あれから数日後、とうとうリボーンと対面する日がやって来てしまった。事前に聞いていたから心の準備は進めていたけれど、当日になればまた話は別で。どうしよう緊張で吐きそうだ。チッチッチッと静かに秒針が進むのを耳にして、ああこのまま時が止まればいいのにと願った。
そんな願いは数分で儚く散るのだけれど。
「優奈さん、そろそろ応接間に来てもらってもいいかな」
「う、うん」
「大丈夫?顔色、悪いみたいだけど」
「全然大丈夫じゃないよ!」
「あはは」
笑ってる場合じゃないよ正一くん!
くそう、いつも顔色優れないのそっちなのに今日は逆転してしまっていて悔しい。はぁああああ、と口から何か怨霊でも出てきそうな感じの声を出しながら正一くんの後ろを歩く。怖いからやめようよと言われても、こうでもしないと心臓が飛び出そうで。
失礼しますと応接間の茶色い扉をノックし開けば、ソファーに座る白蘭さんが目につく。とりあえず優奈さんも座ってて、お茶淹れてくるから。と、……おいおい正一くん、きみは秘書か何かだったっけ。
「おはよう優奈チャン」
「どうも」
「ほら、ここ、座りなよ」
ふかふかなソファーをぽんぽんと叩く。えええ、白蘭さんの隣に座るの?と一瞬顔が歪んだが、今日は素直に従っておいた方が自分のためかもしれないと思った。ひとり離れたところで座ったら気が動転してしまうかも。
そうして彼の隣に腰を下ろせば、「今日は素直なんだ」と楽しそうな声色で言い、テーブルに置いてあったマシュマロに手を伸ばす彼。ほんと、いつでも出ているな……マシュマロ。
「緊張してるね」
「当たり前だよ」
「あ、そうそう、」
言うのを忘れていたよ、なんて雰囲気の口調だった。しかしコンコンと室内に響き渡るノック音で、その言葉の続きを聞くことはできず。
その代わりに、白蘭さんの口角が三日月を描いたように上がったのを、見た。
あ、嫌な、予感。
「待っ―」
「どうぞ、ボンゴレの諸君」
制止をかけようと白蘭さんに手を伸ばしたが、彼はそれを嘲笑うかのように目を細めて、扉の向こうにいる人間に声をかけた。
今この人なんて言った?
ねえ、今日来るのって、リボーンだけじゃなかったの?
行き場のなくなった手は、そのまま自身の膝の上に置いた。痛いほど、握り締めて。
ギィ、と扉が開く音を耳にすれば、見たくもないのに顔はそちらを向く。
今日会う予定だった、ボルサリーノを目深に被った男がひとり足を踏み入れて。その後ろを続いて入って来る連中は……ほんと、要らなかったよ。ああ、震える。
「ようこそミルフィオーレへ」
「……わざわざ時間を作ってくれたこと、感謝するぞ」
「いやいや、近々彼女を会わせたいと思ってたから問題ないよ」
「そうか。なら話は早いな」
テーブルを挟んだだけの距離で立ち止まるボンゴレ。来ていない人もいるみたいだけど、今ここにいる連中だけで充分、あたしの不安材料になる。
「っておまえ、あの時の女じゃねーか!」
「へえ?獄寺会ったことあるのか!にしても普通の女の子なのな!」
最悪な二人だ。
その声すら聞きたくない。当時を思い出すかのように、あたしの脳はぐわんぐわんと気持ち悪く揺れ出して、ただただ俯いて凌ぐしかなかった。
しかしそれも、カツカツと軽快な足音を聞いてしまえば話は別で。
近づいてくる。どうしよう、どうしよう。なんて思っている間に、その足音はあたしの目の前で止まった。床だけを映していた視界の隅に、黒光りする革靴の先。嫌だ待って、そんな気持ちが伝わるわけもなく、目の前に止まった男があたしの顎に手をかけた。
「っ!」
グッと顎を上げられれば逆らえるわけもなく。目が合う、リボーンと。
「こいつとはどこで会った?」
「空港でだよ。両親とはぐれちゃったみたいでね、ひとりで可哀想だったからここに連れて来ちゃった」
「……本当のことを言え、白蘭」
「――本当のこと?」
がらりと雰囲気が変わった。
最初から良い雰囲気とは言えなかったけれど。
「リボーン、おまえ何かわかってるの?」
「ああ」
沢田の問いに静かに答えながらも、リボーンの鋭い眼光はあたしを捉えて離さない。この目から逃げたいのに、逃がすことを許してくれない。
ねえ、わかってるって、何が?
