ふんわりとした甘い香りが鼻孔をくすぐった。スッと目を開ければ、白に統一された天井が目の前に広がり、ああ、あの部屋に戻ってきたのかなと思考を巡らせた。
「起きましたか」
「……あ、れ?」
しばらくぼんやりと天井を見つめていれば、横から声が聞こえて。その声に反応するようにおもむろに顔をそちらへ向ければ、昔に見た面影を残したまま成長した彼。そして、そんな彼の背景に映り込む部屋の景色を見て、ここはいつもの部屋とは違う場所だということがわかった。
なんだか嫌な予感がするなと思いながら上体を起こせば、淹れたての紅茶が入ったカップを手渡された。
「ここはどこですか?」
「ボンゴレの本拠地だ、と言ったら怒りますか?」
「……、はぁ」
「ため息ですか。ちょっと予想外な反応でしたね、てっきり怒るかと」
怒ってほしいの?と怪訝な表情を浮かべて彼に問えば、いいえと爽やかな表情を添えて言われた。
正直起こったことに頭がついてこないのだ。何がどうしてどうなったら、このボンゴレの本拠地に辿り着く結果になったのか。だってこれじゃあ、あの場で逃げたのに意味がない。
「すみません、少し乱暴でしたね」
「本当に思ってるんですか?顔、笑ってますよ、骸さん」
人を騙すの得意そうな割には、今ずいぶんと口角が上がってる。そう指摘すれば、これは失礼、なんてまたひと笑い。
「本当ならもう少し丁寧にここまで事を運ぶつもりだったんですよ。ですが、どうしてか優奈はあそこから離れようとしない。白蘭のことは嫌いなはずだ」
「なるほど、時機が来ればこうするつもりだったんだ。どうりで、新人にしては態度でかいなって思いましたよローランドさん」
「クフフ」
「にしてもよくバレませんでしたね」
ああいうの鋭そうなのにな、白蘭さん。と呟けば、もちろんバレてましたよ、ととんでもないことを言い放った。しかも笑顔で。えええ!?
「わかってた上で、僕を自由にさせていたんですよ、あの男」
「意味がわからない!」
「アルコバレーノに会う気は、ありませんか?」
「……は?」
す、と一瞬にして空気が変わった。
アルコバレーノと会う?それは、あのボルサリーノを目深に被ったあの男のこと?
あたしの勘違いでなければ、パーティーで出会ったあの男はあたしのよく知った人物で。昔の面影なんてあったものではないけれど、あの時反射的に動いていたあたしの身体は覚えていた。
あれが、リボーンであるということを。
だけど今こうして会う気はないかと問われれば、その答えは、“NO”だ。
彼に会ったところで何かが変わるわけじゃないのだ。元の世界に返してくれる?そんなこと、出来っこないよね。
そこまで考えを至らせてから口を開けば、あたしが言葉を吐くより先に骸さんの口が動いた。
「嫌、と拒否したところで、実は会わなければならないのですがね」
「……ちょっと、どういうことですか」
「知らないと思いますが、アルコバレーノは何度も白蘭のもとを訪れている。その内容はいつも同じだ、優奈に会わせろ、と。」
「それを了承したってこと?」
「はい。聞いた話では、“優奈ちゃんちっとも部屋から出て来てくれないから、ちょっとくらい意地悪しても問題ないよね”だそうですよ、クフフ」
「……!ふざけんなあの白髪!!」
思わず手に持っていたカップを放り投げそうになった。結局あの人はいつだってそうだ、あたしを休ませる気は更々ない。自分が楽しければどうだっていい。他人の気持ちなんて知ったこっちゃないんだわ。
「それで、骸さん。ここはボンゴレ本拠地だって言っていたけれど、あいつらはいないの」
「沢田綱吉らのことですか?ええ、彼らは別件で本日は帰りません」
「そう」
「ああ、雲雀恭弥はいますが」
「ひば、り……」
ひばりきょうや
ああ、耳にすんなりと入ってくるその名前。久しぶりだ。
「会いますか?」
「別に、」
「クッ。それ本人に直接言ってみたらどうですか。怒りでどうにかなってしまうんじゃないでしょうかねあの男」
「いやいや」
肩を揺らしてクスクス笑う彼を横目に、そんなに笑うことだろうかと思ったし、まず言えるわけがないし“雲雀さん”の怒りでどうにかなってしまうのは絶対あたしだろう。
あの頃はよくトンファーを避けられたなあ、なんて思い出に浸る。
「雲雀さんは、元気にしてますか」
「ええそれはもう。相変わらずの一匹狼で暴れていますよ……優奈から見れば、色々と変わった部分も多いかと思いますがね」
「ふふ、むしろ変わってなかったら驚き」
ああでも、意外とあのまま成長してそうかも。なんて小さく笑いを零せば、こちらを見ている骸さんがふんわりと微笑んだ。そうして手を伸ばしたかと思えば、あたしの髪をサラリと撫でて口を開いた。
