01
目を覚ますと、いつの間にかに朝になっていた。
カーテンから差し込む光。そして、煌々と光るテレビの画面。
どうやら、あれからそのまま眠ってしまっていたようだ。
我ながらだらしないことをしてしまった、と思いつつ身体を起こしたとき、膝の上から何かが落ちる。それはタオルケットのようだった。
誰が、と隣に目を向けた時、背もたれにもたれていた阿佐美がこちらへとずるりと落ちてくる。
「……っ、とと」
慌てて阿佐美の体勢を戻しつつ、俺は、落ちたタオルケットを阿佐美の肩に掛け直す。
それにしても、よほど疲れていたのかもしれない。
大きな口を開けて眠る阿佐美に苦笑しつつ、俺はソファーを離れた。
そろそろ準備しないとな。
思いながら、まだどこか気怠い身体を無理矢理動かし、洗面室へと向かった。
制服に着替え、準備を終えた俺はソファで眠りこける阿佐美を横目にテレビを消す。
それとほぼ同時に、部屋の扉がノックされた。きっと志摩だ。
「はーい」
鞄を手に取り、俺はバタバタと扉に向かった。
鍵を開き扉を開くと、俺はそこに立っていた人物に思わず顔をしかめる。
「おはよう、ユウキ君」
阿賀松はニコニコ笑いながら、軽く手を振った。
なんでここに。っていうか、なんで部屋の場所知ってるんだ。
顔を青くし、慌てて扉を閉めようとするがそれよりも早く阿賀松は扉を手で掴み全開する。
「ああ、準備出来てる?それじゃあ行くか」
「ちょ、ちょっと!」
強引に腕を掴む阿賀松に、俺は思わずそれを振り払う。
阿賀松は足を止め、ゆっくりと俺の方を向いた。
ああ、ついやってしまった。
俺は自分の手を背後に隠し、目を泳がせる。
「あ、あの……なんの用ですか?」
「そりゃあ、俺の可愛い恋人に会いに来たんだよ。悪いか?」
阿賀松はそう優しく笑って、俺の頬に手を伸ばす。
あまりにも雰囲気が違う阿賀松に、全身に鳥肌が立ち俺の体に拒絶反応が起きた。
あまりの不意打ちに、俺は体が動かなくなり冷や汗を滲ませる。
通りすがりの生徒が、こちらをちらちら見てはなにかを話していた。
あれだけシミュレーションしたというのに、上手く口が動かない。
「お、俺は知りません。そ、そんな……」
「やだなぁ、照れてるの?それとも気を使ってくれてるのかな。もう隠す必要はないんだよ、晴れて俺たちは正真正銘の恋人同士になれたんだから」
ありもしないことを大声で公言する阿賀松。
「やめてください……っ」俺は阿賀松の腕を掴み、必死に阿賀松を黙らせようとする。
阿賀松はにやりと笑ったと思えば、俺の顎を掴み顔を近付けてきた。
「なにして……んんっ」
重なねられる唇から必死に俺は顔を逸らそうとするが、顎を固定されているせいで思うように動かない。
俺は阿賀松の肩を掴み、無理矢理離そうとするが力に差がありすぎた。
唇にひんやりとしたピアスの感触が当たった。僅かに開いた唇から、阿賀松の舌が無理矢理入り込んでくる。口を閉じる暇もなく、俺は阿賀松の舌を受け入れた。
冷やかすようなヤジの声や、なにも見なかったように通りすぎる生徒に耐えきれず、俺は阿賀松の舌に歯を立てる。
阿賀松が一瞬怯み、その瞬間俺は阿賀松の胸板を思い切り押した。
「……意外と根性はあるんだ」
阿賀松はにやにやと笑い、舌なめずりをした。ごしごしと何度も袖で唇を拭う。
周りの目が怖くて、俺はつい泣きそうになった。
「……っ」
最悪だ。これ以上人前で自分の醜態を晒すのが嫌で、俺は阿賀松から逃げるように鞄を脇に抱き走り出す。
阿賀松は追いかけてこない。
エレベーターを降り、勢いで一階まで逃げ切った俺。
最悪だ……っ。
足をとめ、俺は口元を押さえた。
顔が熱い。泣きそうになるのを必死に堪えてるせいか、きっといまの俺の顔は酷いことになっているだろう。
「……齋籐君?」
背後から、声をかけられる。
慌てて振り返ると、そこには芳川会長と櫻田たちが並んでいた。
珍しい組合わせ……でもないか。
「どうした?血相変えて……」
「……なんでもないです」
俺は相当切羽詰まった顔をしていたのだろう。
心配そうな顔をして、芳川会長は俺の顔を覗き込んだ。
