尻軽男は愛されたい


 10

「……ちょっとー葵衣ちゃん、そりゃ冗談キツいなぁ」

 流石に寛容な俺でもこのタイミングでそれは結構やばい。
 ただでさえ此花に嫌われてるっていうのに。
 笑いながらそう岸本の首根っこを掴もうと手を伸ばそうとしたら、此花にその手を払われた。

「自分より弱いやつに暴力奮うなんて最低だな、お前」

 岸本の腕を引っ張り無理矢理俺から離した此花は、そう岸本を庇うように背にしながらそう顔を険しくさせる。
 いやいやいやいや、どこが弱いんだよそいつ俺より狂暴だしっていうか、え?お前だってカツアゲしてんじゃん。
 自分にかけられた正義感に満ち溢れた此花の言葉に、俺は笑いどころか戸惑いを覚える。
 いや、いやいやいや、いやいやいや。あまりの突っ込みどころの多さに俺の思考は詰まる。

「あ、あの……」

 流石の岸本もまさか自分がか弱い扱いされると思ってはいなかったようだ。庇ってくれる此花に、素で対処に困っている。
 お前が余計なこというから面倒なことになっただろうが。
 そう視線で此花の背後にいる岸本に訴えれば、岸本は『大地の日頃の行いが悪いからじゃん』と口パクで答える。なにも言えなくなる自分が悔しい。
 どうすればいいんだこの場合。面倒だから岸本ごと放置するか。

「なに無視してんだ、テメェ」

 そのまま立ち去ろうとした瞬間、背後から此花の声が聞こえてくる。
 なんですか、そんなに俺に構って欲しいんですか。自分だって無視したくせにと内心臍曲げながら振り返ろうとした瞬間、そのまま胸ぐらを掴まれ殴られる。気が短いというか、手が早いというか。

「大地っ」

 名前を呼ぶ岸本の声がして、その声がする方へ目を向ければちょっと笑いそうになっている岸本と目があった。
 ちくしょう、このチビ。
『時間稼いでて』そう口パクで伝えてくる岸本は、言いながら携帯電話を開く。
 どういうつもりかわからなかったが、どうやらこのまま殴られておけということのようだ。
 いきなり殴り合いを始める高校生に驚いたのか通りすがりの通行人が避けるように通り過ぎていく。
 二発目殴られて、目尻が酷く痛んだ。通りかかった女の人の悲鳴がやけに遠く聞こえる。

 目の前には此花がいて、怒った顔もなかなかなんて思いながら俺は此花の腕を掴んだ。
 流石にこれ以上殴られたら俺のかっこいい顔が崩れてしまう。
 つーか、ただ単に此花は俺殴りたいだけなんじゃないのか。
 爪を立て、此花の腕が動かないよう力を込めて止めるが、生憎俺は此花に拮抗できるほどの腕力はない。
 呆気なく振り払われ、腹部を膝で蹴り上げられる。
 よかった、まだなんにも食ってなくて。思いながら体勢を崩した俺はそのまま地面に膝をついた。
 腹部を押さえ踞り嘔吐く俺の髪を指を絡めるように掴んだ此花は、無理矢理顔を上げさせる。
 膝立ちになった俺の前にしゃがみ込んだ此花。正面から顔を覗き込まれ、まともに視線が絡み合った。

「……お前、公太郎にも手ぇ出したんだってな」

 先程に増して騒がしい外野の中、此花の声が鼓膜から頭の中へと入り込んでくる。
 公太郎、公太郎?誰だっけ。……ああ、多治見のことか。

「……向こうからちょっかいかけて来たんすよ」

 昼間のことを思い出しながら、俺はそう答える。
 喋る度に殴られた箇所が疼くように痛んだが、構わず俺は「随分仲良しなんですね」と白々しく笑って見せた。
 俺の言葉にふっと小さく笑った此花は、次の瞬間俺の髪を引っ張りそのまま地面に叩き付ける。
 あーやばい、つーか砂が傷口に当たって痛いってかジャリジャリ言っててウケる。

