あいうえおっと | ナノ

すべてはわたしの預かりの知らぬところで話が進んでいた。
「おまえもいい年頃になったんですから、気になるひとの一人や二人いるでしょ?」と明朝仕事から帰ってきたわたしに、母上はおかえりとも言わずに開口一番にそう尋ねてきたのだ。しかし残念ながら、母上のお気に召す答えは返せない。気になるひとも好きなひとも今はいないんだから仕方ない。どうせ結婚するなら家業に関わりの薄い人がいいけどね。「いません」そう、首を横に振れば母上はなんと。
「そう言うと思ったから素敵な縁談を用意したの。これから迎えが来るから、早く支度をしないと!」
なんて突拍子もないことをしてくれるんだ。
仕事で朝帰りの疲れたわたしは逃げようとしたが母上にがっちりと確保され、抵抗もできず引き摺られていった。

嬉々としてわたしを飾りたてた母上は迎えの、黒塗りの車にわたしを押し込んで見送ってくださった。これまた真っ黒なスーツをばっちりと着こなす髭の素敵なおじさまが運転手で、執事のゴトーと名乗った。
もうやだ帰りたい。


目の前にそびえたつ巨大な壁というか門は、どうやら試しの門と呼ばれているらしい。押せば開きますので、と執事のゴトーさんに言われて思い切って押してみた。重苦しい音をたてながら一番小さい扉が開いてくれて、隙間から素早く門の内側に足を踏み入れる。
ぜいぜいと息がきれて深呼吸をしようと深く息を吸う。ふと頭上から大きな影が差して上を見上げると巨大な生き物に見下ろされ、思わず呼吸をとめて硬直する。こちらをじっと見つめてくる、身動きできずにいるわたしと見つめあった末にやがてそいつは巨体を揺らして森のなかに消えて行った。
「あれは番犬のミケです。門から入れば襲ってきませんので」
いつの間にか隣にいたゴトーさんに驚いてびくんと体が跳ねる。犬なのに名前はミケなんだ、とは言えない。…そうですか、としか言えずにいるわたしに彼は先に進むよう促した。そうだ、目的地は本邸だった。

走って走って、やっと着いたと思ったら執事邸だと教えられて更に奥を目指す。ようやく本邸に着く頃には日が高くのぼっていた。



当主であるシルバの妻だと云うキキョウさんからお茶に誘われ、流されるがままにお邪魔をした。見た目に関しての反応はしないことに努めた(目元を覆う機械から、きゅいーん、と作動音が聞こえたとか知りません)。
そしてお茶に誘ってくださったのはとてもありがたいが、雰囲気もなにもかもが場違いに思えてさっさと家に帰りたくなった。ただ、キキョウさんに同伴してお茶をした四男だか五男のカルトくんはとても可愛くて癒された。こんな弟が欲しいな…。