「ようやく笑いましたね」
「あ……」
「まったく。ボンゴレ本拠地だと知って強張っていたのバレバレですよ。なぜあなたはそう頑固で本音を言わないのか」
「ごめんなさい。直ってないんですこの性格」
「ああそうだ」
「?」
「優奈にお礼を言わねばならないとずっと思っていました。あなたが沢田綱吉に頼んだそうで……お陰で長いこと閉じ込められていた牢獄から解放されました。まあ、来るのはずいぶん遅かったですがね」
そうして思い出す。最後にと彼らに手紙を出していたことに。そうか、彼が手紙を見つけてくれたのか。
「そんな今更ですよ。それに、あたしが頼んでいなくても、沢田は骸さんを解放していたと思う」
「クフフ。そうだとしても、優奈にお礼が言いたかった」
****
それからしばらく他愛ない話をしてから、あたしはミルフィオーレの本拠地へと戻った。今度こそはさすがに入れないということで、ここまで送ってもらった骸さんとはお別れをした。どうせ数日後に会うらしいけれど。
「そうだ白蘭さん!!」
もはや今までの怒りは過ぎ去ってしまった。いつまでも引きずっているわけにもいかないのはわかっていたけど、それよりも、だ。
なぜ勝手にリボーンと会うことを承諾したのか。これ以上あたしのイライラを増やさないで。焦らせないで。こっちにも気持ちの整理をつける時間くらいちょうだいよ。
もう慣れたものだった。エレベーターに乗り込み最上階のボタンを押し、フロアに到着すれば彼の部屋へ直行。この時間帯に執務室で仕事をしていることなどあの人は絶対にない。
コンコン‥
扉の前に着き、ひとつ深呼吸をしてからノックする。そういえばここ何日も彼には会っていなかった。向こうから会ってこようとする時は数回あったけど、頑なに拒んだのはこのあたしだ。会いたくなかったんだもの、仕方ないよね。
もう一度ノックをしてみたけれど、返事はなかった。いるはずなんだけどなあ。
さてどうしようか、と一歩だけ後退して扉を見つめていれば、遠くからあたしの名前を呼ぶ声が耳に届いた。
「優奈さん!?」
「あ、正一くん……」
「どこ行ってたの!?びっくりしたよ突然部屋からいなくなってるし、色んな人に聞いたけど誰も見てないって言うし!きみまで僕を困らせるつもりなのかと」
「ごめんごめん。ローランドさんにちょっと誘拐されて」
「ローランド!?そういえばあの人どこ―」
「もう戻らないよ。正一くん、あの人、六道骸だよ」
「え!?」
なにそれどういうこと!?っていうかあの人は白蘭さんが連れて来て……え!?
ひどく混乱してしまった。駆け寄って来たかと思えば、あたしの話を聞いて腹部を押さえながら右往左往する始末。これどうやって収拾つけようかなと乾いた笑いを零したところで、扉が開く音が耳に届いた。
「優奈チャン……」
いつぶりかの、白蘭さんが顔を覗かせたのだった。
「会いたかっ」
「あたしまだ怒ってるから!!」
「うぐ」
「どんな理由で連れて来たか知らないけどこっちは大迷惑!思い出したくないことたくさんあった!」
「うん……」
「他人の気持ちも考えずに適当に色々決めてやらかして、置いてけぼりにするのもいい加減にしてよ。今回のことだってそう、リボーン!」
一発お腹にパンチを入れれば、白蘭さんは小さく呻いて。それからまとまりのない言葉を彼に浴びせる。何が言いたいんだろう、とりあえず怒っているということが伝わればいいや。なんて思いながら怒鳴り続ければ、白蘭さんは静かに、うん、うんと頷くだけでなんだか拍子抜けだ。反省でもしたのか。
「リボーンクンのことはごめんね。でも、しつこかったんだよ、優奈チャンに会わせろって」
「(白蘭さんが謝った)」
「そうなんだ、優奈さん。彼、あのパーティーが終わって3日後くらいかな、毎日毎日来たんだ。優奈さんに会わせろって」
「なんでそんなに」
「きみを返したいんだってさ、元の世界に」
「っ……そう」
ああ、どこまでも優しいのかあの人は。
こちらは散々拒否して、嫌な思いだってさせただろうに、なぜそんなにあたしのために。
「みんな優奈チャンが好きなんだね。妬けちゃうな」
「はあ?」
「僕ももっと早く会いたかった」
どんな思いでそう言ったのかはわからない。ただ、ものすごく切なそうなその言い方に、なぜだが胸が苦しくなった。
とりあえず、数日後のリボーンとの対面の件は了解して、あたしは部屋に戻った。できることならば会わずに事が済めばよかったと思うけれど、これで元の世界に戻れることになれば結果オーライなわけで。静かに心の中で彼らに会うための準備をした。
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