尻軽男は愛されたい


 03

 廊下に出た俺は、そのまま脱衣室へ向かった。
 シャワー浴びたばっかなのにまたシャワーを浴びるはめになるとは。
 多少面倒だが、体内に残った日生の精液で汚れた下着を放っておくこともできない。
 ずるずると体を引きずるようにして、俺は脱衣室まで歩いていった。

 脱衣室で服を脱ぎ、浴場で中に残ったものを洗い流す。それらを済ませるのに、大して時間はかからなかった。
 二度目のシャワーを済ませた俺は、乾いたタオルで体を拭いながら肝心の替えの下着を持ってくるのを忘れていたことに気付く。まあいいや、どうせ十和も部屋にいるだろうし。
 ノーパンもなかなか魅力的だったが、自室までの短い距離をノーパンで行動するのは面倒だ。取り敢えず上だけ着た俺は、ズボンを片手にそのまま脱衣室から出る。
 自室の前までやってきたとき、十和の部屋からなにか声が聞こえてきた。
 揉めているようには聞こえなかったが、楽しそうにも聞こえない。なんとなく気になって、扉に近付こうとしたときだった。不意に、十和の部屋の扉が開く。

「あ……」

 日生だ。自室に入ろうとしていた俺を見つけた日生は少し驚いたような顔をして、下半身に目を向けそのまま顔を逸らす。

「先輩って、露出趣味なんですか」
「うん。ちょっと今興奮してる」
「……」
「冗談だって」

 気まずそうにした日生は、そのままなにも言わずに俺の横を通りすぎようとした。
「どっか行くの?」手ぶらな辺りまだ帰るわけではなさそうだったが、なんとなく気になった俺はそう日生に尋ねてみる。

「その……シャワーを借りようと」
「ふーん、十和になんて言ったの?」
「なにって、普通に借りたいって言っただけですけど」

 俺の言葉が引っ掛かったのか、日生は少しだけ顔を強張らせる。
「ふうん」だろうとは思ったが、実際本人の口から聞いてみると若干の拍子抜け感が否めない。
 とくに興味もなかったので、そのまま俺は自室に戻ろうとして、腕を掴まれた。どうやら日生は、まだ俺に用があるようだ。

「なに?」

 俺は日生に顔を向け、そう聞き返す。
「あの……」どこかバツが悪そうな顔をする日生は、そう躊躇いがちに口を開いた。

「さっきのこと、なかったことにしてもらえませんか?」

 なかった事にしてくれませんか。
 その日生の一言を聞いた瞬間、先ほどまでの胸の昂りが急激に萎えていく。
 日生が思っていることが手に取るようにわかっていたからこそ、直接聞かされると酷く不愉快だった。
 普通、言うかよ。本人を前に。黙っていればいいものの、律儀に面と面向かってそんなことを口にする日生に俺は半ば呆れた。

「当たり前じゃん。俺、まじ守秘義務だし」

 笑みを浮かべた俺は、言いながら日生の腕を振り払う。
 守秘義務というのは言い過ぎだが、俺は人前で自分の性生活を暴露するような真似はしない。そのときの気分によるが。
 俺の言葉を聞いた日生は、相変わらず堅い表情のまま俺を見た。

「……そうですよね。すみません、変なことを言って」

 そう言いながら俺から視線を逸らした日生は、どこがバツが悪そうだ。
 完全に信用しているわけではなさそうだ。
 俺としては疑われるより信じられた方が嬉しいのだけれど、この場合ただの口から出任せなので、正直どちらでもいい。

「いーよいーよ、誰だってそーいうときあるもんね。またしたくなったらいつでもうちに来て構わないから」

 どさくさに紛れた俺の言葉に、日生はなんとも言えない顔をする。
 面白い。が、人に誘われてその顔はなんだ、可愛くないな。
「あ……いきなり引き留めてすみません」日生はそう言うと、そそくさと脱衣室に向かって歩き出す。露骨にもほどがある。一人残された俺は、日生の姿が見えなくなると、そのまま自室へ入った。
 七緒のやつに教えてやるか。お前の幼馴染みはほぼ初対面の相手のちんこしゃぶるようなやつだって。ああ駄目だ、これじゃ俺がしゃぶらせたみたいじゃないか。
 いや、あながち間違いでもないかもしれないが、そんな些細な問題が面倒事に発展することもある。

