天国か地獄


 12

「っ、はぁッ、あ゙ーッ!クソッ!」

 ドサドサドサ。そんな音を立てて、安久の腕から抱えていた段ボールが床に落とされる。
 積み上げられた箱は全てで3箱。中々の大きさのあるそれに凭れるように、安久はその場にへたり込んだ。

「だ……大丈夫……?」
「これが大丈夫に見えるんならあんたの目は節穴だね……っ!」

 気になって声を掛ければ、返ってくるのは相変わらずの気の強い声。
 言い返す元気があるということはなんとか大丈夫そうだ。

「ご苦労様、早かったね」
「……これでいいんだろ」

 尋ねられ、箱の中身を確認していた志摩は「うん、上等」と頷き返した。

「志摩、これって……」

 一体なんなのかまるで予想つかず、尋ねてみれば志摩に「見てみなよ」と促される。
 開いた段ボールの中、志摩の隣に並んだ俺はその中身を覗き、目を丸くした。
 ヅラから始まりどっかの貴族みたいなシルクハットにそこら辺で売ってそうな帽子、ちょんまげから女物のウィッグまでその箱には様々なパーティーグッズが敷き詰められていた。

「これくらい盗って来たんだから一つくらい似合うのがあるはずじゃないかな」
「盗ってっ?」
「ん?まあ、そうだね、大丈夫だよ、ちゃんと返すから」

 なんかさらりととんでもないことを口走る志摩。
 盗ってきたということは、演劇部とかあの辺りだろうか。安久が荷物を取りに行って戻ってきた時間を考える限りそう遠くはない場所のはずだ。どちらにせよ、人のもには変わりない。
 それを無断で持ち出してきた志摩に「でも」と口を開いた時、急に視界が暗くなった。

「ほら、これとか良いんじゃない?」

 吃驚して顔を上げれば、笑う志摩。
 どうやら帽子を被せられたようだ。

「……っちょ、ちょっと、志摩」
「悪くないけど、顔が見えるね」
「変装したいんならこっちとかの方がいいんじゃないの?」

 言いながら、安久が段ボールから取り出したのはどこぞの世紀末のようなモヒカンのズラだった。

「って無理だよ、そんなの。普通にしてるより目立つよ!」

 パーティーのときでも被りたくないようなものを進めてくる安久にマジなのかただの嫌がらせなのかわからないが、そんな冒険はしたくない。
「嫌がるなよ生意気だな」と半ば強引にズラを押し付けてくる安久から逃げていると、こちらを見ていた志摩はふとなにか閃いたようだ。

「でもカツラはいいかもね」
「志摩?」
「ほら、これとかどう?」

 そう言うなり、志摩が段ボールの箱から取り出したのは長髪のウィッグだった。
 女物なのだろうが、それを躊躇いなく俺に被せてくる志摩についされるがままになる俺。

「齋藤、どう?」
「……頭が重い」
「すぐに慣れるよ。ほら、顔を上げて?」

 軽く髪を掬われ、顎を掴まれた。少しぎょっとしながらも、狭くなった視界の中、恐る恐る目の前の志摩を見上げる。
 こちらを見ていた志摩と安久は、目を丸くしたまま固まった。

「……」
「……」
「あの……志摩?」
「齋藤って……死ぬほど長髪が似合わないんだね」
「だな」
「……!」


 数分後。
 あれやこれやと散々着せ替え人形の如く色々試されてようやく志摩は「よし」と納得したように頷いた。
 けれど。

「…………ほ、本当にこれで大丈夫なの?おかしくない?絶対バレない……?」
「大丈夫大丈夫。齋藤知ってるやつら皆気づかないよ」
「……っくひ……うん……大丈夫なんじゃない……っ?」

 そんな笑い堪えながら言われても全く安心できないんだけど。
 にこやかな笑みを浮かべる志摩の隣、口を必死に抑えながら同調してくる安久になんだかもう居た堪れない。

「うぅ……」

 そもそも、なんでこんなことになっているのだろうか。
 どこから用意してきたのか、全身鏡に映った自分の姿に遣る瀬無くなる。
 志摩の手により、街に出たら彷徨いてそうなホストかナンパ男みたいな格好をさせられた俺はなんだかもう鏡でさえ直視できなくて。
 こんなチャラチャラした格好、親に見られたら怒られてしまう。親だけではない、もし他の奴らに見られたりしたらどうなることやら。
 間違いなく安久同様笑われるだろう。
 そう考えると恥ずかしくてなんかもう脱ぎたかったが、志摩がそれを許してくれるはずもなく。
 そんなとき、扉が開く。

