天国か地獄


 04

「取り敢えず、そうだね。まずはご飯かな。腹が減っては何とかって言うしね」

 そう言って、志摩は立ち上がる。

「ここの近くにコンビニあるから、そこでなんか買ってくるよ。他に欲しいものある?」
「いや、別にないけど……一人で行くの?」
「そりゃあね、齋藤が出たいのは分かるけどさ、今はまだダメだよ。明るすぎる」

 志摩と離れるのは少し心細かったが、一々甘えてるわけにも行かない。
 それに、ずっと志摩といると怪しまれる可能性もある。
 俺には俺が出来ることをやろう。自分に言い聞かせるように「わかった」とだけ頷き返す。

「それじゃ、一度部屋に戻ろうか」

 というわけで、俺は志摩に引っ張られるように病室へと戻ることになった。
「大人しくしてなよ」とだけ言い残して志摩は病室を後にする。
 一分一秒でも惜しい今、少しでも何かしたかったが志摩とラウンジまで歩いただけで大分体力の方が消耗しているみたいだ。志摩を待つ間、少しだけ目を閉じる。

 ……。
 …………。
 どれだけ時間が経ったのだろうか、恐らく数十分も経っていないくらいだろうか。
 病室の扉が開く音がして咄嗟に目を開けば、病室の片隅、もそもそと動く影を見付ける。
 その猫背気味な後ろ姿には見覚えがあった。

「あの……詩織……?」

 恐る恐る声を掛けた時、わかりやすいくらい背中がびくりと反応した。

「ゆっ、ゆうき君……ごめん!起こしちゃった……?」
「いや、大丈夫、目を閉じてただけだから……それより、どうかした?」

 いつになく挙動不審な阿佐美。
 阿賀松と双子だと聞いてしまった今、敬語で話したほうがいいのか迷ったがやはりいざ本人を目の前にすると今更態度を改めることは出来なくて。
 その代わり、俺の言葉に阿佐美は面白いくらい青褪める。

「いや、あの……その……」

 そう口籠る阿佐美の手の中、ちらりと覗くそれに俺は目を付けた。
 カラフルな動物を模したそれはなにかのキャラクターなのだろうか、阿佐美には似つかないファンシーなぬいぐるみに俺は驚く。

「そのぬいぐるみ……」
「えっ、あ、ごめん……あの、何もない部屋よりも色鮮やかなものを置いた部屋の方が視覚的にも脳にもいいっていってたから用意したんだけど……」

「ごめん、余計なお世話だったよね」と俯く阿佐美は申し訳なさそうに謝ってくる。
 俺のために。
 俺をこの階に閉じ込めることにそれほど罪悪感を抱いているということなのか、わざわざ用意してくれた阿佐美に嬉しくなる反面、もう一度そのぬいぐるみに目を移す。
 ……やはり、こう、可愛いとは言えない造形をしたそのぬいぐるみはどちらかというと不気味だ。
 本当なら、「ありがとう」と受け取るべきなのだろうが、何故だろうか。先程までの緊張が解けたように笑いが込み上げてきて。

「……ふ……ッ」
「ゆ……ゆうき君……?」
「ふ、くっ……ご、ごめん……ありがとう、嬉しいよ」

 阿佐美が阿賀松の双子だとしても、やっぱり阿佐美は阿佐美だ。
 見た目が変わっても、立場が変わっても、そのことは変わらない。
「本当っ?」と目を輝かせる阿佐美に俺は頷き返す。

