「優奈さん、弱いですねぇ」
「むうううっ」
薄らと笑うローランドさんと、手元に持っているジョーカーの笑みが重なった。わなわなと肩を震わせた後、あたしは盛大に舌打ちをして、カードを机の上に乱暴に置いた。
「女性ならもっとお淑やかにしないといけませんよ」
「そんなのどうでもいい。なんなの、なんでそんなにババ抜き強いの!?」
「……二人でやっていれば強くもなります」
にこっと笑顔を浮かべるローランドさん。彼の言う通りだ。たった二人でやるババ抜きほどつまらないものはない。ああもう、つまらない。ボフッとソファーの背凭れに身体を預け、カードを丁寧に集めるローランドさんを見ながら腕を組む。
様子見という名の監視だった彼に、最初は嫌悪感丸出しだった。だって様子を白蘭さんに報告されているんだと思うと腹立つでしょう。
それなのに、ローランドさんはそんな気配を少しも見せず、それどころか、こうして部屋でできる簡単なゲームを持ち込んできたり、面白い話題のネタを提供してくれたのだ。段々と警戒心というものは解け、今では“様子を見に来る友達”みたいなもの。
「優奈さん、」
「ん?」
「白蘭さんに顔を合わせる気はないですか?」
「ない。」
「即答ですか」
「……だって、イライラする」
そう、とっても。
数日前に廊下でばったり鉢合わせてしまっただけで、爆発しそうだった。色々と。考えなくてもわかってるけど、彼はマフィアで、しかもだいぶ冷酷な方に分類される人間。今までは大丈夫でも、これからどうなるかわかったもんじゃない。
だから、このイライラをぶつけることもできない。急に彼の中の何かがブチ切れて殺されるってことも、なくはないだろう。
「では、少し外出でもしますか」
「……無理でしょ。わかってると思うけど、あたしは別に自由人ってわけじゃないの。それにローランドさん、あんたが監視役でしょ、何言ってんの」
「すみません、冗談です」
冗談でも言っていいことと悪いことがあるという意を込めた視線を向ける。
でもさ、そりゃあ外出できるものならしてしまいたい気持ちの方が大半を占めているのだ。ずーっとこの部屋にいて退屈しないわけない、こうしてローランドさんが相手になってくれてるけどそろそろ狂いそうだよ。
深い深いため息をつく。
……このまま白蘭さんと会わなかったら、帰る方法もないなんて、嫌になっちゃうなぁ。
「優奈さん、お疲れでしょう、少し眠りなさい」
「ん、……」
椅子から立ち上がったローランドさんは、そのままあたしの目の前までやってくると、大きな手のひらを向けて目を覆うように優しく添えられた。ああ、真っ暗だ。本当は眠くなんかなかったのに、このまますぐにでも眠れそうなくらいの心地良さ。
フッと瞼を閉じる。
この人は手品師か何かなんだろうか。そんな考えを浮かび上がらせながら、ソファーに身体を横たえ、眠った。
「──さて、どうしましょうか」
****
スッと目を開く。目の前に広がった光景を目にして、ああ、こんなにも現実逃避がしたかったのだなと素直に思えた。
「優奈、おはよう」
「あら、起きたの?おはよう」
両親がいた。
飛行機に乗ったあの時と何ひとつ変わらない。
「おはよ、……!?」
笑顔の二人に返事をしたところで、視界がぐにゃりと歪んだ。
「優奈?あらあの子、どこに行ったのかしら」
「あ、あそこ、あそこにいたぞ!」
「え?」
「おーい!」
「ふふ、迷子になっちゃうわよ!さ、あなた、行きましょ」
「まっ」
あたしはここにいるよ。優奈は、ここにいる!なのに二人はどこを見ているの、誰を見ているの?ねえ、行かないでよ……ねえ!!
──待って、置いていかないで。
そんな言葉が出てくる前に、フッと、まるで蝋燭の火が消えたかのように両親の姿は忽然と消えた。二人が目指していた先にいた、知らない少女と一緒に。
「なん、で……いや、嫌だよ……」
「優奈」
「! だれ」
辺りは真っ暗で、何も見えない。
力の入った拳をふんわりと包み込む、誰かの温かい手を感じることはできる。
「それは、お教えできません。あなたの味方とだけ」
「味方?何それ、そんな人いたっけ」
「いますよ。そう、近くにね」
「……」
「本当に嫌になるほどの甘え下手だ。変わらない部分ですが、どうして改善しなかったのでしょうね」
「!?ちょっと、なにを」
「あんな夢を見てしまうほど不安を抱えているくせに、この世界を知って、一度泣いたきり。もっと他人を利用なさい」
見ることのできない誰かは、突然あたしの身体を包み込んだかと思えば説教をし出す始末。何様のつもりなのか、あたしの何を知っていると言うのか、言いたいことはあるのに言葉が出てこない。なんだろう、このどうしようもなく懐かしい感じ。
「ここで不安を曝け出しても構いませんよ」
「……」
「優奈」
「──、っ」
「そうです、泣いていい」
「ず、っと、白蘭さんへの、怒りで誤魔化してた。あの人のせい。あの人が憎い。元の世界に返して」
そう、そうして本当の気持ちを隠した。
そうしないとダメだと思ったから。だって、だって。
「こわ、い」
「……何がです」
「全部。世界も、他人も、自分自身も……あたしは、存在して」
「います。ここにいて、しっかり生きている。何も怖がることはない」
あなたに危害を及ぼすものもいない
あなたのご両親が消えることもない
あなたもちゃんと、帰ることができる
「──だからその時までは」
****
「ん、んん……!え、泣いて」
目が覚めた。なんだか、変な夢を見た気がする。ぱちりと瞬きをすれば、目尻からツツと流れた涙に驚いた。咄嗟に目を覆いながら、そんなに深刻な夢を見ていたっけ?と思考を巡らせるが不思議なくらいに覚えていない。でも。