昔に写真を見せた覚えはあるけど、4年前のものだ。彼だって断定できているわけじゃない、と思う。
「白蘭、おまえはどうしてこいつを連れて来たんだ?」
「理由なんて特にないよ」
「嘘つけ。」
「う〜ん、鋭いなぁリボーンクン」
一刀両断され困ったように笑う白蘭さん。
お願いだからバカなことは言わないで。そんな意を込めた視線も今は向けられないけれど。次に続くであろう白蘭さんの言葉を、待った。
「彼女を連れて来た理由は簡単だよ。空港で見かけた時、いや、ずっと前から興味があった……僕の傍に置いておきたいと思ったから、連れて来た。ほら、簡単だろ?」
「おや、大胆ですねぇ、白蘭」
「…………」
「……っ」
目の前であたしを見る彼は、どう思った?
あまりにも予想外な言葉を言われたことにより、ずっと閉じていた口がほんの少し開いてしまった。そう、完全に、動揺した。
なんという表情を見せつけているんだほんともう恥ずかしい。なのに俯くことすら許してくれない。
そしてさらに追い打ちをかけるかのように、誰かが問うた「勝利の女神」について言葉を紡ぎ出す。
「それは彼女次第。まあ勝利の女神にならなくてもいいんだ、最終的には僕の女神になってもらう予定だし」
「な、なに、言って……!」
ついに声を発する始末。
てっきり、僕らの勝利のため、と言うものだとばかり思っていた。さすがにじっとしていることもできず、リボーンの顎クイから逃れて隣に座る白蘭さんを見たけれど……動揺しっぱなしのあたしを見るなりケラケラ笑うばかり。
ごめん、今、どういう気持ちでここにいるのが正解なの?
「なあ、」
「!」
「最初の方から気になってたんだけどよ」
「なんだい、山本クン」
すっかり白蘭さんのペースに呑まれていたあたしを引き戻したのは、山本だった。途端に身体が強張るのだから、正直だ。
「“ずっと前から”ってどういう意味だ?その子とは、空港で初めて会ったんだろ?」
「……ふうん?」
「質問に―」
「白蘭はさ、その子が飛行機の中で突然現れた存在だってこと、知ってるんだろ」
山本からの問いかけであたしの心臓は驚くほど早鐘を打ったが、それすらまだ可愛いレベルだったのだろうか。沢田の言葉に、サアッと血の気が引いてくのが驚くほどわかった。
そんなあたしの心境を知ってか知らずか、白蘭さんは一瞬目を見開き、その数秒後には目を細めて。
「ああ、知ってたよ。」
「っ白蘭さん!!」
「もう誤魔化が通用しないって、きみも充分わかってると思うけど?相手はあのリボーンクンと綱吉クンだよ」
「……」
「綱吉クンの言う通り、僕はこの子が飛行機に突然現れた人間で、あの日あの時、あの空港でさ迷うことを知っていたよ。そりゃそうだよね。だってそうさせたのは、他の誰でもない、この僕だし」
「どういう意味だよ」
「“連れて来た”って言ったでしょ」
「は?」
“連れて来た”
この言葉の意味を完全に把握できる者なんて、少ない。
意味がわからねえ、と後方でポツリ呟く獄寺の声が部屋の中に響いた。
「――そうか、じゃあ」
目の前の男が零した声は、さっきまでのものとは違って聞こえた。色々な感情が混ざり合っているかのような、そんな声色。
「うん。きみの思っている通りだよ」
「……なぜ連れて来た。ここが、こいつにとってどれだけ苦痛か」
「わかってるつもりだよ?というか、そっちこそわかってないよね。この子のこと薄々気づいてたくせに、会わせろと言った。
実際対面してこの子に苦痛を与えてるのはきみ達の存在。本当なら、気になっても気づかないフリして会わないのがこの子のためじゃない?」
結局自分のことしか考えてないね。
そう言い、テーブルに置いてあるマシュマロを一粒取って口に運んだ。
元はと言えば白蘭さんのせいではないか、と思うが……彼の言っていることも理解できる。薄々でも、あたしが岸本優奈かもしれないと疑っていたのなら会わない方法だってあったはず。苦痛になるとわかっていたなら、なおさら。
「どうだいリボーンクン、もう会うことはないと思っていた人間が、こうして現れた感想は」
「……」
「あ、もしかして戻してやりたいとか考えてる?そりゃそうだよね。きみの周りにいるのはこの子にとって最低な存在ばかりで、そんな奴らの存在を感じながらこの世界にいるなんて、吐き気がするだろうし。でもそれって、ただの偽善だろ?本当は会いたかったし、できれば傍にいてほしいとも考えてる。だからこうして会いに来た」
つらつらと並べられていく言葉は、リボーンにとっては痛いものばかりだろうに。チラと目の前に立つ彼の表情を伺えば、唇をキュッと噛み締めているようで。
何か言い返せばいいのに。
あたしがこの世界で沢田達の存在を感じながら暮らすのは、それはもう苦痛の一言に尽きるけれど。でも、白蘭さんの憶測でしかない今の言葉……言い返さないのは、それが図星だから?