 頭の中で俺は日生とのことをどう七緒に教えてやろうかということでいっぱいだった。
 守秘義務?知らない。わざわざ「黙っていてください」とかいうやつは大抵言い触らされたくて堪らないはずだ。もちろん、俺の推測だけど。
 まあ正直な話、ただ単に日生の態度がムカついただけだった。
 気に入らない。俺とのことを忘れようとするなんて。日生が頭の中で思うだけならまだよかった。わざわざ言ってくるなんて、本当に腹立つ。

「……はぁ」

 部屋の扉を閉め、一人きりになった俺の口から自然と溜め息が漏れた。
 せっかくすっきりしたと思ったのに、気分が段々沈んでくる。
 やっぱり、ヤるんなら話がわかっていて尚且つ空気も読めるやつがいい。
 童貞は当分いいや。
 そんな自分勝手なことを思いながら、俺はテーブルの上に置きっぱなしになっていた携帯電話を手に取った。
 不在着信六件。携帯を開いた俺は、携帯を操作しながらタンスに近付いた。相馬から一件、知らない番号から一件、あとの四件は全て岸本からだ。知らない番号のことも気になったが、岸本から何度も電話がかかっていることに軽い恐怖を覚える。
 なにかあったのだろうか。もしくは、俺がなにかしたのか。どちらにせよ、岸本からのしつこい着信にいい予感はしない。
 タンスを足で開き、中から下着を取り出した俺はそれを穿いた。
 取り敢えず服を着た俺は、椅子の上に腰をかけ岸本に折り返しの電話をかけることにした。
 1コール、2コール、3コール。もしかしてまた女といちゃついてんのか。
 中々出ない岸本に我慢できなくなった俺が電源ボタンを押そうとしたときだった。

『……はぁーい』

 受話器から、やけにだるそうな岸本の声が返ってくる。遠くからきゃいきゃいとはしゃぐ女子の声が聞こえた。やはり、俺の想像通り女といちゃついていたようだ。

「あ、もしもし?葵衣ちゃん?」
『……あ、大地?大地なの?』

 どうやら着信元を見ずに電話に出たらしい。
 俺の声に反応した岸本は、『さっきから電話かけたのに、なにしてたの』と怒ったように続ける。

「なにって、言わせる気かよ」
『……大地に聞いた僕がバカだったね』

 笑いながら言えば、受話器越しに呆れたような岸本の声が返ってきた。
 なにも言ってないのに、大体雰囲気から感じ取ったようだ。
 お前だって似たようなもんだろ。そう言い返してやろうか迷ったが、それよりもいまは用件を聞くことを優先させよう。

「そーいやなんかあったの?なんか着信きてたけど」
『あっ、そうだった!』

 俺が問い掛ければ、岸本はそう思い出したように声を上げた。

『三年にさあ、此花って先輩いたじゃん。そいつが今日教室まで大地のこと訪ねてきてたけど、大地またなんかやったの?』

 まさか岸本の口から此花の名前が出てくるとは思ってもいなくて、俺は少し驚く。
 此花って、あの此花だよな。俺は鞄の中のピンクのヒラヒラしたポーチを思い浮かべる。
 というかまたってなんだ。人聞きが悪い。

「へえ、それでなんて?」
『さあ?クラスのやつに大地のこと聞きまくってたくらいしか覚えてないや』

 先を促す俺に、岸本はそう投げやりな口調で続けた。不意に、俺は携帯にかかってきた不在着信のことを思い出す。
 もしかしたら、相馬からの電話も同じ用件なのかもしれない。そう考えればあの知らない番号は、此花からという可能性もある。
 どれも推測でしかなかったが、一度相馬にはかけ直した方がいいかもしれない。

「なるほどねー、教えてくれてありがと」
『ん。どーいたしまして』

 そんな会話を交わしていると不意に受話器から『葵衣ちゃーん』と岸本を呼ぶ女の声が聞こえてくる。
『あっ、ごめんねえ。僕ちょっと遅れるから先行ってよう』どうやら携帯を離したようだ。岸本の声が遠く聞こえる。
 対女用の岸本の猫なで声はいつ聞いても薄気味悪さを感じさせた。どっから出してんだよ、あの声。

