ブーッ、ブーッ
「……はぁ」
この前から言われてたけど、とうとう本人からメールで通知が来るとは。
from:幸村精市
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おはよう矢紘。
真田に言われたと思うけど、
どうして来てくれないのかな?
話があるから、是非来てほしい。
絶対だよ。あ、ひとりでね。
精市
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結構前から言われていたのだ、「おまえのことは幸村に話した。今度話をしたいそうだから病院に行け」と。あの仏頂面で。
でも行く気がなかった。
行って何を言われるのか、簡単に想像がついたからだ。あ、でも辞められるのなら行った方がいいのかな……ううん、あの幸村が簡単に辞めさせてくれるはずがない。
ガラ、
「……!」
久しぶりに教室へと足を踏み入れれば、クラスメート達はなぜか丸井の席付近に集まっていた。
「よう」
「……」
「なんじゃ無視か。……ブンちゃん、噂の矢紘チャンが来たぜよ」
「噂……?」
何か悪いことが起きたのかと察知するのには充分過ぎる言葉。そして、それを耳にした丸井が中心から抜け出てきた。その手に持つは、ボロボロに破られたりマジックペンで落書きされている教科書だった。
「おまえがやったんだろぃ?」
「……なんで」
「高橋が見たっつってんだよ!今はもうHRがあるから戻ったけど、日直で職員室行くためにこの階通ったらおまえが俺の机んとこで何かやってる姿を見たって……したらこれだよ」
は、とため息のような、呆れたような短い言葉が丸井から漏れたと思えば頬に痛みが走った。
「っ、」
「何が気に食わねえんだよ!この前は赤也、そん次は俺……次は誰のを狙うんだよ!?」
わなわなと震える丸井の握られた拳。
とうとう、部活外でわたしを殴った……今まで愚痴は言ってきたけど、暴力行為は絶対にしていなかった。でも、もう限界だよね……そんなことされてしまったらさ。わたしだって、耐えられない。
「──っ」
おかしいな、久しぶりに胸が痛い。
最近は罵声も暴力も慣れたし、彼らに対する態度だって冷たくして、極力自分の精神を追い詰めないようにしていたはずだったのに。
「何とか言ったら?」
「そうよ!丸井くんの教科書をこんなにするなんて最低!まるで恨みでも持ってるみたいにひどい有り様じゃないこれ!!」
「丸井くんに謝ってよ!」
「いや、それは謝って済む問題じゃねえよ」
わたしを非難する声で教室が埋まった。
恨みを持ってるみたい、か。菜子ちゃんは一体何がしたいのだろう?
もしかして、この前丸井がわたしの授業には出ろと言ったことが関係しているのか。少しでも心配した様子を見せたら、その人の何かを使い物にならなくさせ、そしてわたしがやったということにすれば……信用度はガタ落ち。
「―もう誰も信用なんてしてくれないのに」
「あ?何か言ったかよ」
「それ、わたしやってない、て言った」
もうこんな教室いたくない。嫌な視線を浴びながら授業を受けるぐらいなら、屋上でサボってしまいたい。今までちゃんと出ていたんだ、1ヶ月くらいサボり気味でも卒業くらいできるだろう。
机の上に置いていた鞄を持ち、わたしは教室から出た。後方からクラスメートがわたしに向かって色々言っているのが聞こえるけど、もうどうでもいいよ。
自由な時間を楽しむつもりでこの学校に来たけど、どうやら無意味みたい。
これなら、祖父母の監視の目があっても、氷帝で生活していた方が平和だったのかな。
「はぁ……」
「!何してんスか、矢紘先輩」
屋上へ行こうと廊下を歩いていれば、なぜか切原と鉢合わせてしまった。
眉間にしわを寄せてそう問う切原。
わたしのこと嫌ってる割には、意外と話しかけてくる。でも、無視だ。こんなとこ菜子ちゃんに見られたら、きっと切原の大切なモノがまた狙われる。
「ちょっと、質問には答え―」
「痛いっ……!」
横切ろうとすれば、無視したことに腹を立てのか手首をグイッと掴み上げられる。と、その反動で脇腹に電流が流れたかのような痛みが走り、小さな悲鳴を上げてしまった。
「──痛いっスか」
「当たり前でしょ。足に手に身体に、ボールを当てられてるんだから……痛くないわけ、ないよ」
「そーですよね」
「何しているのか、だっけ。これから屋上に行くの、教室にはいたくないから」
「また何かしたんスか」
「どうだろう……もう、わかんないや、あはは」
乾いた笑い声が漏れる。
わたしの表情にさぞかし切原は驚いていることだろう。最近鏡を見て気づいた、この顔は、表情がない。
まるで人生を諦めた人のようなソレを初めて鏡で見て、終わったな、と思った。何もかも終わりだと、後はもう祖父母の監視の下、社会の荒波に揉まれて過ごして暮らすのだろうと……最悪な人生だ。
「こんな運命なら、逆らわずに大人しくしていればよかっ──ゔっ……!」
「……先輩」
「ハァハァ‥ッ……くっ」
こんな時に、頭痛……!!
