尻軽男は愛されたい


 04

 愛斗が怒らなかった。
 いつも怒ったような紛らわしい顔をしているくせに。

 無事、本鈴が鳴る前に教室に入った俺は気の合うクラスメートと適当に話して時間を潰していた。
「木江が朝から来てる」とか「明日地震起きんじゃねーの」とか色々クラスメートにちょっかいをかけられ、その度に笑いながら適当に流す。
 そんなやり取りを繰り返すうち、先ほどまでのもやもや感は薄れていった。まあ、完全に無くなったわけではないのだけれど。

「お、木江じゃん。ちゃんと来てたんだな」

 教室の中央で固まっているクラスメートたちに混ざって話していると、不意に背後から声をかけられ軽く頭を押さえられる。
 いきなり背中にかかる体重に、俺は驚いて振り返ろうと首を傾けようとして、俺の肩に顎を乗せるそいつと目が合った。
「木江のことだからてっきりあのまま帰ったかと思った」背後からもたれ掛かってくる信楽相馬は、そう言って笑う。取り敢えず重い。

「そんな面倒なことしねーよ」

「ってか、ちょっとまじで俺潰れそうなんですが信楽さん」言いながら俺は背後からくっついてくる相馬を無理矢理退かし、そのまま俺は相馬から離れる。

「こんくらいで根ぇ上げてたらどうすんだよ、もっと鍛えろよ。俺をお姫様抱っこできるくらい」

 弱音を上げる俺に、相馬はそう呆れたような顔をして言う。
「お前をお姫様抱っこする必要性が感じないんだけど」そう即答する俺に、相馬は「つれないこというなよ」と肩を竦めて笑った。
 いつもと変わらない相馬に、俺は登校中の愛斗と岸本のやり取りを思い出す。
 そういや、相馬と愛斗が喧嘩したんだっけ。確信があるわけではないが、今朝の愛斗の態度が気にかかっていた俺は目の前の相馬に目を向ける。

「そいえば相馬、愛斗に昨日のバレたっぽい」

 俺はそう思い出したように口にした。
 いきなりそんな報告をしてくる俺に驚いた相馬は、「早くね?」と可笑しそうに笑う。
 大して焦るわけでもなく、寧ろどこか余裕がある相馬の態度に俺は少し意外に感じた。
 どうやら、いつかはバレるとは思っていたのだろう。昨日の相馬とのやり取りを思い返せば、自分からバラすようなことも言っていたような気がする。

「で、どうだった?」

 いつもと変わらない調子で尋ねてくる相馬に、俺はその意味がわからず「どう?」と小首傾げた。
「古賀だよ、古賀」疑問符を浮かべる俺に、相馬はそう笑いながら促してくる。

「怒ってた?」
「さあ?覚えてねー。まあ、笑ってはなかったけどな」
「まじで?なんか言ってなかった?」
「『なにがしたいんだよ』って言われただけ」

 根掘り葉掘り聞いてくる相馬に、俺はそのまま答えた。
「あ、あと」俺は思い出したように閉じた口を開く。

「愛斗にお前に近付くなって言われたんだけど、どういう意味?」

 まどろっこしいのが苦手な俺は、面倒なので言われたままその通り相馬に聞き返した。
 俺の言葉に、相馬の浮かべていた笑みが僅かに引きつったのを見逃さなかった。

「……へぇ、古賀がそんなこと言ってたんだ」

 すぐに緊張した顔を綻ばせた相馬はそう目を伏せて笑う。
 なんとなく動揺しているように見えた。

「で、どういう意味だよ」

 ただ笑って答えようとしない相馬に、俺は目を細め口許に笑みを浮かべる。
 そう笑いながらしつこく尋ねる俺に、相馬は「さあ?」とわざとらしく肩を竦めた。

「つか俺より古賀に聞けよ。古賀に言われたんだろ?」
「なに、随分余裕じゃん」
「余裕ってか、古賀が言ってんだから俺にはどーしようもねーし」

 仕方ないとでも言うように続ける相馬に、俺は「そういうもんなの?」と問い掛ける。
「そういうもんなの」相馬は笑いながらそうおうむ返しした。
 俺が相馬の立場なら、結構ムカつくかもしれない。
 親友同士だから許せるとか、そういうのがあまり理解できない俺からしてみれば、ヘラヘラと笑っている相馬に俺は不思議で仕方がなかった。