「悪い、今戻っ……」
「ひッ!」

 なんというタイミングだろうか。通話を終え、戻ってきた仁科に飛び上がる俺。
 逃げ場がなく、その場から動けずにいる俺同様、こちらを見た仁科はピタリと動きを止める。

「……」
「ぁ……えと……」
「…………齋藤?」

 あんなにたっぷり大丈夫とか言っていたのにあっさりバレてしまっているんだけどこれはどういうことなのだろうか。
 ずばりと指摘され、顔から火が噴きそうになる。

「やっぱり着替えるよ、俺」
「大丈夫だって、ほら、逃げないの!」

 慌ててズラを外そうとすれば、志摩に背後から羽交い締めにされ止められる。
 揉める俺たちを見て、仁科はハッとした。

「あ、あれっ?やっぱり齋藤なわけ?」
「おい、仁科のくせに空気読めよ!」
「いや、姿見当たらねーから適当に言ったんだけど……そうか、まじで齋藤だったんだな」

 感心するように頷く仁科だったが、恥を忍んで必死に変装していた身としてみれば適当に当てられるなんて冗談じゃない。

「ほら齋藤、仁科先輩全然気付かなかったんだって」
「う、嘘だ……っ」
「本当だって、だって、お前がそんな格好するようなキャラに……グフッ」

 言いかけて、とうとう吹き出す仁科になんかもう生きた心地がしなくて。
 恥ずかしさとかやるせなさとか居た堪れなさとか色々なもので頭がぐちゃぐちゃになって、「き、着替える!」と志摩の腕から逃げようと身動ぐ。
 しかし、志摩は宥めるように笑うばかりで俺を離してくれない。
 それどころか。

「大丈夫大丈夫、齋藤があまりにも可愛いから仁科先輩笑っちゃったんだよ」

 それっておかしいってことではないのか。
 フォローにすらなっていない一言に返す言葉も見当たらない。

「でも、そんな格好してどうするんだ?」

 仁科と志摩に宥められ、時折安久に罵倒されつつもようやく落ち着きを取り戻した時だった。
 ふと、思い出したように尋ねてくる仁科。
 そうだ、俺も肝心なことを聞いていない。
 志摩のことだ、ただの悪趣味な嫌がらせでもプレイの一環でもないはずだろう。
 ……だよね?

「勿論、気付かれないようにするためだよ」

 俺の心配をいい意味で裏切ってくれた返事だった。
 口元に薄ら笑いを浮かべ、頷く志摩に仁科は目を見開いた。

「やっぱりお前ら……さっきの放送も関係あるのか」
「ま、あるっちゃあるけどそれはもう終わった問題だからさ」

「それよりも仁科先輩、聞きたいことがあるんだけど」既に芳川会長をないものとして扱っている志摩は、なんでもないように仁科に尋ねる。

「……?なんだ?」
「栫井平佑は今どこにいるの?」
「えっ?」

 そう、素っ頓狂な声を上げたのは俺だった。
 まさか志摩の口から栫井の名前が、と驚いたがそもそも栫井を探すと言って志摩を振り回しているのは俺だ。
 芳川会長から栫井のことを聞いた時、志摩は別の部屋に閉じ込められていた。
 志摩は知らないのだ、栫井がもうこの学園にいないことを。
 そう思うと酷く胸が締め付けられたが、このまま黙っておくわけにもいかない。

「……志摩、あの、そのことなんだけど……」

 そう、恐る恐る口を開いた時だ。

「……なんで俺に聞くんだ?」
「怪我人預けるならあんたのところだと思ってね」
「確かに午前は一緒にいたけど、今どこにいるかはわからないな」

 見事に言葉を遮られ、「あ、あの」と声を掛けようとするものの神妙な顔をして話し合う二人を邪魔するのも野暮な気がしてならない。
 それどころか、その話し合いに安久まで参戦してきて。

「そうだよ、仁科がぼけーっとしてるからあいつ逃げちゃったんだ!伊織さんにあの忍者みたいなのには気を付けろって散々言われてたくせにさあ、仁科の馬鹿のせいで!」
「だっ、だって仕方ないだろ、方人さんが無茶するから……」
「いーんだよあの変態のことなんか!勝手に傷口開いて出血多量で野垂れ死んじゃえばいいんだ!」
「おい、安久!」

