「あーあー、大丈夫かな。一般人がこの会場をひとりで歩き回ったら褒めてあげるって自分で言ってたのに……あははは、褒めてあげなくちゃね」
テーブルに置いたグラスを手に取り、ワインをぐいっと飲み干す。優奈チャンが落としてしまって割れたグラス、飛び散ったワインはウエイターに片づけを任せていた。せっかく綺麗なドレスだったのに……飛んでなきゃいいけど、なんて思っていれば、本当なら彼女を連れて挨拶に行くはずだったボンゴレのボスがやって来た。
「やあ綱吉クン、きみから来てくれて助かるよ」
「別に白蘭に会いに来たわけじゃない。ただ歩いていたら、珍しい組み合わせだなと思って……って、ディーノさん、どうかした?」
「ああ彼は、ちょーっと困惑中……ってところ」
「は?」
「悪い、オレ、トイレに行くわ」
口角を上げ妖しい笑みを作りながら彼を見れば、僕のこの顔でようやく我に返ったのか、貼り付けたような笑み(僕が言うのもアレだけど)を浮かべてこの場から足早に去って行った。
そのことに首を傾げる綱吉クン。
フフ、きみもそのうち、ああやって困惑することになるんだよ……。
「そういえば綱吉クン」
「え」
「日本はどうだった?愛しの京子チャンとはたくさんお話できたのかな」
「おまえには関係ないだろ(てかなんで日本行ってたの知ってんだよ)……とりあえず、今日は招いてくれてありがとう。存分に美味しい料理を食べて帰るよ」
じゃ、と短く言うと、綱吉クンは方向を変えて去って行った。
その背中が人混みに隠れるまで見てから、辺りをぐるりと見回す。ふん、優奈チャンは逃げ隠れる能力が長けてるみたいだ。あのハイヒールでどこまで逃げられるか楽しみだけど、“この世界を知ること”からは逃げられないよ。残念ながらね。
****
「まさか、な……」
いつになく余裕そうに笑う白蘭から離れて、オレはため息を零す。彼に近づいた理由は、珍しい組み合わせを見つけたから、じゃない。
舞台上にいた、女性が目的だった。
挨拶回りは白蘭だけだろうと思っていたのに、スピーチが終われば、彼女と一緒にこの会場内に歩を進めてきた。ならば、白蘭の傍にいるだろうと思っていたのだ。
見間違いならいいが、あの女性、飛行機の中で見た人とどこか似ていた。でもどう考えても一般人……白蘭と一緒にいることなんて、あり得ない。そう思うのに、この胸のざわつきはなんだろう。
「おいツナ」
「リボーン?どうしたんだよ、なんか焦ってるぞ」
「いや……ヴァリアーの奴らを見なかったか」
「え、ああ。……スピーチ終わってからは見てないな」
何か用事でもあった?と眉をひそめながら訊けば、リボーンは言葉を濁した。いつも目深く被っているボルサリーノを更に深く被り直して、オレに背を向けて人混みに紛れ込んで行った。
なんだろう。今日は、何かがおかしい。
「10代目!勝手に歩き回らないでください、いつ白蘭が」
「隼人、そればっかだな」
「で、ですがここが敵地であるのに変わりはありませんから!」
「獄寺、少しくらい警戒心解いてみろよ」
「山本っ、テメェはもっと警戒しとけ!」
タタタッと駆け寄ってきた隼人は、やはり警戒心の塊。そのことにやれやれと思っていれば、今度は正反対の山本がワインを飲みながらやって来た。この二人を足して、2で割ったら丁度良いんじゃないだろうか。
そんなことをぼんやり思いながら、さてどうしたものかとワインに口をつける。
「沢田綱吉」
「んっ、ああ、骸か……どうかした」
「いえ。僕の任務、しばらくはないとのことでしたね」
「なんだよ急に。先日そう言ったばかりだろ」
「クフフ、再度確認したまでです」
では僕はこれでお暇します、これ以上いると吐き気がする。と嫌悪感丸出しでそう言って骸は去って行った。相変わらずマフィア嫌いはそのままだ。そう思うと、なぜボンゴレファミリーに属してくれているのか不思議でならないわけだ。
