ボスの機嫌取りは任せる。そう言われてさっそく来たわけだけれど、ノックすることも躊躇われるほどの威圧感バリバリの扉を目の前に、手を出したり引っ込めたりを繰り返している。こうしているのも本当は無駄だとわかっているんだけど……ええい、女は度胸!
と、意気込んだ割にはノック音は小さく。
「(しまった、音ちっちゃ!)ザ、ザンザス……さーん」
とりあえず声をかけてみる。
しかしまあ、彼が返事をするわけないのは百も承知。扉の向こうは何も反応を示してこない。
「いると思うから、ここで言うね」
少し大きめの声でそう告げて、胸に手を当て息を吐く。
「パーティーの日、変なこと言ってごめんなさい。
あたし、白蘭さんにこの世界に連れて来られたわけだけど、会ったことない人だったから、最初はここがどんな世界なのか知る由もなかった。でも少しずつこの世界に触れることで焦りが生まれて。本当はあの日、まだみんなのこと思い出してなかったんだけど、名前を言うことを頑なに拒んだのは何かを恐れていたせい……で、えっとそれで……」
ごめんなさい。
そう言えばいいだけなのに、言葉が喉に突っかかって出てこない。その代わりに、なぜか涙が頬を伝う。
どうしてなのか、自分でさえもわからない。
ギィ‥
「……!」
「泣いてんじゃねえ、カスが」
「ザン、ザス……っ」
ゆっくりと開いた扉から、眉間にしわを寄せた、とても不機嫌そうな表情をしたザンザスが姿を現した。
「泣いて、ない……!ゴミが入ったの」
「そうか」
「うん、ごめん」
「何に対しての謝罪だ」
「この前のこと、!?」
「ああ、もう気にしちゃいねえ」
気にしてはいない。そのことにも驚いたのだけど、スッと伸びた手が、あたしの頬を濡らす涙を拭く。少し強引にグイッと。そうして最後には「アホ面だな」と言い薄く笑うザンザスに、固まる他なかった。
「10年か」
「え?」
「テメェが帰ってから、10年経った」
「……10年!?!?」
「うるせぇ」
鬱陶しそうに顔をしかめるザンザスを見つめる。そりゃあ、みんなの容姿を見れば年月経ってることはわかるけど、まさか10年も経っていただなんて。ベルに恋人ができるのも当然のことか……なんて、以前正一くんと買い物をした時に町で偶然見たのを思い出した。
「それにしても、あたしのことよく忘れなかったね?写真だって、あまり見せた覚えはなかったんだけど」
「テメェみてーな女、誰が忘れるか」
「どういう意味で」
「ハッ」
「は、鼻で笑った!?」
……じゃなくって。彼の部屋前まで来た目的を思い出す。機嫌取りもあるけれど、告げなければならない、今の正直な気持ちを。
コホンと咳払いをすれば、察しの良い彼は視線をこちらに寄越す。
「正直なところ、自分の気持ちがよくわからない。元の世界に帰らなくても大丈夫とは思ってもないけど、でも、この屋敷に来る前とはちょっと違っていて」
「――ふうん、どこが、どういう風に?」
「うわっ‥ベル!?それにスクアーロも!いつから」
突然耳の近くで聞こえた声に驚き振り返れば、ベルとスクアーロの姿。そして思いの外至近距離にいたベルから離れようと自然と身体は動くわけだが、「いつからそこにいたの」という言葉も、足がもつれたせいで途切れてしまった。やばい前に倒れると思ったところで目の前に立っていたザンザスが軽く押さえてくれた。
お!優しい!と思ったら、突き返されて。
「ししし、ゲーット」
「ちょっとザンザス!?10年経って優しくなったのかなって思ったのに全然だ!」
「知るか」
「で、何が変わった?」
「嫌だよこの状況で言うの?恥ずかしい」
ベルの腕にすっぽりと包まれたこの状況下で話を進めるのはどうかと。解放してくれるわけないよねと思いながら言えば、意外にもすんなりと放してくれて。2・3歩彼から離れてくるりと身体の向きを変えてみるが、とりあえず3人に囲まれている状況からは抜け出せるわけではないので正直に思っていることを伝えるのは恥ずかしい。