 この場にはいない縁への罵倒に、流石に見兼ねた仁科は注意する。安久は知らんぷりしてそっぽ向いた。
 もしかして……忍者みたいなのって、灘か?そこまで考えて、生徒会室を出てすぐに出会った灘と縁のことを思い出す。
 あの時、縁は灘を追い掛けていたようだ。やっぱり、あの時か。

「あ、あの、それで縁先輩は……」
「あの変態なら結局怪我悪化して部屋で寝込んでるよ。まあこの調子でさっさとくたばってくれたら万々歳なんだけどね」

 ということは灘は逃げ切れたということか?
 安久の口から灘のことが出てこない事にホッとする。あくまでも希望的観測でしかないが、捕まえているはずなら安久は嬉々として嫌味交えて報告してくるはずだ。

「……自室ね」

 胸を撫で下ろす俺の隣。小さく呟く志摩に「志摩?」と呼び掛ければ、聞こえているのか聞こえていないのか「とにかく」と気を取り直す志摩。

「栫井平佑は逃げたってことでいいの?」
「そうだっていってんだろ。っていうか、もういいだろ。これ以上何させる気なんだよ」

 いい加減本題に入らない志摩に我慢の限界が来たらしい。
 イライラする安久に小さく息を吐いた志摩は、笑った。

「そんなに急かさないでよ。ほら、これだよね」

 そして、ぽんと安久に向かって放る志摩。
「あっ」と驚いた安久は、小さなそれを慌てて受け止めた。

「忘れるなよ、阿賀松を助けることが出来るのは齋藤だけってこと」
「わかってるよ、黙ってればいいんだろ」

 鍵を握り締めた安久は「仁科、行くよ!」と背後の仁科のネクタイを掴んだ。

「えっ?っておい、引っ張るなって!」

 どたばたと騒がしい足音ともに、安久たちは空き教室を後にした。とうとう鍵を取り戻すことは出来なかった。

 二人がいなくなったことにより静けさが戻った教室の中、志摩はこちらを振り返る。

「じゃ、俺達も行こうか齋藤」

 手を差し出してくる志摩。手を繋ごうということなのだろうが、俺はその手を取ることを躊躇われた。
 その前に、ちゃんと志摩に栫井のことを言う必要がある。

「……志摩」
「ん?」
「栫井のことで話があるんだけど」

 肺から絞り出すように言葉を発する俺に、なにかを察したのだろう。志摩の表情から、笑みが消える。

「……栫井、病院に運ばれたんだって」

 言えた。やっと、言ってしまった。
 口にしてみれ呆気ないが、その分、その事実が重くのしかかってくる。
 元はといえば、志摩には栫井を探すという名目で付き合わせていたのだ。
 ここまでしてもらった今、罪悪感で志摩の顔を見ることが出来なくて。

「……」
「だから、その……」
「で、証拠は?」

 口籠る俺の言葉を遮ったのは、無表情で俺を見下ろしていた志摩だった。
 予想だにしていなかった問い掛けに、つい「えっ?」と声が裏返ってしまう。

「その話、誰から聞いたの?」
「えと、さっき、会長が……」

 そう、しどろもどろと会長の名前を出した瞬間、僅かにこちらを見下ろしていた目が細められる。そして、呆れたような顔。

「齋藤ってば、まだあいつの言うことを信じるわけ?」

「本当に栫井が病院に運ばれたのなら安久たちが知らないはずがないでしょ」そう言い切る志摩に、俺は言葉を飲んだ。
 ……確かに、あれだけ栫井を探し回っていた安久たちのことだ。
 逆に、それほど興味がなかったからちゃんと探していない可能性を考えてみる。
 いや、阿賀松の手札である栫井をみすみす見逃すような真似をするはずがないし、血眼になって探すはずだ。
 真っ先に学園から逃げる道を封鎖してしまうだろう。でも、そう考えると、会長の言葉はあの時俺を部屋から出す気を失くさせるための嘘だということになる。ショックだったが、今は栫井がまだ無事だという可能性で頭がいっぱいだった。

「……じゃあ、まだどこかにいるかもしれないってこと?」
「その可能性は大きいと思う」
「だったら……」

 早く、探しにいかないと。
 あのどさくさに紛れて阿賀松たちから逃げたというなら、下手に動けないはずだ。
 それに、怪我のこともある。
 早く探さないと、と立ち上がる俺に志摩は「そういうと思ったよ」とわざとらしく息を吐いた。
 そして、

「そのために着替えたんだから」

 笑う志摩に、俺は動きを止めた。まさか、この格好で探しに行けと。

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