まさか学校でここまでひどい頭痛が起きるなんて思わなかった……薬、ああ、家だ、どうしよう。
壁に手をつき、頭を押さえながらしばらく大人しくしていれば治まるだろうと思っていたが、治まるどころか痛みが段々と増してきた。
クラッ
「……!!」
「ちょっ、先輩!?」
あまりの痛みと突然の目眩に、バランスを崩してしまった。が、廊下に倒れる衝動は一向に来ず、薄っすらと目を開ければ切原が支えてくれているのだと理解した。
「……構わないで」
「いや、でも」
「ちょっと不安定になってるだけ……少ししたら治るから。HR始まるよ」
「わかりました」
ゆっくりとわたしの身体を立たせると、切原は教室へと歩を進めた。
心配するの、やめて。
嫌っているのならとことん嫌って。
まだ何とかなるのかも、なんて気持ちをわたしに抱かせないで。弱い自分が戻ってくる。
あ……、
ダメだ、意識、飛ぶ……。
そこからどうなったのかわからない。
ただ、意識を失っている中でも誰かの必死な声だけは微かに聞こえていた。
・
・
・
・
・
・
「ん、……んん」
目が覚めたら、目の前は白い天井。
ゆっくりと身体を起こし状況を把握しようと周囲を見回せば、どうやらここは病院の一室のようで、ドアの向こうでは看護師が忙しなく行き交っていた。
ガララ、
「目が覚めましたか?」
「……はい」
「ご自分の病気は知っていますね」
「はい。最近までは落ち着いてたんですけど、またストレスが溜まり過ぎていたのかもしれません」
小さい頃から人間関係のストレスに悩まされていたわたしは、自律神経失調症になった。
祖父母を見ると、緊張すべきとこでもないのに動悸が起きたり冷や汗が出たり、また吐き気に襲われたりもして……ずっとその環境で過ごしていれば、治る可能性もほとんどない。
その理由もあり、こっちに越して来てある程度回復させようと思ってた。
1年間、症状は出なかった。
でも、今回菜子ちゃんのことがキッカケでまたストレスが溜まって……精神的にも肉体的にも追い詰められていたせいで、また症状が現れてしまった。家でちゃんと音楽療法は欠かさなかったのだけど、無理だったみたいだ。
先生に2日間の休養を病院で取るように言われてしまい、半ば強制で入院に決定。お金には別に困らないけど……1年後くらいに祖父母に会ったら、グチグチ言われるのだと思うと先が思いやられる。
深いため息をつき、テーブルに置かれた白い紙に視線を移す。この病室を訪ねるようにとメモを置いて行ったのだけど……ああ、見覚えのある病室だ。行きたくない気持ちを抑え、ベッドから出てその病室へと向かう。
本当は来るつもりなんてなかったのに……入院したのがこの病院なら、もう会うしかないよね……いること、バレてるみたいだし。
コンコンッ
「はい」
「……中津だけど」
「どうぞ、入って」
ガラガラと静かにドアをスライドさせれば、ベッドにはにっこりと微笑んでいる幸村が座っていた。1対1で会うのは、本当に久しぶりかも。
とりあえず症状は出ないでほしい。立海のみんなにはそういう話したことないし、何より知られたくないから。
「やっと来てくれたね」
「うん。入院、しちゃったから」
「フフッ、そうみたいだね。で、いきなり本題に入ってもいいかな」
大丈夫と言いながら、近くにあった丸椅子をベッドに寄せて座った。
「真田達に話は聞いたよ。矢紘、高橋を扱き使ったりイジメたりしてるんだって?」
「そう聞いてるなら反論はしない」
「どうして?」
「言うだけ無駄だから。どうせ幸村だって菜子ちゃんの言葉を信じてるんでしょ」
「心外だな。」
「え?」
「俺は、あんな嘘ばかり並べる子を信じるほどバカじゃない。話している時の調子を見れば嘘か本当かなんて一発だからね」
一瞬、暗闇の中に光が差した気がした。
幸村はわかってくれるの?
わたしは何もやってないって……全部、菜子ちゃんが悪いって、わかってくれるの?
