ベンチに座って少し水分を補給しようとすれば、丸井の怒鳴り声、侑士の叫び声が耳に入って来て。
その声にハッとして顔を上げればこちらへと一直線に向かって来るボール。試合が始まる前の、丸井からの強烈なサーブは、相手コートではなくわたしを狙って打たれた。
――逃げられない。
そう思ってわたしは目を瞑った。
ボールの痛みに、別に慣れたわけじゃない……痛いモノは痛い。けど、わたしが傷ついて彼の気持ちが治まるならそれでいいと思った。
これ以上は弱くなってほしくない。
わたしがそうさせてるなら、ここで傷ついて彼らの前から少しでも消えることができるなら試合にだって集中できるかもしれない。
スパアンッ
「っ、」
「な、なんだよ、おまえ……」
「―え?」
ボールを止めるインパクト音。
少しずつ目を開ければ、わたしの目の前には、遠くにいたはずの柳生がいて。地面から高く跳ねたボールを右手で華麗にキャッチする柳生に、丸井は鋭い目で睨みながら叫んだ。何しているんだ、と。
「何している、……守っただけですよ?」
「だからなんでだよ!おまえも俺らと一緒に高橋を守ろうって、必死だったじゃねえか!」
柳生の背中をじっと見つめる。
なんで、なんで……?
昨日の夜だって、真田達と一緒になってわたしのこと蹴ったり最低だと言ってた人じゃないか。なのに急に守るって、なに?
視線を背中からするすると落とし、柳生が右手に握るボールへ。
……右手に、ボール?
おかしい、柳生は右利きだ。え、左手にラケット持ってさっきの強烈なサーブを止めたの?
「…………」
もう一度柳生の背中を見つめた。
まさか、と頭の中にひとつの答えが浮かぶ。
でもこれを口外してしまったら、ここだけじゃない、全体に影響を与えてしまうかもしれない。
「試合、やらないんスか」
「!」
「はあ?おまえ、この状況見てよくそんなこと」
「それはそっちの問題やないですか。立海の厄介事をこの大事な試合に引き合いに出さないでもらいます?はっきり言わせてもらいますけど、ほんまに迷惑っすわ」
「やる、やるよ……」
「なら、はよコールしてください」
ふう、と息を吐きながらクルリとラケットを回し財前くんは言った。
そうだよ、こんな時に立海の問題を持ち込むなんて他校に迷惑かけるだけ。柳生に、そのボールを丸井に渡すよう促してから試合開始の合図をし、試合が始まった。
「……柳生、」
スコアを書くのを忘れないようにしながら、ベンチの後ろにいる柳生に声をかけた。
「はい」
「違うんでしょう?」
「何がです」
「柳生じゃない。今この場にいるのは、柳生の変装をした、仁王」
「……プリッ」
ああ、やっぱり。
でもここにいたのが本物の柳生だったら、わたしは確実にボールに当たっていた。
感謝はしている。でもどうしよう、仁王のいるべきコートはここじゃなくてCだったはず。今そこには仁王の変装をした柳生がいるってことで。
えっと、つまりどうすれば?
「何も言わなければ平気じゃよ」
「そういう問題?」
「おう。バラさなければ誰にも見破られんからのう、お互いパートナーの真似をどこまで追求できるかってことで、柳生も承諾済みじゃ」
「あの、」
「ん?」
「ありがとう、助けてくれて」
そう小さく言えば、後方から独特な口癖が聞こえた。それから次に、ため息。
「ダメですね、丸井くん」
「……うん」
柳生の口調に戻り、淡々と言葉を漏らす仁王にわたしは同意を示す。わたしのせいなのかな、とほんの一瞬視線を地面に落としたのと同時だった、テニスコートから鈍い音が。
ドゴッ、
「ぐはっ」
「……いい加減にしてくれます?」
ボールが頬に当たったのか、反動で倒れてしまっていた丸井。そんな彼に、財前くんがネット際に寄り、見下すように言い放っていた。
「本気でやらないけへん時に、何他のことに意識持ってかれとるんですか、丸井さん?」
「……うっせえよ」
「立海も堕ちたもんスね。柳生さんもそうでしたけど、他のコートもボロボロやったで……この程度なら余裕で潰せますわ、っ!」
「黙れよ!他校の奴らが俺らの何をわかってんだよ、偉そうに言うんじゃねえ!!」
身体を起こし、丸井はそのままネット際に詰め寄り、財前くんの胸倉を掴み上げて怒鳴り散らし始めた。止めなくちゃ……!
