天国か地獄


 04

「今ちょっと大事な話してんだからお前は部屋に戻ってろ」
「えー!なんすかそれ!第一佑樹の見張りに任せられたの俺っすよ!」
「ったく……ぐーぐー寝てたのはどこのどいつだよ」

 呆れ気味に吐き捨てる五味に、「ドキッ」と肩を跳ねさせる十勝。
 っていうか口で言ってるし……。

「ほら、いいから戻れ戻れ」

 中々しぶとい十勝に痺れを切らした五味は半ば強引に押し戻す形で十勝を仮眠室へと追いやった。

「ちょっ、五味さ」

 そして、十勝がなにか反論するよりも先に五味は扉を閉める。
 ご丁寧に、鍵まで。

「あの、先輩……いいんですか?」
「いいんだよ、こうでもしなきゃこいつの場合暴れるから」

 既に暴れているらしく、ドンドンと扉の内側から物凄い力で扉を叩かれる。
 なにか叫んでいるようだが、防音が施された壁のせいでくぐもってよく聞こえない。
 十勝のことも気になったが、それよりも今は目の前の五味だ。五味の意図が読めず、不安になってきた俺は恐る恐る相手を見た。
 目があって、五味は僅かに目を細め、そして深く息を吐く。

「こいつのことは俺に任せとけ。……適当に誤魔化しとくから」
「え?」
「行くんだろ、外。なにをするつもりかはわかんねえけど、お前が決めたことだ。俺にそれを邪魔する義務はないしな」

 それって、もしかして、出ていってもいいということか。
 どこか力抜けた様子の五味に、純粋に俺は驚いた。きっと反対されて、部屋に押し戻されると思っていただけに、余計。

「あっ……ありがとうございます……!」
「お礼なんて止めろ。俺はお前を見捨てるんだぞ?」

「安全じゃないと分かっててな」そう続ける五味はまだ迷っているようで、どこか歯切れが悪い。
 それでも、嬉しかった。
 俺を信じてくれている。と自惚れたことをいうわけではないが、勝算の少ない俺を外に出すということは少なからず五味に共犯者という役を押し付ける羽目になるわけで。
 そう考えた途端、罪悪感で胸が握り潰されそうになったが、ここまで来て後には引けない。

「……すみません、ちゃんと、ちゃんとこの借りは返します」
「…………十二時だ」
「え?」
「十二時までに戻ってこい。風紀との会議は午前中までだ。それまでなら、まだ間に合うから」

 だから、と言いかけて、五味は言葉を詰まらせた。

「……まだ会長のことを信じる気があるのなら、頼む、十二時までに戻ってきてくれ」

 そうすれば、裏切りにはならない。
 真摯な五味の言葉に、俺は生徒会室の壁に掛かった時計を見上げる。
 現在時刻、十時十三分。残り、一時間四十七分。いつもなら持て余す時間だが、今の俺にとってそれは酷く短く感じた。
「わかりました」そう力強く頷いた俺に、五味はなにも言わなかった。

 五味先輩と別れた俺は生徒会室を後にする。
 時間がないのも確かだが、ここからは慎重に動かなければならないだろう。時間がないからこそ、余計。

 まず一番に栫井のことが気になった。
 だけど、栫井が阿賀松といることは間違いなくて。
 もしかしたら灘が既に栫井と接触している可能性もあるが、どちらにせよ阿賀松との対面は避けては通れない道だろう。だけど、わざわざ今すぐに通る必要もない。
 ……それに、最悪阿賀松が退学処分決定した際には会う必要もなくなるのだから。
 それを考えるならば、これからの学園生活でこのままでは一番俺が用心しなければならない連中は限られてくる。
 縁や安久を筆頭にした生徒会アンチ派の連中だ。今回のことで、縁が誰の味方なのか、どの立ち位置にいるかはある程度だが把握することができた。
 縁は阿賀松の味方だ、口ではなんと言おうとも阿賀松と同じ思想であることは間違いないだろう。
 だとすれば、なぜ生徒会を嫌うのか、会長を目の敵にするのか。

 ……阿賀松は会長を人殺しだと言った。
 俺がこの学園に来る以前のことはわからない。だけど、一度調べてみる必要があるかもしれない。
 会長を叩くためではない、出来ることなら人の汚い部分なんて見たくない。
 今のままの手ぶらの俺では何したところで巻き込まれて流れに流されるだけだ。事を起こすには、ある程度の予備知識が必要だった。

