「どうぞ」
「どうも……ってマシュマロのみ!?」
「不満?」
「イエ」
案内された部屋は、おそらく白蘭さんの執務室といったところだろうか。ソファーに腰を下ろし、視線をさ迷わせる。なんてシンプルな部屋だろう。
まあ、仕事するためだけの部屋だろうし豪華にする必要もないけど……生活感なんてあったもんじゃない。
紅茶のお伴として出てきたお菓子は、車の中で食べ飽きてしまったマシュマロで。この人どんだけこれ好きなの。
「で、この世界のことだっけー?」
どかっと腰を下ろし、ソファー全体を使うように背凭れに両腕を乗っけて足を組む。とんでもなく偉そうな態度に、少しだけイラッとする。ずっと貼り付けている不自然な笑顔も、その気持ちに拍車をかける。
「あまり焦らさないでくださいね。白蘭さんの我が儘でこちらに飛ばされたわけですから、あたしにはきちんと知る権利があります」
「わかってるよ。それから、そんな堅苦しい敬語使わないでいいよ」
「……いえ、」
「えええ、敬語のままなの?話すの止めようかな」
「(何それひどい)わかった。……白蘭さん、早く教えて」
本当は敬語抜きたくなかったんだけど。でもそのままでは、この我が儘な白蘭さんから話を聞くことができないと判断し、すぐさま諦めて普段の言葉遣いをする。でもやっぱり怖い、あたしは逃げるように視線を逸らして紅茶を飲んだ。
「ははっ、可愛いねぇ」
「……」
「えっとね、簡単に言うと、ここは危険なイタリア」
「は?」
「ほら、殺されるとか殺されないとか空港で言ったでしょ?さすがに日常茶飯事ってわけじゃないし、一般市民には迷惑はかけてないつもり。ただ、僕は特殊っていうか」
「特殊って……」
固唾を呑んで話の続きを待つ。しかし白蘭さんは、あたしが緊張しているのかを知ってか知らずか、口角をクッと上げながらお皿に乗っているマシュマロをひとつ取って口に入れた。
焦らさないでって言ったのに!ゆっくりと咀嚼する彼を睨むように見れば、しょうがないなぁというような表情をして口を開いた。
「マフィアだよマフィア」
「……マフィア」
「そ。意味はわかるよね?僕はマフィアで、ミルフィオーレって言うファミリーのボスなんだよ」
「マフィア、……ミルフィ、オーレ……ボス」
彼から聞いた言葉をゆっくりと紡ぐ。
マフィアって犯罪組織のこと、で間違いない?それで、そのボスが、白蘭さん……偉い人な上にすっごい恐ろしい人じゃないか!!
「まっ……こ、殺さないでください!」
「何言ってるの優奈チャン。きみを殺したらこちらに呼んだ意味がないじゃん。それから、敬語戻ってるよ」
「〜〜っ!ど、どうしてマフィアとか、そんな危険な組織があたしを必要としてるの」
「だから、勝利を握ってるって言った。優奈チャンはとっても重要な人物なんだよ」
「重要って……」
ほんの数時間前に来たばっかりのあたしが重要?勝利を握ってる?やっぱり何度聞いても意味がわからない。額に手を伸ばし、深いため息を吐く。
そしてさっき、胸がざわついた。
どの言葉を聞いた時だっただろう……ああそうだ、マフィアって単語に、ドキッとしたんだ。
「ま、近いうちにわかる時が来るよ」
「投げやり!」
「今度ね、僕のファミリー主催のパーティーが開かれるから、ぜひ出席してね」
「そんなの」
「拒否権はナシね」
出るわけないと口にしようとしたのに。キッと睨むけど、そんなの効かないとばかりにマシュマロをぱくぱく食べる白蘭さん。その様子に呆れてしまい、ため息と一緒に「わかりました」と返答した。
「白蘭さんって、ボスなんだよね」
「うん、そうだよ」
「仕事しなくていいの……?」
「大丈夫。優秀な部下がやってくれてるし」
「それ、正チャンさんのことじゃ」
「そうだよ?」
「(うわ、可哀相……!!)」
車でのやり取りを見ててもよくわかったけど、白蘭さんは絶対に上司にしたくないと思う。だって部下がお腹を痛めるほどだよ!やっぱり部下に優しい上司が望ましいよねなんて思っていると、急にソファーから立ち上がり、あたしの目の前に立つ白蘭さん。
「大丈夫大丈夫。優奈チャンは部下じゃなくて、勝利の女神だからね」
ゾクッ
背筋が凍り、顔が真っ青になった気がした。ゆっくりと視線を上げれば、変わらず笑顔を貼り付けているけれど……これは、怒っている!絶対に怒ってるよ!!
「ごごごごめんなさい!嘘ですえへへへ」
「あれ、そうなの?」
「すっごく上司にしたいです!(なんて嘘だけどこうでも言わないと)」
ギシッ
「嘘下手だね、優奈チャン」
「!」
あたふたしながら思ってもないことを口にすれば、光が遮られたかのように目の前に影が落ちた。ソファーに座るあたしの横に右膝を乗っけ、そしてあたしを挟むようにしながら背凭れに両腕を伸ばす白蘭さんが原因だ。
思った以上の至近距離に、心臓がうるさくなる。
「か、顔……近いですよ」
「そうだねぇ」
「あたし、今逃げられないですよねこれ」
「うん。ねぇ優奈チャン、」
「は、はい」
スッと細められた目に、ドキリとした。
彼が視線を逸らすことはなかった。
数秒間だった、あたしはそれ以上耐え切れず、逃げるように視線を落としてドキドキする心臓を抑えるのに必死になった。しかも、その場で何か言えばいいのに、白蘭さんは更に身体を近づけてあたしの耳元に唇を寄せて。
「 」
ぺろっ
「ひあっ!?」
「フフ、かーわいい声出しちゃって」
「なっ、なっ……!」
カアアアッと熱くなる顔と耳。バッと耳を手で覆いながら睨む。
こいつ今舐めた!
あたしの耳を舐めやがった!!
「なんてことするの!?」
「え、そんなに怒ること?と言うよりもその反応、初々しいね……もしかして初めて?となると、この先の―」
「うわあああああっ」
「クククッ、ますます可愛い」
「からかわないで!!」
ごめんごめん、と笑いながらあたしの傍から離れる白蘭さん。なにその平謝り!こっちは色々と危険を感じていたってのに!大人の世界に引きずり込もうとするのやめてもらえません!?(もう21歳だけど!)
「じゃあ、僕は出かけてくるから」
「は」
「ボスだからね、ちょっとした集まり。逃げちゃダメだからね、優奈チャン」
「……逃げたらどうなりますか?」
「今度こそ食べちゃおうかな」
「にっ逃げない!誓う!!」
「フフ、それじゃあ大人しくしててね。しばらくすれば正チャンが来るだろうし……それから、」
扉に向かいながら言葉を続ける白蘭さんは、最後にドアノブに手をかけてから振り向いた。
「それから?」
「女神のこと、考えておいてね」
「なっ!」
ばいばい。そう言い部屋を去った白蘭さん。
その姿を見送ってから、あたしは魂が抜けたように深くソファーに身を沈めた。
勝利の女神だけじゃなくて、僕だけの女神にもならない?
「バカじゃないの」
冗談だろうけど、あんなセリフを言われたのは初めてで。どうすればいいのかわからないこの気持ちをふっ切るように叫んでいれば、ガチャと扉を開けて入って来た正チャンさんに驚かれたのは言うまでもない。
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