スコア表をベンチに置き、彼らのもとへ駆け寄った。
「今、試合中だからやめて!」
「そんなん、そっちに言うてくださいよ」
「……」
「っ、丸井、やめ……ってどこ行くの!?」
間に割って入るように行けば、丸井から今までで一番鋭い視線を向けられた。
――冷たい目。
それに驚いて、丸井に止めようと促す声は思いの外震えた。しかし丸井は、財前くんから手を離したかと思うと、クルリと方向を変えてテニスコートから出て行ってしまう。
「え、ど、どうしよう」
「あーあ」
「わたし連れ戻して―」
「いいっすわ」
「え?」
連れ戻して来ようかと思って足を一歩出せば、財前くんからそんな一言。
「戻って来ても、どうせロクな試合できなさそうですから。こういう勝ち方も癪やけど」
「でも」
「中津さん、その通りやで」
「白石くん……あの、本当にごめんなさい、立海に勢いがないのは絶対にわたしのせいで」
「せやったらどうにかしてくださいよ」
「財前!!」
つまらんなあ、とぼそぼそと呟いて財前くんもコートから出て行ってしまった。
申し訳ない気持ちでいっぱいだ。立海どころか、他校のモチベーションにまで影響を与えてしまっている。なんのための合宿なのか、わからなくなっちゃう。……うっ。
「っと、大丈夫か?」
「ごめんね。ちょっと目眩がしただけ……じゃあこの試合は財前くんの勝ちということで」
「おん。次は忍足くんと鳳くんか、氷帝対決や」
「そうだね、二人ともコートに入って」
支えてくれた白石くんから離れ、ベンチに戻りスコア表に結果を書いていれば、後方に誰かが近づいて来たのか影ができた。
「矢紘」
「侑士?それに、長太郎まで」
「矢紘さん、少し休憩してください」
「え、休憩も何も全然疲れてないよ?」
「今さっき倒れそうになっとったやろ。日差しも強いんや、木陰で休んできいや?その間のスコアは白石に任せとるから」
半ば強引にコートから出され、大人しくしとくんやでと念を押すように言うと、そのままガシャンと扉を閉められてしまった。
未だ納得のいかないまま、でも、二人の優しさに甘えることにする。身体の疲れはないけど、精神的には参ってる感じはあるから気だるいのは確かだもん。
かと言って、休むだけじゃ勿体ない。
木陰に行こうとする爪先の方向を変え、他のコートの様子を見に歩き出した。
パコーン、パコーン
「アウト!」
Aコートに来れば、一氏くんと亮が試合をしていた。2ゲーム差で亮が勝ってるけど、一氏くんも癖のある選手だからどうなるかはまだわからない。
フェンスの外から見ていれば、わたしに気づいたジローちゃんが近寄って来た。
「あれ、試合はー?」
「休憩もらっちゃった。侑士も長太郎も心配性だからさ」
「そっか。ってか、見てた!?あの四天宝寺の一氏って奴、さっきからすごくてさ!」
「モノマネが得意なんだよね。ああ、それが面白くてジローちゃん起きてるんだ」
「あったりー」
へらっと笑みを浮かべるジローちゃん。
まったく、興味がある時とない時じゃあ全然テンション違うんだから。呆れながらも、コートに目を向けていれば、突然手首を掴まれて。驚いて横を見れば、真剣な表情のジローちゃんがそこにいた。
「……?なに?」
「細い。」
「えっ」
「前より細くなった。最近食べてないからでしょ、ちゃんと食べなきゃダメだC!!」
「そんな、大丈夫だって……!
侑士にも言ったけど、合宿終わったら点滴打ってもらうつもりだし。ああ、心配性はここにもいたみたいだね」
「心配にもなるっ」
「ああっ!矢紘こんなとこいた!」
険しい表情のジローちゃんに、大丈夫だからと何度も言っていれば一際目立つ声が響く。二人揃って振り向けば、ぴょんぴょん跳ねながら駆けて来る岳人。Cコートだったはず。
「Bコート行ったら今休憩してるからそこら辺いるだろって言われたけど、あの周辺どこにもいねえし……そしたらこっちいるし!」
「ごめん、捜してくれたんだ」
「もーさあ、高橋って奴どうなってんだよ」
「……どういうこと?」
「そりゃ審判なりスコアなりはちゃんとやってるみてえだけど、うるさいんだって」
気が散るったらないぜ、と相当イラついているのか、フェンスをガシャンと掴みガシャガシャと揺らし始めた。榊先生の目がこちらに向いたので、急いで岳人の手をフェンスから引き離した。
「あと、」
「?」
「立海弱過ぎ。がむしゃら過ぎて隙がありまくりだった……クソクソ、練習にもならないっての!」
「あ、それはわかる!俺もさっき立海の桑原とやったけど、ダメダメ。あんな力任せのプレーじゃ俺には勝てないC」
「そっか……」
トーナメント頑張って、と声をかけ、少し散歩をしようかとコートから離れ歩き出す。
やっぱり弱くなってるよね。そうだよね、普段からあまり練習もしなくなっちゃったんだから、その分衰えるに決まってる。
はあ、と肩を落としながら歩いていれば、耳に川のせせらぎが届いてきた。
さすが景吾の別荘。これだけ広ければ、森だって川だってあるよね……少し日差しに当たり過ぎた、川で身体の火照りを落とそうかなと思いそちらへ向かい出す。
それに自然は結構効果的。
川や森なんかはリラックスできるから、わたしの気持ちを落ち着けるのにもいいかも。
ガサ、ガサ
「手入れがなってないなあ……」
まあ森だからどうでもいいのか、と思いながら草の生い茂っている森の中を進む。
――そして、
「わあっ!?」
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