約束の日・01


 “三年目の夏”が来た。園田楓は目覚めてすぐにそう思った。汗でぬれたシャツを脱いで洗濯機に放り込んで、風呂場で汗を流し、体をふきながら部屋へ戻ると、午前七時にセットした目覚まし時計がけたたましく鳴り出した。
 大きめのリュックにマスクや手袋、もしもの時のためにゴーグルと救急箱、その他もろもろ、それから大学に入学してから骨董市で買ったカメラとカメラのフィルムとポラロイドカメラを入れ、首からは一番大切なカメラを提げて、園田は部屋を出た。
 彼の部屋は古びたアパートの二階にある。窓からはひまわり畑が見える。南向きの丘の緩い斜面を利用した畑だった。今の季節、盛りの花は目に毒なほど鮮やかなイエローだ。美しい景色だった。
 アパートの外階段を下りる際に隣の部屋に住む新野とすれ違った。彼は背が低く日に焼けて肌が黒く、でも歯は驚くほどに白かった。やかましいが気さくで面倒見の良い男で、年齢は園田の父親と同じくらいのように見えた。園田の父親はしばらく前に急逝し、そんなこともあって、園田にとって新野は父親の代わりのように感じる存在なのだ。それから、この新野という男にも園田と同じ大学生の息子がいた。彼は東京で一人暮しをしているらしく、ここ数年会っていないらしい。新野の方でも、園田を息子と重ね合わせていた。
 そんな関係なのだが、階段ですれ違ったとき、園田は何も言わなかった。確かに新野と目はあったのだが、ふっとすぐにそらして階段を降りていく。いつもやかましい新野だが、彼は何も言わずに階段を下り終わる園田を眺めた。
 そうして園田が階段を下り終わって、最寄りの駅まで行くための自転車へまたがったところに、頭上から声をかけた。
「岬に、よろしくな」
 園田は新野を見上げ、うなずいた。にかっと笑った新野の歯の白さにアンバランスさを感じつつも、園田は自転車をこぎ始めた。
 避暑地として有名なここから通っている大学までは、自転車と電車、バスを乗り継いでいく。大学の近くに住む場所もあったのだが、園田はこのアパートから何時間もかけて大学へ行くことを選んだのだ。毎年夏には満開に咲き誇るひまわり畑が見えるあのアパートの一室。
 駅に着くと、そこには園田の大学の友人である掛井がいた。
「……車」
 ぶっきらぼうにそれだけ言う彼に、園田は思わず微笑んでしまう。そして、礼を言う。昨日、彼とは今日のことで口論になっていたのだが、園田は彼の性質をよく理解していたので、今日こうやってむすっとしながらもここへ来るだろうとわかっていた。まさにそうだったのである。
 自転車をおりて掛井に続いて車に乗り込む。
「お前があんなに必死になってるの見たことがなかったからな。そんなに必死になることなら、止めるのもよくないと思ったし、理由が知りたくなったんだよ」
 掛井はそう言って、エンジンをかけた。再び礼を言うと「よせ」と金色の頭をガシガシ掻いた。
「で? どこにいくんだよ。写真撮るんだろ? ほらお前の撮るテーマ、『美しいもの』な、どこだよ」
「○○ホテル」
「……そこって、廃ホテルだろ」
「よく知ってるね。怖がりの掛井のことだから、知らないと思ったけど」
「怖がりだからこそ知ってんだろ。幽霊が出るって、噂だし、それを避けるため」
「掛井、出発してくれるかな?」
 青くなって首を横に振っている掛井の左手を握って、ギアをドライブまで無理矢理動かす。「力強いんだよ!」「美しいものなんてそこにはない!」未だ抵抗する彼の方へ首から提げたカメラを向け、シャッターを切る。彼は突然のことにパッと目を見開いて「何だよ」と問うた。
「すごい顔が撮れたよ。車、出してくれる?」
 掛井は舌打ちしてアクセルを踏んだ。そんな彼が、友人として大切だったし、それからさっき撮った写真は“美しいもの”ではなかったので、園田はカメラを弄くってさっき撮った掛井の写真を消した。削除のメッセージを眺めていると、じきにそのメッセージが消え、その背景にひまわり畑の画像が出てくる。画面の脇に表示される日にちは三年前である。三年間、このカメラでは写真を撮っていなかった。このカメラの時間は、三年前から止まっているのである。
 高校を卒業し大学へ入学して一人暮しを始めたり、サークルへ入ったり、掛井という友人ができたり、父親が亡くなったりと、園田のまわりでこの三年間に起きたことは数えきれない。周囲の環境はとても変わった。端から見れば彼は目まぐるしく成長し、立派になっただろう。しかし園田自身は三年前からなにも進めないままなのである。

 一、二時間車に揺られて、山道へ入った。急斜面を掛井はアクセルをぐいぐい踏んで進む。すれ違う車も無くなってきた頃、掛井が「ギブアップ」と言った。
「この先どう行ったら良いのかわからないから、もう帰ろう」
 空き地に入って、車をUターンさせようとする彼を園田は遮った。
「ここから、歩いていくんだ」
 再び掛井の左手を握って無理矢理停車させると、早々に園田は車を降り立った。
「お前強引なんだよ!」
 そう言う掛井に返事することなく、急かせれるように、その空き地から雑木林の奥へ続く小道を園田は歩いていく。掛井も、こんなところに一人にされるのは嫌だと、園田について小道へ入っていった。


 






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