永久 | ナノ


翌日、あまり眠れず寝不足のまま、わたしは服を着替えてコートへと向かっていた。

朝食は食べていない。
長太郎が持って来てくれたけど、パンをひと口齧って終えてしまった。食道をすんなり通ってくれないとすぐにわかったからだ。



キュッ、キュッ‥

「ひとりでネットを張るのは大変だな」


ネットの真ん中に誰かひとりいてくれると助かるんだけど……まあ、大体でいいか。

3コート分のネットを張り、まだ残り4コートもあるのかと思いながら次へ向かえば、コートの真ん中にラケットを持った人物がひとり立っていた。


「おはようさん」

「……おはよう、白石くん」


四天宝寺のみんなとあまり関わるつもりはない。彼らも昨日の状況だけで、立海が今どうなっているのかくらいわかったはずだ。



「なんやえらい荒んどるなあ、立海」

「……」

「自分のせいなんか?」

「っ、それを確認しに来たのなら、違う所に行ってください。ネットはひとりで―」


「ちゃうよな。」

「え?」

「最初は疑ったけど、イジメとるはずの中津さんが、高橋さんより傷ついてんのおかしないか思ってな。それに謙也が言うとったで、中津さんはそないなことするような子やないって」



ほら、もうちょいネット張り、と高さを示してくれる白石くん。

……苦しいよ。
どうして、わかってほしい人達にわかってもらえないんだろうって。



残りのコートも全部ネットを張り終えた。

まだやらなくちゃいけないことはたくさんある。ボールも準備しなくちゃ、ドリンクも作り始めなきゃ……ああ、もう嫌になる。


顔に出ていたのだろう。
白石くんが近づいて来て、顔を覗き込んだ。



「高橋さんは、マネ業せえへんの?」

「わたしがいなくて、やらなくちゃいけない時にはちゃんとやってくれると思う」

「そか」


「手伝ってくれてありがとうございます」


別荘からぞろぞろと選手達が出て来るのが見えたので、お礼を言い急いで白石くんから離れ倉庫へ向かった。


ガララ、と少し重たいドアをスライドさせて薄暗い倉庫へと足を踏み入れる。7つカゴを持って行かなくちゃいけない。カートに乗せたところで2つずつで限界だろうな……往復、いっぱいしなくちゃ。



グッ

「重っ」


ひとつのカゴに入ってるボールの量が多いために、カートに乗せるのも大変。2つ乗せ終え、ひと息ついたとこでこちらに駆け寄って来る足音が聞こえた。



「持って行きますよ!」

「……いいよ」

「え、どうしてですか?」


菜子ちゃんだった。

横目で彼女を見たら、可愛く見せようとしているのか、いつも以上に化粧が濃くなっていてナチュラルメイクと言うには程遠かった。前の方が好きだったなぁ。


「ドリンクを作ってほしい」

「それはイヤですー」

「これの方が力仕事だよ」


「もう、先輩わかってないなぁ」


笑って、言った。
それはもう、見ている者を凍らせてしまうんじゃないかってくらいの笑顔で。

カートを持って行こうとこちらに寄って来た菜子ちゃんは、わたしの近くでより一層笑顔を放った。




何か企んでる。そう思うのには充分過ぎた。




「っあ!」

「!」


「えへへ、すみません」



カートごと、倒した。

その行動がワザとなのは彼女の言動からもすぐにわかることで、カゴから出たボールが地面をころころと転がっているのを見つめながらも、心の内では、何かが沸々と湧いているのを感じていた。



先輩っ、ひどい!!



ガクッと膝を曲げて地面に座り込む。

顔を手のひらで覆いながら、コートの方にまで聞こえるような声で叫ぶ菜子ちゃん。


ひどいって、何が?

わたしは今なんにもしてないよね?




