テキスト最近 | ナノ



描き始めはどの一日からでも良い。

文字を追う目が上下に動き、行きつ戻りつを繰り返しながら物語を食べていく。目は文字から離さないままに、テーブル上のガラスのコップに手を伸ばし口元へ運ぶがいつの間にか飲み干していたようで一滴程度の水が舌に落ちただけだった。マイルーム内には小さな冷蔵庫が用意されており、中に冷やされたペットボトルから水を注げば良いのだが、それだけの事が今の私には面倒であった。

地球が漂白化されて後、彷徨海でシオンと合流できてからカルデアベースが作られボーダー内で過ごしていた時期を思い出したくないくらいには文化的な生活が確保できている。次の異聞帯攻略オーダーまでの間はこうして趣味に耽る心の余裕も生まれた。カルデアベース内に図書館も再現してくれたシオンには本当に感謝している。漂白化されるまでに出版された本の七八割を網羅しているらしい圧倒的な蔵書は常に私を飽きさせることはなかった。彷徨海所蔵の魔術書の類は全く手に取る気にならない。

コツコツと、マイルームの扉をノックする音が聞こえたので、「どうぞー、」と応答しながらも暫くは文字を追う事をやめられず、訪ねてきた人物がこちらに近づいてきてようやく広がる文字群から名残惜しくも目線を上げた。

「おはようございます、先輩」
「おはよマシュ」

朝の挨拶を済ませたマシュは空になったコップを持ったままテーブルに置かれている私の手を見ると、冷蔵庫からストックの水を取り出してきて注いでくれた。怠惰な自分が恥ずかしくて少し申し訳なくなる。

「ごめんありがと」
「どういたしまして。先輩、近頃は早起きですね。以前は挨拶しにくるというより起こしくるという方が適切でしたのに。私は以前から提案していましたが、ようやく生活習慣を見直されたんでしょうか?」
「アシュヴァッターマンがめっちゃ早寝早起きで…。私もしっかり起こされるし、起きたら一緒にラジオ体操させられてそのまま食堂に行くから、いつの間にか」
「なるほど、アシュヴァッターマンさんを添い寝担当になさると言い出した時は本当に正直どうかと思っていましたし頼光さんも激怒され反対なさってましたが、思わぬところで功を奏したようですね!先輩を起こす役目をお譲りするのはかなり寂しかったですが先輩の生活が正されるのは私も嬉しいです」

丁寧語を使いながらも指摘するところははっきり言うマシュとのコミュニケーションは最近より心地よくなった。「生活習慣病のリクスが多少抑制されましたね!先輩の生活ぶりに手を焼いておられたアスクレピオスさんもお喜びになると思います」と笑顔のマシュを見て温かい気持ちになる。漂白化されてしまった地球では季節もクソもないけれど、それはカルデアが南極にあったときからと言えばそうで、それでも暦は回るし年中行事はなぜかしっかりと発生する。合間の日々はにぎやかで心地が良くて記録にも残らず過ぎ去っていく。だから結局、どんな日も平凡でいて特別で、描き始めはどの一日からでもよいのだ。

「ところで先輩、本日のご予定は?」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日課のいくつかや戦闘訓練やあれそれを終え、私はいつもより昼食を多めに食べる。その後しばらくして適度な疲労感を抱きながら再度食堂へ。前々から今日のためにエミヤくんにオーダーしていた紅茶のセットとスミレの砂糖漬けを乗せた小さめのケーキを受け取る。

「ありがとー!今回も可愛い!」
「なに、余裕を持って事前に頼まれればこれくらいのものはお安い御用さ。女神様とのティータイムをせいぜい楽しんできたまえ」

銀のトレイに乗ったティーセットがかちゃん、と音を立てる。スミレの砂糖漬け、おいしいかどうかは知らないけれど憧れとしてあったもの、それが小さなケーキにセンス良く乗せられている。毎度思うことなのだけど、ケーキという芸術品のような食べ物を生み出せるひとたちを理解できる気がしない。粉と卵とバターとその他を混ぜて焼いてそれでどうしてこんな見事な食べ物になるのだろう。どちらかと言えば頭ではなく心の方が理解を拒んでいる。鍛えられたたくましい腕を組みたたずむ、銀髪をオールバックにした褐色肌の目の前の男がこの美しいケーキを生み出したその人だという事実を、やはり心の方が理解し難いと示している。飾りつけの配置や間の取り方も好ましくそれがなんだか悔しい。厨房から私を送り出さんとするエミヤくんの顔がいつもより少し綻んでいるのを私は見逃さなかった。

