尻軽男は愛されたい


 01

 ふと、空腹に魘された俺は薄目を開いた。
 薄暗い部屋の中、見慣れた天井が視界に入る。
 ゆっくりと上半身を起こした俺は、部屋に取り付けられた窓の外に目を向けた。
 どうやらまだ夜は明けていないようだ。
 窓から見える空は黒く、曇っているせいか星は見えなかった。
 小さく伸びをした俺は、手探りで携帯電話を探す。
 ズボンのポケットに入れていたのがいつの間にかに外へ出ていたようだ。
 布団を捲れば、体の側に捜し物はあった。
 そのまま携帯電話を開き、俺は時間を確かめる。

 只今の時刻、深夜二時ちょっと。
 一、二時間程度眠れればいいかなと思っていたが、まさかここまで爆睡するとは。
 携帯電話を閉じ、俺はかかっていた布団を退け、そのままベッドから降りる。
 眠りすぎたせいだろうか。酷く全身がだるい。それとも、昨日悪ノリし過ぎたせいだろうか。
 まあ、どちらにせよ生活に支障が出るほどというわけではないので大丈夫なのだけれど。

 付けっぱなしで寝ていたはずなのに、いつの間にか電気が消されていた。
 明かりがついていた俺の部屋に気が付いた父親か義母が消してくれたのだろう。
 俺は部屋の明かりをつけ、そのまま廊下へ続く扉から自室を後にした。

 顔を洗うため、取り敢えず俺は洗面台のある脱衣室へと向かう。
 真っ暗な廊下へ出た俺は、壁にあるスイッチを押し廊下の照明をつけた。
 廊下が明るくなり、俺はそのまま脱衣室へと歩いていく。
 途中、玄関前を通りかかった俺はふと足を止め、置いてある靴に目を向けた。
 帰ってきたときは十和と日生のものしかなかったが、いまそこには父親と義母の靴が追加されている。
 代わりに、日生の靴はなくなっていた。
 どうやら泊まらずに帰ったらしい。
 まだ部屋に居ればちょっかいかけに行ってやろうかと思っていたので残念だ。
 玄関口から顔を逸らした俺は、再び足を進め脱衣室へと向かう。

 静まり返る廊下に、俺一人分の足音だけが響いた。
 父親も義母も義弟も、きっと皆寝ているのだろう。
 もし義母が起きてたら夜食を作らせようかと思ったが、眠っているところにわざわざ叩き起こすのも悪い。
 昨日の晩ごはんでも残ってたらいいんだけどな。ぐるぐると音を立てる腹部を擦りながら、俺は脱衣室の扉を開きそのまま中に入る。
 暗い脱衣室に入った俺は、手探りで壁のスイッチを押した。パッと明るくなる脱衣室内を見渡した俺は、そのまま洗面台の前に立ち蛇口を捻る。勢いよく溢れ出す水道水を手で掬った俺は、そのまま顔を洗った。
 冷たい水の感触に目が覚め、充分に洗顔を終えた俺は再び蛇口を捻り溢れる水を止める。先ほどまでしていた水の音が消え、再び脱衣室が静まり返った。壁にかけてあったタオルを手に取った俺は、そのまま頬から顎へと流れる水を拭う。
 不意に、遠くから扉の開く音が聞こえてきた。
 もしかしたら、いまの水の音で起こしてしまったのかもしれない。思いながら、俺はしめったタオルをかごの中へ放り込んだ。
 顔を洗いサッパリとした俺は、そのまま脱衣室を後にする。
 玄関の前を通り、廊下まで戻ってきた俺はリビングから明かりが漏れていることに気付いた。
 さっき通ったとき、リビングは真っ暗だったはずなのに。誰かいるのだろう。もし、起きてきたのが義母なら好都合だ。
 俺はそのままリビングへと足を向かわせる。

 自宅、リビング前廊下。
 扉の前までやってきた俺は、そのまま扉を開きリビングの中へ入った。
 台所にある冷蔵庫前に立っていた十和は、いきなり入ってきた俺を見て驚いたような顔をする。
 なんだよ、こいつかよ。義母がいることを期待していた俺は、水を飲みに来ていたらしい十和を見て落胆する。

「……」
「……」

 リビング内に妙な沈黙が走った。
 十和から目を逸らした俺は、そのまま台所へと歩いていく。
 飲み物が注がれたグラスを手に持った十和は、近付いてくる俺から逃げるようにそのままリビングのソファーへと歩いていった。

