愛斗と大地のホワイトデー
「愛斗愛斗愛斗愛斗」
「うるせえ」
「じゃあこっち向けよ」
「嫌だ」
「なんで!」
「面倒くせぇ」
三月十四日のホワイトデー。
世間ではバレンタインのお返しだとか理由付けてカップル共がまぐわっているというのに俺の彼氏さんはどうしたことだろうか。目を合わせようともしてくれない。
「面倒くせえってなんだよ。チョコやったのに」
「誰も欲しいなんて言ってないし、第一殆どお前が自分で食っただろうが」
「一口だけでも食ったらアウトなんだよ」
そう、意地でもこちらを向こうとしない愛斗に焦れた俺は愛斗の正面に回り込み、やつの頬を挟んで無理やりこちらを向かせた。のにも関わらず、目が合う前に目を閉じた愛斗は「知るかよ」と眉を寄せる。
あまりにも冷たい愛斗に、寛容な俺もメンタル面で我慢の限界に達した。
「薄情なことばっか言うのはこの口か!」
そう言って、思いっきり頬を引っ張ってやれば愛斗はぎょっと目を開いた。
驚いた愛斗の顔は結構レアなのだが、そんな貴重な愛斗の表情を楽しむよりも先に愛斗の表情は険しくなる。マジギレ。悲しいくらいの予想通りの反応。
「てめぇ、いい加減にしろよ」
「はあ?やんのかよ」
「お前からけしかけてきたんだろうが……って、なんで脱ぐんだよ……っ!」
「やるんだろ?」
「やらねえよッ」
そんなムキにならなくてもいいだろ。あまりの全力拒否にちょっと挫けそうになったが、愛斗の照れ隠しとわかっていたのでなんとか立ち直る。
「じゃあ、チューだけでいいから」
「じゃあってなんだよ。やらねえよ」
「なんだよ、良いだろ。キスくらい。対して上手くもないくせに勿体ぶってんじゃねえよ」
そう唇を尖らせれば、上目でこちらを睨む愛斗は「ぶっ殺すぞ、てめえ」と吐き捨てる。
どうやらキス下手っつったのがそれほどショックだったらしい。可愛いやつめ。だけど、そんな可愛い上目遣いしても許してあげない。
「……んー、じゃあもうぎゅってしてくれるだけでいいから」
「しねえし、くっつくな。暑苦しい」
「…………ぎゅーってして」
「…………」
「ねぇ、愛斗」
言いながら、愛斗の胸に摺り寄ればやつはしかめっ面のまま押し黙る。
可笑しい、いつもならこの辺りで折れるはずなのに今日はしぶといぞ。無言が気になって、恐る恐る愛斗を見上げれば冷めた目でこちらを見下ろしていた愛斗と目があった。
「……そうやって、何人にもの強請ったんだよ」
ぽつりと吐き出されるその言葉に、俺は凍りつく。先ほどまでゆったりと脈を打っていた鼓動は一気に乱れた。それを気取られないよう、俺は平常心を装う。
「えぇ?なに、なんのこといってんの?愛斗うけるー」
「しらばっくれんじゃねえよ。バレンタインの日、誰彼構わず手ぇ出して今日強請りまくったんだろうが」
「なにそれー初耳なんですけど」と言いながら、引きつる顔の筋肉を無理やり動かし微笑んだ俺は視線を泳がせる。なのに。
「おい、大地」
このタイミングで名前呼んでくれますか、普通。
耳元で呼び掛けられば、反応せずにはいられないわけで。
「だ……だって、愛斗が構ってくれねえし」
「お前、そういえばなにやっても許されると思ってんのか?あ?」
「うー……」
「貰ったもん、出せよ」
「…………」
「全部、今すぐ出せ」
本当、愛斗は鬼だ。鬼畜。外道。馬鹿。アホ。
どうしても言うこと聞きたくなくて知らん振りしてたら「大地」とまた名前で呼ばれる。
いつも『おい』とか『てめえ』とか『糞が』とかしか呼んでくれないくせに、ズルいズルいズルい。
そんな声でお願いされたら言う事聞くしかないじゃないか。
側に放り投げていたカバンを掴み、チャックを開けてひっくり返せば、その中からはバサバサバサと一斉に中身が床に落ちた。愛斗はゆっくりと床の上に散乱したそれらに目を向ける。愛斗の写真から始まり、愛斗のジャージに愛斗のソックス、愛斗が愛用してるシャーペンに愛斗のタオル。その他もろもろ。
全て、今日という日のため今まで接していた愛斗の部活仲間やクラスメートたちに力づくでお願いし、巻き上げたものだ。
本当はこのまま俺のコレクションにするつもりだったのだが、こうなった今どうしようもない。