そう思ったら急に何かが込み上げて来そうになり、胸元をギュッと押さえた。
一種の癖みたいなものだ。
不安な時、悲しい時、泣きそうな時に胸元を押さえて感情を抑える。負の感情をはっきり現すと、疲れてしまうから……精神的に。
「嬉しくない?俺は矢紘の味方だって言ってるんだよ」
「わかんない。ただ、少し苦しい」
「……苦しい」
「うん。毎日を過ごしていたみんなにわからなくて、病院生活の幸村にわかったことが」
「マネージャー、辞める?」
「え、」
「矢紘が辛いって言うなら、辞めさせてもいいと思ってる。でも、俺はこうも思う……辞めたら誰にも守ってもらえない」
「続けてても守ってもらえないのに、何を」
「それはどうかな」
「?」
「いや、こっちの話。真田に聞いた話が本当なら、全校に知れ渡ってるんだろ?だとしたら、女生徒が黙ってるはずないよね。
辞めたら、もう俺達は矢紘が呼び出されてリンチに遭ってしまうことを阻止することもできない、守れないんだよ」
矢紘が傷つく姿は、見たくないよと悲しそうに笑う幸村。
「幸村、」
「その呼び方嫌だな。前みたいに呼んでよ」
「……精市」
「うん?」
「わたし辛い、みんなに冷めた目で見られたり罵声を受けるのも、ボールを当てられるのも、全部全部辛い……!!
正直辞めたいよ!毎日のように身体に痛みが刻み込まれて……痛いし、嫌なんだよ、マネ業をするのも嫌になってきた。だって、みんなに何をしてあげればいい?ろくに運動もしてないのにドリンクを作る意味、タオルを持って行く意味は?部誌を書く意味、ボールを調達する意味は!?ないでしょ!?」
ドリンクを作れば菜子ちゃんが持って行く。
タオルを真っ白に洗えたと思えば、部員がわざとらしくぶつかってきて泥まみれにする。
部誌はほとんど真っ白だし、新しいボールを調達すれば、それはわたしへの凶器の道具となる。
何をしても、得することなんかない。
「ごめん」
「なんで精市が謝るの」
「部長として謝る。矢紘にそんな表情をさせたまま仕事なんか、させられないな。真田に言っておくよ……矢紘から退部届を出されたら素直に辞めさせてあげるようにって」
それが矢紘のためだ。
1年間、テニス部を支えてくれてありがとうと、窓の外を見ながら精市は言う。彼が今どんな表情をしているのかはわからない。
けど、声が震えている。
本当に辞められるの?
これで、みんなにボールを当てられることもなくなって、苦痛な日々から逃れられる?
でもそれでいいのかな。そんな気持ちが生まれるのは、途中で投げ出すのは一番卑怯なことだという言葉を昔から言い聞かせられていたからだろう。
「精市は」
「え?」
「精市は、わたしにどうしてほしい」
「それは俺が決めることじゃ」
「気持ちが知りたいだけ」
「俺は、辞めてほしくないよ。2年の時に矢紘が来て、正直マネージャーは要らないと思ってたけど、いつしかすごく必要な存在になっていた。俺が入院してからもよくテニス部を支えてくれていたと思う。これからも支えてもらえたらとは思うけど、」
「じゃあ続けてみるよ」
「えっ」
「はは……自分でも何言ってんだって思うけど、精市がそこまで信頼を置いてくれてるとわかったら辞められない。痛い思いは嫌だけど、とりあえず引退するまでは支えてみるよ」
それに部活って何かしら入ってなきゃ卒業も危ういし、と苦笑気味に呟く。
どうせ残りもわずか。
卒業してからのことを考えたら、きっと今の現状は軽いモノだと思う。だから、我慢くらいできる。
「矢紘。」
わたしの名を呼びながら手招きするから、ほんの少しだけ身体を精市に寄せた。
小首を傾げながら彼を見れば、にこりと優しく微笑んで。
ポンポン、
「!」
「泣きたい時は泣くこと。辛い時は溜め込まず吐き出す。いい?じゃないと、今日くらいの症状じゃ済まないよ」
「知って……!」
「前から矢紘は感情の起伏も激しかったし、時より苦しそうに胸元押さえてたから」
「よく見てるね、精市」
「まあね。仲間のことは、見るようにしてる」
そう言いながら優しくわたしの頭を撫でる精市の手は、とても心地良かった。
それから、精市と1週間に最低1回は会いに来るという約束をして病室に戻った。
ほんの少しだけ、引退するまではマネ業を投げ出さずに頑張ろうと思えた。ただ、これ以上ストレスは加えたくないから、みんなへの接触は極力避けて、感情もはっきり出さないようにしようと心に決めた。
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