「何事だ!?」

「大丈夫ですか高橋さん!」


叫び声を聞き、さっそくやって来たのは、やはり立海のみんなだった。あ、いや……みんなではない。切原はいなくて、柳と仁王もいなかった。



「私、ボールを持って行こうとしただけなのにっ、調子に乗るなって、カートを倒して」

「矢紘テメェ!!」

「うぐっ」


丸井に胸倉を勢いよく掴まれた。
ジャージを捻り上げられているから、自然と首元は締まる。くるしい……。



「やめたまえ丸井くん。今は合宿中ですよ」

「我慢ならねえよ!昨日だって、こいつ赤也のこと脅して高橋を殴らせたんだろぃ!?」


「そんな、こと」

「してないってか?
もうそのセリフは聞き飽きたんだよ……マジさ、俺、おまえがそんな奴だって思わなかった」



いつかはわかってくれると思ってた。と悲しそうな表情で言葉を紡ぐ丸井。

なに、言ってるの。
そのセリフをそのままそっくり返したい。




あなた達が、こんなにも嘘に気づかないなんて思わなかった。



「何しとるん?」


その声に驚いたのか、丸井はバッと手を離した。
ゲホッゲホ、と咳き込みながら声の主を見てみれば、それは謙也くんだった。



「謙也先輩っ」

「わわっ高橋さん!?ど、どないしたん」


「矢紘先輩が、私の邪魔をするんです!」


そう言い泣きつく菜子ちゃんに腹が立つ。

四天宝寺の人達まで巻き込まないでよ。せっかく距離を置いてるというのに……あなたはどこまで欲張りなの?たった5日の合宿中でも、他校の選手達の信頼を得て彼らの中心にいたいと思ってるの?



「矢紘ちゃんが?」

「ああ、そうだぜ。高橋がマネ業に勤しんでるっつのに、こいつは邪魔ばっかり」


邪魔なんてしてない。

わたしは、わたしのやるべきことをやっているだけなのに。



「どんな教育受けて来たんだよ、まったく」



どんな教育って……
あなた達よりは相当厳しく育てられたよ。



「親の顔を見てみたいものですね」



親の顔なんて、見れるわけないよ。

もういないの、この世に。

見たくてももう見られない両親の顔。
感じたくても感じられない両親の温もり。

両親との思い出なんて、ない。




「このような人間がいるから―」


「まあ待てや。色々事情があるみたいやけど、今は合宿中やで?」

「む……ああ。矢紘、ボールを持って来い」


高橋、行くぞ。そう促して真田はコートの方へと戻って行く。それに続くように、柳生、桑原、丸井、菜子ちゃんが去って行った。

ああ、なんて疲れるの。



「大丈夫か?矢紘ちゃん、泣いとるで」


「っ、ひっ、く……うっ」

「ごめんな。もっと強く言えたらよかったんやけど、踏み込むのも悪い思って」

「うう、ん……あり、がと謙也くん」



どうして、
どうしてさ、彼らは気づかないのかな。


ポフポフとあまりに優しく撫でるから、涙が止まらなくなってしまった。



途端に襲われる恐怖心。
ギュ、と謙也くんのジャージを握り締めた。



「こわ、いよっ‥みんな、わたしのこと要らないって思ってる!邪魔だって思ってる!!
おじいちゃんおばあちゃんだって、女のわたしは本当は必要なかった。でも、男の子生まれなかったから……仕方なくわたしを後継ぎに決めた、ほんとは、要らないのにっ!


お父さんとお母さんじゃなかったの……

ほんとは、
わたしがあの時、死──」



死 ん じ ゃ え ば よ か っ た ん だ 。



そう言いそうになった口を、謙也くんが手のひらで覆った。

違う、言うつもりはなかった。



ただ、あまりにも怖かったから……。




「そんなん言うもんやないで!?」

「──っ」

「誰かの代わりなんて、できへんのやで。
矢紘ちゃんが存在してる理由、絶対あるから。せやからそんな悲しいこと言わんといて……」


眉尻を下げて目に涙を浮かべる謙也くんを見て、自分がどれほど悲しいことを言ったのか改めて感じさせられた。








ジャーッ‥パシャ、

「っ」


水道へ行き、涙で濡れた顔を洗った。

四天宝寺の人達でボールの準備はするから少し休んで、と謙也くんに言われた。


休むも何も、まだ何もしてない。
また怒られてしまう……昨日だって、途中からマネ業してないのに。


蛇口から流れる水をボーッと見つめた。


綺麗で透明な水。

わたしもこんな風になれたらいいのに。
誰かを悲しませる考え、消えないかな。





「……矢紘」

「!」


そんな時、声をかけられた。

振り返れば今さっきまでいなかった、柳。



「赤也の所へ行ってくれないか」

「どうして」

「おまえに話したいことがあるそうだ。今度は、ちゃんと聞いてほしいと言っていた」



「……、わかった」



キュ、と蛇口を捻り柳の横を通り過ぎる。と、彼から5歩くらい離れた場所で、名前を呼ばれた。昨日思いっ切り怒鳴ってしまったから、少しだけ気まずいのだけど……。



「なに?」

「俺がバカだったようだ」

「え」


「今までの練習から見ていればわかったはずだな、矢紘がきちんとやっていたことくらい」



赤也の所行けよ、と最後に言ってから、柳はコートの方へと歩いて行った。

気づいてくれた?

わたしは何もしてないって。
全部、全部、菜子ちゃんが悪いって、


気づいてくれたの……?


柳の後ろ姿を見、しばらくしてからわたしは切原のいる部屋へと向かった。


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