01
愛斗は感情表現が下手だ。
口下手で、恥ずかしくても嬉しくても照れ臭くてつい暴言で紛らしていて、そのお陰か周りからは取っ付きにくいやつみたいに扱われていた。
俺は、そんな愛斗から本音を聞き出すための方法を知っていた。
愛斗は、気に入らないことがあったらまず手が出る。つまり、愛斗の暴力は怒りだ。怒ったから暴力を振るう。例えば俺が愛斗の嫌がることをしたとき。そういうとき、愛斗によく殴られた。要するに、愛情表現なのだ。
俺が他のやつに手出して愛斗に殴られるのも愛斗が俺に対して独占欲を感じているというわけで、愛斗に殴られれば殴られるほどそれをよく実感できた。だから、あのとき愛斗に殴られて正直俺は安心した。
別に不安になっていたかと言えば微妙なところなので安心と言うのは怪しいところだが、久しぶりに愛斗に殴られたお陰か少しだけ嬉しく感じた。別に被虐趣味はない。
相馬との一件のお陰で、流石に愛斗に愛想尽かされたのかもしれないと思っていたが余計な心配だったようだ。
現に、俺は愛斗に殴られた。つまり愛斗は俺の行動に対して思うところがあったということだ。
と思いたいところだが、実際愛斗がどこから見ていたのか、なんであの場所にいたのかについてまったくわかってない今判断は下せなかった。まあ、なんでもいいか。
翌日。布団にくるまっていた俺は、いつものように昼過ぎに目を覚ます。案の定誰もいない。
学校行きたくないと怠けた思考を働かせつつ、もそもそと起き上がる俺は携帯電話を取り出す。
着信履歴がビックリなことになっていた。イタ電かと思って履歴を調べれば、そこには七緒の名前がズラリと表示される。ああ、そういや忘れていた。昨日此花たちとのことがあってバタバタしていたお陰で放置していた七緒メールと七緒電話の存在に、俺はどうしたものかと内心ため息をつく。
最終着信の時間を見てみれば数分も経っていなかった。
本来ならば授業中であるはずの時間帯に堂々と電話するとは如何なものかと思ったが、俺自身よく授業抜けて電話することがあったので気にしないことにする。
あまりにも多い七緒からの着信件数に逆に心配になってきた俺は、取り敢えず七緒に電話かけることにした。因みに寝起きですっごい眠たい。
かけてから数秒。コール音が聞こえないうちに、画面に通話中の文字が表示される。
『だ、大ちゃん?!』
早い。そして声がでかい。
受話器から聞こえてくる雑音混じりの七緒の声はどこか涙声に聞こえたが、恐らく気のせいではないだろう。
耳から数センチ携帯電話を離しながら、取り敢えず俺は「おはよ」と挨拶することにした。
『お……おはようじゃないよーっ、なんで電話出てくれなかったの?俺、もしかして大ちゃんになんかあったんじゃないかってもう心配で心配で……ううっ、馬鹿!大ちゃんの馬鹿!アホー!』
感極まって受話器の向こうでわんわん泣き出す七緒は相変わらず元気そうだった。
「悪かったって、ちょっと忙しくてさー」嘘は言っていないはずだ。
笑いながら「泣くなって」と宥めれば、ぐすぐすと七緒の鼻を啜る音が聞こえてきた。
今屋外にいるのだろうか、やけに雑音が入る。
「んで、なんか用あったんだろ?すっげー電話入ってたけど」
『……うん』
いきなり大人しくなった。
相変わらず冷めるのが早いなと関心しつつ、「なんだよ」と俺は七緒を促す。
『あのね、電話より直接会って話したいんだけど……』
「は?別に電話でいいじゃん」
『や、やだよ……大ちゃんの顔が見れない』
「見て面白い顔してるわけじゃないと思うんだけどなー」
やけに真剣な七緒をそう茶化せば、『違うよ』と七緒の声が返ってきた。
『目と目を見なきゃ、伝わらないことだってあるじゃん』
また変なことを言い出したぞ、こいつ。
放置したせいか変なスイッチが入っている七緒に、聞いてるこっちが恥ずかしくなってきた。
相手が素で言っているだけに、「そういう日もあるかもね」ぐらいしか言えなくなる。
『……だからさ、今から出てこれる?』
そう恐る恐る尋ねてくる七緒はどことなく不安そうで。
今からもなにも起きたばかりでなにもしていない俺は「無理」と即答する。
『え……あれ、なんで?もしかして誰か一緒なの?』
「いないいない。まだ着替えてないし、飯も食ってないから時間かかりそうって意味」
『それならいいよ、俺待ってれるから』
ボリボリと頭を掻きながら言えば、七緒はそう安心したように言った。
その一言に僅かな違和感を覚えた俺は、「七緒」と相手の名前を呼ぶ。
「なあに?」受話器越しに、雑音が混ざった七緒の声が返ってきた。
「お前、今どこにいんの?」
『え?大ちゃんの家の前だよ?』
その一言に、全身が脱力するのがわかる。
