「待たせたな」
屋上へと辿り着けば、赤也を除いたレギュラー全員と菜子ちゃんがいた。その様子を見て、1時限目、サボる気なのだろうかと思った。
いや、それよりも、なぜ菜子ちゃんは泣いている?
「よくもそんな白々しい表情でいられるな」
「何を……」
「おまえ、高橋のことイジメてたらしいな」
「ほう、そうなんか?」
「ちがっ」
「では、これがどういうことか説明してもらいましょうか、矢紘さん」
冷たく言い放つ柳生の言葉で、みんなの視線はわたしから菜子ちゃんへと移った。一見泣いている様子の菜子ちゃんは、左手首を押さえている。そこに、何かあるの?
「朝練が終わった後、泣きそうな顔して話してくれたんだよ。おまえにイジメられてからずっと、苦しくて死にたくて、」
「──リストカット、」
「っ悪いとか思わねえのかよ!高橋がこんな目に遭ってるのはおまえのせいだろぃ!?」
「くっ、うぅぅ……っ丸井先輩、私はっ大丈夫ですから!」
「どこがだよ!」
泣きじゃくる菜子ちゃんに駆け寄るブン太。
知らないよ、イジメなんて。
むしろわたしがこの前からイジメられてるのに。
なんで、そんなに泣いて……自分で自分を傷つけて、レギュラーの視線が自分に集まって、それでいて腹の中では嬉しくて嬉しくて仕方ないのでしょう……なにそれ、歪んでいる。
泣きたいのはこっちだよ。
たった2日で、こんなにもわたしに向けられるみんなの視線が変わってしまったんだから。
「矢紘のことなど気にかける必要はない。高橋は充分我慢した、次からは俺達に任せろ」
「俺が気にかけてやらないと、おまえは無茶をするからな」
「ははっ、蓮二、お母さんみたいだ」
「誰が母親だ。……まったく」
「あぁそうだな。今までのマネ業においても矢紘は目に余る所があった。ここは鍛え直す他あるまい」
「少しは休め、矢紘。体調を崩されたら崩されたで、心配する奴が続出して練習にもならんからな」
「わかってるよー。でも、もう少しだから」
「仕方ない。手伝ってやろう」
―ポロ
「…………っ」
「あっ、おい矢紘!!」
「行かしときんしゃい、丸井。」
ブン太のわたしを呼び止める声が聞こえた。
呼び止められたって、どうせ次に降ってくる言葉は、今までやってきたことを否定するような残酷なモノだろう。わたしは止まらない。振り向かずに、走った。
授業なんて、そんなものどうでもいい。
クラスに行けば二人がいる。
顔なんて、見たくない。わたしを軽蔑したような目で見る彼らの顔は、見たくない。
「ひぅっ、う……っうぅ」
走って、走って、辿り着いた場所は保健室。
保健委員をやっているわたしは、今日先生が出張で保健室を1日空けていることを知っていた。
ドアの鍵もぴしゃりと閉じ、私はその場で泣き崩れた。
──もう、歩けない。
わたしの目の前に広がる暗闇に、出口なんて存在しなくて。そこから連れ出してくれる人もまた然り。
「うっ……うあぁあああああっ!!」
・
・
・
・
・
「では、確認テストを始める」
1時限目前、矢紘が屋上から飛び出してからずいぶんと時間は経ち、4時限目。数学だ。
一応復習はしたつもりだったのに、全然わかんねー!頭をガシガシと掻きながら問題用紙と睨めっこ。
「……」
人目を盗んで、チラリと後ろの席を見る。
仁王の前の席は空席のまま。
あいつは、確認テストとか内申に響くようなもんがある時は絶対に休んだりしなかった。
いや、そもそも俺が知ってる限り、矢紘が学校を休んだ日なんてないんじゃね?
「あっ、おい矢紘!!」
あの時、呼び止めてどうしたかったんだ?
泣いた矢紘に戸惑った。
なんで泣くんだよ?
悪いのは、おまえなんだろ……高橋を扱き使ってた上に、働きが悪いとイジメてたんだろ?
―その現場見たこともないくせに。
きっと誰かはそんなことを言うんだろう。
けどよ、実際に高橋のあの左手首のリスカ見せられちまったら認めざるを得ねえだろぃ。
信頼していた度合いが大きすぎた。
……こんなにも、ショックが、でけぇ。
「終了!後ろから回せー」
「なっ!?」
え、うそだろ。テスト終わった!?
