「今日はよろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします。王者立海大と練習試合ができるなんて光栄です」
今日は絶好のテニス日和となった。
向き合うは真田と梶本貴久。
これは、菜子ちゃんの計画が始まる前から決まっていた練習試合だ。参加は決定事項。
燦々と輝く太陽の下、わたしは城成湘南中のレギュラーである若人くんに水道の場所を案内してもらい、そこでドリンクを作っていた。
「先輩、ドリンク運びますよ〜」
「まだ出来上がってない」
「あっそうなんですか?早くしてください」
「人数多いのわかってるよね。できれば手伝ってほしいんだけど」
「嫌ですよ。せっかく昨日爪を綺麗にしたのに、水仕事したくないですもん」
ムッとした表情をし、菜子ちゃんは方向転換をしてテニスコートの方へと駆けて行った。
水仕事と言っても、ただボトルに粉末入れて水を入れればいいだけじゃないか。さして爪に影響はないだろうに。と思ったが、そんなこと言う気にもなれず、静かに蛇口から流れ出る水を眺めていた。
結局ドリンクを運ぶことも菜子ちゃんはしなかった。14人分のドリンクを部室裏の日陰になる場所まで運ぶには相当力を使った。頬を伝う汗を拭い、少し遠い所からテニスコートを眺めていれば背後から足音が。
「初めまして、俺は梶本貴久。今日は暑いからね、マネージャーがいてくれて助かるよ」
「初めまして、中津です。お役に立ててればいいんですけど」
「ドリンクとかとても有難いよ」
「そうですか、よかったです」
さっきの若人くんじゃなくてよかった。彼、ルックスがいいと自分でも認めちゃっているから話すの少しめんどくさかったんだよね。
内心そう思いながら、目を細めて各々がアップしている風景を見つめる。
「勘違いじゃなきゃいいんですけど」
「?」
「立海に覇気が見られないような」
「……、そんなこと、ないと思いますよ?」
ううん、梶本くんの言う通りだ。
みんな菜子ちゃんやわたしのことで頭がいっぱいなのか、テニスに集中できていない。ほら、さっきからボールに振り回されてばっかり。以前なら取れていたはずのボール。
「部長、ここに…………?」
「あ、中津です。初めまして神城くん」
「どうも」
3年生レギュラーの神城玲治。
彼のことはちょっとだけ調べた。華村監督の一番の“作品”らしいから、それなりの実力者なんだろうとは思う。
「どうした神城?」
「試合、始まります」
「じゃあもう行かないとですね」
「ああ。そうだ、中津さんも行こう」
「えっ?」
キョトンとした表情で梶本くんを見れば、彼もまた不思議そうにわたしを見る。え、なに?
「試合を見て勉強するのもマネージャーの仕事だと思いますよ」
「……でも、」
「ドリンクやタオルは、試合が終わる少し前に取りに行けば充分間に合います。それに、他校のプレーも見たいですよね」
「何を戸惑ってるんです?試合見ちゃいけないなんてルール、ないじゃないですか」
二人に見つめられ、しばらく沈黙が続いた。
試合を見る
そうだ、マネージャーだからずっとドリンク作ったり、ボトル洗ったりタオル洗ったりしていなくちゃいけないわけじゃなかった。
ここ最近まるで試合風景を見ていない。というか、立海での部活中に試合を見ることがなかった。毎日、簡単にラリーを打っているか的当てをしているかだから。
パコーンッ!
「あ、始まった。」
「さて、では行きましょう」
「あっ、ちょっと」
試合が始まったのか、サーブする気持ちのいい音が耳に届いた。
それをキッカケに、梶本くんがわたしの手を取りコートへと連れて行く。抵抗はしなかった。……だって、試合を見たかったから。
“本当のテニス”をしている所を、見たかった。
パコーン、パコーンッ
「アウト!」
最初の試合は、
桐山くん・太田くんペア対、丸井・桑原ペアだった。……押されてる。
まだ始まって間もないけど、わかる。
だって前までは、言い方は悪いかもしれないけど、あんな相手に振り回されてなんかなかったはずだ。
「おいジャッカル!ちゃんと見えてんのか?アウトじゃねーかよ」
「見えてっけど」
ミスした桑原に突っかかる丸井。
この試合を見ている城成湘南中の人達は思うはずだ、あのペアってあんなにバラバラした感じだったか?と。
そんなことにも気づかないのが立海。
「なーんか動きバラバラじゃね?」
「……確かに」
「ダブルスとしての基本が欠けているよ!」
洋平くんの疑問に、梶本くんは小首を傾げながら同意。若人くんは直球だ。
でも反論する気はない。だって、その通りなのだから。丸井も桑原も、焦ってばかりで互いのことまで気が回っていない。ああもう、見ていられない。
「先輩っ、頑張ってください!!」
「……」
「あれ、どこ行くの?」
「すぐに決着付くと思うので、ドリンクを」
「手伝おうか」
「いや、いいです。4つくらい持てます」
少し素っ気なかったかな。
でも会話するのも疲れるんだもの……ああ、わたし、人とまともに関わる気すら失せている。
後方から聞こえる菜子ちゃんの声援を耳にしながら、部室裏の日陰へと向かう。
途中でタオルの存在を思い出し、部室から4枚手に持って出て、そこからドリンクを並べてある裏へと回れば、大きな物体が壁に寄りかかって座っていた。