先ほどから聞こえてくる雑音は、どうやら外からかけてきているのが原因のようだ。
ていうか、あれ。確か俺七緒に家の場所教えてなかったよな。なんで知ってんだこいつ。
そこまで考えて、脳裏に日生の顔が思い浮かんだ。
もしかしてあれか、七緒の相手が面倒臭くなった日生が俺の住所というあれを使って七緒を俺に押し付けたと言うことか。確信は持てなかったが、そう考えるのが妥当だろう。
「七緒、学校は?」
『大ちゃんがいないのに学校なんて行けるわけないじゃん』
「ダブってもしらないからな」
『あっ、それじゃ大ちゃんと一緒のクラスになれないね!』
なんで俺も留年前提なんだよ。俺と雑談を交わして気でも紛れたのか、『でもせっかく来たから待ってるね』と俺に告げる七緒はなんとなく楽しそうだった。
日生め、俺を売りやがって。思いながら俺は「わかった」とだけ答え、七緒との通話を終了させた。
七緒が家まで来ていると聞いて、取り敢えず俺は身支度を済ませることにした。
制服に着替え、一通り身嗜みを整えた俺は玄関へ向かい、そのまま部屋を出る。
自宅のインターホンが鳴らないのが気になったが、日生のことだ。
部屋の番号まで七緒に知らせていないのかもしれない。通路に出た俺は、エレベーターに乗り込みそのまま一階へ向かった。
マンション一階、エントランス。
「大ちゃん!」
オートロックの自動ドアを潜りロビーを後にすれば、自動ドアの真ん前で待ち伏せしていた七緒が飛び付いてくる。普通に焦った。
すりすりすりと肩口に顔を埋めてくる七緒に、「わかった、わかったから」と謎の言い訳をしながら俺は自動ドアから離れる。
「大ちゃん、会いたかったよーっ」
感極まったのか、俺を抱き締めたままわんわんと泣き出す七緒に俺は「よしよし」と七緒の背中を撫でてやることにした。
たかが一日二日会わなかったくらいでこんなになるのだろうかと疑問に思ったが、無駄に繊細な七緒と俺を比べるだけ無駄だった。
対面早々泣き出す七緒を宥め、一先ず俺は朝食を取ることにした。
学校に行く気が更々ない私服の七緒を連れ、通学路にあるファーストフード店で朝食を済ませる。
七緒が奢ってくれるとか言い出したので会計は楽だったが、その後が大変だった。
「やだやだやだやだ、ダメだって大ちゃん!いいじゃんサボって!」
校門前。
昼食を済ませ、そのまま学校へ向かおうとする俺に七緒は嫌々言いながら俺の足にしがみついてくる。
非常に歩きにくい。
「七緒、踏んじゃう踏んじゃう」
「踏んでもいいから学校行かないでよっ、さっきハンバーガー奢ってやったじゃん!」
やけに太っ腹と思ったら、まさかこのために奢るとか言ったのか。
あれほど可愛かった後輩がまさかこんなずる賢い手を使ってくるとは。誰だこんな汚い入れ知恵したやつ。俺だ。
「今度ハンバーガー食べさせてやるから離せよ」
「やだ」
「ほら、七緒。女子に笑われたらどうすんだって」
幸い周りに人はいないが、この様子じゃいつ見られても仕方ないだろう。
「別にいいもん」七緒は拗ねたようにそう即答した。
太股の裏に顔をくっつけてくる七緒の頭を撫でるフリして離しながら、俺はどうしたものかと困り果てる。
別にこのまま七緒と遊んでもいいのだが、一回を許したら確実に七緒は調子に乗ってくるだろう。
七緒が毎日こんな風に駄々を捏ねてくるのが目に見えた。
日生みたいにスパルタに出るわけではないが、我が儘な七緒を扱うには体力を使わずにはいられないようだ。
「七緒」
「やだ」
「ちげーよ、一旦離れろって」
言いながら七緒から手を離せば、不安そうな顔をした七緒は渋々俺から離れ、立ち上がる。
そのまま七緒の胸ぐらを掴み、ぐっと七緒に顔を近付けた。
「わ、ちょ、大ちゃん」
「なに?」
「そんなことしてうやむやにしようとしても、俺騙されないからね!」
じわじわと顔を赤くしてそう強がる七緒に、「ふーん、そうなんだ」と出来るだけ素っ気なく呟く俺は、近付くだけでなにもせず離れた。
キスくらいされると思っていたのだろう。拍子抜けしたような顔をする七緒は、呆れたように俺を見詰めた。
「んじゃ、俺行くから」
そう言いながら校門を潜ろうとすれば、七緒に肩を掴まれ無理矢理止められる。想定内なので特に驚かない。
「どうしたの、なな……」
言いながら七緒の方を振り返ろうとした。と同時に、唇に柔らかい感触が触れる。
目の前にある七緒の顔に、自分がキスされていることに気付いた。
七緒が周りの目を気にしないやつだとはわかっていたが、やはり多少度肝を抜かれる。
「……ずるい」
長い口付けの末、唇を離した七緒はそう眉間を寄せながら呟いた。
散々口内を嬲られちょっと泣きそうになっていた俺は、七緒の腕にしがみついたまま「なにが」と聞き返す。
「ずるいよ、だって。ずるい」