「お前、立場弁えろよ」

 低く笑う此花の声が頭上から降ってくる。
 顔半分を歩道のコンクリートに押し付けられ、あまりにも強く頭を押さえ付けられているせいかコンクリートと接触する箇所の感覚がなくなってきた。
 目だけを動かししゃがみ込んだ此花を見上げる。
 体勢からか陰った此花の顔には確かに笑みが浮かんでいて、もろタイプのその笑顔に場違いながらもときめいた。
 ぶっかけたい。なんて不純な思考を働かせる俺の頬は自然と緩み、にやにやと笑いながら此花を見詰めていると此花の顔が派手に引きつった。どうやら俺の様子からなにか察したようだ。
 暫く此花と見詰め合うこと数十秒。岸本のやつどんだけこのままにしとけって言うんだ。俺と此花の間にロマンスが生まれてもしらないからな。なんて思いながら、ズキズキと痛む腹部を手で押さえる。
 もう暖かくはない季節だというのに嫌な汗が背中に滲んだ。
 痛いのは好きじゃない。
 変な道に目覚めてしまわぬよう頭の中でそう呟きつつ、俺は此花から視線を逸らし先程岸本がいた位置に目を向けた。そのときだった。

「君たち、なにしてるんだ!!」

 制服姿のお巡りさんが野次馬を掻き分けるようにして俺たちに近付いてくる。
 恐らく一方的に殴られている俺を見兼ねた誰かが警察を呼んだようだ。
 なんとなく邪魔された感が否めないが、まあいい。

「……面倒臭ぇ」

 駆け付けてくる警察に舌打ちをした此花はぺちんと俺の後頭部を叩けば、そのまま立ち上がり人混みの中へと紛れ込む。
 どさくさに紛れて叩かれた箇所を擦りながら、ようやく押さえ付けるものがなくなった俺はよろめきながらも上半身を起こした。

「君、待ちなさい!」

 俺の側までやってきたお巡りさんは、そのまま此花を追って人混みの中に入っていく。
 それを横目で眺めながら、よっこらせと立ち上がった俺は服についた汚れを手で払った。

「はー、危機一髪だったね!」

 不意に、いつの間にか街路樹の後ろにいた岸本はやけに達成感に満ちた顔をしながら俺に近付いてくる。
 一髪どころか三発くらい食らったんですが。
 地面に押し付けられていた頬を擦りながら、俺はやってくる岸本を睨む。

「あっはっはっ!大地すっごい顔、かっこいー!」

 人の顔を見るなり俺を指指しゲラゲラと笑い出す岸本に、流石の俺もキレそうになる。
「お前なあ」眉間に皺を寄せ、そう語気を強くした俺はこちらを指すその腕を掴み無理矢理逸らさせた。

「わかってるわかってる。一応僕だって悪いと思ってるんだからね」

 宥めるようにそう笑う岸本はちらりと周りを見渡し、「でもまあ、取り敢えず先にこっから離れよっか」と微笑みかけてくる。
 自分の腕を掴む俺の手を振り払うわけでもなく、それだけを言えば岸本は俺の腕を掴み足早に歩き出した。

 岸本の先程の言動を思い出す限り、恐らく警察を呼んだのは岸本なのだろう。
 こういう場面でやけに手際のいい岸本に若干疑問を抱いたが、実際場馴れしているようだ。修羅場的な意味で。
 一応俺が怪我人ということに気付いてるのか気付いていないのか、そのまま俺の腕を掴んでスタスタと人混みから逃げるよう歩道を歩いていく岸本は途中小道に入ったりし確実に駅前から離れていく。取り敢えず、身体中が痛い。

 そんなこんなで岸本に引き摺られるようにしてよたよたと歩くこと数十分。
 駅前から住宅街へとやってきた俺の視界に、見覚えのあるマンションが写り込む。
 俺んちだ。

「あ、ここまででいいや」
「なにいってんの?せっかくだから部屋まで送ってあげるよ」

 ついてこられたら面倒なのでマンションの敷地内に入る前に岸本を追い払おうとしたが、岸本はそれくらいで諦めるようなやつではなかった。
「一人じゃ歩けないでしょ?」と笑いながらぐいぐいと俺の腕を引っ張りマンションの入り口まで歩いていく岸本はどこか楽しそうに見える。
 確かに、全身が痛むこの状況で一人で歩くというのは結構辛かったが、岸本に引き摺られ心身ともに痛め付けられるよりかはまだましだ。
「いらない」という俺の意見を無視してマンションのエントランスまでやってきた岸本は、ようやくそこで俺の腕を離す。やっと帰ってくれるようだ。

「大地、鍵」
「……」

 と安心した矢先、岸本は俺にロビーへと続く自動ドアのオートロックを解除するよう求めてきた。
 うん、まあそうですよね。
 顎で壁に取り付けられたインターホンを軽くしゃくった岸本に、俺は渋々荷物の中から自宅の鍵を取り出し、それをインターホンに取り付けられた鍵穴に差し込んだ。
 軽く鍵を捻れば、小さな音を立てロビーへと繋がる自動ドアが開く。
 ここまで来たらしょうがない。
 俺は岸本をつれて自宅のある階へ向かうことにした。

