみたかも」「おっかねー」
授業そっちのけで騒ぐ生徒に、俺は『そんな大袈裟な』と呆れたように呟いた。
阿佐美は俺の方をちらりと見て、なにもなかったかのように空いた席に腰を下ろす。
てっきり「佑樹君!」って手を振られるかもと変な期待をしていた俺は、あまりにも素っ気ない阿佐美に少し寂しくなったりした。
「まさか、本当に来るなんてねえ。齋籐パワーってやつ?」
「なんだよそれ。……ってか、そんなに騒ぐほどのことじゃないと思うけど」
苦笑する志摩に、俺は思ったことを口に出す。
志摩は少しだけ驚いたような顔をして、「そっか、齋籐は転入生だからな」と笑った。
「まあ、そのうち分かるよ」
「……別にいいけどさ」
はぐらかす志摩に、俺はムッと顔をしかめ黒板に目を向ける。
ちらりと阿佐美の方を見るが、生憎俺の席からは阿佐美の背中しか見えなかった。
なんか、雰囲気違うな。確か前志摩が阿佐美のことを『特待生』と言っていたが、やはり頭がいいということだろうか。
「齋籐、阿佐美のこと見すぎ」
「……そんなに見てた?」
「ちらちらちらちら見てたよ」呆れたような志摩に、俺は恥ずかしくなって黒板に目を向けた。
自分としてはそんなに見たつもりはなかったが、第三者にはそう見えたらしい。
気になってしまうものは仕方がないじゃないか。
俺は志摩に指摘されないよう、なるべく阿佐美の方を見ないように黒板の文字をノートに写す。
結局、授業の内容がまともに頭の中に入ってこなかったのは言うまでもない。
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