天国か地獄


 11

 傷の手当をしよう。
 そう提案した志摩が電話を掛けて呼び出したのは個人的に今あまり会いたくないやつナンバーワン、御手洗安久だった。

「何してたんだよ、まる一日!この役立たず!僕があんなに頼んでやったっていうのに!」
「ご、ごめん!」
「ごめんで済むなら警察いらねぇえーーんだよ!このグスノロマクソ間抜け男!一人でお使いも出来ないのかよッ!」
「安久、齋藤にそんな口聞いていいわけ?」

 止まらない罵詈雑言の羅列にそろそろ心挫かれそうになっていたとき。
 見兼ねた志摩が仲裁に入る。お陰で更に不快そうに顔を歪めた安久は志摩を睨み付けた。

「なんだよ、失敗したくせに!っていうか志摩亮太!あんたもあんただ!そんなやつの尻ばっか追い掛けてるくせにまともに働けないわけ!?」
「誰が何だって?」

 詰め寄る安久の目の前に、志摩はなにかを取り出し、それを突き付けた。
 ぶら下がるそれは鍵のようで。
 …………鍵?

「……?なんだよ、それ」
「旧体育倉庫の鍵」
「ちょっと、志摩、まさか」
「齋藤なんかよりも使えるのがあるんだけど、要らない?」

 なんということだろうか。もっとも俺が案じていたことをごく当然のようにやっけのけてくれる志摩に呆れて賞賛の声も罵倒も出てこない。
 青褪める俺を無視して続ける志摩に、安久は目の前のそれに興味を示した。

「だから、なんだよって」
「それは見てのお楽しみだよ」
「はあ?」
「この鍵が欲しいなら俺たちに協力してよ」

「ああ、もちろんついでにお前の大好きな阿賀松も助けてやることになるけど」旧倉庫の鍵を手のひらで包み込み、握り締めた志摩は微笑む。
 志摩の考えてることはわかったが、わかっただけに目の前の志摩が恐ろしく思えずにはいられない。まさに、敵にしたくないタイプだ。
 味方になった今でもそう思うんだから、間違いない。
 志摩の甘い誘惑に、僅かに安久の目の色が変わる。

「い、伊織さんを……?」
「そうだよ。お前の大好きな阿賀松伊織。不本意だけどこれがあればきっとどうにでもなるはずだ」

「勿論、安久のこれの使い方によるけれど」暗に志摩は安久に芳川会長と取引させようとしてるのだ。
 勿論、アンチ生徒会の人間である安久が平和な取引を持ちかけるはずがない。
 それを踏まえて、志摩はお膳立てしたのだ。会長を丸腰にして、閉じ込めて。全て、志摩の手に握られている。

「で、でも、伊織さんは詩織が……」

 余程阿賀松のことを案じているのか、阿賀松のことになった途端威勢がなくなる安久。
 その口から出てきた名前に、俺は顔を上げた。

「詩織?詩織がどうしたの?」
「……なるほどねえ、まあ確かに、あの阿賀松が大人しく退学になるわけはないと思ってたけど。でも、阿佐美が出来るの?阿賀松のフリ」

 不穏なものを感じ、尋ねる俺の横。全てを察したかのように首を捻る志摩に俺はつい「ふ、フリっ?!」と声を上げた。

「わっ、うるさいな。大きな声出すなよ!」

 声の大きさに関しては安久に言われたくない。
 ……じゃなくて。

「ま……まさか、詩織が代わりに退学になるってこと?」
「それ以外になにがあるんだよ。普通に考えてそうに決まって……っておい!」

 それを聞いた瞬間、居ても立ってもいられなくなる。
 慌てて空き教室から飛び出そうとすれば、伸びてきた手に制服を掴まれ、無理矢理教室へと引きずり込まれた。

「志摩、離してっ」
「離さないよ。今更齋藤が止めても無駄だってば」
「無駄じゃないよ!だって、詩織はなにも関係ないじゃんか!」

 そうだ。阿佐美はなにもしていない。
 それどころか俺は無関係の阿佐美に頼り、阿佐美からしてみれば俺に巻き込まれたような立場のはずだ。
 それなのに、なんで阿佐美が阿賀松を庇うんだ。
 半分だけでも血が繋がった兄弟だから?だから全く関係のない濡れ衣を自ら被らなければならないというのか。

