夜8時、倉庫の前に来てください。
そんな文章が書かれた紙が、扉の前に落ちていた。きっと、隙間から通したんだろう。
「菜子ちゃんからか、」
グシャ、
自然と力が入ってしまい、紙をくしゃくしゃにしてしまった。もしかしたら、何かしらの証拠になるかもしれないんだから大切に取っておかなければ。
時間はあっさりと過ぎて行くもので。
赤也と一緒に離れた所で夕飯を食べ、痛む傷を我慢しながらお風呂に入り、ほんの少しだけゆっくりとした時間を部屋で過ごしていれば指定された時刻の5分前。
ギィ……
「バカかな、素直に行くの」
でも無視するわけにもいかない気がして。
静かに扉を開けて、廊下を歩く。
みんな各部屋で騒いでいるようで……うん、この分ならきっとバレない。
暗がりの中、倉庫の場所へと向かった。
まだ菜子ちゃんは来ていないみたい。
呼び出した本人が遅れるなんて普通しないよな、なんて思いながら木の幹にもたれかかっていると、足音が聞こえた。
「……」
ひとつじゃなかった。
ふたつ、みっつ……全部で5つの足音。
謀られた。
そう思うのに時間はかからず、逃げようと足を一歩出すがすでにわたしの目の前には5人の姿。
「よお、矢紘」
「高橋さんは来ませんよ。彼女にここへ来いと呼び出したようですが、また傷つけさせるわけにもいかないので」
「これ以上高橋を怯えさせては仕事に支障が出るからな、矢紘さえ動けなくさせれば邪魔も入らないだろう」
「……っそれ、本気で」
「冗談を言うように見えるか」
暗がりなのにキラリと鋭く光る真田の目は、本気以外のなにものでもないのだとすぐにわかった。
ああ、どうしよう。
動けなくなるまで、わたしは、殴られる?
ジリジリと詰め寄って来る彼ら。
わたしに逃げ場はない。それに、逃げたとこで彼らの足の速さに敵うわけがないんだ。
ゴッ、
「ぐぁっ」
「鳩尾って痛いよな」
「弁慶の泣き所も痛いだろぃ?」
ガツッ
「いっ、く、うぅう」
「高橋さんは毎日苦しまれているんですよ、あなたにイジメられて!」
バシンッ
「っつ」
柳生の平手がとても痛くて。
その間に桑原に殴られた鳩尾、丸井に蹴られた脛も痛くて、立っていられずに倒れ込んだ。
それからは、殴る蹴るの嵐。
今夜は気をつけろ、そんな景吾の忠告を無視したわけじゃないけど、鵜呑みにしていた部分はあるかも。
ドスッ
「──っっガハッ」
何かが逆流した。
何が出たかわからない、けどこの感じからして血が出た。内臓を傷つけられたのかもしれない。
「矢紘!きちんと覚えるようにと言ったはずじゃないか……!なぜ言いつけを守らない」
「……ごめん、なさい」
「謝って済む問題じゃないんだ!
おまえは、いずれこの組織を継ぐ、重要な存在となるのだからしっかりしなさい!」
「はい、」
「この本を今日1日で読んで1000字以内に思ったことをまとめなさい」
「──はい」
「っ、なん、でもする……」
「は?」
「分厚いっ本も、難しい参考書も、全部、読むし……マナーも、きちんと、勉強する……!!」
脳内で再生されているのは、祖父母との耐え難い生活。毎日が勉強だった。料理を食べている時ですらマナーがなっていないと怒られた。安息なんてなくて。
暴力すらなかったものの、あんなの暴力と変わらない。言葉と威厳は恐ろしかった。だからきっと、こんな風に行動で示してくれた方がいっそよかったのかもしれない。だって祖父母はわたしのことが嫌いなはずだから。
でも、
──でも、それでも、やっぱり、
「っもう辛いよ!」
縮こまったわたしから出た声は思いの外大きかったのか、暴行を続けていた彼らの動きがピタリと止まった。
しかしそれは、真田が破った。
ガッ、
「うっ、ぐぅうう」
「辛い?それをおまえが言うのか」
「あ゙、あがっ」
「高橋はおまえ以上に辛いのだ。陰でイジメを受け、そのことをずっと言えずに耐えてきた……その結果自殺未遂を何度としている」
ギュゥウウ、と首を絞める力が強まる。
ああ、わたし死んじゃうかもしれない。薄れる意識の中、そんなことを思った。案外冷静でいる自分を嘲笑いたくなる。
「それをわかっているのか貴様は!」
わからない。わからないよ。
わたし以上に辛いって、なに?