項垂れる俺とは対照的に、どこか軽蔑するような気配もある愛斗は相変わらず怒ったような視線を俺に向けた。
「人の話聞いてなかったのか。全部っつっただろうが」
まだ俺を責めるつもりか。愛斗のサディストめ。とかいう俺も愛斗の命令には弱いマゾヒストなので、渋々ベルトに手をかけ、そのままズボンを脱いだ。
「……はい」
そう言いながら、履いていた愛斗のボクサーパンツを手渡せば、またまた眉間のシワを深くした愛斗に取り上げられる。そして、俺を睨んだ。
「なにか言うことは」
「愛斗が相手してくれないから……」
「なにか言うことは」
「はいはいごめんなさいでしたー!」
気持ち?篭ってる篭ってる。
だけどやっぱり愛斗には俺の誠意が伝わらなかったらしい。
相変わらず人相悪い。そんなんだから犬にも逃げられんだよ。
「あのな、他人に手を出すなって言わなかったか?」
「言ったような言ってないような」
「言った」
「はい」
「てめえの我儘で周りに迷惑掛けんじゃねえ」
突然だけど、俺は命令されるのは大好きだが説教されるのは大嫌いだ。
なのでこの展開は非常に面白くないため、今現在俺の顔はとても本来の美男子である造形から崩れているに違いない。
それにも関わらず、こういうときだけ愛斗は真っ直ぐ俺を見つめてくる。
「言いたいことがあるなら直接俺に言え」
「だって、愛斗パンツくれないし」
「言ったからなんでもするとは言ってねえだろ、馬鹿」
「…………」
「………………努力はする」
なにそのすげー嫌そうな顔。
「だから、金輪際こういうストーカーみたいな真似やめろ」
「どうせ俺は非公認恋人のストーカーもどきだもん」
「……めんどくせぇな」
愛斗さん、機嫌取りたいなら思ってもそういうこと言っちゃダメですよ。すげー本音感出てるし。
普通「そんなことねえよ!」とかいうところだろ、ふつー。とか思ってたら、前髪を掴まれ、強引に顔を上げさせられた。
引っ張られるように目を開いたとき、唇に柔らかい感触。舌を入れる隙もなく、すぐに愛斗の唇は離れた。
「恋人名乗ってんなら恋人らしくしろ。……コソコソすんじゃねえ」
微かに乱れた呼吸から愛斗の緊張が伝わり、瞬間、きゅんと心臓が大きく弾む。
これは、不意打ちだ。目を逸らし、どことなくばつが悪そうな愛斗にこっちまで照れ臭くなって目が合わせられなくなる。だけど、そんな愛斗の顔を見ていたくて、結果的にガン見になるわけだけども。
「……なぁ、キス、もっかいして」
「しねえよ」
「なんで、言ってることちげーじゃん」
「…………一日一回までだ」
なにそれ、すげー可愛いんですけど。俺殺す気かよ。
「今日はホワイトデーだから三倍返しだろ。……だから、あと、二回!」
「な」と強請るように迫れば、鬱陶しそうにこちらを睨む愛斗。
調子に乗んなよオーラが半端ないけど、それくらいでへこたれるようなメンタルはしていない。だけど。
「んっ」
唇を押し付けるようにキスをされたと思えば、そのまま薄く開いた下唇を舌と唇で柔らかく嬲られる。
びっくりして目を丸くしていた俺だったけど、続く口付けに体の芯がどろどろに蕩けたみたいになにも考えられなくなり、うっとりと目を細めた。
「……っん、む……っふ」
後頭部に回された大きな手が髪の毛に絡み、触れられた箇所がずくずくと甘く痺れ始める。
どういう風の吹き回しかわからなかったが、今はただ目の前の唇を味わうことで頭がいっぱいいっぱいで。無意識のうちの愛斗の背中に手を回し、もっと、と強請るように擦り寄ったとき。
「………ぁ」
唇が離れた。
薄皮越しに流れ込んできた愛斗の体温が名残惜しくて、目で唇を追ったとき。どちらのものかわからない唾液で濡れた唇を舌で拭った愛斗は、ゆっくりと目を細めた。
「これで、三ヶ月分な」
その愛斗の言葉に、『これだけで三ヶ月我慢しろと』という気持ちと『これで三ヶ月分なら十分いける』という気持ちが同時に湧き上がり、俺はどうしたらいいのかわからなくなったが取り敢えず「調子にのんじゃねえよ、下手糞が」と唾吐いとく。お陰で数日足腰立たなくなったが、無視されるよりましなのでよしとする。