ふと、阿賀松の言っていたことを思い出す。
もしかして、芳川会長はすでに俺の写真を見せられているのだろうか。
「ならいいけど……。そうだ、今から食堂に行くんだけど齋籐君もどうだ」
「もしかしてもう朝食とったのか?」そう続ける芳川会長に、俺は首を横に振る。
どうやら、芳川会長は写真を見てないらしい。じゃないと俺を食事になんて誘わないはずだ。
確かに、お腹は減っている。
けれど、芳川会長の背後に立つ女装した長身の男の顔が怖くて口ごもってしまう。
「……やっぱり、俺」
「遠慮する必要はない。それとも、友達と約束でもあるのか」
「いや、ないです」
「なら、一緒に行こう。賑やかな方が楽しいだろ」
芳川会長はそういって軽く俺の肩を叩き、食堂へと向かい歩き出した。
本当ならここで帰ってもいいのだが、つい俺は芳川会長の優しさに甘えてしまう。
俺は「ついて来んなよ」と唇を尖らせながら芳川会長に着いていく櫻田の後ろに着いていった。
食堂は豪華な造りの割りに空いていて、俺たちは適当に座る。
俺と芳川会長が向かい側に座り、芳川会長の隣に櫻田、俺の隣に江古田が座る。なんとも奇妙な面子だ。
「齋籐君、なにが食べたい?」
「俺は、なんでもいいです」
各々テーブルの上のメニューを手に取る。
メニューから選ぶのか。
慌てて俺はメニューに手を伸ばした。
てっきり自分たちで取りにいくのを想像していただけ、妙ながっかり感が拭えない。
「じゃあ俺ハンバーガー」
「……日替わりランチ……」
「俺はBランチ」
「じゃ、じゃあ俺はこのパスタのやつで」
各々好きなものを口にする。
合わせて言ってみるが、もしかしてこの食堂ではレストランのようにウェイトレスがやってくるのだろうか。
それとも食堂の料理人が耳を拵え、注文を聞いているのだろうか。
ドキドキしながら待ってみるが、なにも起きない。
「江古田、お前行ってこいよ」
「……なんで僕が……。櫻田君が行ってきてよ……」
「……」
どうやら自分たちで注文しにいかないといけないようだ。
「俺、行ってきます」隣で揉め始める二人に、俺は逃げるように立ち上がる。
四人分の注文を済ませた俺は、再び江古田の隣に座った。
「会長の友達って意外と役に立つな」櫻田は俺を尻目に、そんなことを言い出す。
本人を前によくそんなことを言えるな。
少しムッとなったが、安久のお陰で多少の失言には耐性がついてしまっている。小さく咳払いをした。
「……櫻田君とは大違い」
ぬいぐるみを抱えた江古田は、ぼそりと呟いた。気弱そうな顔をして、とんでもないことを言い出す。
俺は内心江古田に感心するが、向かい側の櫻田はそうではないらしい。
「は?喧嘩売ってんのかお前」
「……別に」
江古田の一言に頭が来た櫻田は立ち上がり、江古田に手を伸ばす。
何事かと思えば、櫻田は江古田のぬいぐるみを無理矢理奪った。
「……返してっ」つられて江古田も席を立ち、慌ててぬいぐるみを取り返そうとする。
ガタガタとテーブルを揺らしながら、二人の攻防戦が始まった。
喧嘩というには可愛らしいものだったが、少し江古田が可哀想に見える。体格差のせいだろうか。
「二人とも、食堂で騒ぐのはやめなさい」
見かねた芳川会長が口を開くが、聞く耳持たず。
諦めたように小さく溜め息を吐く芳川会長に、思わず俺まで苦笑した。
「……櫻田君のばか……」
ぬいぐるみを取られた江古田は、俯きぷるぷると肩を震わせる。
今にも泣き出しそうな江古田に、俺は慌てた。
まったく関係ないのになんだこの罪悪感は。
「んだよ冗談だろうが。いちいちキレんじゃねーよ」
バツの悪そうに溜め息をつきながら、江古田に向かってぬいぐるみを投げた。
「チッ」あまりにもいきなりだったせいか、ぬいぐるみを取り損ねる江古田。
江古田から舌打ちのようなものが聞こえたが、きっと俺の聞き間違いだろう。そうに違いない。
俺は偶然足元に落ちたぬいぐるみを拾い、江古田に差し出す。
「……はい、くまさん」
「……ありがとうございます……」
江古田はぎゅうっとぬいぐるみを抱き締め、伏し目がちにお礼を呟いた。