「それは違う」
「無関係なわけない。第一、そのためにあいつがいるんだから」そう吐き捨てるように続ける志摩の言葉が、混乱する俺の頭の中に重く響いた。

「は……?」

 阿賀松が受けるはずの罰を庇うために、そのために阿佐美がいる。
 志摩の口から告げられた事実は簡単に理解できるようなものではなくて、余計俺の頭を混乱させる。
 それじゃただの身代わりみたいじゃないか。いや、みたいじゃなくて志摩は身代わりだと言ってるのだろう。

「とにかく、阿佐美のことはどうでもいい。それよりも齋藤は自分のことを心配しないと……って何回言わせるつもり?」
「志摩にはどうでもいいことかもしれないけど、俺には」
「取り敢えず安久、念には念を入れておくべきだと思うよ。今どき、ダブルロックは基本だしね」

 無視して安久に向き直る志摩。
 それなのに俺を離そうとしてくれない志摩に焦れ、「志摩」と少しだけ語気を強くすればこっちも見ようとせず、強引に手のひらで口を塞がれた。

「ん……んんッ!」
「それに、お前だって散々恨み溜まってるだろうしね。それを発散させるなんて機会、滅多に無いと思うけど」
「!まさか、そこに……」

 志摩の言葉に安久も察したようだ。
 目を見開く安久に志摩は不気味な笑顔を浮かべる。

「どうする?」

 わかっていて、わざと自分の口から言わせようとする辺り相当嫌な性格だと思う。
 悔しそうに歯を噛み締める安久だったが、やがて、観念したように息を吐いた。
 そして、

「……っ、それで?僕はなにしたらいいわけ?」

 あくまで高圧的な物言いだが、嫌々ながらも協力的な態度を取る安久に俺は素直に驚いた。
 そんな安久にさして驚くわけでもなく、相変わらずの笑みを浮かべた志摩は口を開く。

「仁科先輩を呼んでくれないかな。簡単に手当出来るものを持たせてね。ああ、もちろん、方人さんや阿賀松たちにはバレないよう、当たり前だけど俺達のことも多言無用だから」

 そして思った以上に多い要求に俺まで驚きそうになった。
 志摩の凄いところは物怖じや躊躇しないところだろう。
 俺が鍵を持っていたとしても、安久と交渉するとなったとき即奪われてそのまま逃げられるのが目に見えてる。その点、徹底的に相手を従わせようとする志摩のその勇気は羨ましい。
 安久が仁科を電話で呼び出して数分。ばたばたと足音が聞こえてきたと思えば、扉が開いて汗だくの仁科が現れた。どうやら走ってきたようだ。

「おい、なんだよいきな……」
「遅いッ!」
「うおっ!……って、あ?お前ら……」
「えっと……こんちには」
「……」

 部屋の奥、適当な椅子に腰を下ろしていた俺たちを見つけ、目を丸くした。
 無理もない。俺自身、このメンツにまだ慣れ切っていないのだから。

「……おい、安久どういうことだよ」
「いいから早く齋藤佑樹の怪我を治療して。ほら、なにぼさっとしてんだよ!早く入れよ!扉を閉めて!」
「わかった、わかったから押すなよ……ッ」

 相変わらずの力技で仁科を部屋の中へと誘導した安久は、そのまま扉に鍵を掛けた。
 最低限扉を施錠するというのは志摩の提案だった。
 全く状況が飲み込めず、腑に落ちない様子の仁科は安久に押しやられるような形で俺の前までやってくる。慌てて俺は椅子から立ち上がった。