「なんだよ、その顔。あ、もしかして、俺のこと気遣ってくれてんの?」

 じっと自分を見据えてくる俺が気になったのか、相馬はそうにやにやと笑いながら顔を近付けてくる。
「いや、こいつノンキだなーって思って」俺は近付いてくる相馬から逃げるわけでもなく、素直に思ったことを口にした。
「なんだよそれ、ひっでぇ」俺の言葉に、相馬は可笑しそうに笑う。

「つーか、言われた通り俺に近付かない方がいいんじゃない?」

 俺の目の前に立った相馬は、そうなんでもないように尋ねてきた。
 というか、これは近付く近付かないというより……。

「お前が近付いてきてんだろ」

 そう答えれば、相馬は「まあな」と笑った。
「でもさ、木江だって逃げねーじゃん」ふと冷笑を浮かべた相馬は、そう言いながら俺の腕を掴んでくる。
 一気に顔が近付き、いきなりの相馬がとった行動に素で驚いた。
 周りに他の生徒がいるにも関わらずそのまま顔を近付けてくる相馬に、動けなくなった俺は、無言で間近にある相馬の顔を見据えた。
 鼻先を掠め、誰かに背中押されたらすぐキスが出来そうなくらいまで距離が縮まる。

「ほら、やっぱり逃げない」

 なんというデジャヴ。
 さっき愛斗にキスしとけばよかったかもしれないなんて思いながら、俺は目の前の相馬の顔を見詰めた。

「そんな面倒なことしねーよ」
「なにお前らちゅーしようとしてんだよ!」

 不意に俺たちに気付いたクラスメートの一人が、笑いながら囃し立ててくる。
「うわっまじだ、ホモかよ」周りはふざけているだけだと思っているのか、特に深刻になるわけでもなくそう冷やかしてきた。

「うるせーな、空気読んで見守っとけっての」

 俺の胸を押し無理矢理体を離した相馬は、そう笑いながら他のクラスメートたちの方へ近付いていく。
「えー相馬ってそっち系だったっけー?」騒ぐ女子は、言いながら相馬に声をかけた。

「どっち系だと思う?」

 まとわりついてくる女子に、相馬はそう笑ってはぐらかす。
 まあ、間男系だな。俺は敢えて口には出さず、そう心の中で呟いた。
 すると、丁度いいタイミングで教室のスピーカーからチャイムが流れ出す。どうやら本鈴のようだ。
 他の教室に遊びに行っていた生徒が廊下から教室の中へゾロゾロと戻ってくる。
 生徒に紛れて教室に入ってきた担任は、教室の中央に集まって騒いでいる俺達を見て「さっさと席につけ!」と声をあらげた。
 担任に言われ、渋々その場で解散する集団に混じって俺は自分の席へと歩いていく。
 教壇の上に立った担任とたまたま目が合い、「珍しいな」と声をかけられ俺は「そうっすか?」と笑いながら適当に返した。
 担任と軽い雑談を交わした後、自分の席についた俺は離れた場所にある岸本の席に目を向ける。
 当たり前だけど、そこに岸本の姿はなかった。
 どうせ今頃取り巻きの女の子たちと一緒になってきゃっきゃきゃっきゃはしゃいでいるのだろう。
 岸本の性生活に興味はないので俺はそこまで考えて思考を振り払った。
 取り敢えず、今日は……確か、えーと……C組に行って伏見保行とかいうやつと交遊してー……取り敢えず会ってみなきゃどうしようもない。
 忘れかけていた記憶を必死に掘り起こしながら、俺は頭の中で本日の予定を企てる。
 よくよく考えてみれば、今のところ予定という予定は伏見との接触しかない。

 これなら別に朝から学校来なくてもよかったな。途中で早退でもしよっかなあ、でも帰ってもやることないし。……早まったなぁ。
 日直の号令を聞き流しながら、俺は制服の中に入れていた携帯電話を取り出した。

 適当に七緒でも誘ってみるか。すっかり早退する気になっていた俺は、画面に表示された現在の時刻を確かめメール画面を開く。
 今が八時だから、七緒を呼び出すのは昼飯食った後ぐらいでいいかな。いや、結構時間あるし、どうしよう。
 画面を開いたままメールの内容を考える俺は、並ぶボタンの上で指を滑らせた。
 面倒になったので、俺は七緒に『いつでも出れるようにしてて』とだけ送信する。
 我ながら酷い命令メールだと思うが、七緒の場合こんなメールでもすぐ飛び付いてくるから不思議だ。