 ◆ ◆ ◆

 ボロいエレベーターを使い、目的の階まで上がった俺たち。
 音を立て止まるエレベーターから降り、そのまま岸本に引っ張られるよう通路へ出た。
 岸本なりにふらつく俺の体を支えてくれているようだったが、細い指がめり込み、これがまた結構痛い。
「一人で歩ける」と言い張るが岸本は聞く耳持たず、そのまま俺を引きずるようにして『KINOE』と彫られたネームプレートがかかった扉の前まで歩いていく。

 自宅マンション、自室前。
 俺の代わりにドアノブを掴み、そのまま扉を開いた岸本は「お邪魔しまーす」と明るい声をあげながらズカズカと玄関口に入る。
 それに引っ張られるようにして、俺は玄関に上がった。

「いらっしゃ……」

 岸本に引っ張られ帰宅した俺を一番に出迎えてくれたのは、私服に着替えた十和だった。
 岸本に支えられるようにして玄関に入ってきた俺を見て、十和は浮かべていた笑みを引きつらせる。

「なんだよ、その面」

 どうやら十和は俺の顔の怪我に驚いたようだ。
 呆れたような顔をする十和に、岸本は「大地、更にイケメンになっちゃったでしょ」と可笑しそうに笑い声をあげる。
 俺がイケメンなことに異論はないが、こいつに言われるとなんとなくムカつく。

「あっそーだ十和、大地の怪我見てやってよ」
「……別にいいっすけど」

 ニコニコと笑いながらそう軽い調子で頼む岸本に、十和は少し嫌そうな顔をしながらも渋々と頷いた。
 岸本の手前だからだろう。
 多少不愉快そうにする十和は「汚すなよ」と俺に言えば、そのままリビングへと歩いていった。
 俺が歩くことによってなにが汚れるのか全くもって理解不能だったが、もしかしたら服についた土汚れのことを言っているのかもしれない。
 念のため再度服を払い、靴を脱いだ俺は動揺靴を脱いだ岸本とともに十和の後を追った。

 自宅、リビング。
 どうやらまだ両親は帰ってきていないようだ。
 室内にはテレビの音声だけが流れていた。

「先に顔洗ってこいよ、汚いだろ」
「俺のどこがきたねえんだよ、バカ」
「手当てしてやるから洗ってこいって言ってんだよ、変なところで突っ掛かってくんじゃねえよ」
「先にそれ言えよ、恥ずかしいじゃんか」
「察しろバカ」
「……どっちでもいいからさっさと顔洗ってきなよ」

 リビングへ入るなりバカバカと言い争いを始める俺たちに、呆れたような顔をした岸本はうんざりしながらそう口を挟んでくる。
 そんな岸本に促され、岸本をリビングに残したまま一旦俺は脱衣室へと向かうことにした。
 体を動かす度に節々が軋むように痛む。
 特に、強く蹴られた腹部の痛みは結構大きかった。

 人気のない廊下を渡り、洗面台が取り付けられた脱衣室へとやってきた俺。
 そのままフラフラと洗面台の前へ移動した俺は、そのまま傷だらけの顔にできた傷を軽く濯ぐ。
 水が顔の怪我に触れるだけで酷く激痛が走った。
 わざわざ傷のある箇所だけ避けるようにして洗うのが面倒だった。
 見苦しくない程度に顔を洗った俺は、ヒリヒリと痛む口許を手で押さえながら脱衣室を後にする。
 固まっていた血を洗い流したせいで所々血が滲んだが、後から十和に手当てして貰えばいい。
 フラフラと廊下を歩き渡った俺は、岸本と十和がいるリビングへと戻った。

「おかえりー」

 椅子に腰を下ろし、十和が用意したらしき飲み物を口にしていた岸本は、リビングに入ってくる俺を見て軽く手を振って見せる。
 その向かい側の椅子に、救急箱を用意した十和が睨むように俺を見た。

「そっち座れよ」

 自分の隣にあった椅子を引いた十和は、そう俺から視線をはずしながらぶっきらぼうに吐き捨てる。
「はいはい」なに馴染んじゃってんだこいつ、と岸本を一瞥しながら俺は言われるがまま十和の隣の椅子に腰を下ろした。
 腰を曲げた瞬間腹が痛んだが、俺はそれを顔に出さないよう気を付けながら椅子に座る。

