君ポピ | ナノ


こちらの世界に飛ばされて、夜が明けた。本当に、どんなことが起きても必ず朝というものは訪れるのだなと、窓外から差し込む太陽の光を見て思った。

ぼんやりする頭の中、上体を起こして部屋の中を見渡す。そうだ、昨日はあれから正一くん(正チャンさんと呼ばれるのは嫌だと言われた)に、あたしの部屋だと案内されて……この、でっかい部屋を使うことになったのだった。


「まるでお金持ちにでもなった気分だなぁ」


目を擦りながら、真っ白なベッドから降りて服を着替える。といっても、昨日まで着ていた服に戻るだけだけど。

身形を整え、ガチャとゆっくり扉を開け、顔だけを覗かせて廊下を見る。シン、と静まっている廊下を見るところ、誰もいないみたい。拘束されるって聞いたけど、これなら結構自由あるんじゃないかと思った時だ。


「おはようございます、優奈さん」

「!?」

「朝食をお持ちいたしました」


「え、ああ……って、どこから!」

「転送装置で参りました」


人が、部屋の中に突然現れた。あたししかいなかった部屋に、突然だ。心臓は、ドッドッドッとうるさくなり、朝からドッと疲れた気分に陥る。


「勝手に部屋から出ることは禁止されております。今のように開けば、自動的にチェルベッロである私が転送されますので」

「えええ!?」


「フフ、自由はないって言ったでしょ」

「びゃっ白蘭さん!!」


キィ、と扉に手をかけて入って来た白蘭さんは、楽しそうな声色でそう言った。いつ来たのかとかそんなものはどうでもいい、とりあえずあたしの立たされてる状況、まるで監視されてるみたいじゃないか。


「監視はしてないよ。ただ、この扉に仕掛けがあってね」

「それで充分だよっ!」

「室内にはトイレもお風呂も備わってるんだから、不自由なことなんてないでしょ、優奈チャン?」


「確かにそうかもしれないけど……」

「きみはね、誰かが来るのを待ってればいいんだよ」


にこっと笑う顔に、やけに寒気がした。
この人最初からそのつもりだったのか……勝手に建物の外に出ちゃいけないのではなくて、部屋の外にも出られないだなんて。

ほらほら朝食食べちゃいなよ、とあたしの背中を押してテーブルに着かせる。目の前にはロールパンにスクランブルエッグ、ハム一枚がお皿の上にあり、そして香ばしいコーヒーが置いてあった。なんだか、朝から嫌な現実を突きつけられてしまったせいで食欲がない。伸ばした手は、力なくテーブルの上に。


「どうかした?」


その口でそんなことを抜かすか。ポン、と肩に置かれた手を払い、なんでもないと口早に伝えて朝食に手をつけた。



「大丈夫だよ優奈チャン。僕や正チャンが欠かさず顔を出すからさ」

「……」


「僕らの勝利の女神サマに逃げられたら困るんだ」


耳元に唇を寄せて言う白蘭さんを、正直殴ってしまいたかった。でも無理なのだ、その言葉の裏にどんな感情が隠されているか薄々気づいているから。

ギュッと拳を握り締め、白蘭さんとチェルベッロとか言う女性が退室するのを黙って見送った。


****






ガチャ

「優奈さん」

「正一くん!!」


「うわっ、びっくりした!なに!?」


何時間経ったかわからない頃、再び開かれた扉の向こうにいたのは正一くん。その姿を確認すれば、あたしが鬼のような形相で歩み寄るのは当然だった。白蘭さんに言えないことでも、彼にならいくらでもぶつけられると判断したからだ。


「こんなの酷いじゃない!どうして何も言ってくれなかったの!?部屋の外にすら勝手に出られないなんて、ふざけてんの!?」

「ちょ、ちょっと落ち着いて」

「落ち着いていられるかっ!こんなことされる意味が」


「ごめん」

「!?」


チャンスがあれば少し開いている扉から脱走しようかとも思いながら、正一くんの胸倉を掴み怒鳴り散らす。その行動に戸惑い目を丸くする彼だったが、少しして冷静になったのだろう、あたしの両肩に手を乗っけて静かに謝ってきた。