…お見合いの話は曖昧にしか覚えていない。失礼千万ではあるが、とても眠かったので。



屋敷やその付近を散策してもいいと許可を出して貰えたので、広大なお庭を散歩して現実逃避をしようと思った(勿論それは言わなかったけども)。
ぶらついている内に、声が降ってきて顔を向けた。目の前の大木の枝に少年が座って足をぶらつかせている。こちらを見下ろしてくるその少年に、侵入者? などと訊かれてしまった。わたしは不審者認定をされているらしい。全く嬉しくない誤解だ。わたしはちゃんと正面から門を開けて執事さんと入ったというのに。
「わたしは侵入者じゃないです。…門から入って来ましたし。この度お見合いに参りました、ナマエと申します」
「は? お見合い? …誰と?!」
目を剥いて驚く少年が枝から飛び降りてきた。わたしよりも低い位置から見上げてくる少年は、興味津々といった体で遠慮なくわたしを上から下まで見定めるように見てくる。
「それがまだ決まってないんです…。ところであなたは長男次男三男のどちらさまですか」
キキョウさんと話していたとき、何か言っていた気がするけどわたしの残念な耳は右から左に流してしまったようだ。流石に四人か五人兄弟云々のところも記憶が曖昧なのはいただけないけど。というか、そもそもこの少年はまだ成人もしていないだろうし、…彼とお見合いではないと思いたい。わたしは断じてショタコンじゃない。青い果実をつけまわすのが大好きなピエロじゃあるまいし。
「オレは三男のキルアだけど。お見合いなら兄貴のどっちかじゃねえの?」
「そうですか…、ところで長男さんと次男さんのお名前とか聞いてもよろしいですか」
「上の兄貴がイルミで下がミルキ。イル兄は無表情で何考えてるかわかんねーし、ミルキはオタクでふとってる」
…無表情で何を考えているかわからないイルミ、という名前の人物をひとり知っているが、兄弟がいるとは聞いたことがない。人違いだと信じたい。
わたしの目の前で、いつの間にかさっきまでキルアくんのいた木の幹にもたれかかる青年が幻か何かと思いたいけども。…世間って思うよりも狭いようだ。
「イルミ、昨夜ぶりですね…お元気そうで何よりです…」
「うん」
「!」
人生すべて諦めが肝心、というどこかの格言だかを思い出して更に気分が落ち込む。母上はどことお見合いとか特に何も言っていなかった。言わなかったのは、相手がわたしも知っている人物の一家だったからだろう。聞かなかったわたしもわたしだけど。
キルアくんが威嚇する猫のような反射神経で振り返るとイルミは口元だけでわらいながら言う。ダメだよキル、油断しちゃ。
念も使えない子供に言うことじゃないと思うけど、イルミに反論のようなことを言うのは後が怖いから口を噤む。家庭の問題だ、これは。
「ナマエ、母さんが父さんとじいちゃんが顔を見せたいって呼んでたよ」
「…わざわざありがとうございます」
わたしはどうしてもお見合いをしなきゃいけないようだ。じゃあねキルアくんと小さく手を振ってみたが、どうやら彼はイルミから目を逸らせないようで。
「キルア、おまえは修行の時間だろ?」
「…わかってるよ」
拗ねたみたいなキルアくんの声が、ちょうど踵を返したときに聞こえた。

後ろから追いついてきたイルミに連れられ、わたしは屋敷の広間のような部屋に案内された。
イルミの父親とお祖父さんとの対面はひどく緊張して、何を口走ったかを忘れてしまいたい。キキョウさんは早々に「お邪魔でしょうから、おほほ」と退出してしまったし。
イルミの父から、イルミとの婚約も提案されたが、彼と恋愛している自分も想像できないし彼が愛の言葉やらを吐くことも想像できない。わたしの想像力の限界だ。そもそも、一度命を狙われたことさえあるのに、お見合い自体が成立しないと思う。
「まだミルキさんとは会っていませんから、一度お会いしてもよろしいですか?」
わたしのその言葉に、イルミのお父さんやおじいさんはもちろん、と頷いてくれた。
じゃあ呼んでくるから待ってて、なんて言葉を発したのはイルミだ。ちょっと待ってと言う間もなく部屋を出て行った彼がミルキさんを連れてきたのは、それから数分後のこと。イルミの父とおじいさんは仕事があるからと先ほど席を立ったばかりだ。
「……兄貴が結婚すればいいのにもう…」
ぶつくさ言ってる暗殺者らしくない体型の彼が次男のミルキさんらしい。…イルミと並ぶと恰幅がよい。急いで来たのか、脅されて来たのか知らないが、額には汗がにじんでいるしどこか顔色が悪い。
一目見た瞬間、彼だ、とわたしの直感が叫んでいた。
「ミルキさん」
「なんだよ」
「結婚を前提にお付き合いしてください!」
「はああぁ?! なんで?!」
がしっと強くミルキさんの手を掴んで胸元に引き寄せ、真っ直ぐと彼の目を見つめる。
困惑する彼へ真剣な眼差しを送るわたしに、イルミが「そんな趣味悪かったっけ?」と呟いた。失礼な。恋の病に罹るのはいつだって突然なんだから、いいじゃない。


トップ戻る


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -