コンコン、
小さく扉をノックすれば、中から少し元気のない切原の声が聞こえた。わたしが来たのだとわかっているのだろう、入ってください、との言葉が。
ギィ
「……柳に聞いた。話、聞くね」
「はい。あ、そこ座ってください」
ベッドの近くにあったソファーを指差したので、そこに腰を下ろした。
切原の頬には湿布が貼ってあり、昨日の夜に真田に叩かれたやつだろうとすぐに察しがついた。
「俺、実は高橋と幼なじみなんスよ」
「……え?」
「まあそんな関係、どうでもいいっちゃいいと思いますけど結構重要で」
幼なじみとは驚きだった。だって、今までそんな風に見えたことは一度もないのだ……むしろあまり仲が良いとは言えないような。
「小さい頃、なんスけどね」
「うん」
「近所のダチと一緒に公園で遊んでて、その中には男と普通に遊んじゃうくらい活発な女子がひとりいたんス。高橋は、その事実知らなくて……んで、たぶん公園で俺らが遊んでる光景を見たんだと思う。その一緒に遊んでた女子の噂を回したんだ」
あの子は赤也くん達に近づくために、女の子を脅してる。
女の子の前ではひどいこと言う。
裏では赤也くん達のこと嫌ってる。
「でも、俺らは信じなかった。あいつがそんなことするような奴じゃねえって理解してたから……周りがどんなに追い詰めても、俺らだけは信じてやろうってさ。
そしたら、高橋、俺の前に信じられねえモン突き出してさ……ずっと、大切にしてた、」
「ねえ赤也くん。信じてよあたしのこと。
じゃないと、
これ以上のモノ、
あたしはうばっちゃうよ?
次はこんなのじゃダメ。
もっと、もっと大切なモノうばうよ?」
「母ちゃんに作ってもらった、すっげえ大切だったリストバンドがめちゃくちゃに切り刻まれてて」
ギュッと強くベッドのシーツを握り締める切原の顔は、とても辛そうで。そのリストバンドをレギュラージャージに置き換えれば、まるでその当時を再現しているみたい。
「だから俺、これ以上自分の大切なもん奪われたくねえって思っちまったから、あいつのことは最低だって自分に思い込ませた。
結局、自分の身が可愛かったんだ。
俺が高橋の言うことを聞いてからは、周りも俺に同調するようになって、全員があいつを追い詰めた。まだ小学4年だったのにさ、追い詰めて、追い詰めた結果、自殺をさせちまった……その時すっげえ怖くなって。今でも思い出すと身体が震えちまう、トラウマなんだ」
今度はわたしが、ギュッと袖を握り締める番。
年齢は違うけど、同じような状況。
そしてつい昨日のこと、わたしはそれをしようとしていた……自殺を。
「そっから高橋のことが怖くなって。あいつがかなり嫉妬深くて欲深いか、それを通じてわかったから、なるべく気に触れないようにしてた。女子とも最低限度関わるくらいにして……狂ったのは、あいつがテニス部のマネージャーになりたいって言ってから。
まさかテニス部にまで手を伸ばすとは思わなくて、俺は普通に先輩達と関わった。学校で女子と話すの、矢紘先輩くらいで……でも、急に矢紘先輩に態度よそよそしくすんのも無理で。あいつが入部して、数ヵ月経ってもなんの動きもないから安心してた」
安心してたのが、ダメだった。
そう言い、切原はベッドから抜け出してわたしの座るソファーの目の前まで来た。
「……」
「レギュラージャージを切り刻まれて、ああまたかって、思った。悔しかった。こうされると俺はあいつに逆らえない。それをわかってたから、ワザと一番最初に俺のを狙った。ほんとは素直に言えたらよかったんだけど、昔のことが邪魔して」
「それで、切原はわたしに」
「辞めてもらったら、イジメもなくなるんじゃないかって思って。テニス部の中で高橋が人気者になればすべて収まると」
切原なりの優しさだった。
部活を辞めてくれと言ったのも、菜子ちゃんの視界に入らなければわたしはイジメから逃れられると思っていたからで。
だから、よく話しかけてくれたのか。
周りに気づかれないように。
皮肉った言葉を言っていたけど、その言葉の裏ではすごく悔しい思いをしていたのだろう。
「まだ大丈夫、そう思って何も言わなかった。矢紘先輩は強いんだって思って。
でも違った。先輩が倒れた日……頭ん中真っ白になった。また、俺は同じ過ちを繰り返すのかって、後悔し始めて。でも俺、先輩達のこと大好きだから、言うにも言えなくて」
「病院に運んでくれたのって、切原?」
「はい。そん時、医者に聞きました。先輩が病気持ってるってこと」
「俺っ、ひどいことたくさんしてきました!