 ほら、返ってきた。
 持っていた携帯電話が手の中で震え、画面には七緒の名前が表示される。
 相変わらず鬼のように早い七緒の返信に驚きつつ、俺はメールを開いた。
 本文には『わかった!』と一行だけが書かれていて、少ない字面から七緒がどんな顔をしてこのメールを返信してきたのかがわかってしまった俺はつい苦笑を漏らす。
 七緒と適当にメールをしているといつの間にかにHRが終わっていた。
 クラスメートたちは次の移動教室のため教材片手にぞろぞろと教室から出ていく。
 携帯電話を閉じ、制服の中に戻した俺は手ぶらのまま椅子を引いた。
 この時間なら、多分伏見なる生徒は教室にいるだろう。

「木江ー、一緒に行こうぜー」

 他の男子と教室の扉の側で固まっていた相馬は、椅子から腰を浮かす俺に大声で声をかけてきた。
「あー俺保健室行くつっといて」誘ってくる相馬に、俺はそう適当に答える。

「あれ、どーかしたの?」

 言いながら席を立つ俺に、相馬は目を丸くして心配そうに尋ねてきた。
 保健室という部分に反応したのだろう。
「んや、ちょっと用事」もちろん、保健室というのはただのサボりの口実だ。
 俺自身、至って健全な健康体なわけで、敢えて悪いところを挙げるなら昨日はしゃぎすぎたのが腰に来ているというくらいだろう。

「ふーん。わかった、サボりすぎてしょっぴかれんなよ」
「わかってるって」

 笑いながら茶化してくる相馬は、それだけを言えば他のクラスメートたちとともに人が少なくなった教室を後にした。
 相馬が教室から出ていくのを横目に、俺もそのまま教室から出ていく。
 教室前廊下は移動教室の生徒たちで賑わっていた。俺はその中に紛れ、伏見がいるというC組を目指して歩いていく。
 然程うちのクラスから離れていないC組に辿り着くのにそれほど時間はかからなかった。
 二年C組前。
 わいわいと教室前でたむろする同級生を一瞥し、俺は閉まったC組の教室の扉を開こうと手を伸ばしたときだった。
 不意に、触れもしていない目の前の扉が勝手に開く。いきなり開く扉にびっくりしながら、慌てて俺は顔を上げた。
 愛斗だ。手ぶらで扉の前に立っていた古賀愛斗は、扉の向こう側にいた俺に素で驚いているようだった。

「……」
「……」

 予想すらしてなかった鉢合わせに、俺たちはお互い無言で顔を見合わせる。が、それも少しの間だ。
「……邪魔」俺から視線を逸らした愛斗は、その場から動こうとしない俺に「退けよ」と命令する。
 吐き捨てるような愛斗の言葉にむっとしたが、確かにこのままではどちらが退かない限りお互いにどうしようもない。口も開かずに相槌を打つ俺は、言われた通りに横にずれた。

「……」

 今度は素直に言うことを聞く俺の態度が気に入らなかったようだ。
 顔をしかめる愛斗はなにか言いたそうな顔をしていたが、結局なにも言わずにそのまま俺の前を通り廊下から去ろうとする。

「あっ、愛斗待てって」

 不意に、伏見と愛斗が同じクラスだったことを思い出した俺は、慌てて愛斗の腕を掴み無理矢理足を止めさせた。
 いきなり呼び止めてくる俺に、愛斗はなにも言わずに俺の方を振り返る。

「……なんだよ」

 てっきり今朝みたいに無視されるかと思ったが、愛斗はそう俺に目を向けた。
 なんとなくばつが悪そうな顔をする愛斗は、すぐに俺から視線を逸らす。
 相変わらず素っ気ない態度だが、それでも俺の前から逃げようとしないだけましだろう。

「ねぇ、伏見保行いる?」

「同じクラスなんだろ、ちょっと呼んで来てくんない?」しおらしい愛斗はそれはそれで薄気味悪かったが、好機なことには変わりない。
 笑いながら俺がそう愛斗に言えば、小さく目を見開いた愛斗は顔をしかめる。
 瞬間、愛斗の周りの空気が刺々しいものになり、俺がそれに気がついたときにはもう遅かった。

「……お前、本当懲りねーな」

 吐き捨てるような愛斗の冷たい声とともに、愛斗の腕を掴んでいた手を乱暴に払われる。
 一瞬、俺のなにが愛斗の癪に触ったのかわからなかった。もしかしたら伏見の名前を出したのが不味かったのかもしれない。
 咄嗟に叩かれた手を引っ込めた俺は、驚いたような顔をしてそのまま愛斗の顔を見上げる。