「そこに飾ってもらっていいかな。……ここからよく見えるから」
「うんっ!任せて!」

 水を貰った魚かなにかのように復活した阿佐美は再び台の上にぬいぐるみのセッティングを始める阿佐美。
 その後ろ姿を眺めながら、俺は頬を緩ませた。

 阿佐美のことは嫌いではない。けれど、俺はこれから阿佐美を裏切るのだ。そうしなけば前に進めない。そう分かっていても、やはり阿佐美を見てると罪悪感に苛まれる。
 志摩は、阿佐美を潰せと言った。あいつは阿賀松の味方だからとも、言った。
 けれど、阿佐美から敵意は感じない。
 阿賀松が相手ならいざ知らず、阿佐美ならば実力行使せずとも理解してくれるのではないだろうか。
 未だそんなことを考えていることを志摩が知ったら罵倒されるに違いない。
 それでも、俺はいつだって平和的解決法があればそちらを優先させるつもりでいる。今のところ、見つかっていないが。

「ゆうき君、これでいいかな」
「うん、よく見える」
「えへへ……よかった、また持ってくるね!」

 二匹目を持ってくるつもりなのか。
 でもまあ、阿佐美がそれで喜んでくれるなら、構わない。
 今の俺には阿佐美にしてやれることはそれしかないのだから。

「……あの、ゆうき君」

 そんなこと考えると、不意に名前を呼ばれる。
 ベッドの傍の簡易椅子、それに腰を掛ける阿佐美に俺はゆっくりとベッドを起こした。

「……志摩と、なんの話をしていたの?」

 ばつが悪そうにしながらも単刀直入に尋ねてくる阿佐美。
 聞かれるだろうということは想定していたので然程驚かなかったが、いざとなるとどう答えればいいものか迷ってしまう。正直に話すわけにもいかない。

「うん、まあ、…………ちょっとね」
「ごめんね、変なこと聞いちゃって。……でも、あいつゆうき君に何もしなかった?」
「……別に、大丈夫だよ。心配しなくても」

 阿佐美はいつも俺と志摩を気にかけていてくれた。
 だからだろう。俺の言葉にやっぱり少し不安そうにしながらも阿佐美は「ならいいけど」と寂しそうに笑う。
 嘘は吐いていないはずだ。だけど、やはり、何故だろうか。胸が痛くなるのだ。

「ゆうき君が決めたことには文句言いたくないけどさ……俺は、あいつを信用しない方がいいと思うよ」
「……え?」
「あいつ、口だけは上手いんだ。昔から。……あまり、関わらない方がゆうき君のためだよ」

 驚いた、阿佐美がそんなことを言うとは思わなかったから、余計。
 だけど、散々志摩に振り回されてきた俺からしてみればその阿佐美の忠告はもう手遅れに等しい。

「ありがとう、詩織。……でも、……」

 心配はいらないよ、と、そう続けようとしたその時だった。
 ガラリと病室の扉が開く。入ってきたのは、志摩だった。

「齋藤、お待た……」

 入ってくるなり、ベッド横の阿佐美の姿を見付けた志摩の笑顔が一瞬にして凍り付く。
 ああ、しまった、と思った。別に何もやましいことはしていないが、志摩の沸点は酷く低い。

「……阿佐美、なんでお前がここにいるんだよ」
「…………」
「詩織、ありがとう、もう大丈夫だから」

 とにかく阿佐美には悪いが退室してもらおう。
 そう阿佐美の手を軽く触れ、アイコンタクトを送れば阿佐美も察したようだ。
「ゆうき君」とまだ言いたそうにする阿佐美だったが、なんとか席を立ってくれる。

「……それじゃ、また様子見に来るから。なにかあったら直ぐにそこの受話器から呼んでね」

 それだけを言い残し、志摩を無視するようにして病室を後にする阿佐美。
 阿佐美が廊下へ出た瞬間、志摩は扉を閉めた。そして鍵も。

「齋藤、ホイホイホイホイ他人をこの部屋に入れないでよ」
「ごめん、気づかなかったんだ。阿佐美が入ってきたの。……今度から鍵掛けとくから」

 あからさまに機嫌が悪くなる志摩に内心ひやひやしたが、それ以上志摩は何も言わなかった。
 阿佐美が座っていた椅子に腰を掛けた志摩はそのままテーブルの上に弁当を乗せる。

