コンコンッ
「おい、矢紘……いるんだろ?」
扉をノックされる音に、ベッドの上で丸くなっていたわたしは少しだけ身体を動かす。
あれからコートには戻らなかった。
戻る気力もなかったし、今のわたしの姿を見られたくなかったというのもある。
扉の向こうにいるのは、亮らしい。枕元に置いてあった携帯を手に取り、サブディスプレイで時間を見ればもう夕方の5時、練習は終わっている。
「おまえさ、厨房で……いや、何でもねぇ」
きっと泥棒でも入った後かのような厨房を、景吾か誰かが見たのだろう。
わかってるんだろうけど、言えない。
手首を切ってしまいたかった、だなんて、言えるはずもない。
「入るぞ矢紘」
「うわっ跡部!?」
ダメ、と言うよりも先にドアノブを捻り部屋にズカズカと入って来た景吾。
電気も点けていないから、部屋は薄暗い。それでもわかるほど、景吾は今怒ってる。
「何しようとしてやがった」
「……」
「言えねえことをしようとしたんだな?」
「わたし、」
「言い訳は聞かねえ。俺達は、そんなこと認めねえからな。ひとりで勝手に思い詰めて勝手に行動するなって言っただろうが、アーン?
そうした結果、どうなってるかわかってるのか、おまえはよ」
「何か、あったの……?」
ずっとベッドの上で伏せていたから、練習中に何があったのかもわからない。菜子ちゃんには、ひと通りのマネ業は教えてあるからやってくれてるだろうとは思っていたのだけど。
「高橋って奴が、矢紘が厨房で漁ってたのは自分を刺すための包丁を探していたんだって言って怯え出してよ」
「なにそれ」
「当然俺らは信じちゃいねぇけど、他がな」
困ったような表情をする亮を見ながら、わたしはそんなことになったのかとどこか他人事のように考えていた。
わたしの、
死にたいって気持ちを、
彼女は利用したのか。
「もう、いいよ。どうでもいい」
「……は?」
「そう言ってればいいじゃん。そんな嘘も見抜けないような人達なんだし、真実を求めても無駄。それにもう、いいんだ。どうせあと1年もない。高校に上がれば、思い出も友達も関係ない」
「おい矢紘ッ!なに諦めてんだよ!?」
「っ!」
ガッと胸倉を掴まれ怒鳴られる。
これ以上何を頑張れって言うの。
もう、ずっと前から人生諦めずに頑張ってきたつもりだよ……でも、もういやなんだもん。
「宍戸、落ち着け」
「落ち着けだと!?俺は、ここにいる誰よりもこいつのこと見てきたつもりだぜ。
昔から、祖父母の威圧にも耐えて頑張ってたのよく知ってる。病気になってからも、色々大変だったけどここまで来たんじゃねえか。
なに今更逃げてんだよ!
おまえなら、もっとあいつらにぶつかって行けるだろ!?何もしてねえって叫べよ!」
「……知らないから、言うんだ」
ひと通り伝えたいことを言い終えたのか、黙ってしまった亮に静かに告げる。
そう、みんなわたしのこと知らないんだ。
「みんなこの病気の辛さわかんないからそうやって言うんだよ!
たしかに色々耐えた。その時のわたしの気持ちなんて誰もわかんないでしょ!?祖父母からの命令を黙って聞いて、認められるように必死こいて勉強して……でもその時襲われるのは、抑えたくても抑え切れない身体の不調。これ以上の苦痛味わいたくない!!
景吾も亮も、わかってると思ってた。
でも思い違いだったみたい……これ以上頑張れだなんて言わないで!
もうっ……、もうみんな大嫌い!!」
亮の手をバッと払い、わたしはそう言い捨てて部屋から飛び出した。
きらい、きらいきらい……!
これ以上追い詰める人達、みんな大っ嫌い!
