「もう大丈夫なん?」
赤也が落ち着きを取り戻してから、わたしは仕事をすると言って部屋を出た。眩し過ぎる太陽に目を細めながらコートへ向かえば、謙也くんが話しかけてくれた。
「うん。さっきは取り乱してごめん」
「わかってくれたんならええんや。今度からはあんなこと言うんやないで?」
「了解です」
ぽふ、と頭に乗せられた手のひら。
照れ隠しなのか謙也くんはそっぽを向いていた。本当は菜子ちゃんにも見られてしまうこの状況で、こんな風にされるのは困っちゃうんだけど……でも、嫌な感じもしていないし、正直言うと嬉しくもあった。
しばらくしてから、「頑張れよ」と言葉を残して駆けて行った。
「ずいぶんあいつと仲が良いんじゃのう」
「……何か用」
「そんな冷たい態度じゃとモテんよ?」
「関係ない」
眉間にしわが寄るのは抑えられなかった。不快感丸出しにしながら、わたしは試合が始まるであろう第1コートへ向かう。
ダブルスの試合。
丸井・桑原のペアと金色くん・一氏くんのペアが対戦するようだ。
ベンチに座ると、たぶん睨まれるからコートに近い場所でスコアブックを持って立つ。
桑原のサーブから始まり試合が開始される。こうしてスコアを書くのも久しぶりな気がするなと思いながらペンを走らせた。
「行くわよユウく〜ん!」
「OKやで小春!」
面白いテニスをするなあ、二人は。
つい頬が緩んでしまう。
あんな風に楽しそうにテニスをやっている姿を間近で見れるのは嬉しいものだ。
「ぶっはははは!」
「おい笑ってる場合じゃ‥ぶふっ」
うん、この試合は四天宝寺の勝ちかな。
二人とも笑いのツボは比較的浅いから、彼らと対戦するのは難しいかも。それにしても、丸井も桑原もああやって笑えたんだね……なんだか長い間、見ていなかったみたい。
いや、実際見てないんだけど。
「ゲームセット!
ウォンバイ金色・一氏ペア 6-2!」
両者からありがとうございました、と明るい声が響く。立海の方もなんだかあまり悔しいといった感じは見られなかった。
スコアを書き終え、スゥと息を吸いながらフェンスに寄りかかろうとしたが、ドリンクを渡していないと気づき日陰に置いてあったボトルを4つ取りコートへ戻った。
「試合、お疲れ様です」
「あらありがとう!」
「どうせ不味いんちゃうん」
「なに言うてんの一氏コラ」
「す、すまん小春」
四天宝寺の二人に渡し終え、次は立海かと思いながらタオルで汗を拭く二人を見た。
……行きづらいなあ。
金色くんや一氏くんの場所から離れることなく、しばらく立ち止まっていたのを彼らも不思議に思ったのか肩をポンポンと叩かれた。
「!」
「向こう、行かへんの?」
「……い、行きますよ」
「そういや昨日騒ぎあったよな。俺らが駆け付けたら関係ない言われて追い払われたんやけど、立海、なんかあるんか?」
一氏くん直球過ぎる……その言葉にどう答えていいかわからず困っていると、金色くんが彼の頭をど突いた。い、痛そう!
「女の子を問い詰めるなんて、ユウくん最低だわもう!浮気してやる!」
「なっなんで浮気に繋がるん!?」
「丸井きゅーん!桑原きゅーん!」
「小春ぅうううう!?」
ボトルを2つ金色くんが私の手から取ると、そのまま二人のもとへ走って行ってしまった。ああ、優しい人だな。
あまりにも面白いことをしながら行くから、わたしは小さく笑った。
・
・
・
・
・
「あっちぃー」
「つかドリンクまだかよ」
ふう、と息をつきながらタオルで汗を拭いていると、反対側コートにいるお笑いコンビのもとに矢紘がドリンクを持って行く姿が。
なんで向こうが先なんだよ。
普通俺らのマネなんだから、俺らにまず……。
そこまで考えて、止めた。
来る必要ないじゃん。
だってあいつ、高橋のことイジメて、謝る気も更々ないって感じですっげえムカつくし。
「あ」
睨みつけるように見ていれば、ふと矢紘から笑顔が零れた。もうずっと見ていない表情。ってか、あんな表情できねえよな。
……ん?