「ママなのは認めるけどそういうあたたかいほほえま顔はやめてもらえますか」
「あぁすまない。つい、な。それにしても私の事をその、ママと呼ぶのはそろそろやめてくれないか。まったく、一体誰が言い出したのかね」
「分かんないけどもう頼光さんよりママとして定着してるから無理だと思う」
「…頭が痛いよ」

組んだ腕の片方を上げ、その掌を眉間あたりに添えて【頭が痛い】というジェスチャーを何の気無しにする彼は普段朴念仁を装ってはいるがことのほか面白い存在だと思うのは黙っておく。エプロン姿で厨房に立つ彼を見ていると召喚したばかりの頃にマスターの心得を解かれる最中居眠りをしてしまいひどく怒られたことを思い出す。あれから互いにずいぶん変わったものだ。あの時、なんやねんこいつ宝具でいきなり英語喋り出しよってビビるやろと思っていた彼が、みんなで選んで母の日にプレゼントしたエプロンを身につけている。

「おっと、そろそろ時間じゃないのか?彼女、どうせ先に着いて待っているんだろう?」
「うん、多分2、30分前とかから待機してるかも」
「なら早く行ってやるんだな」
「かしこま!」


待ち合わせの場所は図書室の中に作ってもらった小部屋である。この中は例外的に飲食が可能で図書室の本を持ち込みながら休憩できるようになっている。利用する者は限られてはいるが、今回は予期せぬ他者の乱入を避けるため「使用中、マスター」と書かれたプレートを掲げておく。こうしておけば余程の緊急事態を除いてみんな私の事をそっとしておいてくれる。一人の時間を重要視する私の要望が形になったような小部屋で大変気に入っている場所のひとつとなった。トレイを左手だけに乗せ、右手で扉を開けるとハーフツインテールに結われた金色の美しい後ろ姿がぴくっと姿勢を正すのが見えた。

「エレちゃんお待たせー!」
「こんにちは、きはめ。実は私もさっき来たところなのだわ」

流れるような落ち着いた声とは対照的に少し緊張した面持ちでオーバー気味に振り向く頭の動きに従って遠心力で金色が弧を描く。そう、今日は月に一度のエレシュキガルとの約束の日なのだった。とは言え、イベントやオーダーがあれば予定通りの開催は難しく今回は些か久しぶりのお茶会となった。

「こほん、では始めましょう」
「見て、今回はスミレの砂糖漬けをのせてもらいました!エレちゃんはお花が好きだと思って。呼ぶ気もないけどうちにはマーリンというお花屋さんがいないので」
「グランドキャスターを庭師呼ばわりするなんて非常識なのだわ」
「これは受け売りです、実際に庭師のマーリンは存在します」

手を口元に添えて笑う素振りひとつとっても品がある。依代の姿の影響は大きいがこうして話していると女神でありながらも同じ年頃の少女のような気がしてくる。カルデアには神性を持ったサーヴァントがかなり多く、また霊格を落としているとは言え本物の女神もエレシュキガルを始めとして複数現界している。神様系サーヴァントは生前の寿命も長くその分達観し神様然としていてもいい気がするのだが、ここではみんな日一日と過ぎる時間を人間の私と同じ尺度で自由に楽しんでいて時折彼女らが神様である事を忘れそうになってしまう。

「でもありがとう、とっても素敵なケーキね。ま、まぁ、私は女神ですから、これくらいの気遣いや捧げ物はごく当然のことですが、一応お礼は言っておきます」
「どういたしまして、作ってくれたのはエミママですけど。夜ご飯に影響しないよう小さめに作ってもらったからさっそく食べよ」
「ええ、そうしましょう」