ボフン、
「くそ……激ダサ。」
額を押さえ、今さっきまで矢紘がいたベッドの上に腰を下ろす宍戸を見ながら思う。
頑張れって、人を励ますための物じゃない。
時にはそれが非常に苦痛になる奴もいる。
そこに矢紘が当て嵌まった。
あいつの病気、わかってないわけじゃねえ。
自律神経失調症
つっても、俺らがわかるのは名前とどんな症状があるかって程度か。
「俺らが思うほどに、あいつは常に気を張って頑張ってたのかもしれねえな」
「……ああ」
「どっちもどっちじゃねえか、アーン?」
「どういう意味だよ」
「矢紘も伝え切れてなくて、俺達も伝え切れていなかった。すれ違ってたんじゃねえか」
──そう。
あいつも自分のこと思っている以上に伝えてないし、俺達もあいつの苦しみについて何もわかっちゃいなかった。
「探すぞ宍戸」
「……おう」
すぐにでも追いかけたかったのだろう。
宍戸は腰を上げると、俺のことなど見向きもせずに部屋を飛び出して行った。
ひとりで探す気かあいつは。
ただでさえだだっ広いこの別荘でかくれんぼなんて、何時間かかるかわからねぇな。
プルルル、プルルr
「ああ忍足か?
矢紘がどこかにいる、氷帝全員で捜し出せ。あ?命令に決まってんだろ、アーン?」
電話を切り、俺も探しに行く。
せめて立海に見つかる前に、こちらで見つけ出さねえと危ないな。
・
・
・
・
・
タタッ
「ひっ、く……」
走って、走って、どこかわからない人気のない場所へとやって来た。ここに来るまでに誰にも会わなかったのが不幸中の幸い。今、誰かに会ったら何を言うかわからない。
冷えた壁に身体を預け、ズルズルとその場にしゃがみ込み膝に顔を埋める。
ほんとは、あんなこと言うつもりなかった。
だってわかってたよ。
みんな、わたしの辛さまでわかることなんてできないことくらい。病人の苦しみは、病人にしかわからないんだよね。
滲み出る冷や汗。
額に手を当てれば、自分の手が冷え切っていることに気づかされて嫌になってしまう。
キィイイン……
「っ!」
ひどい、耳鳴りだ。
うるさい……うるさいうるさいうるさい!!
「あれ、先輩?」
「うるさいっ!!」
「え、なんなんスか急に!」
「っ?き、切原……」
両耳を塞いで心の内で叫んでいれば、外部から聞こえた声に思わず、心の内だけに留めておいた声を外に発してしまった。
「こんなとこで、何してんスか」
「関係、ないでしょ。どっか行ってよ」
「……そーもいかないっス」
スッと目を細め、切原はどこか行くことをせずにゆっくりとこちらに近づいて来た。
咄嗟に頭に過る考えは、殴られる。
それしか連想されないこの頭は、相当キテいると思う。でも、それだけ今まで殴られ続けていたのだから、仕方のないことなのかも。
ギュ、と目を瞑った。
わたしは見たくないんだ。
自分の傷つく姿はもとより、彼らの殴っている時の表情とか何もかも、見たくない。
「先輩」
「……っ」
「今まで、すんません」
「──え?」
殴られるでもなく、罵られるでもなく、聞こえてきたのは謝罪だった。なに、言って……。
「ほんとは、ずっとわかってたんスよ。」
誰が悪いのか、
どうしてこんなことになったのか、全部。
と、乾いた笑みを零しながら切原は呟いた。
「ははっ、冗談。何言ってんの」
「冗談なんて!」
「そうやって信頼得ようとしてるの?それでいて、また殴るんでしょ?もう一度突き落とすんでしょ……ひどいことするね、切原」
「ちがっ」
「何が違うってのよ!!」
ああ、ダメだ叫んでばっかり。
クラリと脳が揺れるのを感じながら、わたしはしゃがみ込んでいた身体を立たせた。
「もう、いいから構わないで」
視線を落とし、切原の横を通り過ぎる。
どこへ向かおうかと考えて歩を進めていたのに、腕を掴まれたことにより遮られてしまった。
「さわらないでよ」
「俺わかってるんスよ、先輩が病気で」
「なに、同情してるの!?ふざけないで!わたしは別に、他人に同情されたくて病気になったわけじゃない!」
いいから放して!
思い切り切原から、離れようとした、のに。
グラッ
「っ!?」
「せんぱっ……!?」
離れた、そう思ったと同時に浮遊感。
浮いているのはわたしで。
落ちてるんだ。そうわかるまで時間はかからなくて、次には背中が階段の角に当たりながらズルズルと落ちて行く。
あまりの痛さに、わたしは意識を手放した。
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