「自分で探せ」

 俺から顔を逸らした愛斗は、そう不愉快そうな顔をした。
 それだけを言えば、愛斗はそのまま廊下を歩いていく。

「ちょ……おい、愛斗っ」

 構わず歩いていく愛斗の後ろ姿に声をかけるが、愛斗が俺の呼び掛けに反応することはなかった。
 怒ったというか、臍を曲げたというか。
 慌てて愛斗の後を追おうかとしたとき、不意に近くを通りかかった男子生徒に肩をぶつける。
 授業に使うらしい教材の入った段ボールを抱えていたその男子生徒は、そのままバランスを崩し廊下のど真ん中で転倒した。

「うわあ!」

 情けない男子生徒の声とともに、男子生徒が抱えていた段ボールが手から落ち、そのまま中身を廊下にぶち撒ける。
 ……あれ、これ俺が悪いの?
 絵に描いたようなドジをかます男子生徒に驚いた俺は、遠ざかる愛斗の背中と男子生徒を交互に見る。
 俺と男子生徒の周りを避けるように通る生徒たちは、派手に転倒した男子生徒を見て小さく笑った。

「うぅ……っ」

 苦しそうな呻き声を洩らす男子生徒は、そのままゆっくりと起き上がる。
 左目を覆う眼帯に、顔中にできた痛々しい生傷。
 男子生徒の色素の薄い髪から覗く耳には、目を背けたくなるような量のピアスがついている。
 あれ、こいつどっかで見たことあるな。
 腰を擦りながら立ち上がる眼帯の男子生徒を眺めながら、俺はつい最近の記憶を掘り返す。が、思い出せない。
 この男子生徒がなかなか人目を引くような容姿をしているにも関わらずにだ。

「あー、ごめんごめん。大丈夫?」

 今から愛斗を追い掛けても追い付きそうになかったので、俺は目の前の男子生徒の相手をすることにする。
 笑みを浮かべた俺は、小さく屈みながら廊下に散乱した男子生徒の教材を手に取り拾い上げた。

「あ……ありがと」

 それを眼帯の男子生徒に渡せば、男子生徒は少しだけ戸惑ったような顔をし、そのままそれを受け取る。
 やはり、どっかで見たことがある。どこだったっけ。眼帯と生傷の印象が強すぎて、なかなか思い出せない。

「それより、大丈夫?すごい派手に転んだみたいだけど」

 再び屈んだ俺は、言いながら足元に散らばる教材を拾い上げる。
 やけにプリントが多いと思ったら、どうやら眼帯の男子生徒が転んだ拍子に挟んでいたファイルから出てきてしまったようだ。
 俺は近くに落ちていたクリアファイルを拾い上げる。それを手に取った俺は、クリアファイルにプリントされた絵を見て目を丸くした。
 そのクリアファイルには、いかにもヲタクが好みそうなアニメ絵がプリントされている。
 それだけならまだしも、アニメに詳しくない俺だったが、そのクリアファイルにプリントされたものには見覚えがあった。
 確か伏見の財布にプリントされたものと同じだ。
 構図までは覚えてないが、恐らく同じ作品に違いないだろう。
 なんだ、ヲタクの中ではこういうのが流行ってんのか?
 際どい格好の美少女のイラストがプリントされたファイルを一瞥し、俺はそれを男子生徒に手渡す。

「たぶん、大丈夫。後は自分でやるから」

 男子生徒は、そう言いながらファイルを差し出す俺に目を向けた。
 瞬間、先程まで困惑した表情を浮かべていた男子生徒の目が丸くなる。
 不思議そうな顔をする男子生徒は俺の顔を覗き込み、そのまままじまじと見詰めてきた。
 恐らく初対面であろう人間にまじまじと見られるのは少しむず痒い。
 眼帯の男子生徒の反応が気になった俺は、「何?」と男子生徒に尋ねた。

「……あ、いや、なんでもない。気にしなくていいから」

 男子生徒はそう慌てて首を横に振り、床の上に残された残りの教材を拾い上げる。
 なんとなく違和感を覚えたが、わざわざ問い詰める必要もないだろうと悟った俺は、敢えてなにも言わずにそのまま立ち上がった。そのときだ。

「あれれぇ、やすくんじゃーん。こんな所で奇遇だねえ」

 不意に、男子生徒の背後に見覚えのある金髪が立つ。
 やすくん、とはこの眼帯の男子生徒の名前のようだ。
 数人の男子生徒を引き連れた金髪、もとい多治見公太郎は言いながらやすくんの髪を鷲掴む。
 三年の多治見が二年の教室までやってきて奇遇も糞もあるかと内心突っ込みつつ、敢えて俺は口を挟まなかった。