菜子ちゃんは、わたしの今までの人生で耐えてきた苦しみを全部受けたの?
違うよね。
だってあの子は普通の家庭に生まれた。
両親とも仲が良くて、部活のない日は両親と一緒にお出掛けをするって前に聞いた。それがとっても羨ましくて。
わたしには、そんな人いないのに。
ツツ、と頬を伝ったのは涙。
霞む視界の中、仁王の姿が目に映った……やっぱり何もしないで見ているだけの仁王。
「っ泣きたいのは高橋の方だろう!なぜ矢紘が泣く……おまえは、おまえはっ」
「おい真田、首締めすぎじゃないか」
ねえ、ねえ……
仁王は、なにを望んでるの?
わたし、全然わからない。
どうして突き放すこともしないの?
みんな、わたしを冷たい目で見て貶すのに、仁王だけはいつも通りに接してくれた。
それが、詐欺師だと思ってた。
飄々としていて掴みどころがなくて、何を考えているのかいまいちわからなくて。
だから、今も何を
どんな言葉を望んでいるのかわからない。
「 」
「!」
「俺は、テニス部を、乱す者を許さない……」
首を絞めていた真田の手が緩み、わたしは力なくその場に崩れ落ちた。
頭がほわほわする中、目の前にいる真田が次にどのような行動をしようとしているのかはわかった。テニス部では恒例となっている、真田の鉄拳が飛んで来る。わなわなと震えている拳がその証拠で、わたしはそっと目を閉じた。
あれを受ければ、意識は飛ぶ。
バシンッ
「っ、な」
「えっ」
「仁王くん!?一体、なにを!」
痛々しい乾いた音が夜空に響いた。
わたしの頬には、その痛い感覚はなくて、ゆっくりと目を開けば目の前には銀色の尻尾。
「これ以上はさすがにいかんぜよ」
「しかしだな……!」
「氷帝と四天宝寺から冷めた目で見られたいんか真田は?ククッ、物好きじゃのう」
「……わかった。今回はここまでだ」
悔しそうな声。それから、真田は別荘へと戻るのか踵を返して歩いて行った。丸井達も時々こちらを振り返りながら帰って行く中、仁王だけはこの場に残っていた。猫背の背中をこちらに向けたまま。
「っ、」
「!……中津?」
ふらりと身体が傾き、そのまま仁王の方へと倒れる。
数秒そのままの姿勢だったけれど、仁王が動いてこちらの方へと身体の向きを変えると両手でわたしの肩を支えながら、じっと見てくる仁王。その瞳を通して自分の姿が見えた……ああ、ボロボロだ。
「すまんかった」
ギュッと抱き寄せられる。
今のわたしに抵抗する力は残っていなくて、身体を預けることしかできなかった。
「賭けなんか、するんじゃなかったのう」
「……か、け…………?」
「最初から俺は、中津を信じとった。普通に接してたんも中津を信じとったからで、頼られたかったんじゃ、おまえさんに。
味方じゃから、助けてとか信じてとか言ってほしかった……言われればすぐに助けた。今まで何もしなかったんはプライドじゃ。何も言われてないのに助けるのもどうなんだろうと。中津は、俺のことを頼りにしてないかもしれんのに助けるのはバカみたいじゃと」
仁王は、わたしから「たすけて」という頼りにされる言葉が発せられて初めて助けるという行為に移そうと思っていたらしい。
なんで、こんな深刻な事態なのに、賭けなんか!
「ひど、いよ仁王……!」
「……」
「言葉なんか、待たないでよっ!今までずっと苦しくて、助けてほしかったのにっ」
「ああ」
「人の気持ちなんて、詐欺師の仁王にはお手の物でしょ!?どうしてわたしには―」
「好きじゃから」
──いま、なんて言ったの……。
「中津のこと好いとうから、気持ちを探るのは怖かった」
「そんな、の」
「どうとでも言いんしゃい。俺は好きな奴すら守れない最低な人間じゃき……やけど、この気持ちを否定することはせん。
──矢紘、今まで、すまんかった……!!」
ぎゅううう、と力強く抱き締める仁王の温もりがやけにあったかくて。少しずつ流れていた涙は、枯れることを知らないのか、止まることなく流れ続けた。
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