永久 | ナノ


「おいマネージャー!球拾い!」


コートに散らばった黄色いボール。

それを拾うのもマネージャーの仕事で。わたしはその呼び声に身体が強張るのを感じながら、フェンスの扉を開けて中に入った。



菜子ちゃんは、どこにもいなかった。



ベンチに座って休憩している立海のみんなを横目に見ながらボールを拾う。何事も起きなければいい、そう思っていたのにやっぱり彼らはそれを許してはくれない。



ドコッ

「ゔっ」


背中に何かがぶつけられた衝撃。

感覚でもう覚えてる、これはテニスボール。
ズキズキと痛む背中に顔をしかめながらボールが飛んできた方を見れば、そこには丸井。



「矢紘、赤也に何言ったんだよ!」

「何も言ってない」

「嘘だろ!?だったら、なんであいつ……高橋のこと裏切ったってのかよ!
散々痛みつけられてたのは高橋だろぃ!それをずっと見てきたのに、急に裏切るかよ普通……あり得ねえだろ!!」


「ずっと、見てきた?」

「ああ」


その言葉に、つい睨みつけるように丸井のことを見た。久しぶりに目を合わせた、そんな感覚がした。



「現場を―」


見てもないくせに、そう言おうと思った言葉は、遠くから聞こえた悲鳴に掻き消された。



「なんだ!?」

「この声、高橋じゃねえか?」

「こうしてはおれん。行くぞ」

「ああ!」


ラケットを捨て、悲鳴のもとへ向かう。

コートに残ったのはわたしと柳。
どうしちゃったんだろう立海……みんな、テニスよりも菜子ちゃんの方が大切なの?


こんなの、精市が望んだテニス部じゃない。



「早く戻したい」

「……矢紘?」

「こんなんじゃ精市が可哀相!精市は、みんなが一生懸命テニスに打ち込んでる姿を望んでるはずだよ。なのに、今の立海はテニスどころじゃないし、みんなの実力だって確実に落ちてる。
彼がそのこと知ったら、絶対に悲しむ」


今まで練習試合でも何でも、菜子ちゃんが書いたスコアはどれも最低記録。タイムが。

1ゲームにかける時間が長すぎる。
それほど相手に引っ張り回されてる証拠だし、菜子ちゃんのことが気になって仕方ないんだ。



「おまえも戻りたいのか?」

「……」

「テニス部を戻したいという気持ちは充分に伺える。だが、肝心の矢紘の気持ちがないだろう」


「わたしは、必要ないよ」


ハッと乾いた笑みを零しながら言う。柳には背中を向けていたから、彼がどんな表情をしたのかはわからない。





「来い赤也!おまえには罰を与えねばな」

「っ」


耳に届いた言葉に驚いて、後ろを振り向く。

向こうから赤也の腕を掴み上げ、こちらに歩いて来る真田。それから怒っているような悲しんでいるような表情をしている丸井と桑原……そんな彼らの一番最後に菜子ちゃん。

不穏な空気を纏う立海に気づいたのか、ラリーをしていた人や自主練をしていた人が自らの動きを止め、そちらに視線を向けた。そして、違うコートでダブルスの作戦でも練っていたのであろう柳生と仁王も戻って来た。



コートの中へとズカズカと入って来ると、真田は赤也をぐいっと引っ張り、勢いに負けた赤也はそのままバランスを取ることができずに倒れた。嫌な予感がする。



「赤也……!」

「せん、ぱい……」


痛々しい痣。見ればわかる、これは真田に殴られたのだ。
ああ、涙が出そう。どうして彼らは、こうも簡単に仲間を傷つけられるのか……理解できない。



「なんだ矢紘、おまえもボールの的になるか」


反対側のコートに移動していくレギュラー達。
柳も並んでいたが、あの感じからしてボールは当ててこないと思う。でもそんなの、卑怯だ。



「矢紘せんぱ、い……逃げてください」

「そんなことできない!だって、わたしのせいで赤也がこんな風になって」

「違う。先輩のせいじゃ、ないっスよ」


へらっと笑って見せる赤也に、胸が痛んだ。

震えてるよ。ほんとは怖いくせに、なんで意地を張るの、赤也……バカだよ、ほんとうに。



「俺が、高橋を呼び出しただけっス」


そしたら逆に嵌められちゃいました。そう言って、小さくため息を吐いた。……だから菜子ちゃんも赤也もいなかったんだ。でもほら、やっぱりわたしのせいじゃないか。

ぐるぐると脳が回る感覚。
こんな時に気持ちが悪いなんてタイミングが悪い。だけどここで逃げちゃダメだ。赤也を見捨てられるわけがない。



ガシャンッ

「おいテメェら何してんだ!」

「氷帝は引っ込んでろよ」

「そういうわけにもいかな―……矢紘?」



「宣言するならしていいよ。ただ、これは立海の問題だから景吾達は黙っていて……お説教は終わってから聞くから」



スゥ、と静かに深呼吸した。

自律神経失調症になった原因はストレスもあるけど、自分の性格にもあるのだ。

溜め込むから。悩みも全部。嫌だと言いたくても言えず、祖父母の命令通りに動いて我慢して勉強もいっぱいした。



「辛いことは溜め込まずに吐き出す」



病院で精市にそう言われたっけ。すごいなぁ、精市はわたしの悪い癖まで見抜いちゃうんだから……。ギュッと拳を握り締めて、反対側のコートにいる真田達を睨んだ。



「なんだ、その挑戦的な目は」

「わたしが裏切ったとか赤也が裏切ったとか、あんた達はそれしか言えないわけ!?」

「なに?」

「今までずっと我慢してた。このまま嘘も見抜けずにいるなら、もういっそのことそのままでもいいと思ったから!だってわたしには、今後立海テニス部がどうなろうと関係ないんだもん。
だけど、事情が変わっちゃった。みんなのテニスへの気持ちは、菜子ちゃんより低いんだね、失望したよ!!」