全部わかってたのに、あいつに悟られるの怖くて先輩のこと蹴ったし、悲しませることもいっぱい……っ!!
でも俺、っ矢紘先輩のこと、大好きだから……」
これ以上、見たくなくて。
先輩達が矢紘先輩を傷つけるのも、
矢紘先輩が弱ってくのも、
テニス部がぐちゃぐちゃになっていくのも。
また、
俺の目の前で
大切な人が
消えて行く
そんなつらい思いも味わいたくなくて。
ポロポロと涙を流す切原。
彼もまた、菜子ちゃんに苦しめられていた存在だったんだ。トラウマがなかなか拭い切れないことくらい、わたしもよく知っている。
「ほんとに、すんませんでしたっ」
「……」
「色々最低なことやってきて、先輩が俺のこと嫌いになるのは自業自得だって思ってます。けど俺、矢紘先輩のこと、大好きっスから……!
なんて言われても、守る。幸村部長とも約束しました、俺の覚悟ができたらちゃんと守るようにって」
「わたしを守るってことが、どういうことだかわかってる?みんなに冷たい目で見られるかもしれないんだよ」
「わかってます」
「……話はこれで終わり?」
「──っス」
じゃあもう外に戻る?
違うよね。
わたしも、
切原に言わなくちゃいけないこと、あるよね。
「わかってたなら、最初に言ってほしかった。そんな遠回しな優しさ、わたしには全然伝わらない!いっぱい傷ついた、いっぱい苦しい思いもした、今日だって悲しかった」
「はい」
「わたしがほしかったのはそんな優しさじゃない!みんなを敵に回してでも守ってほしかった……っ今更遅いんだよ!!」
「っはい」
最初に込み上げた感情は怒り。
次に何が込み上げるか、それは、勝手に流れ出した涙でわかった。
怒りと悲しみの混ざった感情は苦しい。
胸が詰まる感覚を覚えながら、わたしは続けて切原に向かって言葉を放つ。
「怖かった……日に日にみんなの目が、冷たくなって、話すのだって怖くて、部活の時はみんなの目を気にしながら仕事して。
怖くて、憎くて、嫌い……。
みんなのことなんか、大嫌いなのに。
またあの日々に戻れたら、と、そんな考えをしてしまうわたしがいる。
わたしは、切原の事情を受け止められるほど心は広くない。だから、憎いのは変わらない」
「、はい」
「でも追い詰めることはしたくない。あのね、少しだけ、うれしかったよ」
「──え?」
目の前にいる切原の目は、潤んでいた。
今にも大粒の涙を零してしまいそうな彼を見ながら、こんな風に真正面で会話をするのも久しぶりなのだなと感じた。
「本当のこと、言ってくれて。
昔のことがあるのに話してくれて、守るって言ってくれて。
つらかったよね……、ひとりで抱え込んでたんだよね。みんな菜子ちゃんの味方だし、話したくても話せなくて、苦しかったでしょ」
「せんぱ、い」
「全部言っていいよ。溜め込むのは、あまりよくないの……わたしみたいになってほしくないし、」
苦笑いをした。
わたしは、とことん他人には甘いらしい。
だって、蹴られたり罵倒されたりしたのに、他人の気持ちを優先だ。
亮あたりに、バカじゃないかって、言われるかもしれない。けどね、やっぱり可愛い後輩には違いないから。
「少しずつ、戻そう……赤也」
「!うぅっ……っはい!」
久しぶりに名前を呼んだ。
涙をボロボロ流す赤也を見て、わたしはどこか胸の詰まった感覚がなくなったのを感じていた。
ああ、やっぱり
どこかでこんな風になりたいと
みんなと和解したいと
願っている自分がいたんだと、実感した。
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