 ここまで露骨に避けられると一層清々しい。
 先ほどまで十和がいた冷蔵庫前まできた俺は、扉を開き中を物色した。
 中にはいつのものかわからないような作り置きがあり、それを手に取った俺は臭いを嗅ぎ、無言で冷蔵庫に戻す。

「なあ」

 冷蔵庫になにもないことを知った俺は、冷蔵庫の扉を閉めながらそう十和に声をかける。
 ソファーに腰を下ろした十和は、僅かに背筋を伸ばし反応した。
「……なんだよ」本当は放って置きたいけど仕方ないから聞いてやらないこともないぞという雰囲気滲ませた十和は、そう渋々聞き返してくる。

「お前、料理できたっけ」

 冷蔵庫の野菜室を覗きながら、俺は十和に尋ねた。

「ぜってーやんないから」

 俺が言いたいことがわかったのだろう。釘を刺すように強い口調で言う十和に、俺は舌打ちをした。

 諦めた俺は野菜室を閉め、冷蔵庫から離れた。
 食卓テーブルに近付いた俺は椅子を引き、そのまま椅子に腰をかける。
 沈黙を紛らしたいのか、テレビリモコンを手にした十和はそのままテレビの電源を入れた。
 俺と二人きりだというのに「邪魔だ」だとか「さっさと部屋に帰れれ」だとか言ってこない十和に内心驚きながら、俺はテーブルの上にあったスナック菓子の袋を開ける。
 眠っている父親と義母に遠慮しているのか、それともただ単にそんな元気がないだけか。
 俺にはどちらかわからなかったが、あまり面白くない。
 袋の中に入っていたスナック菓子を指で摘まみ、テーブルの上で頬杖をついた俺はテレビの画面に目を向けた。
 あまり煩くならないよう両親を気遣って音量を下げる十和のお陰で、俺の元にまで音声が届かない。
 いじめか、こいつ。思いながら、俺はボリボリとスナック菓子を噛み砕いた。

「お前さあ、日生になんか余計なことしてないよな」

 不意に、俺に背中を向けたままソファーに座ってテレビを見ていた十和はそう尋ねてくる。
「お前じゃなくてお兄ちゃんって呼べよ」口の中のものを飲み込んだ俺は、いいながらスナック菓子の袋に指を入れた。
「……」どんな顔をしているのだろうか。黙り込む十和に、俺は小さく噴き出す。

「十和が期待してるようなことは何もしてないけど」

 素直に騎乗位しましたって言おうかと迷ったが、それだと俺までとばっちりを受けてしまうことになりそうだから黙っておくことにした。
 変にはぐらかす俺に、十和はテレビを眺めたまま黙り込む。

「なに、日生君がなんか言ったわけ?」

 いつもにましてしおらしい十和に、俺はにやにや笑いながらスナック菓子を口に入れた。
 自分から口止めしてきた日生が十和になにか言うようには思えなかったが、一応聞いておくことにする。

「……別に、なんでもいいだろ」

 自分から聞いたくせにあまりにも素っ気ない十和に、俺は内心むっとした。
 まあ、あのときの日生の様子からしたら俺となにかあったと勘繰っても仕方がない。
 なにをしたわけでもないのに人の家のシャワーを借りようとするんだから尚更だ。
 あの後俺がいなくなったときの二人を想像して、俺は少しだけ笑ってしまう。
 確かに、なんでもいいな。俺には関係ないのだから。
「ああ、そう」相変わらず背中を向けたままの十和に、俺はにやけながらもそう返した。

 それから、暫く十和はリビングでテレビを見ていた。
 いつも俺と二人きりなるのを避けようとする義弟ばかりを見てきたので、なかなかテレビの前から離れようとしない十和にようやく反抗期が去ったのだろうかと驚いていたが、どうやらただ単に十和はテレビを見たかっただけのようだ。
 見ていた番組が終わり、スタッフロールが流れると同時に十和はリモコンでテレビの電源を切り、ソファーから立ち上がる。
 そのままリビングから出ていこうとする十和を止めるわけでもなく、俺はスナック菓子を噛み砕きながら十和を目で追いかけた。
「おやすみ」も言わずにリビングから出ていく十和。
 特に珍しいことでもないので、俺は閉まるリビングの扉から視線を逸らし椅子から立ち上がる。
 テーブルの上の菓子袋を手にとった俺は、そのまま十和が座っていたソファーへ近付いた。