 五味は話してくれなさそうだし、だとすれば……やはり栫井に聞いてみた方が早いかもしれない。
 以前の栫井ならいざしれず、今の栫井なら、少しは協力してくれるかもしれない。……してくれたら、いいけど。段々自信がなくなってきた。

 とにかく、灘と連絡取れないだろうか。思い立ったはいいが、いざ一人で行動するとなるとひどく心もとない。灘とどうにか話せることが出来たら。
 そんな気持ちで生徒会室を後にした俺は、不気味なくらい静まり返った廊下に出た。
 五味曰く、生徒会関係者、教師以外はこの階の立ち入りを禁じられているようだ。
 会長が気遣ってのことだろう。
 申し訳なくなると同時に、外部からの侵入を防ぐというということは内部からの退出も阻止するということになる。その意味を考えると、なんとなく背筋が薄ら寒くなった。
 下の階へと繋がる階段までやってきた俺だったが、目の前の光景に呆然としたまま動けなくなった。
 何者の侵入をも妨げようとするバリケードは寧ろ壁といった方が適切なのかもしれない。
 そのバリケードは校舎の一部になっているようだ。天井から生えた無骨な鉄柵はいい意味でも悪い意味でも小綺麗で豪奢な校舎には似合わない。

「…………」

 どうしてこんなものが。封鎖されていることは聞いていたが、まさかこんな設備が学園にあるとは思ってもなくて。網目の小さなその鉄柵に手を掛ける。小さく揺さぶってみるがビクともしなくて。
 生徒会専用のエレベーターのことでも思ったが、この学園は普通の学校には必要ないような設備が多いような気がする。
 あのエレベーターは会長が用意させたと聞いていたが、もしかしたらこのバリケードも会長が作らせたのだろうか。
 そうでないとしても、なぜこれが必要なのかがわからない。それを許可する学校側も学校側だ。
 もしこれが必要なもので作らなければならないものだとして、このバリケードや隠し通路や専用エレベーターが必要な状況と言えば中々特殊なはずだ。
 ――極端な例を上げるならば、テロリストかなにかが現れたときとか。

「おいッ」

 不意に聞こえてきた怒鳴り声にハッとして顔を上げれば、バリケードの向かい側、一人の生徒がこちらを睨んでいた。一度見たら忘れられないようなドギツイ桃色の髪。
 御手洗安久だ。

「ぁ……っ」

 まさかこんなタイミングでこいつと出会ってしまうとは。
 とっさにバリケードから手を離した俺は、後退りしそうになって足を止めた。
 なにか、様子がおかしい。そう感じたからだ。

「……齋藤佑樹……っ」

 喉の奥から搾り出すような怒気を孕んだ安久の声に、俺はびくりと震えた。
 一度痛い目に遭わされたせいだろう、条件反射で目を瞑ってしまうが、待っても安久の口から罵声が飛び出すことはなくて。それどころか。

「……っう……」

 ……う?
 不気味な呻き声に恐る恐る目を開いた俺は、そのままぎょっとした。
 歯を食いしばった安久の目から、ぼろぼろと涙が溢れ出す。

「えっ、ちょ……どうし……」
「お前のせいだっ!」
「……っ!」
「お前のせいで、伊織さんが、悪いのはあの眼鏡猿なのにっ!」

 相当切羽詰まっているのか、安久の言葉は要領を得ない。
 いきなり怒られるのもあれだが、泣かれるのもあれだ。
 そこまで叫んで、糸が切れたようにわんわん泣き始める安久にどうすればいいのか分からず俺はわたわたと取り乱すが、如何せんバリケード越しじゃどうすることも出来ない。
 もしかして俺を誘き寄せる為に嘘泣きしてるのだろうか。
 なんて考えてみたが、あの高飛車て傲慢でおまけにすぐ癇癪起こす安久が俺の目の前で泣きじゃくるというだけでも信じ難い光景で。しかし、名前を呼ばれてしまえば無視するわけにもいかなくて。

「ちょっと待ってて……今、そっちに行くから」
「どこ行くんだよ、逃げるなよ!」
「逃げない、逃げないから、待ってて」

「ごめん」と口癖のように謝り、俺はバリケードから離れる。
 逃げない。そうなんでもないように答えた自分に驚きながらも俺は五味から教えてもらった抜け道を使い、安久の待つバリケードの外へ向かう。