「俺的に美味しそうなの選んだんだけどそれで良かったかな」
「うん、ありがとう」

 取り敢えず、志摩の機嫌が戻ったのを確認したら今度は腹が減ってきた。早速だが俺は食事を取ることにした。栄養とかそんな小難しいことは分からないが、今は腹の中を満たしたかった。

「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
「……」

 別に志摩が作ったわけではないだろうに、と思いかけ、前もこんなやり取りをしていたことを思い出す。
 少しだけ懐かしく感じた。
 またこんな風に志摩と一緒にいられるとは思わなかったから。
 ……前よりも、自分たちの関係が綺麗なものだとは思わないけど。

「齋藤、ジュースもあるよ」
「いや、さっきのお茶がまだ残ってるからそっち貰う」

 なんだか、久し振りにまともな食事を喉に通した気分だ。
 やはり全てを食べ切るには体の調子が戻っていないようで、半分ほど残してしまったがそれでも自分的にはよく食べた方だろう。
 志摩も無理に食べさせるようなことはしてこなかった。会長なら、多分、全部食べろと言ってきただろう。
 ふとそんなことを考えてしまい、無理矢理喉奥に食べ物を捩じ込まれたことを思い出す。
 慌てて思考を振り払うが、満たされた腹部が今度は気持ち悪くなってきて。それを振り払うように、俺はお茶を喉へと流し込んだ。

「齋藤、もう片付けていい?」
「あ、ごめん……」
「またなにか食べたくなったら言ってよ。他にもいくつか買ってるから」

 こういうところは用意周到というか、面倒見がいいというか。
 テキパキとテーブルの上を片付ける志摩をぼけっと眺める。

「志摩って……綺麗好き?」
「は?」
「いや、なんとなく」
「そうだね、綺麗好きっていうよりも不必要なものはすぐ捨てないと落ち着かないんだよね」
「へぇ」
「十勝と相部屋になってみたら齋藤も分かるよ。こまめに掃除しないとすぐ山になるから」

 笑う志摩に、安易に山になってる十勝の部屋が想像出来てしまい納得する。
 それは……わりと分かる気がする。阿佐美がかなりの不精なのでついつい俺も一緒になってだらけていた日は目も当てられないことになっていた。

「えっとゴミ箱は……っと」

 ゴミをまとめた袋を手にし、立ち上がった志摩。
 やっぱりこまめに掃除しないと駄目だよな、なんて一人考えていた時だった。

「……齋藤」
「え?なに?」

 名前を呼ばれ、志摩へと目を向ければ台の前。佇む志摩は阿佐美が持ってきたぬいぐるみを掴んでいて。

「……これ、どうしたの?」

 先ほどに比べ、トーンが落ちたその声にぞくりと背筋に寒気が走る。
 だけど、別に志摩が不愉快になるほどのことでもないはずだ。

「ああ、それ、さっき阿佐美が一緒に持ってきて……」

 宥めるよう、あくまで笑いながらそう続けようとした矢先だった。
 志摩の手の中のぬいぐるみが握り潰される。あ、と思った時には遅かった。

「っ、志摩!」

 窓へと歩いていく志摩に、慌ててベッドから降りようとするがそれよりも志摩が窓を開くのが早かった。
 それでも、諦めたくなくて。

「待ってよ、志摩、志摩ってば!」

 慌てて志摩の腕を掴み、引き留めようとするが安易に振り払われてしまう。
 その反動で尻もちをついてしまい、その衝撃と痛みに気を取られたときだ。
 目の前で、志摩はぬいぐるみを思いっきり窓の外へと投げる。手を伸ばすが、勿論届くはずもなかった。
 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

「な……ッ」

 なんとか体を起こし、窓へと張り付くが外には中庭の緑ばかりが目につくばかりで、あの奇妙な彩色のぬいぐるみが見つかるわけでもなくて。
 わかっていたけど、それでも、俄信じることが出来なかった。