「絶対痛くすんなよ、優しくしろよな」

 救急箱から傷薬を取り出す十和を横目に、そう俺は念を押す。
 あ、なんかこれってちょっとエロいな。
 なんて自分で言いながら思っていると、「変なこと言うな!」と十和にキレられる。
 どうやら十和も同じことを考えたようだ。
 流石我が弟、と感心したがこちらと変なこと言ってるつもりはない。

「なに、変なことって。十和君どんなこと想像しちゃったの?もしかしてエッチなこ……いたたたたたたたた!」

 そうにやにや笑いながら言えば、十和に髪を鷲掴まれ無理矢理傷の上から傷薬を押し付けられる。
 痛い、そして染みる。青ざめ、声を上げる俺に、向かい側の席に腰を下ろした岸本は「十和もっとやっちゃえ」とゲラゲラ笑いながらテレビをつける。
 他人事だと思いやがって。若干涙目になりながら岸本を睨む。手を振られた。

「冗談、冗談だから。まじでそれやめて、しかもなんかスースーする」
「ふん、仕方ねーな」

 十和の腕を離しながらそう懇願する俺に、十和は優越感に浸ったような顔をしてほくそ笑む。
 俺に対する弱点を見つけたとでも思っているのだろう。
 このくらいで満足する十和が可愛いと感じる反面この糞野郎調子に乗りやがってと腸が煮え繰り返そうになる。
 まあいい、傷が治ったら存分に仕返ししてやる。
 悪巧みを企みつつ、取り敢えず今は十和に手当てをさせることにした。泣かせるのは後だ。

「そういや、岸本さん。なんかうちんちに用でもあったんじゃなかったんすか」

 椅子から立ち上がり、俺の前に立つ十和は僅かに腰を屈め俺の顔に手を伸ばす。
 俺と無言で見詰め合うのが嫌だったようだ。
 ジュースを飲みながらテレビを見る岸本を一瞥した十和は、そのまま俺の顎を掴み顔を上げさせる。

「用?あー、メールのこと?うん、一晩泊めてもらおうかと」

 ストローを差したグラスを片手にそんなことを言い出す岸本に、俺は「はあ?」と素っ頓狂な声をあげながら顔を向けた。
「勝手に動くな」そう舌打ちをする十和に顎を掴まれ再び斜め上正面を向かされる。首からゴキッと小気味いい音が聞こえた。まじで泣かす。

「なに、泊まるって」
「だってぇ、僕一人の家に帰るの嫌だもーん」

 ぶりぶりとわざとらしく身を捩らせる岸本に頬を引きつらせながら、俺は「女子と合流するんじゃなかったわけ?」と必死に笑みを作りながら尋ねる。
 そんな俺の方に目を向けた岸本は、ふと無表情になり「やっぱやめた」と間を空け答えた。

「なに、やめたって」
「そのつもりだったけど、大地が怪我しちゃったしね」
「あれ、俺のせい?」
「逆だよ、逆。一応僕としても悪いと思ってるからさ、そんな大地を置いて遊べるほど僕も嫌なやつじゃないよ」

 やけに真面目な顔をして言う岸本に、口許を緩ませた俺は「へえ」と呟いた。

「女の子もそうやって口説いてんだ」
「まさか。僕が大地を女の子扱いすると思ってんの?」

 にやにやと笑いながら言う俺に、冷笑を浮かべた岸本は「人が心配してやってんのに、口説かれてるって勘違いしちゃう自意識過剰の馬鹿な友人を持っちゃうと辛いなあ」とトドメを刺してくる。
 俺たちの会話を黙って聞いていた十和が「ふふっ」と笑い声を漏らした。こいつ。

「つーか、俺のためを思うなら是非ともお家に帰って欲しいんだけどなぁ」

 岸本の言葉に挫けそうになりながら、そう気を取り直した俺は言い返す。
 テレビを見ていた岸本は俺に視線を向ければ、「やだ」と呟いた。

「別にいいでしょ、泊まるくらい。ねえ、十和」
「そりゃあ勿論、岸本さんならいいっすよ」

 笑う岸本に尋ねられ、十和はそう即答する。
 裏切り者め。恨めしそうな顔をして十和を睨む俺に、岸本は「流石十和、誰かさんとは違って優しー!」と調子のいいことを言い出した。
 俺と比べられて勝ったのが嬉しかったのか、少しだけ十和は嬉しそうな顔をする。

「まあ、十和に許可貰ったんだから大地の許可はいらないよね」

「ってことで一晩よろしく」そうにこりと微笑む岸本に、『こいつ、絶対ただ家に帰るのが面倒になっただけだろ』と疑わずにはいられなかった。

 home 
bookmark