「すみません、いきなり呼び付けたりして……」
「いや、別にそれは良いんだけど」

 ちらり、と仁科の視線が志摩に向けられる。

「……いいのか?お前、こいつらと一緒にいて」

 会長と組んで阿賀松を嵌めた俺がこの二人と一緒にいることが不思議で仕方ないのだろう。
 それは、俺も何度も自分に問い掛けてきた。

「はい……多分」

 正しいのか間違っているのか自分のためになるのかなんてわからないけれど、それでも、自分の選んだ選択肢によってここにいるのだから後悔はない。
 苦笑混じりに頷く俺に、いつの間にかに背後に立っていた志摩と安久は面白くなさそうな顔をして仁科を睨んだ。

「先輩、早くしてよ」
「そうだよ、伊織さんの運命が掛かってるんだからしっかりしてよ!」
「……ッわかった、わかったから大きな声出すなってば!……ハァ」

 後輩二人に詰られ、渋々椅子に腰を下ろした仁科。
「仁科の癖に溜息だなんて生意気な!」と吠える安久を無視して上着を脱ぐ仁科はどことなく疲れているようで。
 なんだか俺達の事情で振り回してしまって申し訳なかったが、憂うより先に用を済ませて逸早く仁科を開放した方が仁科のためだろう。

「齋藤、ちゃんと、手、手当してもらいなよ」
「わかった、わかったから少し離れてよ」

 俺が治療を嫌がって逃げ出すとでも思っているのだろうか。
 やたら距離を詰めて背後斜め上から見守ってくる志摩に居心地の悪さを覚えながら、俺は仁科に右手を差し出した。
 血は大分止まっているが、塞ぎきっていない傷口からはまだ新しい血が滲み出てきて。
 赤黒く汚れた掌に僅かに眉を潜めた仁科だったが、すぐに口元を引き締める。

「じゃあちょっと手、触るぞ」
「ん……ッ」

 優しく手の甲の方を支え、消毒液を染み込ませた脱脂綿で傷口周りの血を拭っていく。
 傷口布巾に脱脂綿が触れる度にちくりとした痛みが走った。

「随分と深いな。……痺れは?」
「少しだけ……ぁ、ちょっと、そこ痛いです……」
「先輩、齋藤痛がってるんだけどもっと優しくしてよ」
「そうだそうだ!」
「いいからお前らはあっちにいろ!気が散るだろ!」 
「「っ!」」
「せ、先輩……」

 騒ぎ立てる二人に痺れを切らしたように怒鳴る仁科に、全く関係のない俺までびっくりしてしまう。
 余程真剣になってくれているのだろう。
「に、仁科が怒った……!この僕に向かって歯向かうなんて……!」とカルチャーショックを受ける安久を無視して、数枚の脱脂綿を使って一通りの血を拭った仁科はゆっくりと俺に視線を向けた。

「……ペンか?」
「わかるんですか?」
「傷口の近くにインクが付着してる。……まさかとは思うけど、これ」

 僅かに、仁科の声が低くなる。訝しむような、不安げな視線を向けてくる仁科。
 思っていたよりも、仁科は聡い人間のようだ。気付いたのだろう、人為的なものだと。それで、そのペンを握っていたのが誰なのか。

「あの、俺の不注意なんです」

「だから、その、気にしないでください」仁科にどこまでの嘘が通用するかわからないが、そう言わなければならない気がした。
 そもそも仁科の前では嘘としての役目も効力ももたないし、仁科の表情も曇ったままだ。それでも、仁科はそれ以上そのことについて追及してくることはなかった。
 傷口を消毒し、ガーゼで塞いだあとに簡単にとれてしまわないようテープで固定してもらう。
 少し物々しいことになってしまったが、痛みは先程よりも軽くなったような気がする。

「……多分これ、痕になるぞ。早くちゃんとしたところで雑菌してもらわないと痺れも残るかもしれない」
「……はい」
「言ってくれたらもっと用意してくるんだったけどな、安久のやついきなり『今すぐ来い』だけだったからな。……ごめんな、これくらいしか出来なくて」
「いえ、そんなっ!……ほんと、ありがとうございました」