「おまえっ、おまえに何がわかるんだよ!」

「わからないよ。どうして菜子ちゃんのことばかり気にしてるのか、わかりたくもない」



みんなはさ、一体何がしたいの。


そう言えば言葉を詰まらせた。
どうせ、理由なんてみんなわかってない。

菜子ちゃんが傷ついた。
じゃあわたしに罰を与えよう。

もうその繰り返しなんだ。



「誰かを一生懸命信じるのってすごいと思うけど、みんなの場合盲目過ぎる!赤也すっごい苦しんでた。ずっと、誰かさんからの圧力を気にして、何もできなかったって泣いてたよ」


「先輩……っ」

「あんた達が後輩を、仲間を怯えさせてどうするの!?こんなんじゃ誰にも勝てないよ!」

「選手でもないおまえが何を言うか!」


怒鳴り声とともに、ヒュンッと切れのいい音が聞こえた。そして次には、腹部に痛み。


「っ!!」

「矢紘!おい真田テメェふざけんな!」


「規律を乱す者には丁度良いだろう」




「おい、なんなんだよあいつ……人間の心持ってねえの?くそくそ、なんか気持ち悪い」

「ああ……俺もさっきから吐き気がするわ」



ガシャンッ

「矢紘大丈夫かぁ!?」

「コラ金ちゃん、大人しくしとき」

「なんでなん!?こんなん見てられへん……それに、テニスは人を傷つける道具あらへんやん」



立場が悪くなっているにも関わらず、真田からの威厳は消えない。それほど、自分自身を信じ切っているということかもしれない。笑っちゃうよね、本当はすべて間違っているというのに。


「さっ真田先輩!もうやめましょう」

「何を言っている高橋。おまえのためだぞ」


「いえ、真田くん。ここは一旦止めましょう」


「……ふん」



ギロリと鋭い視線をこちらに向けてから、真田は踵を返してどこかへ行ってしまった。その後を追ったのは丸井、桑原、柳生、菜子ちゃんの4人で、仁王だけはまた違う場所へとふらふら歩いて行った。



「っ……」

「大丈夫っスか、先輩」

「赤也は……?」

「俺は、大丈夫っスよ」


腰が抜けた。ゆるゆるとその場に座り込めば、倒れている赤也に心配され、フェンスの向こうから見ていることしかできなかった氷帝や四天宝寺のみんなが入って来た。



「バカ矢紘!!」

「う、」

「ちょっと待て岳人、おい矢紘、大丈夫か」


涙を溜めながらバカバカと言い続ける岳人を押し退け、わたしの顔をじっくり見るように亮は視線を合わせた。彼はいつだって、わたしの異変に誰よりも先に気づいて、心配してくれる。大当たりだ。


「きもち、わるい」

「ああ……ちょっと悪い、通してくれ」


ぐいっと腕を引っ張られながら立ち上がると、亮の肩に支えられながらゆっくりと歩を進める。


「柳……」

「ああ、赤也は俺に任せろ」


横を通り過ぎる際に彼に言葉をかければ、何を伝えたいのかわかったらしい。入れ違いになるように、柳が赤也のもとへ向かった。



なんだかグチャグチャだね。

前みたいに、戻ってくれるかなあ……?








ぼふんっ

「大丈夫か?」

「んー、一応、洗面器とかあると助かる」

「わかった」


部屋に着き、ベッドに寝かされる。ドクンドクンと落ち着きなく脈打っていたのが少しだけ治まった頃、洗面器を持って来た亮と、怖い顔をした景吾と白石くんが一緒に入って来た。



「宣言していいんだろうな」

「うん」

「だったらおまえらの問題に首を突っ込む真似はしねえ……ただ、危険だと判断したら何を言われようとも突っ込むからな」

「跡部くん、それでええんか?中津さん、もうかなり傷ついてるやん。見た限り、立海での味方っちゅう奴は少なそうやし」

「矢紘が決めたことだ。俺様は守るだけだぜ」


納得のいかない表情を浮かべる白石くん。そんなの当たり前だ、普通こんな人間が近くにいたら助けてやりたいと思うし、見ているだけだなんて、歯痒くて仕方ないだろう。



「お願い白石くん」

「……」

「四天宝寺のみんなまで巻き込みたくない。菜子ちゃんに何か言われても、普通に接してくれたらいいから……ただ、立海のみんなの癇に障るようなことだけはしないでほしい」


今は、テニスに打ち込んでほしい。

そのための合宿なのに。これじゃあ逆効果だ、みんなの実力が下がってしまう。



「わかった。……中津さんの気持ちようわかったわ、あいつらにも言っとく」

「ありがとう」

「お礼なんて言わんといて」


ぽん、とわたしの頭を撫でると、苦しそうな笑みを浮かべて白石くんは部屋を後にした。

彼の言い方からして、四天宝寺のみんなは何がどうなっているのかを理解しているみたいだ……やっぱり、なんか苦しいよ。わかってくれるのは、違う人達。




「矢紘、今夜は気をつけとけよ」


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