「ねえ、僕が憎い?」
「いいえ」
しばらく沈黙が流れた後、前方からではなくやや右方向から問いの答えが聞こえて。そちらに視線を向ければ、口角を上げた骸さんが。
「きみには聞いてないよ?」
「アルコバレーノの気持ちを代弁したまでだ。白蘭自体は憎いですが、彼女を連れて来たのであれば話は別。嬉しい限りですね。
アルコバレーノ、素直になりなさい。
何を迷う必要があるのです?彼女に苦痛な思いをさせてしまうかもしれないとわかっていながらもこの対面を願い、存在を確かめに来たのはそれなりの覚悟があったからでしょう。黙りこくるなんて、きみらしくありませんね」
骸さんの言葉もまた図星なのかどうなのか、リボーンはドスの利いた声で「うるせえ」と制してひとつため息を吐いて。
そんなやり取りを聞いていた獄寺や山本はさっぱりわからないといった風な声色で、沢田にひそひそと告げる。そんな声がこちらに届くくらい、静かな部屋。
そうだ、あたしが何者なのかわからない彼らに、今までの話が理解できるわけがない。そもそもなぜ、あたしなんかにこうして会いに来たのかもわかってないだろう。
沢田は、うん、どうだろうね。
あの人は鋭いから、話の経緯から推測されているかもしれない。
「もう、いいじゃないですか白蘭さん。なんで彼を責めるような言い方するんですか」
「別に責めてないよ。からかってるだけ」
「……。えと、リボーン、さん……今日はあたしなんかに会いに来てくださってありがとうございました。それから白蘭さんが勝手なことばかり言って、すみません。しばらくすれば帰れると思うので心配しないでください」
どんな顔をして見ればいいのかわからなくて。少しだけ、笑顔が硬くなったと思う。でも、真っ直ぐと彼を見つめて。
伝えた。
もう会うことはない、という意思を。
この隣でへらへら笑う白蘭さんが、すぐにあたしを元の世界に返してくれるとは思わないけれど、こうでも言わないとリボーンはずっと心配してしまうだろうから。また意地っ張りを、と思われるだろう。それでもいい。
「ちょっと、優奈チャンこそ勝手なこと言わないでくれない」
「でも帰る方法知ってるのは――」
白蘭さんだけでしょう。
その言葉を紡ぐ前に、気づいてしまった。
「優奈……?」
「ただの同名だろ?」
「クフフ」
「……」
ざわりと空気が動いた気がした。
この人わざとやった!?脳がフリーズしていたのは1秒にも満たなかったと思う。ナチュラルにあたしの名前をするっと口に出した白蘭さんを睨めば、何か文句でもある?とでも言いたげな視線をこちらに投げかけた。
文句?文句ならあるよばかやろう!でも今は喧嘩を始めるわけにもいかなくて。彼の胸倉を掴んでやりたい衝動を抑え、ボンゴレの様子を伺う。
獄寺や山本は、あたしの容姿からしてあり得ないといった風。骸さんは意味あり気に笑うだけ。というかすでに正体を知っているのだ、この後の展開に興味あるんだろう。悪趣味。
そうして次に視界に入れた、沢田。
「……っ」
ああ、見なければよかった。
苦手な瞳がこちらを捉えて離さない。逸らしたい。なのに、金縛りにでもあってるみたいだ。逸らせない。
こういう時の彼が意外と強引だということは、知っていた。そう、気づけばあたしは腕を引っ張られていて、応接間から沢田と一緒に抜け出していた。
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