まあ、彼も気まぐれなところあるしな。それにあの顔、何か企んでいる時の顔だったが、オレ達になんの害もなければいいけど。
****
「うっ、夜は冷えるなぁ」
パーティー会場から抜け出て、バルコニーにいた。廊下にいくつもあるのだ、一発でここを見つけることはできないだろうし、まず会場から抜け出す人なんていないだろう。
夜空に細かく散りばめられている星を眺めながら、腕で自身の腕を抱え込む。ストールの一枚でもあればもう少し寒さも緩和するだろうけど、と鼻をズズッと吸った。早く終わればいいのに……この世界のことなんか、知らないまま、帰ってしまいたい。
ギィ、
「!」
「おいテメェ……誰だ」
突然、背中に問いかけられる。知らない声に、肩がビクッと震えた。それにしても、なぜここがわかったのか、眉根を寄せながらも細々と言葉を紡ぐ。
「……白蘭さんの、勝利の、女神」
「ふざけてるのか」
「いえ、そう言われてますから」
それ以上でも、以下でもない。
この世界にあたしの存在意義なんて見出さなくていい。白蘭さんの勝手な我が儘によって、振り回された結果なんだもの。長居する気だってない、早く、帰りたい。
「おい、女」
「……」
「女、こっちを向け。」
「なぜ」
「逆らうんじゃねえ、カスが」
ピリピリとした雰囲気の中、これ以上逆らうのは身の危険だと判断したあたしは、渋々と身体の向きを回転させた。
目の前にいたのは、そう、舞台上から見た時に目が合った人。
漆黒の髪に映える、カラフルな羽と赤い瞳。
「クッ……ベルが騒ぐわけだ」
あたしの顔を見るや否や、口角を上げて怪しい笑みを湛える。何を言ったのか聞こえなくて、小首を傾げた瞬間だ。
ヒュッ
「っ!?いた、い……」
何かが頬を掠めたと同時に鋭い痛み。
手を添えれば、ぬめりとした独特の感触が指先に伝わって。血だ、とわかるまでさして時間はかからなかった。
「こここ殺される!?やだっ、誰か助けっむご」
「しししっ、別に殺しはしねえって」
「ん゙ん!?(いつの間に後ろに!)」
あたしの後ろには手摺しかなかったはずだが。いきなり現れた手は躊躇なくあたしの口を塞いできて、耳元に唇を寄せると恐ろしい言葉を吐いた。殺す殺さないとかの話は、やはり何日経っても慣れるもんじゃない。
「おまえさ、その顔とか……自前?」
クルッと、今度は勝手に身体を回転させられる。そしてそんなあたしの視界に映り込んだのは、いつだったか見た、目が隠れたあの金髪の男性だった。そのことに驚いて目を見開いていれば、両頬をぐいっと引っ張られて。
「いっいひゃっ」
「答えろ。」
「みゅりでふ……っ」
「あ、そっか」
引っ張られていては話したくても話せない。そんな意を込めた視線を送れば、金髪は手をパッと放した。しかしこの人、一般人かと思ったけどマフィア関係の人だったのか……ほんと、イタリアって昼間でも危ないのかも。ああ、今はそうじゃなくって。
「自前です!整形とか一切してません!」
「ふーん」
「聞いといてその反応!?薄いよ!(って、あたしはなんで普通に……)」
「じゃあ、名前教えろよ」
「いやです」
「あ?」
断りの言葉を述べた瞬間、金髪の声がワントーン低くなり、ぞわぞわと背筋に何か電気のような痺れが伝う。どうしよう殺されてしまうのだろうか、カタカタと小刻みに震える身体は正直だった。この人達、マフィアだから怖いのは当たり前だけど、それだけじゃない恐ろしさがオーラとして滲み出てる。
もう逃げられないよ、とギュッと目を瞑ったと同時、聞き慣れた可愛らしい声が耳に届いた。
「何をしているんですか!」
「おいテメェら、勝手にうろちょろされるのは困るんだがなぁ」
「“電光のγ”か」
「離れろ、“プリンス・ザ・リッパー”」
「チッ」
振り向けば、ユニちゃんとγさんがいた。幻でも見ているのか、なんだろう、γさんの身体が光っているような。殺意の籠った目をしながらこちらに来ると、金髪はサッと飛んであたしの背後から離れて行った。そのことに緊張が解けたのか、ふらりと傾いた身体は、γさんに支えられた。