床に落としていた彼の視線が上がり、あたしのそれと交われば、怒りの感情がスッと消えてしまうくらいには真剣な眼差し。胸倉を掴んでいた両手を離し、力なく下げれば正一くんは困ったような笑顔を向けた。



「優奈さんには酷いことをしていると思うよ」

「……」

「知らない間に僕らの世界に来て、事情も知らないままにこうして、閉じ込めるようなこともして。正直言うと、僕もどうしてこんな行動に出たのかわからないんだ」

「勝利の女神、とか言ってたけど」

「うん。でも実際のところ、必要もないと思うんだ。決着をつけたいと白蘭さんは言うけど、あの人今の状態を楽しんでる部分もあるから」

「じゃあどうして」

「その真意はまだわからない」


あの人は謎だらけだから、と額に手を当ててため息を吐く正一くん。やっぱり誰にも彼の行動は理解できないのかと眉根を寄せていれば、何か思い出したかのように「あ」と言葉が漏らされて視線を向けた。


「いつだったか白蘭さん、僕に“どんな人間相手にも普通に接して、その上相手の安らぎにもなってしまう子って、すごいと思わない?”って訊ねてきたんだ。その時は意味わからなくて適当に流してたけど……」

「それが、あたしってこと?」

「断定はできないけど、ね。もしかしたら、勝利の女神っていうのは表向きで、本当の理由はもっと違うところにあるのかも」


正一くんの言葉を頭の中で簡単にまとめてみたけど、結果白蘭さんは“あたし”という人間に興味がある、ということ?



「気に食わないこといっぱいあると思うし、すぐには難しいと思う。けど、もし心に余裕が持てたその時には、白蘭さんを含め僕らと仲良くしてほしい」

「…………」

「扉の仕掛け上、優奈さんが勝手に出ることはできないけど、必要なことがあればあそこの電話を使えば直接僕らに繋がる。それからこれ、はい」


「? なにこれ、ブローチ?」


ポケットから取り出されたのは、花の形をした小さなブローチ。受け取ってまじまじとそれを見つめる。生憎、花の種類には疎いから見たところでよくわからないのだけど。


「それはペチュニアって花をモチーフに作られてる」

「へえ」

「それを身につけていれば、敵だと思われることもないから普通に歩けるよ」


「どういう意味?」

「簡単に言うと、自由に歩けるってこと」


はて、彼は一体何を言っているのか。だって部屋から出ちゃいけないと言われたのに、今度は自由に歩けると言う。混乱してきて頭を押さえれば、正一くんは苦笑いを浮かべた。


「あの人詳しく言わなかったんだな。まあ、しばらくは白蘭さんか僕の傍を離れるのは難しいと思うんだけど、ここに慣れた時には、僕達の傍を離れて自由に行動していいんだよ」

「え、でも」

「ひとりでこの部屋から出ることはできないけど、誰かが扉を開ければ、その後は自由に建物内を歩いていいってこと」


歩き回っていいの?建物内なら、どこでも?

そう告げられた途端、一気に身体の力が抜けた。な、なんだぁ。ずっとここから出られないのかとか、ずっと彼らの近くで行動していないといけないのかとか思ってたよ。



「で、今日はまず初めにここの案内と、きみのことをファミリーのみんなに知ってもらいたいんだ。さ、行こう優奈さん」




****


「ここは書庫。書物は大体、歴史物が多いかな。それにイタリア語で書かれてあるから、優奈さんには退屈する場所かも」

「うん、そうかもね」


床から天井まである本棚には、ずらっと分厚い本ばかり並んでいる。きっとここにある本を全部読んだ人なんていないんじゃないかなと思いながら背表紙を見ていれば、窓から差し込む光をライト代わりに、椅子に座って本を読む人を、本棚の隙間から発見。

動きを止めたあたしに、どうかしたのと声をかける正一くんへ視線を向けようとする前に、読書中だった人がこちらを見た。迷うことなく、真っ直ぐあたしを捉えたのだ。



「何者だ、あんた?」


低く、そして敵意を向けたような声色にビクッと肩が揺れる。読んでいた場所がわからなくならないように丸テーブルに本を置き、カツンカツンと音を立てて近づいてくるその人は、明らかに敵意むき出し。逃げなきゃと思うのに、睨まれて竦んでいるのか、身体が思うように動かない。