 バリケード外、階段踊り場。
 隠し通路を使いバリケード外へと出た俺を出迎えてくれたのは、先程よりも落ち着きを取り戻した安久だった。辺りには人気はない。

「遅いっ!僕を待たせるつもりか!」
「そ、そういうつもりじゃ……」
「……」
「……」

 すっかり機嫌の悪い安久に、俺は態度を決め兼ねていた。
 いつもの安久なら芳川会長に加担した俺を殴るなり罵声浴びせるなりしてくるはずなのに、それがない。それどころか、こちらを睨み付ける赤く充血した安久の目は段々威勢がなくなっていく。

「……それで、あの、どうしてここに?」

 何も言わない安久に仕方なく話題提示を試みてみるが、少し直球すぎたかもしれない。
 じとりとこちらを見下ろす安久は「あんたこそ」と呟く。

「あんたこそ、なんでここに居るんだよ。生徒会室でのんびりしてたんじゃないのかよ」

 既に俺の位置情報は出回っているようだ。
 驚きはしないが、安久の質問には少し戸惑った。

「俺は……」
「伊織さんの心優しい提案を断ったくせに、なんで普通に出歩いてんだよ!眼鏡猿がいるから怖くねーってつもりかよ!」

 ああ、やばい。どうやら俺の存在は安久の精神を逆撫でしてしまうらしい。次第に昂ぶる安久に怖気づきそうになる。
 怖くないわけじゃない。本当は誰もいないところにいって閉じこもりたいくらい、怖い。
 だけど、これ以上怖い思いをしたくない。それだけだ。

「……安久は、なんで泣いてたの?」

 なにを返したところでブチ切れる安久の姿が見えていたので、敢えて俺は問いかけた。
 瞬間、ひくり、と確かに安久の顔が引き攣った。そして、またじわりと涙が滲む。

「ぁ、や、ごめ……そういうつもりじゃなくて……」

 また泣いた。怒りっぽいとは思っていたがここまで泣きやすいなんて、よほど情緒が安定していないらしい。無理もないが、俺は人に泣かれるのが苦手らしい。
 どうすればいいのか、わからない。

「安久……っ、て、え?!」

 いきなり肩を掴まれ、殴られる、と反射的に身構えたが、拳が飛んでくることはなかった。
 それどころか、

「……っ頼む、取り消してくれ」
「え?」
「伊織さんの処分を取り消してくれ……ッ!」

 そう、安久は腰を折り、深く頭を下げる。
 揺れる派手なピンクの髪に、一瞬、俺の思考はぶっ飛んだ。

「あんたが、全部嘘だった、悪いのは御手洗だって、言うだけでいいんだ。そうしたら、全部収まるんだ……っ」

 頭を下げたまま、吐き出すように続ける安久の声は震えている。怒りを必死に堪えているのか、それとも別のものを押し殺していいるのかわからなかった。
 だけど、それでも安久の言葉が本心だということはわかった。

「お願いだ、伊織さんは悪くない、悪いのは全部あいつだ……っ!こんなの、可笑しいだろ?!」

 次第に大きくなる安久の言葉。
 あいつというのは、言わずもがな会長のことだろう。
 正直、頭を殴られたような気分だった。
 俺に頭を下げて頼み込んできたこともそうだが、安久がそこまでしてまで阿賀松を助けようとすることにだ。
 ……前々から不思議だったが、俺には自分を犠牲にしてまで阿賀松を助けようとすることが理解できなかった。
 安久にとってはいい先輩だったということだろうが、なんとなく、それだけではない気がして。

「あの、安久、頭上げて」
「……」
「……どうして、そこまでして先輩のこと助けたいの?」

 無粋だと思いながらも聞かずにはいられなかった。
 案の定目を見開いた安久に睨まれたが、安久は噛み付いてくることはなかった。その代わり、唸るように続ける。

「……質問の意味がわからない」
「いや、だからなんでそこまでして阿賀松先輩の……」
「伊織さんが退学処分を受けるのは可笑しいからに決まってるだろ。無意味な質問はやめろ」
「……」

 なんという即答。あまりにも迷いのない目ですっぱりと言い切られ、逆に問いかけたこちらの方が狼狽えてしまう。
 安久にこの質問の仕方はよくなかったようだ。
 もっと詳しい話を聞き出すためには、阿賀松以外を引き出す必用があるだろう。でも、その前に。

「……取り敢えず、場所、変えてもいいかな」

 二人きりになることには抵抗あるが、いつ誰が来てもおかしくないこの状況で入れ込んだ話はしたくない。
 俺の提案に安久は相変わらず不機嫌な様子で「勝手にしたらいいだろ」と吐き捨てる。


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