キーンコーンカーンコーン
「最悪だー」
「ずっとこっち見とったな。なんじゃ、わざわざ俺の解答をカンニングしようと」
「んなわけねーだろぃ」
ガタ、と空席の矢紘の席に座る。
確かに仁王は数学得意だしカンニングすれば奇跡的な点数と巡り合えること間違いない。けどさすがに無理あるだろ、席が遠い。
「中津、来んかったな」
「ん」
「丸井は……今回のこと、どう思ってる」
「わかんね。正直混乱しててさ……だって、矢紘が赤也のジャージを切り裂くなんて絶対にあり得ねえと思う。だけど、高橋に『俺達レギュラーに近づくな』って言ったのは、強ち間違いでもないんじゃないかって」
「ま、あいつは寂しがり屋じゃからの」
居場所を取られたくないと思う一心か、はたまたコート外できゃあきゃあ騒ぎ立てる女と同じ気持ちで言った言葉なのか。
それを聞かされた瞬間は冷静なんて保てる余裕もなかったから、どうせ後者の気持ちだったんだろうと思ったけど……矢紘の場合、前者。
「でも、高橋に居場所取られたくないって気持ちで仲間にあんなこと言うのは許せねぇよ」
ガラ、
「……」
「……!矢紘、」
びっくりした。
突然後ろのドアが開いたかと思えば、そこにいたのはいつもの元気の欠片もない矢紘。
俺達を見るなりすぐに視線を逸らした。
「ごめん、ちょっと退いてくれる?」
「昨日、数学は確認テストがあるから休むなって言うたのは誰じゃったかなぁ」
「……」
仁王のからかうような言葉も無視し、矢紘は黙々と机の中に入っていた教科書やノートを鞄へしまい込んだ。
「わたし、帰るね。部活の時間には戻るから」
必要な言葉だけを俺達に告げると、鞄を肩にかけて教室から出ようとする。
「──おい」
「……」
「おいっ!ちょっと待てよ!」
二回目の呼び止めで止まる矢紘。
ゆっくりとこちらを振り返り俺達を映した瞳だけど、それは何も映していないような……生きた人間がするような瞳じゃなかった。
「おまえ、その態度ないんじゃねえの?」
昼休み中。
ざわざわと楽しい会話をしながら食べていた連中は、俺達の不穏な空気を感じ取り、シンと静まり返った。……見世物じゃねえっての。
「俺達と顔合わせた瞬間目を逸らしたり、仁王の言葉無視したり、態度悪すぎだろぃ」
「……それ、言うんだ」
「は?」
「今朝、目が合って誰よりも先に目を逸らしたのはあなた……丸井、でしょ。
最後にはっきり、言うから。
わたしは菜子ちゃんをイジメた覚えないし、赤也のジャージを切り裂いた覚えもない」
もう、決めたの、わたし。
たった2日で?
そう思うかもしれないけど、わかってしまったから。……何を言おうとしても、レギュラー達は聞く耳を持たないってことが。
だから最後に告げた。
──わたしは何もやってないって。
それでも信じてくれるかはわからない。
1年間みんなと共に頑張っていたけど、そんなわたしよりも信頼できるのはどうやら菜子ちゃんみたいだから。
可愛い後輩の方がきっと好きなんだろう。
「────っ」
保健室で散々泣いたのに。
まだ涙は枯れていないみたいだ。
ツツ、と頬を伝う生温い水をそっと拭う。
菜子ちゃんの計画通り、このまま嫌われることが前提なら無理に関わらなければいい。
どうせその時間も少ない。
できれば楽しい思い出で締めたかった自由な時間だけど、そうもいかないみたいだから。
ブーッ、ブーッ
「もう行かなくちゃ……部活、」
重たい腰を持ち上げる。
結局わたしは家には帰らず、近くの公園でずっとぼんやりしていた。警察が通らなくてよかったと思いながら、学校へと歩を進めた。
パコーン、パコーンッ
「何をやっている赤也!たるんどるっ!!」
「すっすんません副部長!……っと、そこにいるのは噂の矢紘先輩じゃないっスか〜!へへっ、いっきますよー!」
「―え」
ニヤリ、
わたしを見つけた赤也が怪しく笑った。
手に持っていたボールを高々と上げ、そう、あのポーズはサーブだ。……まさか!
そう思った時にはもう遅かった。
勢いよく打たれたボールは真っ直ぐ、かなりのスピードでこちらに向かう。
ぎゅ、と目を固く固く閉じた。
その瞬間、瞼の裏に浮かんだのは赤也。
今のような嫌な笑顔ではなく、もっと素直で、悪ガキで、憎めない可愛い笑顔を放つ赤也だ。
カシャァアアンッ
「……っ?」
「ヒャハハハッ!なーにビビってんスか!フェンス越しなんだから、ボールなんて当たりませんよ先輩っ」
シュルルル、と摩擦音を立て、ポトリと落ちたボール。なに怖がっているのかと笑う赤也。
怖かったよ。
……とっても、怖かった。
「っ、」
身体が震える。
わたしは、また出そうになる涙を必死に堪えながら部室へ駆け込んだ。
バタンッ
「はぁ……はぁ、っ、はぁ」
誰もいない。
菜子ちゃんはきっと外だ。みんなの練習をただ応援しながら見ているんだろう。
「わっ、すんません先輩!わざとじゃ」
「ん、わかってるよ」
「今度からは絶対に気をつけます!ってか、危険になったら俺を盾にしてください!!」
キュッキュッ、ジャァアア
「んっ」
蛇口を捻り、そこから出た水で顔を洗う。
泣いたって誰も信じてくれない。
それに、簡単なことで泣くのは、菜子ちゃんと同じ。わたしは、強くなりたい。
ドリンクを作って。
別に菜子ちゃんが持って行って構わない。わたしは、みんなの前には出たくないから。
汗臭いタオルとジャージを洗濯機で回して。
今日はあまり天気良くないから乾燥機に仕上げを任せて。
部室裏の倉庫に行って、状態が悪いボールを処分して。
最後は部誌と自己満足用のノートと写真。
でも今日は、ノートと写真は封印。
書く気にもならなかったし、写真にみんなの姿を写す気にもならなかった。あんなに顔が怖いのに、撮る気なんて起きるわけがない。
こうしてマネ業にだけ専念してると、案外レギュラー達とも部員達とも接することがないんだってわかった。
……以前だってマネ業を怠った覚えはない。
むしろ、みんなにタオルやドリンクを持って行く仕事まであって忙し過ぎたくらいだ。
ガチャ、
「ここにいたのか、矢紘」
「!……なに、柳」
「……弦一郎が、動く標的が欲しいと言い出した。おまえにその役目を任せると」
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