 別にテレビ消さなくてもいいのに、気が利かねえやつだな。
 ソファーに腰を下ろした俺は、目の前にあるテーブルの上に置いてあるリモコンを手に取り、再びテレビの電源を入れる。
 スタッフロールが終わり、テレビの画面にはCMが流れていた。
 ソファーの背凭れにだらりと寄りかかった俺は、手元の菓子を食いながらテレビのチャンネルを回す。
 時間が時間なのであまりめぼしい番組はなかったが、俺は適当に目についたバラエティ番組のところで止めた。


 深夜のリビングにテレビの音声とスナック菓子を噛み砕く音が響く。
 眠気はない。
 携帯電話を開いた俺は、テレビの音声を聞き流しながら携帯の液晶画面を眺める。
 腹減った、やっぱり無理矢理でも十和に作らせるべきだったか。
 思いながら、俺は携帯を弄る。
 いまからでも部屋に押し掛けて無理矢理作らせてくるか。
 ぼんやりとそんなことを考えれば、ぐるぐると腹部が悲痛な音を上げる。

 暗転。
 どうやら俺はいつの間にかに眠りこけていたようだ。
 香ばしいなにかが焼ける音とともに、傍でバタバタと騒がしい足音が聞こえてくる。
 ソファーの上に横になっていた俺は寝返りを打とうとして、そのままソファーから落ちそうになり目が覚めた。

「母さん、俺のパンツないんだけど」
「ええ?ちゃんと脱衣室調べたの?」
「調べた」
「じゃあ大地君が間違えて穿いちゃったのかしらね」

 慌ただしい朝の我が家のリビングではどこぞのホームドラマのようなやり取りが行われていた。
 義母と義弟の声が聞こえてきて、俺はアクビをしながらそのままソファーから起き上がる。
 手に持っていたはずの携帯電話はいつの間にか床の上に落ちていて、俺はソファーから落ちないよう携帯電話に向かって腕を伸ばす。
 瞬間、バタバタと近づいてきた十和にいきなり足を掴み上げられた。
 ぎりぎり携帯電話を掴み取った俺は、そのまま床の上に落ちそうになり慌ててソファーの皮を掴む。

「ちょっ、ばか、なにすんだよ十和」

 人のズボンの裾を引っ張りそのまま脱がそうとしてくる十和に、焦った俺は咄嗟に思いっきり足を動かした。
 瞬間、確かな手応えとともに「ぐうっ」と十和の呻き声が聞こえてくる。
 どうやら俺の足が体に当たったようだ。
 拍子に、足を掴んでいた十和の手が離れる。
 俺はそのままソファーから床の上へと滑り落ち、そのまま起き上がろうとしてテーブルに頭をぶつけた。
 どうやら落ちたときテーブルの下に潜ってしまったらしい。
 ズキズキと痛む後頭部を擦りながら、俺は用心してテーブルの下から這い出た。

「いきなりお前がセクハラしてくるからビックリして頭打っただろうが!」

「これ以上バカになったら弁償しろよお前」ふらふらと立ち上がった俺は、言いながら床の上に尻餅をついていた十和を見る。
「弁償ってなんだよ、バカじゃねえの」胸元を擦りながら呻く十和は、そう吐き捨てるように言った。

「つーか誰がお前なんかにセクハラするかよ。気持ち悪いこと言うなっての」
「照れんなよ」
「照れてねえ!」

 朝から元気のいいやつだな。
 不愉快そうな顔をする十和は、そう俺を怒鳴り付ける。
「十和君っ」台所から十和を叱る義母の声が聞こえてきて、十和はむっと顔をしかめた。
 いい年して「めっ」と怒られて大人しくなる十和に、俺は指差して笑う。
 瞬間、床の上に転がっていたクッションが顔面に向かって飛んできた。
 それを顔面で受け止めた俺は、有無を言わずにクッションを投げ返し、そのまま十和に掴みかかる。