江古田にとってぬいぐるみは相当大切なもののようだ。江古田のことをよく知らない俺には、その大切さがどんなものかわからない。
櫻田はつまらなそうな顔をして席につく。
江古田はぬいぐるみを抱え、櫻田の後に続いて席に座った。
さらにその後、タイミングを見計らっていた従業員が朝食を運んでくる。
俺たちの手元に、先ほど頼んだものが置かれた。
「会長ー、あーんしてやりましょうか。あーん」
「食べ物で遊ぶな」
「えー、遊んでないって俺!本気だって!」
向かい側の二人のやり取りを眺め、俺は昨日の阿佐美とのことを思い出す。
この学校では、食べさせることは普通なのだろうか。
心底嫌がる芳川会長を見て、なんだか妙な親近感を覚える俺。
パスタをフォークに巻き付け、口に運んだ。美味しい。
「……齋籐先輩、これあげます……」
「いいの?」
「……はい……」
江古田は頷き、皿に乗ったチョコレートケーキを俺の側にそっと置いた。
本当に貰っていいのだろうかと江古田を見るが、江古田は無言のまま俺をガン見するだけだった。ちょっと怖い。
「じゃあ貰うよ、ありがとう」俺は小さく笑って江古田の方を見た。
何故か江古田に慌てて顔を逸らされる。
そんなに酷かったのだろうか、俺の顔。ショックを受けながらも、俺はパスタを食べていく。
「齋籐君は、甘いものが好きなのか?」
「あ、はい……結構好きですね」
「会長、俺も甘いもの好きですよー」
「君には聞いていない」芳川会長はやけに絡んでくる櫻田をあしらい、溜め息をつく。
櫻田も、まともに相手にすらされていないのによくやるな。
俺は櫻田のしつこさに感心すら覚えた。
「奇遇だな、俺も甘いものが好きなんだ。今度一緒にケーキバイキングに行かないか?」
「えー行く行く!まじで行く!やったー、会長に誘われちゃったー」
「……」
「……君は誘っていない」俺よりも早く反応した櫻田に、芳川会長は眉間に皺を寄せる。
なんだかんだこの二人、相性がいい気がしてきた。
目の前で交わされる二人のやり取りに、思わず俺は吹き出す。
「何か、変なこと言ったか?」
「すみませんすみません、気にしないでください」
訝しげな顔をする芳川会長に、俺は慌てて首を横に振る。
いきなり笑い出して変なやつかと思われたかもしれない。
「それで、バイキングのことだけど……」芳川会長は咳払いをし、俺に目を向ける。
「……気持ちは嬉しいですけど、遠慮しておきます」
俺は申し訳なさそうに、眉を下げる。
正直、最初から芳川会長の誘いに乗るつもりはなかった。もちろん、アンチ生徒会と呼ばれる阿賀松たちや親衛隊と呼ばれる不特定多数の生徒たちの存在が恐ろしいからだ。
現に俺は、芳川会長に誘われたと理由で阿賀松に目をつけられている。
芳川会長には申し訳ないが、俺は友人に囲まれた学校生活を優先させる。
「日程なら、齋籐君に合わせるつもりだが。それでも無理なのか?」
「……すみません」
「そうか。……無理に誘って悪かったな」
芳川会長は残念そうに笑う。
俺は俯き、「すみません」と何度も謝った。
「なんなら、俺がついて行きますって会長」
「遠慮させてもらう」
「えー、ちょっとなんすかその差別ー」
抱き着こうとしてくる櫻田を避け、椅子から立ち上がった芳川会長は空になった食器をトレーの上に重ねる。
「まったく、会長つれないなあ。そこがいいんだけど」
「……気持ち悪い……」
「んだと、このチビ!」
相手にするのさえ馬鹿馬鹿しくなったのか、芳川会長は再び揉め始める二人を余所に空いた食器をテキパキと片付けていく。
「あ、俺がしますよ」
「いや、大丈夫だ。齋籐君は座ってなさい」
腰を浮かせる俺に、芳川会長はそう言った。
だからと言って、芳川会長に任せるのは腑に落ちない。
俺は自分の食器を重ね、芳川会長のトレーに乗せた。
「ありがとう」
「なんでお礼を言うんですか」
自分で自分のことをするのは当たり前なのに。
おかしなことを言う芳川会長に、思わず俺は笑った。
芳川会長は恥ずかしそうに顔を逸らし、「それもそうだな」と小さく笑う。
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