 申し訳なさそうにする仁科に頭を下げれば、仁科は少しだけ笑って、俺から手を離した。
 突き刺さるような志摩の視線が痛かったが、無視する。

「終わった?」
「一応止血と傷口に菌が入らないようにはしたけど、傷口が塞がるまであまり手は動かさない方がいい。齋藤、お前右利きなんだろ?」
「はい」

 仁科に尋ねられるまま頷き返せば、仁科は「だよな」と困ったように息を吐いた。
 聞き手となれば、今や行動の中心になっている部位だ。動かすなと言われても、やはり、いつもの癖で動かしてしまうだろう。
 渋い顔して黙り込む俺達に、志摩が笑った。

「心配いらないですよ、その辺は」
「いらないってな、お前……」
「俺が齋藤の右腕になればいいんでしょう?」

 そしてそう一言。当たり前のようにしてそんなことを口にする志摩に、俺は目を丸くした。

「……」
「……」
「……」

 そして沈黙。目が据わってる志摩に、それぞれ反応に困り果てる中、仁科は気を取り直すように咳払いをする。

「い、いや、そうだけど、なんかちょっと違うような」
「食事のときは俺が食べさせてあげるし風呂も俺が手伝うから安心していいよ、齋藤」
「志摩……なんでそんなに嬉しそうなの?」
「やだな、俺がなんで齋藤の怪我を喜ぶんだよ。不謹慎なこと言わないでくれる?」

 何故か俺が怒られてしまった。
 そんなニコニコ笑顔で言われても……と思ったがこれ以上下手に突っ込んだら志摩の機嫌が悪化し兼ねない。大人しく口を閉じる事にする。

「とにかく、そういうことなんで」
「ほんと気持ち悪いな、あんた」
「あ、そんなこと言うならこの鍵捨てちゃおうかな」

 当たり前のように鍵を取り出す志摩に、安久は慌てて立ち上がった。

「きっ汚いぞ!約束が違うじゃないか!」
「約束は約束だよ。俺の気分次第で破綻するのは変わりないんだから。守ってほしかったら相応の態度を取るべきなんじゃないかな?」
「この腐れ外道……ッ」

 鍵を捨てた場合、会長が倉庫に閉じ込められたままになるということだ。
 末恐ろしいことを簡単に口にする志摩に背筋が薄ら寒くなった。恐らく、志摩は本気で鍵に興味ないのだろう。中にいる会長にも。でも、だからって。

「志摩、そんな言い方……」
「ほら、せっかく手に入れたんだから有効活用しないとね。……時間は限られてるんだから」

 薄く笑う志摩の視線が、壁に掛かった時計に向けられる。
 現在午前昼前。会長の部屋で大分時間を過ごしてしまったようだ。
 阿賀松に処分が下されるまで、あと一日。それも、いつ縮まるかはわからない。
 このまま処分を取り消すよう求めるべきなのだろうか。下された場合、阿佐美が濡れ衣を被ってしまうという話を聞いても尚、俺は迷っていた。
 そもそも本当に阿佐美が被るのか、その場合、実質上退学処分を食らった阿賀松はどうするつもりなのか。
 阿佐美がいなくなるわけだから、まさか阿佐美として居座るつもりなのだろうか。
 考えれば考えるほど理解できず、恐ろしくなってくる。
 ……阿佐美は、阿賀松は、何を考えてるつもりなのだろうか。わからない。
 そんな中、不意に音楽鳴り響く。誰かの携帯が着信したのだろう。反応したのは仁科だった。

「仁科先輩、電話どうぞ出てください」
「……」

 携帯端末を取り出し、仁科は少し苦い顔してそのまま空き教室を出ていった。
 その様子を無言で眺める志摩。
 何を考えているのだろうか。なんて思いながらその横顔を見詰めていたとき、「安久」と志摩は口を開いた。

「……なんだよ」
「最後のお願い、聞いてくれる?」

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