無視を決め込み、手前にあった4つを両方の手に持って立ち去ろうとした時だった。
「丸井達のプレー、どう思う?」
「……」
「感想を言いんしゃい」
「……最悪。あれがダブルス?笑わせないで。あんなの一緒のコートにいるだけの、ただのシングルスと変わらない。いや、それ以下。
せいぜい今日の練習試合で、城成湘南中に笑われればいいわ。自分達の練習を見直して」
あれから全部の試合を見た。
D2は負け。D1も負け。
S3は勝ち。S2は負け。S1は勝ち。
結果、今日の練習試合は城成湘南中の勝ち。
ジャァアアア
この現状、部長が知ったらなんて言うだろう。
そんなことを思いながら水道でボトルを洗っていれば、菜子ちゃんがやって来た。
「先輩、ガムください」
「は?」
「丸井先輩、ガム切らしちゃったんですよ。で、この前先輩持ってたんで、今日も持ってないかなーって」
「そんな都合よく持ってない」
「なんだ、そうですか」
残念そうに地面に転がる小石を蹴る菜子ちゃんを横目にボトルを洗いながら思う。
ガム切らしちゃった上に、城成湘南中には負けた。今の丸井、かなり機嫌悪いだろうから、何か気に障ること言ったら一発でブチ切れるだろう。
はあ、とため息をつけば、横からスッと菜子ちゃんの腕が伸びてきた。
「な、なに……」
「ボトル洗うの、手伝いますよ」
「……いいよ」
「え、なんでですか?量も多いし、二人でやった方が効率いいじゃないですか」
そうですよねっ?と、小首を傾げながら言い、わたしが持っているボトルを取ろうとする。その行動に嫌な予感しかしないわたしは、必死にボトルを持つ手に力を入れる。
結果、それが嫌な方向へと持って行かれるのだけれど。
「そろそろ帰るぞ!っ何をしている!?」
「えっ」
真田が呼びに来たことにより、ボトルを掴んでいた手の力を緩めてしまった。
お互いに引っ張り合っていたボトル。
急に片方の力が抜ければ、相手の方へとボトルは思い切り引き寄せられるわけで。
「きゃっ」
中に入っていた残りの水が、まるで何かに操られているかのように飛び出し、菜子ちゃんの頭から降り注ぎ、彼女を水浸しにした。
おまけに尻もちまでついて。
傍から見れば、これは明らかにわたしが悪いことをしたように見える。
「矢紘っ!貴様、今日という日までこのようなことをするとは……ふざけるな!」
「待っ、わたしは」
真田の叫び声に寄り、立海はもちろん、城成湘南中までもが集まって来た。
危うい立場。
背中に冷や汗が伝うのを感じながらチラと菜子ちゃんを見れば、口元が歪んでいた。
「これは……どういうことですか」
「見たまんま。こいつ、後輩イジメにハマってるらしーぜ?最悪だよな」
「とにかくタオルを持ってくるよ。女の子が風邪をひいたら大変だからね」
「こりゃ派手に濡れてんね〜」
この状況を見れば、菜子ちゃんの心配をしてしまうのが普通……だよね。今更言い訳も聞いてくれるわけがないと、わたしは黙って俯いた。もう、反抗して殴られるのも嫌なのだ。
「とりあえずこうなった原因、教えてくれませんか?」
その言葉に視線を上げれば、梶本くんがわたしを見ながら言っていた。その雰囲気は、怒っているようにも感じる。
「ねえ、教えてくれますよね」
「あっはい。えと、ボトルを洗っていたら、急に先輩が来て、今までの居場所返してって言われたと思ったら急にボトルを掴んで来て」
「―必死に奪われないようにしていたら、急に矢紘が手を放した。そういうことだな」
「はい」
菜子ちゃんの言葉の続きを柳が言う。その際に、若人くんが戻って来て彼女にタオルを手渡していた。
「中津さんは、大丈夫?」
「え」
ポーカーフェイスは保たれたまま、梶本くんはわたしにそんな言葉をかけてくれた。
城成湘南中のみんなを見れば、なぜか心配そうな目がこちらを見ていた。菜子ちゃんではなく、だ。
「梶本、このような奴を心配する必要は」
「そうっスよ。大体、矢紘先輩のこと知りもしないくせに何偉そうにしてんスか」
「きみ、ちょっと黙ろうか」
「あぁ?なんだよ」
「俺は、中津さんの方が心配だなー」
「俺も同意見ですね。マネ業に必死になり過ぎて、いつか倒れないか心配ですよ」
今日知り合ったばかりなのに、まるで何もかもわかっているかのような口調で話を進める。というより、城成湘南中のみんなは察しが良いのか。若人くんなんか、その場の現状でしか判断しなさそうなイメージなのに……ほら、女の子好きだし。
立海のみんなにそれくらいの能力が備わっていてほしかった、なんて、もう望まないよ。
「これは立海の問題だ」
この一言を最後に、わたし達立海大テニス部は城成湘南中を立ち去った。
去り際、梶本くんに言われた言葉は、まさにその通りだと思った。
「恋は盲目って言葉があるけど、今の立海はそれと似てますね」
みんなの感情が恋なのかは知らないけど、菜子ちゃんのためならば常識外のことでも彼らはやって退けてしまう。そして何より、彼女のせいで自分達のプレーが劣っているなんてことに、まるで気づいていない。
情けないね、立海テニス部。
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