 仲裁に入った義母に無理矢理十和から離され、いま現在俺たちは「ご飯が冷める」という義母の手によって半強制的に向かい合って食卓を囲わされていた。

「あのね大地君、実は十和君の下着がなくなっちゃったみたいなの」

 無言で朝食を食べる俺に、義母はそう恐る恐る尋ねてくる。
「下着ぃ?」口の中のおかずを飲み込んだ俺は、義母の言葉に目を細めた。
 なんでそれを俺に言ってくるのかがわからない。
「母さん」まさか自分の母親の口から説明されるとは思っていなかったのか、十和は驚いたように顔を上げた。

「だからね、もしかしたら大地君が間違って穿いてるかもって……」
「なに、十和お前ノーパンなの?」

 義母の言葉に、俺は正面に座る十和に目を向ける。
 足を伸ばし椅子に座る十和の股ぐらに爪先を這わせれば、声にならない悲鳴をあげる十和に叩き落とされた。

「どさくさに紛れてなにやってんだよ……っ!!」

 手に持っていた箸をテーブルの上に叩き付けるように置いた十和は、そう言いながら向かい側に腰を下ろす俺を睨み付ける。
「なんだよー、ちょっとしたスキンシップだろ?意識すんなって」あまりにも分かりやすい十和の反応に、俺は笑いながら食事を続けた。
 いまにも殴りかかってきそうな勢いだったが、母親の前だからだろう。十和は唇を噛み締め堪えているように見えた。このマザコンめ。

「で、どんなパンツ?」

 いまの状態の十和になに言っても通じないと判断した俺は、そう側に立っていた義母に目を向ける。
 いきなり話題を振られた義母は少し驚いたような顔をした。
 流石に息子のお気に入りの下着がどんなものかわからなかったようだ。
「十和君」説明を促すように、義母はそう十和を呼ぶ。

「むっ……紫のやつ……」

 一瞬なんで自分がそんなことを言わなきゃいけないんだと顔をしかめる十和だったが、ここで見栄を張ってもしかたないと思ったのだろう。十和は視線を逸らしながらそう渋々答えた。

「……紫?ああ、あの趣味が悪いやつだろ?なんだ、十和お前あれ気に入ってんのか!」

 よく脱衣室のカゴに入っているあの悪趣味な下着を思い出しながら、俺はそう思い出したように声を出す。
 確かによく見かけるとは思っていたが、十和のお気に入りだと聞き俺は我慢できずに笑ってしまった。
 腹を抱えて笑う俺に、恥ずかしそうに顔を赤くする十和は恨めしそうな目で俺を睨む。
 そんな可愛い顔で睨んでも怖くねえっての。

「穿いたのか穿いてないのかを聞いてんだよ、さっさと答えろよ!」

 嘲笑う俺に耐えられなくなったようだ。
 面白くなさそうな顔をした十和は、そう言ってテーブルの上に置いてあったグラスを手にとる。
 いちいち自分の穿いた下着を覚えていない俺は、顎に指を当て少し考え込んだ。

「んー、覚えてねーな。ちょっと待てよ、いま調べてやるから」

 椅子から立ち上がった俺は、言いながら自分の穿いていたズボンのウエストを緩める。
 そのままズボンを下ろそうとして、目の前の十和が口に含んでいたお茶を噴き出した。

「おま、ばか、母さんの前でなにやってんだよ、変態かお前!」
「はあ?さっさと答えろって言ったの十和だろ」

 ゲホゲホと咳き込む十和に、義母は慌ててティッシュを箱ごと差し出す。
 それで口許を拭った十和は、ああいえばこういう俺に眉間を寄せた。

「オバサン、十和がオバサンに男の体見せたくないっていうからあっち向いててよ」

「無駄に独占欲強いから嫌なんだよなあ、こういうマザコンタイプは」そう笑いながら義母に言えば、「あらあら」と苦笑しながらも俺の言葉通り俺に背中を向けてくれる。
「人聞き悪いんだよお前はっ」俺の含んだ言葉が気に障ったのか、十和はそう怒鳴った。

「うるせーなお前、てか俺があんな下着を穿くわけないじゃん」

 言いながら俺はズボンをずらし自分の下腹部に目を向ける。
 見覚えのある濃い紫色の下着を身に付けた自分の下腹部に、思わず俺は苦笑いを浮かべた。
 笑いながらズボンを上げた俺は、何事もなかったように椅子に座り直し食事を再開させようとし、いつの間にかに自分の席を離れて俺の隣にやってきていた十和にハッとする。

 それからは十和の手により強制ストリップが行われ、興奮する暇もなく俺は十和に下着を取り上げられた。

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