「しょ、正一くん!」

「優奈さ──っガ、γ!?」


「あ?」

「うわあああ正一くんんん!怖い!あの人怖い!」

「……優奈さん(白蘭さんにだってこんなに怯えてなかったのにな)」


金髪オールバックの男──γ──と呼ばれた彼の意識が正一くんへと移動した隙に、あたしはダッシュで正一くんの背後へと隠れた。


「入江正一、その娘は何者だ?」

「え、ああ。えっと、白蘭さんが連れて来たんだ……本当は昨日のうちに報告しておきたかったんだけど、遅くなってすまない」

「そうか。と言うことは、ブラックスペルの連中はまだ知らねーってわけか……なら、オレが報告しとく」

「ありがとう、助かる」


「勘違いするなよ?おまえが下手に動けば、奴らの癪に障るからだ」


キッと正一くんを睨みながらそう言うと、γさんは読書中だった本を持って書庫を出て行った。
その途端、目の前にいた正一くんは大きなため息を吐きながら弱々しくしゃがみ込んだ。なんだろう、この人達、仲間同士のはずなのに妙にギスギスしてる。それこそ、敵同士が対面していたかのように。


「今の人は?」

「ああ、彼はγ。見た通り、怖そうだろ?」

「うん。でも、それだけじゃないよね、正一くん」


「わかっちゃったか」


頭をガシガシ掻きながら乾いた笑みを零す正一くんは、ポツリポツリとミルフィオーレというファミリーのことを教えてくれた。

白蘭さん率いるジェッソファミリー(現在ホワイトスペル)と、ユニという少女が率いるジッリョネロファミリー(現在ブラックスペル)の二つが合併したのが、このミルフィオーレファミリー。戦い方も異なり、相容れない部分も多いためにお互い協力して何かをするということは滅多にないそうだ。


だからこその、態度だったのだと。



「そのうち他の連中にも会うことがあるだろうけど、ジッリョネロは野蛮な人間が多いから気をつけて」

「ふうん。なんだか複雑だね」





****

コンコンッ

「はい、どうぞ」


失礼します、と言葉を発しながら扉を開ければ、我らがブラックスペルのボス──ユニ──が笑顔で出迎えてくれた。


「あー、γアニキどこ行ってたんだよ!」

「書庫だ」

「げえっ、ほんとよく読むよなぁ。オイラには漫画だけで充分だぜー」

「野猿、姫様がいる前でうるせーぞ」


ソファーで寝っ転がる野猿と、昼間からワインを飲む太猿を見てため息を吐きながら、オレは姫の座る椅子まで歩み寄った。


「どうかしましたか、γ?書庫に行ったというのに、機嫌が悪そうですよ」

「ああ、入江正一に会ってな。それで伝達だ。見慣れない娘がこの建物内にいるんだが、白蘭が直接連れて来た娘だそうで……敵だと間違えて攻撃しないようにとのことだ」

「白蘭が連れて来た人、ですか?」

「へえ、女か」

「γアニキ、そいつどんな奴だ?白蘭が連れて来たってんなら、何か面白いモンでも持ってるんじゃ」


「……とりあえずだ、用心するに越したことはない。姫も、それから太猿に野猿、不必要に近づこうとするんじゃねーぞ」


目を瞑ればすぐに思い出される、オレを見た瞬間の、あの恐怖に怯える娘の表情が。

あれはただの一般人だ。強い力を持っているわけでもないし、良い女にもほど遠い。面白いモンも持ってねえだろうな。それじゃあ、何のために白蘭は連れて来た?あんなブローチまで身につけさせやがって。



「γ」

「え、ああ、なんだ姫」


「私、気になります、その方。お会いしたい」

「いや、ですから―」

「大丈夫です。絶対に、危険なことなんてありません」


こういう時ばっかり……いや、姫はいつもこうだ。危ないだろうからと近づけさせないようにするのに、こうやって真っ直ぐな視線でオレを見るから。



「わかりました」

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