「行かなくていいわけ?」
『別に少しぐらいは構わないでしょ。でも、本当に気をつけなよ。ただでさえ大地、悪目立ちしてんだから』
「そうなの?」

 やけに真面目な岸本に、俺はつい笑いそうになった。
 悪目立ちしてるのは岸本も同じのように思えたが、敢えて黙っておくことにしよう。

「葵衣ちゃんが心配してくれるなんて珍しいねえ、明日雪降るんじゃねーの」

『なに言ってるの?僕が言っているのは、僕に迷惑がかかるような真似をするなって意味だよ』

 笑いながら言う俺に、岸本は鼻で笑い返した。
 相変わらず高慢ちきな岸本に今さら腹を立てたりしない。
「はいはい、気をつけりゃあいいんでしょ」半ばやけくそになりながら、俺はそう岸本に答えた。

『是非そうしてもらうよ。……あ、じゃあそろそろ切るね』
「ん」

 その岸本の声を最後に、通話は切れる。
 此花が俺の教室まで来るってことは、やっぱりあれだよな。床の上に置いているポーチに目を向けながら、俺は小さく息をつく。
 もしかしたら、ただ俺の財布を届けに来ただけなのかもしれない。
 学校行っときゃよかったかな。思いながら俺は携帯を弄り、着信履歴を開いた。
 一応、相馬にかけ直しておくか。昨日のことがあるのでなんとなく気が進まなかったが、しょうもない意地を張っても仕方ない。
 思いながら、俺は相馬に折り返しの電話をかけ直した。
 発信音が聞こえてすぐ、受話器から『おわっ』と奇妙な相馬の声が聞こえてくる。

『すげー。今俺もちょうど電話しようと思ったところなんだよね』

 タイミングが被ったようだ。受話器越しにやけに嬉しそうにはしゃぐ相馬の声が聞こえてくる。
「あ、そうなの?」しょうもないことで喜ぶ相馬に、俺は笑いながら返した。

「んで、なんだよ。電話しただろ?」
『あーそうそう。木江今日休んだからさー、もしかして昨日のことでショック受けたのかなって思って慰めてやろうと思ったんだけど』

『その必要なさそうだな』受話器から暢気な相馬の声が聞こえてくる。
 くそ、人がわざわざ忘れていたのにほじくり返すなよ。脳味噌筋肉め。
 相馬なりの親切なのだろうが、あまりにも無神経すぎる。それともただの鈍感か。

「慰めるなら愛斗慰めてやれよ、あいつの方が俺よりか弱いからな」
『古賀?あいつはいいだろ。昨日なんてなあ、すごかったんだぜ。途中でテンション上がって……あっ、まあいいや。この話はまた今度な!』

 言いかけて、自分が言おうとしたことが恋人である俺にいう話ではないと気付いたのだろう。相馬はそう笑って誤魔化した。
 中途半端に話題に出された方が気になって仕方ないが、わざわざ相馬から聞き出す気にもなれない。

「で、慰めるためだけに電話したってわけ?」

 白々しい相馬に、俺はストレートに聞き出すことにした。
『あ、違う違う。他にも用があったんだよ』相馬はそう爽やかに続ける。
 ならそっちを先に言えよ。そんなことを思っていると、不意に雑音が走った。

『あーもしもし、木江大地?』

 ふと、受話器から聞き慣れない男の声が聞こえてくる。
 此花清音。ふと、脳裏に可憐な名前には似つかないあの男の名前が浮かぶ。
 なんで此花が相馬の電話に出るのかがわからなかったが、先ほどの岸本の話を思いだし、納得した。
 その声を聞いて此花だとわかったが、念のために名前を聞き出しておくことにする。

「誰?」

 とぼけたフリをする俺は受話器の向こう側にいる人物に尋ねる。
『……ああ、俺は此花ってんだけど』思い出したように、相手は自己紹介をしてくる。
 やはり、此花だったようだ。予想はしていたので今さら驚かない。
 岸本が言うには此花はクラスメートに俺のことを聞いていたという。恐らくそれで、相馬から俺のことを聞いたのだろう。
 相馬も相馬だ。俺のことを聞きたがっている三年の不良に俺のことを言うなんて。まあ、こちらとしては手間が省けてありがたいのだけれど。

『ところで、話変わるけどさ。お前、もしかして俺の鞄持ってない?』

 単刀直入に聞いてくる此花の声には、僅かに焦燥感が滲んでいた。俺は部屋の床の上にある鞄に目を向ける。

「へ?先輩の鞄ですか?」

 間違いなく、此花の言っているのはこれのことだろう。鞄の元に近付きながら、俺はそう驚いたように言った。
「え、俺、自分のしか持ってないっすよ」俺は鞄を拾い上げながら、そう続ける。我ながら素晴らしい演技力だ。惚れ惚れする。

『お前、鞄にさ……ゴム、箱ごと入れてるだろ』

 此花は、ゴムというところだけ声を小さくした。
 ああ、確かに入れてたな。「あれ、なんで先輩が知ってるんすか?」俺は受話器に向かって呆れたような声をだす。やはり、間違いなく俺の鞄は此花の手に渡っているようだ。おまけに中を見てしまったらしい。別に見られて困るものも盗まれて困るものも鞄に入れてないので、それ自体は俺は構わなかった。

『だからな、ほら、入れ替わってんだよ。昨日、ぶつかったとき』

 なかなか理解しようとしない俺に、此花はしどろもどろと説明をした。
 昨日ぶつかったのが俺だとわかったのも驚いたが、此花の説明の下手さにも驚かされる。

「昨日……?あ、もしかして駅前でぶつかったときっすか?つかあのときのひとなんすか、先輩」

 俺の言葉に、此花は『そう、そうなんだよ』と相づちを打った。
 受話器越しに此花が相づちを打っているのが安易に想像できて、なんとなく俺は笑いそうになる。

『木江、お前いまどこにいるんだ?』

 不意に、此花はそんなことを聞いてきた。
「俺っすか?まあ、家ですけど」いいながら、俺は部屋を見渡す。
 もしかして、今から出てこいとか言い出さないだろうな。そんな予感を感じた俺は、此花の返事を待つ。

『なら、今すぐ学校まで来いよ。何分ぐらいかかる?』

 予感的中。強引な此花に、俺は部屋の中に置いてある時計に目を向けた。
「今からでしたら、三十分くらいはかかるかと……」そう俺は此花に適当な返事を返す。

『わかった。お前が来るまで待ってるからな、すぐこいよ』

 まじかよ、面倒くせー。お前が来いよと言ってやりたかったが、ここは我慢しておいた方がいいだろう。一方的に予定をつくってくる此花に内心呆れながらも、俺は「了解っす」と答えた。
 この展開は俺にとって思いもよらないものだった。まあどうせいつかは此花と接触するつもりだったし、ただそれが早まっただけと考えるとテンションがあがってくる。

『ああ、そうだ!』

 不意に、此花は思い出したように声をあげた。
 思ったよりもその声が大きく、咄嗟に俺はスピーカーから耳を話す。
「……どうしたんですか?」俺は携帯の持ち手を変えながら此花に聞き返した。

『絶対、俺の鞄勝手に開けんなよ』

 間もなく、通話は此花によって一方的に終了させられる。此花はあれか、もしかしたらバカなのか。どうぞご自由に見てくださいと言わんばかりの此花の言葉に、笑いすらも出てこない。まあ、もう既に中身を見させてもらったから俺には関係ないのだけれど。
 携帯を閉じ、俺は手に持った鞄に目を向ける。
 やはり、この鞄の中には此花にとって見られたくないものが入っているようだ。間違いなくあのポーチなのだろうけど。床の上のポーチを拾い、俺はそれを上着のポケットの中に突っ込んだ。
 いま、此花の鞄の中には伏見保行の財布しか入っていない。異様に軽い鞄を持ち上げ、俺はそのまま部屋を出る。
 しかし、意外とバレないものだな。バレたらバレたらで面倒なのだが、ここまで上手くいくと段々怖くなってくる。もちろん、言葉の綾だ。怖くなるどころか、楽しくてしょうがない。いまなら多少面倒なことでも我慢できそうだ。
 鼻唄混じりに廊下に出た俺は、玄関まで歩いていく。
 玄関口で靴に履き替えた俺は、そのまま玄関の扉を開いた。普通に寒い。手に持っていた鞄を肩から下げ、そのまま俺は玄関を後にした。

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