いや、イジメてんのが矢紘ならいくらだって笑えるだろぃ。俺らからの罰を受けたくらいじゃイジメ止めないくらいだし、よっぽど高橋の傷ついた姿見て笑って……。
「久しぶりに見るな、あいつのあんな顔」
「なあジャッカル」
「ほんとにあいつ、イジメてんのかな」
そんな言葉が口から出た。
俺自身ビックリして、思わず口元に手をやる。
矢紘が、イジメをしてない?ハッ、そんなバカなことあるわけねえだろぃ。
「正直、俺もわからねえんだ」
「ジャッカル?」
「昨日赤也が急に高橋を殴ったろ?あの赤也が脅されたくらいで命令に従うかって考えたら、首傾げたくなるんだよ」
「そうなんだよなー」
けど、そこで認めたくない自分がいる。
だって嫌だろ。今までのことが全部逆とか、そういう展開になってみろぃ……俺ら、一体どうしたらいいんだっつの。
「もうさ、引くに引けねえ感じっつーの?」
「ああ……って、なんであいつらがこっち来るんだ!?」
「丸井きゅーん!桑原きゅーん!」
もっとちゃんと、考えればよかったんだ。
逃げなきゃよかったんだ。出口が見えそうだったのに、俺達は道を間違えて進んだ。
・
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・
午前の活動が終わり、お昼。
汗をかいた選手達はシャワーを浴びているのだろう、食堂には今わたししかいない。
シェフが厨房で料理を作ってくれてはいるが、運ぶ仕事まではさすがに行き届かないため、テーブルに並べる作業はわたしがやっている。
「今日どうしよう」
美味しそうな料理を運びながら思う。食べたい気持ちは充分にある、でも、食べたところですぐに戻してしまうかもしれないという不安。……しばらくちゃんと食べていなかったから、そろそろ景吾やジローちゃんに何か言われてしまうかも。
ギィ……
「!」
「……なんじゃ、おまえさんだけか」
一番乗りは仁王だった。
ガタ、と席に座り頬杖を突きながらわたしを見ているのだろう……視線を感じつつ、わたしは運び切れていない料理をテーブルに運ぶ。
仁王はわからない。最初から、ずっと。
味方にも敵にもならない。
蹴ろうと思えば蹴れるのに、部活でリンチ状態に遭った時に少しだけ見えたけど、仁王だけはみんなの輪から少し外れた所で静かに見ていただけだった。
「辛いか?」
「っ?」
「今、おまえさん辛いんじゃなか?」
「……どんな返答を望んでるか知らないけど、あまり話しかけないで」
なにを望んでいるの。
わたしにどんな言葉を望んでいるの。
急に話しかけられたため、仁王の目とばっちり視線が合ってしまったがすぐに逸らした。
それからは何も会話はなく、しばらくすれば選手達、そして菜子ちゃんがやって来た。
にぎやかになる食堂。
さて、わたしはどうしよう。わたしの分があるとはいえ食べる気分でもない。でもこのまま出て行ったら食べませんってこと主張してるし、氷帝のみんなに心配される。
カチャ、
「……」
考えに考えた末、自分の分の料理を持って部屋に戻ることにした。のだが、そんなわたしの背に声がかけられた。
「先輩!」
「……え、赤也?」
「へへっ、一緒に食べません?」
驚いたのはわたしだけじゃない。
氷帝も立海も驚いたらしく、彼らのいる場所だけシンと静まり返った。こんなに堂々と宣言されても、困るなぁ、しかも可愛い笑顔で。
「赤也くん?一緒に、食べないの?」
「そうだぜ赤也。そんな奴放っておけって!」
「やはりまだ脅されてるのか?」
「おいテメェら……」
立海からの言葉を耳にし、それが頭にきたのか景吾が席から立ち上がり口を開いたが、その前に赤也からとんでもない言葉が。
「すんません先輩達!
俺、高橋がいる場所で食べるより矢紘先輩と一緒にいた方がリラックスできるんで」
「なっ」
「赤也!?おまえは自分が何を言ったか―」
「んじゃ先輩行きましょっか!あ、ピクニック気分で外で食べるのとかどーです?絶対気分最高っスよ」
「え、ちょっと、赤也……っ」
背中を押され、抵抗する暇もなく食堂から二人して出た。
混乱した。急にこんなことできるほどの覚悟ができているのかと……でもしばらくして、わたしの背を押す彼の手のひらから伝わってきた。
「赤也、無理してる」
「し、してないっスよ!」
「嘘。」
「うぐ……なんでバレたんスか」
ピタリと動きが止まったので、振り返って赤也の表情を見れば、緊張のせいなのか少し顔が青ざめていて。
「ね、少しずつでいいんだよ」
「わかってるっス」
「そうかなあ?まあ今は仕方ないか、今更戻れないし、外でピクニックしよ」
そう言って笑えば、赤也も笑った。
ガチガチに固まっていた表情が、少しだけでも和らいだみたいでよかった。
午後は、何事もなく過ぎてくれたらいいな。
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