緩く握っている手のひらがじんわりと汗ばむ。
彼らの顔を順々に見て、口内に溢れ出す唾をごくりと飲み込んで。
「あたしね……この世界に来て、色々知って、思い出して。まさに地獄に相当する場所だって改めて実感した。正直今だって思ってるよ、帰れるものなら帰りたいって。
だけど、少なくとも今は安心してる。
……あの、うん、みんなと会えてね、嬉しいんだと思う」
なんて、やっぱり可愛くない言い方をしてしまった。それでもこれが精一杯だった。
「だ、黙らないでください」
せっかく恥ずかしい気持ちを抑えて告げたというのに無反応というものは悲しい。耐え切れず顔を手で覆えば、それと同時に頭の上に大きい手が置かれた感覚。
誰の手だろうかと確認するよりも先に、その手はクシャクシャとあたしの頭を乱暴に掻き乱すと、すぐさま部屋の中へと入ってしまった。
「えっ、」
「マジで。あのボスが」
「ほんと、おまえがいると不思議だぜぇ」
今のザンザスの行動にはどうやら二人も驚いたらしく、目を見開いているスクアーロと口をあんぐりとしているベルが立っていた。
「優奈がいると雰囲気和らぐんだよな。いっつもピリピリしてんのにさ」
「それはテメェもだろうが」
「ししし、当然。だって優奈は王子のだし」
「あ゛ぁ!?」
「うるさいよスック。怒られる」
「その呼び方いい加減やめろぉ!!」
ベルと二人して、うるさいねー、と耳を塞ぎながら笑っていれば、目の前の扉の奥から何か不吉な音が聞こえだした。
コォオオオ‥と、何か手のひらに力でも集めてるような不吉な音。
「やばいってこの音!ボスが怒ってる」
さすが、付き合いの長い二人もすぐ気づいたようで、あたし達は一目散にこの場から逃げた。
****
「はぁ、……はぁっ」
両膝に手をついて、ついに立ち止まる。途中までは一緒に走っていたのに、あの二人足が速いせいかもう見えないところまで行ってしまった。床にぽとりと垂れる汗を見て、なんでこんなに全力疾走してんだろうと乾いた笑みが零れた。
首筋を伝う汗を拭きながら辺りを見渡してみるが、しばらく振りのこの屋敷をひとりで、しかも夕暮れ時に歩き回るのは勇気がいる。どうしようかなと窓の外を見て、中庭に出ればここよりは暗くないだろうという答えに行きつき、足を運ぶことにした。
ヴァリアーらしい、殺風景な中庭。
もっと綺麗にすればいいのにと思いながら歩いていれば、ある場所だけ、この土地に似合わないくらいに色鮮やかな花が咲き誇っていた。
「……ここ、あたしが花壇にした場所」
そうそう、たしかこのベンチに座れば花と池が視界に入っていいとこのお嬢様みたいな気分になれそう!とか何とか言って花を植えていたような気がする。ホースで水も撒ける場所で。
「残ってたんだ。でも、誰が……」
バンッ
「優奈ちゃあああああん!!」
「ひっ!?ルッ、ルッスーリア!?」
ベンチに腰掛けながら視線を空へと向けたところで3階の窓ガラスが勢いよく開いて。そうして出てくるごっつい派手なおじ……いやお姉さん。
「会いたかったのよ!!あと、ここあなたの部屋!残してるの」
「え、」
「うふふ。その花壇も手入れしておいたわよぉ」
いつ帰って来てもいいよにね、と投げキッスを飛ばすルッスーリア。
や、やだなあ。年取ると涙脆くなるって本当なんだ。
じんわりと目頭が熱くなるのを感じて。でも意地でも流したくなくて。空を仰ぎ彼に笑顔を向けた。
「おかえり優奈ちゃん!」
「――うん、ただいま」
あたしにとってこの再会は4年ぶり。
彼らにとっては10年ぶり。
普通、帰って来るだなんて誰が思う?
住んでる世界が違うし、存在だって忘れていてもなんら不思議はないのに。
けど、ザンザス達はこうして覚えてくれていて。不器用だけど、あたしをちゃんと受け入れてくれて。
変なの。ここにいたいって思っちゃった。
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