こうして目の前で可愛らしいケーキに目を輝かせる彼女を見ていると神様かどうかなんてどうでもよくなってしまう。繊細なカトラリーやティーセットもよく似合う。それでもやはり彼女は女神で私は人間で、そして今彼女はサーヴァントで私は彼女のマスターなのだった。何度考えてもあべこべな関係。「と、ところで、貴女が好きそうな本を適当に何冊か見繕っておきました、気が向いたら読むといいのだわ」「さ、最近は体調に変わりはなくって?まぁここは温度も適温に保たれてるし…貴女は健康に対しても意識はある方だと思うけれど…」「前まではあんなにだらしなく寝坊していたのに、最近はよく朝にも食堂で見かけるし、元気そうでなによりなのだけど…、その、たまたま!通りがかったときに偶然!見かけただけですからね!」

コロコロと変わる表情や忙しない身振り手振りを見ながら相槌を打ち紅茶を飲む。エレシュキガルと話す為にはアイスブレイクのような時間がかなり必要なのだけど、私たちのお茶会は長く、花畑にでもいるように会話の種は尽きない。読書、動植物、食べ物、昨日あった嬉しかったこと、ひっそりと溜め込んでいる魔力リソースがかなりの量になったこと、クリスマスに一緒に戦ったときの思い出。縦糸と横糸が折り重なるようにそれぞれがひとつずつ話をしては相手に譲る、エレシュキガルと言葉を交わしていると、他者と織りなす会話とはこれほど豊かなものであったかと実感してなんだか急に泣きそうになる。

「私はこうしてエレちゃんと定期的に二人で話す機会を用意することがすごく嬉しくて。気まぐれな子達だとそうもいかないし、あの子達の気分によって振り回されるのが常で、私がそれを喜んでるのは確かなんだけども、こうしてたまにお互いがお互いのために改めて準備して整えて会う本当の意味での約束をとてもありがたく思ってるよ」
「そう、なら私も嬉しいというか、その…、これでも女神だから私にも準備とか段取りがあるのだけれど、つまり、……私も、貴女と話すのが、好き、ですから、こうしてたまに友人としてお話できるのは、ええとっても楽しいのだわ。そう、特に私が着いて行けなかった冒険の話とか…そうね…」

そう言いながら視線をテーブルに落とすエレシュキガルは目に見えて寂しそうで、いつもの冥界の女主人という豪胆な名乗りは見る影もない。会話の糸が切れてしまった事にはっと気がつき、己の感情を悟られまいと「平安京?のお話もまた聞かせてね?」とぎこちない笑顔をこちらに向ける。私は彼女の笑顔に幼いときの自分の幻影ような、それとも違うなにか忘れかけていた郷愁を思い出すような、そんなたまらない気持ちになり、「そっち側に座ってもいい?」と聞きつつも了承をもらう前に彼女の隣に移動していた。「え!?」と小さく驚きをもらしたエレシュキガルの体が少し強張るのが分かった。

「私はカルデアのみんなが可愛くて好きだから特異点とか異聞帯に一緒に行く子はその時々で違うけど、やっぱり新しく仲間になってくれた子にもなるだけ一緒に戦闘に行く機会だったり過ごした思い出が欲しくて、指示を出すのも状況判断も全然下手くそなんだけども、それでもみんなと一緒に戦いたいなと思ってて。エレちゃんみたいにずっといてくれる子に我慢してもらうことも多くなってると思う。それでもエリちゃんやメイヴちゃんは不満があるとめちゃくちゃ主張してくるし、それはそれで嬉しくて、もちろん優先するしかないんだけど、エレちゃんのような言いたくても言えない子もいて、その気遣いとか謙虚さとか臆病さを私はすごく愛おしいと思う。私もどちらかと言えばそういうタイプなので」
「エリザベートが貴女に近づこうとするサーヴァントを片っ端から威嚇する気持ちも少しわかるのだわ。私だって本当は、本当は貴女を檻に閉じ込めて私のものにすることだってできるけれど、ええそうね、昔なら躊躇いなくそうしたと思うわ。でも今は多分それじゃ少しも満足できないだろうし、そうすることで貴女に嫌われてしまうことの方が怖い。私は根の暗い女であの子達みたいに貴女に対してなかなか素直に気持ちも言えないし、れ、練習とかしなければだし、今でも面と向かうと少し動揺してしまうし、そんな自分が格好悪いしで、緊張せず怖がらずに当たっていけるあの子達が羨ましく思うわ」
「エレちゃんのぶつかっていきたい対象が私なのが私からすると不思議なところではあるけど、それはまぁ私のマスターという役割として納得するとしても、私も自分の正直な気持ちを他人に伝えることの難しさを体験したから。言うって、ただそれだけのことが本当にできなくて、もう全然口が言うこと聞かなくて、自分が自分で思ってるよりも臆病で、伝えた後の相手の反応が怖くて。そうして言えなくて浪費する時間とか、もだもだする自分がみっともない気持ちになるんだよね」
「それってもしかしてアルジュナとの一件、なのかしら…?」
「いや、まぁ、それもひとつではあるけども、ほら、ここに来る前のこととかもね、あるから」
「そういえばその話はまだ聞いたことがないわね」
「それこそみっともなさすぎて絶対言えない!」