「ったく、不安なことがあったら呼ぶようにと姫に言われてただろーが、アホ」
「……だって」
「だってもクソもねぇ。おいテメェら、早くこの場から離れろ、会場に戻れ。こいつに関わるんじゃねえ」
「やんのか、テメェ」
「待って、どうか怒りを抑えてください。今日のところは、戻って頂けないでしょうか……彼女も精神的に疲れています」
「……チッ」
大きな舌打ちをし、二人は会場に戻らずにこのバルコニーから飛び降りてどこかへ行ってしまった。こ、この高さから飛んで死なないのか……なんという身体だ。
「大丈夫でしたか優奈さん」
「う、うん。とりあえず」
「白蘭と挨拶回りに行った時から、心配ではあったんです」
「それで?」
「え?」
「パーティーに出席して、何かわかったことあんのか」
「──あ」
この世界のこと……あたしは、何かわかったのだろうか。いや、逃げてしまったから、よくはわからないままだ。でも冷静に考えていられなかったのだ、白馬の似合うどこかのボスを見てしまってから、今までの間。
とりあえず会場に戻らないかという提案に、あたしはγさんにお姫様抱っこされながら会場……舞台上に戻ってきた(嫌だと言ったが歩けないなら素直に抱っこされてろと言われてしまった)。ここならば、変な輩は安易に近寄らないとのことだからだ。
「やあ優奈チャン、戻って来たんだね」
「白蘭さん……!」
椅子に座って温かい紅茶を飲んで落ち着いていれば、何食わぬ顔をした白蘭さんが来た。あたしはもう警戒心バリバリだった。この男、何考えてるの、本当に。
「そんな目で睨まないでよ、悲しいなぁ」
「思ってもいないくせに。あんたのせいで、最悪なことになりそうだよ」
「……色々わかったみたい?」
「いや、全然。ただこれだけはわかる、この世界はあたしにとって、最悪だと」
「フフ、そこまでわかってれば上出来」
「白蘭、おまえどっか行ってろ」
「あっれー、γクンまで優奈チャンのこと好きになっちゃったのー?」
「はぁ?」
好きとかそういうのじゃねーよ、と眉間にしわを寄せながらγさんは言う。それにしても、γさん“まで”ってどういう意味だろう。そんなにたくさんの人に好意を寄せられた覚えはないが。まあいいや、あたしはもう白蘭さんの言葉に耳は貸さないことにしたんだ、知らない知らない大嫌い。フイッと視線をホールに向ければ、まだまだ賑やかで、これっていつ終わるんだろうかと思っていれば、一直線にあたしを捉える視線に気づいてしまった。
「……っ、またあいつ」
「え?」
「正一くん、お願い、あたしもう戻りたい!」
「でも、」
「でもじゃ―」
あのボルサリーノの男は危険なのだ。せっかく逃げていたのに、こんなに見つかり易い場所にいたら意味がないよ!焦る気持ちを抑えきれず、正一くんの胸倉を掴んでぐわんぐわん揺らしながら訴えた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、白蘭さんはホールにいた誰かを見つけて、口を開くのだった。
「どうしたんだい、綱吉クン」
にこっとした笑顔の視線の先。
ああ、見なければよかった。どうしてか、誘われるように視線をそちらに向けてしまって。そこには飛行機に乗っていた時、隣に座っていた男がいた。けれど、あたしの思考がそこで止まることはない。
その容姿と、“綱吉”という名前。
填まりそうで填まることのなかった歯車が、ガチッと音を立てて填まった気がした。
「いやっ……いやああああああっ!!」
思い出したくないのに、一度填まってしまえば、それからは記憶の波がドッと押し寄せて来て。あまりの膨大な量に頭は追いつかず、あたしは意識を手放した。
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