「だからなにが」
自業自得な身でありながらもそりゃこっちの台詞と言い返したくなりながら、俺は手の甲で唇の唾液を拭った。
七緒から手を離しながら、そのまま相手の顔を覗き込む。
不意に、七緒と目があった。
「ちゃんと責任取ってよ」
そう拗ねたような困ったようなすがるような顔をする七緒に、俺は「もちろん」と笑う。
というか、最初からこの流れを狙っていたんだから、ここまで来て今さら投げ捨てるような真似はするわけない。
手っ取り早く手と口のみで七緒をイカせ出来る限り体力搾り取り、七緒が大人しくなった隙を狙って学校へ向かうというのが俺の作戦だった。
七緒を近くの建物の物陰に引っ張り込むまでは順調だったが、正直やり過ぎた。
体力を温存するつもりで挿入はさせないようしていたのだが、俺の考えが甘かったようだ。
気付いたら七緒に突っ込まれてあんあん言ってる自分がいた。
七緒を満足させ尚且つ体力を搾り取ることに成功するが、搾り取られたのは俺もだった。
ぐったりしながら制服を着直す俺は、ちらりと壁際に座り込んだ七緒の方に目を向ける。
壁にもたれ掛かるように座る七緒は目を伏せ、すーすーと心地よさそうな寝息を立てていた。
本人曰くここ最近睡眠不足が続いているようだ。
最中限界が来ていきなり爆睡し始めた七緒の服を整え、わざわざちゃんと座らせた俺の優しさプライスレス。
この調子だと、しばらくは目を覚まさないはずだろう。
爆睡は予想外だったが、これほどまでのチャンスはない。
七緒を置いてここを離れるか。そう俺が七緒から離れようとしたときだ。七緒の方から着信音が聞こえてくる。
路地裏に響く無機質な音に反応した俺は、ふと代わりに電話に出てやろうかと考えたが面倒なことになりそうだったので無視することにした。
鳴り響く着信音を聞き流しながら、俺はその場から立ち去る。
再び校門前に向かえば、ちらほらと制服姿の生徒たちが校舎から出てきていた。
校舎に取り付けられた時計を見れば、どうやらすべての授業が終わった後のようだ。
どうやらさっきので時間を食ったらしい。結果的にサボりになってしまったし、これだったらわざわざ学校まで来るんじゃなかったな。
一旦校門を離れて、路地裏に放置したままの七緒を起こしに行くか。あのままにしておいて、なにかあったらそれはそれで可哀想だし。
思いながら校門から引き換えそうとしたとき、校舎からどっかで見覚えのある男子生徒が出てきた。
携帯電話片手に難しい顔をして校門へと歩いてくるその男子生徒、もとい日生弥一はどうやら校門前の俺に気付いていないようだ。
さっき七緒にかかっていた電話、もしかして日生からだったのかもしれない。
出とけばよかった、と後悔しつつ頬を緩ませた俺はせかせかと歩く日生の元へ近付こうとする。
そして、立ち止まった。正確には、無理矢理止められた。
「木江大地ってお前のことだよな?」
肩に置かれた手に、背後から聞こえてくる聞き覚えのない男の声。
何気なく振り返れば、そこには制服を着崩したいかにもな不良さん方がいた。
うっわ、このタイミングでかよ。せっかく日生にちょっかいかけようと思ったのに。
最悪、と口の中で呟きながら俺は愛想笑いを浮かべる。
「えぇ?違いますよう、人違いじゃないっすかあ?」
ヘラヘラ笑いながらバカっぽく喋って見れば、不良数名は目を丸くして顔を見合わせた。
「え、あ、そうなの……?いきなりごめんな!俺たちの勘違いだったみたい」
随分フレンドリーというか、単純というか。
素直に謝ってくる不良に、俺は笑いながら「あっ、全然いいっすよー」と手を振る。
「ところで、大地のやつがどうしたんすか?あいつなら俺のダチなんですけど」
相手の不良たちが単純な正直者と判断した俺は、咄嗟に第三者を装って不良たちから聞き出そうとした。
いくら頭が弱そうでも、ここまで露骨だと流石にバレるかもしれない。
そう思いながら訊ねれば、不良たちは顔を合わせなにやらプチ会議を始めた。
「どうする?」「勝手に言っていいのかよ」「でもダチだってよ」まとめ役がいないお陰で長引くプチ会議。
待つのが面倒だったので、会議に参加できていない一番気が弱そうなやつに「ねえねえ」と声をかけようとして、俺は固まった。
明るい茶髪にいかにも気が弱そうなその不良は、俺の顔を見て目を丸くする。
「あれ、お前……」
左目を覆う眼帯に、色素の薄い髪から覗く耳につけられた大量のピアス。
つい最近どっかであったばかりのその派手な男子生徒は、同様目を丸くする俺を見て苦笑を浮かべた。
「……奇遇だね」
そう困ったように笑うやすくん。
この前会った時よりも幾分顔の傷が増えているような気がした。
本当、奇遇だ。こんな面倒なタイミングで出会うなんて。