「その時までは……」
それだけはしっかりと覚えている。
ぼんやりする頭で、その時って何だろう、帰る時だろうかと考えていると、景色がおかしいことに気づいた。いや、遅いくらいだった。
「車!?」
車内にいた。見るからに高級そうな外車で、きっと、寝転がっている椅子がふかふか過ぎたので気づかなかったのだろう(ということにしておきたい)。
なんでまたこんなことに。あたしを誘拐してメリットなどあっただろうか。待て、あそこに入れるのは限られた人だけだ……ということは、あまり考えたくないけれど、白蘭さんの仕業ってこともあり得る。
「逃げよう」
会いたくない。なら、逃げるしかないではないか。
ロックを解除し、ドアを開ける。地に足をつき、なんだか久しぶりにちゃんと地面に立ったなあという感想を抱きながら、辺りを一度見渡し走り出した。
その数分後、車に戻ってきた犯人が舌打ちをしたことを、あたしが知ることはない。
****
「走って来てみたものの……」
どうしよう。
とりあえず、それしか思い浮かばなかった。イタリア語も、もう無理だ。あの頃は必死こいて勉強して覚えたのにな、なんて、思い出したくないはずの記憶がフッと過ぎる。
首筋に流れた汗を拭いつつ、辺りを見渡す。
歩道を歩く人、人、人。たったそれだけ。言葉も通じない、知っている人なんているはずもない、この状況下がどれほど不安なものか。ごくりと唾を飲む。軽率に動きすぎた。
飛び交うイタリア語
カツンカツンと響くヒールの音
車のエンジン音
空を飛ぶ鳥の鳴き声
「──っ」
なぜこんなにも不安にさせるのか、至って普通の、よく耳にする音ばかりなのに。
嫌だなあ。なんだか、気持ち悪くなってきた。
行き交う人にぶつからないようになんとか動かして、車道側に建てられている街灯に身体を預けた。ふう、と息を吐き地面に落としていた視線を空へ移動させたのとほぼ同時だった。
「ねえ、」
「……」
あ、日本語。
馴染みのある言葉に素直に反応した身体は、何も疑うことなく、声のした方へ。
「ああ、やっぱりそうだ」
「!」
「大丈夫?具合、悪そうに見えるけど」
あたしの視界いっぱいに映り込んだ男。
そうだ、無駄に不安感を抱かせていたのは、これが原因だった。
ここには、“マフィア”がいるんだ。
会いたくなかった。その瞳、苦手なんだよ。
「、大丈夫です、気にしないで」
「白蘭は、いないの?」
「いません。」
黒い帽子を少しずらしながら周囲を見回して、ふうん、と相槌を打つ彼。
何を考えているんだろうか。あまり一緒にいたくないんだけど。そんな気持ちが隠し切れず、眉間にしわが寄った。
「ん、あはは、あからさま」
「!(見られた……)」
「オレ、そんなに嫌われることしたかなぁ、この間だってオレ見た瞬間倒れられちゃうし」
「……」
「だんまり、か」
そんなこと言われても、何も言えるわけないじゃないか。
あたしが岸本優奈だってことも、忘れていたはずの記憶が蘇ってしまったことも、何もかも、話したくない。
「暇だったらさ、お茶でも」
「しないです」
「(くそ、拒否すんのは早いのかよ)」
「あなたはボスでしょう?ひとりで何をしてるのか知らないけれど……」
危険なのでは、と紡ごうとしたその言葉は、プップと軽く2回鳴らされたクラクションによって掻き消された。
目の前にいる彼と同じタイミングで、車道の方へと視線を向ける。一瞬、あたしを攫った犯人を乗せた車かと思ったが少し違ったようでホッとしたのも、束の間。
「10代目!」
「!?」
「ああ、隼人……」
「お一人で出歩かないでくださいとあれほど、──って、そいつ誰」
ぞわ。
こんな、外で、しかもあたししかいない時に……なんて最悪なんだろう。今このタイミングであたしを抑えられる者がいない。
「い、や……」
「え?」
「来ないで、触らないで……!二度と、二度とあたしに──」
「落ち着いてください」
「っおまえ」
だれ、だれだ、あたしの視界を塞ぐ者。
「ローランド、ですよ」
「、ローランドさん……?」
「は、おまえ何」
「──まったく、驚きましたよ、寝ていたかと思ったら部屋から消えているのですから。さて、帰りましょうか」
キュ。
視界は覆われたまま。汗ばんだ手のひらを大きな手が包み込み、そのまま歩かされて行く。後方にいた気配はいつの間にやら消えていて、もう車で去ったのだろうか、それとも……。
「ローランドさん?」
「はい」
「本当にローランドさんなの?」
「ええ、そうですよ」
「……嘘」
あたし、今どこにいるの?
目を覆われている感じはしないのに周囲は薄暗い。何よりこの“彼”が纏う空気、ローランドさんも似ていたような空気を醸し出していたけれど、それよりもずっとずっと前、あたしはこの人と会ってる気がする。
「ほう?」
「あなたを知っている気がする。でも、名前が思い出せない」
「おやおや、悲しいことを言ってくれますね」
「!」
「クフフ、こんなに至近距離で僕の両目を見たことないでしょう」
薄暗さがフッと晴れたかと思えば、赤と青のオッドアイが、目の前に迫っていた。
ああ、ああ……そうだ、この人は。
「むく─」
「はい、上出来ですよ、優奈。」
にこり、両目が笑った。その瞬間、後頭部を殴られたわけでもないのに、グラッと視界が歪んであたしはそのまま、彼の胸に飛び込むように倒れ込んだ。
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