箸が転がっても笑う年頃はとうに過ぎているけれど、隣に座るエレシュキガルの先程まで落ちていた肩が跳ねるのを感じると安心して結局私もつられて笑い出してしまう。ケーキだって紅茶だってとうになくなってしまったけれど、それでも二人のお茶会は空腹が訪れるまで終わりはしない。二人で編んだ織物はきっと目が細かいに違いない。

「言いたかったのは、エレちゃんが向かっていく相手は幸いにも私なんだから、私はそっち側の気持ちも分かっている人間だから、私に限っては言いたいことを我慢しなくていいよと、そういうこと!他のみんながいるところでは難しいのも分かってるから、こうして二人の時くらいはわがまま言ってもいいんだよと、そういうことなんです!」
「……もう、貴女本当に馬鹿なのね。そんなこと言って、私がとんでもなく幼いわがままを言ってしまったらどうするのかしら、きっと面倒くさくなってしまうのだわ」
「最大限付き合う気でいますし、私のわがままにも付き合ってもらいますから大丈夫。私だってこんなに楽しい話し相手を失いたくはないし、次は私の悩みも聞いて欲しい。それにエレちゃんは私を守ることに関しては誰にも負けないのでしょう?それだけでわがままを言う対価にはなると思うよ」
「…そうね、ええそうだわ!私は墓守の女神エレシュキガルなのだから!」



理解も納得もしているけれど、それはそれとして感じる寂しさは仕方がない。それだって言ってしまえば贅沢なもので、口に出すなんてこのうず高く育ってしまった誇りが邪魔をして許さない。自分とは違う場所、自分とは違うもの、違うと分かっていても焦がれは止められない。違うからこそ、手に入れられないからこそ焦がれるのだ。私は私を強固に保つために感情を犠牲にしてきたからか、しがらみから解放されてからも両手を離して感情のままに駆け出すことが困難だ。強靭に作り上げた自分の姿をした鎧の、その一歩後ろで何か言いたげにまごついている小さな私を見つけて拾い上げてくれる人。貴女もまた同じであるならば、二人の鎧を繋げればその後ろでこれからは二人でいられるのでしょうね。

「私のわがままは、エレちゃんとも夏を過ごしたいかな!まだ水着着てないもんね。私は夏が大好きだから、エレちゃんにも目一杯楽しんで欲しい!写真も撮りたいし、海で読書もしたいし、しおしおのポテトも食べたいし、線香花火もやりたい」
「私、ずっと地の底にいたのに夏の日差しなんてそんな…大丈夫かしら?溶けたりしないか心配なのだわ…!」

長い長いお茶会の終わりまでもう少し。謙虚と誠実と、本音と気恥ずかしさと知らんぷりを混ぜこんで丁寧に優しく折り込まれてゆくさきにどのような模様に仕上がるか、それはきっと誰にも分からぬまま。空腹が限界に達したマスターと満足気なサーヴァントが、茶器の立てる小さな音に合わせ足取り軽く揃って小部屋を後にする。ある冬のある月曜日のカルデアでのできこと。そう、描き始めはどの一日からでも良い。






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