「たったったっ多治見先輩……」

 顔を青くしたやすくんは、いきなり背後に現れた多治見たち三年に冷や汗を滲ませる。
 俺としてもまさかこんなところで多治見と会うとは思ってはおらず、視線だけを泳がし傍に此花の姿がないか探してみた。傍に此花の姿は見当たらない。

「ねえ、やすくんにちょーっとお願いがあるんだけどさあ、ぼくと一緒に来てくんない?すぐ終わるからさあ、ね?いいでしょお?」

「うん、決定」やすくんの返事を聞くわけでもなく、一人納得したように頷く多治見はやすくんの髪から手を離し、そのまま襟首を乱暴に引っ張り無理矢理立たせた。

「ねえ君、これ持っててくんない?」

 多治見はやすくんを物のように近くにいた不良に押し付ける。
「りょーかいっす」やすくんを押し付けられた不良は、にやにやと笑いながら乱暴にやすくんの頭部を肘を置いた。
 不良の体重が頭部にかかり、そのまま前にのめり込むやすくん。

 これはあれか、所謂犯行現場というやつだろうか。いや、直前か。
 なんてくだらない自問自答を繰り返しながら、多治見と関わりたくなかった俺はそのまま他人のフリをして教室前を去ることにした。


「ねぇ、君」


 そのまま多治見たち不良集団から逃げるように歩き出したとき、不意に呼び止められる。
 背後から伸びてきた多治見に肩を掴まれ、無理矢理多治見の方を向かされた。


「なんすか?」


 まじまじと人の顔を覗き込んでくる多治見に、俺はそう赤の他人を装いながら問い掛ける。


「ああやっぱりぃ、君、昨日きよと一緒にいた子だよねえ?」


 糞、面倒なやつに絡まれた。
 思い出したように間延びした声で続ける多治見に、内心俺は冷や汗を滲ませる。

 肩から腕を撫でるように降りていった多治見の手は俺の手首に触れ、そのまま手首を掴み軽く持ち上げた。


「ほらあ、やっぱりそうだぁ。君、うちの学校の生徒だったんだねぇ」


 くっきりと手首に残った跡をなぞる多治見は、そう薄ら笑いを浮かべる。
 どうやら多治見は昨日私服で此花と会っていた俺を見て他校のやつと判断していたようだ。
 ぐりっと手首を掴む指に力が入り、昨日の爪痕に多治見の爪が軽く食い込む。
 鋭い痛みに顔をしかめた俺は、咄嗟に多治見の腕を振り払おうとした。


「まあいっかぁ、せっかくだし君も一緒に来なよぉ」


「きよのお友だちなんでしょぉ?ぼくも君と仲良くしたいなあ」そうのんびりとした口調とは裏腹に、多治見の力は強く俺に絡み付いて離さない。
「やだなあ、お友達だなんて」俺は笑いながら多治見を横目に見る。
 笑みを浮かべる多治見だったが、その目は笑っていない。
 このままノコノコついていってしまえば、確実にやすくんの二の舞になるだろう。
 逃げるか。でも、どうやって。
 背後から腕を掴んでくる多治見の腕を振り払うのは難しい。
 なにか隙があれば肘鉄でも食らわせて逃げたいところだが、いまこの状態じゃ肘鉄を繰り出してもまともに効かないだろう。
 どうしようか。
 そこまで考えて、賢い俺は直ぐ様いい案を思い付いた。


「あ、此花先輩!」


 廊下の奥に顔を向けた俺は、そうわざとらしく声を上げる。
「きよ?どこぉ?」俺の言葉を真に受けた多治見は、死んだような目を僅かに輝かせながら俺が視線を向けた方を見た。
 その瞬間、僅かに俺の手首を掴む多治見の指先が緩くなる。


「嘘に決まってんだろ、バーカ!」


 まんまと騙された多治見にテンションがあがった俺は、そう笑いながら思いっきり多治見の脇腹に肘を叩き込んだ。
 どうやら運よく鳩尾に当たったらしい。
「……っ」声を洩らさないよう歯を食い縛った多治見だったが、流石に急所を殴られて素面でいられなかったようだ。
 ずるりと俺から多治見の手が離れ、その隙を狙って俺はそのまま多治見の元から逃げ出す。
「うわっ」「馬鹿、やめろ!」それとほぼ同時に背後から不良たちの焦ったような声が聞こえ、何事かと振り返ったとき、背後から腕を掴まれた。
 やすくんだ。



「……酷いなあ、ただ誘ってやっただけだってのにさあ。……ね、なに見てんの君ら。さっさと追い掛けてぼくの前にあれ引っ張ってきてよ。ねえ」


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