「なんで、こんな……」
「なんで……?随分と面白いこと言うね、齋藤は……。言ったよね、阿佐美は信用できない。気を許すなって」
「言ったよ、言ったけど、こんなことする必要なかっただろ……っ」
「盗聴器」
「……っ」
「盗撮カメラも入ってるかもしれない。もしかしたらもう既にこの部屋自体に色々仕掛けられてるかもしれないんだよ。安易にあいつから物を受け取るなよ。俺は忠告したはずだよ」

 次々と突き刺さる志摩の言葉に、ぐうの音も出なかった。
 志摩の言葉は過剰でもあるが、正論だ。危機感が足りないのは俺だとわかっている。だけど、それでも、あの阿佐美の嬉しそうな顔を思い出すと胸が痛んだ。

「……なに?そんなにぬいぐるみが欲しかった?それなら俺が買ってあげるよ」
「……」
「齋藤……まさか、あいつのことまだ『信じたい』だとか『話せばわかってくれる』……なんて生温いこと言わないよね」

 図星だった。それでも、極力態度に出さないようにしたつもりだったのに、その沈黙がかえって余計志摩の不信感を煽ってしまったようだ。志摩の目の色が変わった。同時に、肩を掴まれる。

「い……ッ」
「……齋藤、ねえ、まさか阿佐美のやつになにか吹き込まれたの……?」
「ちが、……そうじゃない……」
「ならなんで俺の目を見ないんだよ」

 上手くいっていた。いっていたはずなのに。
 加えられる力、掴んでくる指に肩ごと押し潰されそうになる。
 なんとか落ち着かせようとするけど、痛みにまだ慣れていない体の方がビックリしたようで筋肉が思うように動かなくて。

「やめろって、志摩……ッ!」
「齋藤、なんで怒ってるの?俺なにか間違ったこと言ってる?」
「そうじゃない……っ」

 志摩みたいに情も何もかも切り捨てて物事を考えることは出来ない。
 わかっていたことだ。志摩とは考え方もなにもかも違うということを。

「……志摩は、間違ってない」

 覗き込んでくる色素の薄い瞳を見上げる。
 見詰めれば見詰めるほど飲み込まれてしまいそうな、深いその瞳は僅かに見開かれた。

「だけど、俺は志摩みたいにはなれないから」

 だから、とそれ以上の言葉は出てこなくて。僅かに、志摩の周囲が和らぐのが分かった。
 引き攣っていた口元が緩み、笑みが浮かぶ。

「……そうだね、俺も齋藤の平和ボケっぷりを忘れてたよ」

 笑う志摩。少しは怒りは収まったようだが、肩を掴む手は離れない。それどころか、絡み付くように指がのめり込んできて。
 冷や汗が滲む。

「あの、志摩……」
「試してみようか」
「……は?」
「あいつらが何かを仕掛けてるかどうか、試してみようか」

 志摩の言葉が理解できなかった。
 固まる俺に志摩は笑うばかりで、「何をするつもりだ」と口を開こうとした矢先、強い力で引っ張られる。
 強引に、それでも体が痛まないようベッドに寝かされ、驚きと困惑で慌てて起き上がろうとした時。
 スリッパを脱いだ志摩が、ベッドの上に上がってきて。

「志摩……っ」
「わかってる、勿論フリだよ。だけど、気になるんだろ?」

「それなら自分で確かめてみた方が良いんじゃないかな」あいつが信用できるかどうか、そう俺に馬乗りになった志摩は耳元で囁いてくる。
 いくらフリだと云われても、上から伸し掛かってくる他人の体重を無視出来るほど図太くは出来ていないわけで。

「ああ、なるべく嫌がるフリしてよね。それも阿佐美が失神するくらいに激しく」

 言われなくても嫌がっているのがわからないのだろうか、志摩には。

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