「では、出発するぞ」
ブロロロロと発車したバスの中、わたしは遠ざかる学校をボーッと見つめていた。
これから始まる合同合宿。
わたしの心の大半は不安で占められている。
菜子ちゃんが何か企んでいるかも。
立海だけでなく、四天宝寺のみんなにも嫌な目で見られてしまったら……でも、一番不安なのは自分自身だった。薬も、寝る時に必要な音楽プレーヤーもきちんと持って来てはいる。けど、効果があるかはわからない。
「いやー、楽しみっスね!」
「場所は確か、氷帝跡部の別荘だろぃ?ったく、金持ちってほんとに羨ましいよなぁ」
「設備もいいと聞いているし、いつものようなうるささもない。プレーに集中できるな」
「まあ、あとは矢紘さんが問題ですがね」
皮肉ったような言い方が癇に障る。
少しだけ音楽のボリュームを上げた。
みんなの声を遮断したい。今は、ただただ心を落ち着かせなければいけない。
グッ
目を瞑って数秒、背凭れが少し後ろに傾いた。
「先輩、なに聴いてるんスかー?」
「……」
「無視?ちぇ、つまんねー」
病院での一件から、最近切原は話しかけてこなかったけど……久しぶりに声をかけられた。いつも通りの口調で。それがやけにイライラさせる。別に、心配してほしいわけではないんだから放っておいて。
「赤也くん」
「あ?あぁ高橋、なんだよ」
「お菓子あげる。先輩達にも配ってるの」
「ふーん。サンキュ」
まるで切原に、わたしには話しかけるな、とでも言っているかのようなタイミングで菜子ちゃんはお菓子を差し出してきた。
そんなことしなくても、もう菜子ちゃんはテニス部の中で一番大切にされてる存在だから気にしなくてもいいのに。もう、奪えたんだよ……?
奪えて、幸せで、
これ以上、わたしから何を奪うの?
「先輩、……食べます?」
「要らない」
「あ、このお菓子嫌いなんですか?」
「……」
「じゃあ高橋、それも俺が貰う」
「え?」
バッと奪うように、菜子ちゃんの手からもうひとつお菓子を取る切原。
別にお菓子に好き嫌いはない。
けど、食べたくない。彼女から受け取りたくない云々の話ではなく、ただ胃が受け付けないのだ。
「高橋に赤也ー!トランプやらねぇ?」
「あっ、やりたいです!」
「俺パース!」
「は、なんでだよぃ」
「朝早かったせいで、眠たいんで」
誰かさんが4時集合とか言い出すし、と真田の方をチラと見ながら切原は椅子に座った。
その様子に少し気に食わなそうに表情を歪ませた菜子ちゃんだったが、丸井に呼ばれて後ろの方へと歩いて行った。
「あがりじゃ」
「えええ!?仁王先輩ババ抜き強い」
「てか、こいつポーカーフェイス過ぎてババ持ってるのか持ってねえのかもわかんなかったぜ」
「そういうゲームじゃき」
うるさい。
うるさい、うるさい、うるさい……。
両耳からはちゃんと音楽が流れ込んできているはずなのに、聞こえるのはトランプをして遊ぶはしゃいだ声ばかり。
こんなんじゃストレス溜まる。
場所がいけないのか。
動くことも億劫ではあったが、少しでも声が遠ざかるのならばと、椅子を立ち揺れるバスの中をゆっくりと移動した。
丁度運転手の後ろの席が空いていた。
反対側にも誰も座っていない。
真田や柳との距離も2席分空いてる。
これなら平気だと、わたしは腰を下ろした。
プシュゥウウウ‥
「ここで一旦休憩を取る。今から20分だ」
サービスエリアに着いた。
みんなが立ち上がり、外に出て行く様子を見てから、最後にわたしもバスを降りた。
「……良い空気」
本当に病気を治したいのなら、こういった環境でゆっくり過ごせたらいいのだろうな。
「矢紘、少し話があるのだが」
人が賑わう場所から少し離れたベンチに座っていれば、柳が近づいて来てそんなことを言う。
「……話?それは、良い話悪い話」
「どちらとも言えない」
「聞きたくない。どっか、行って」
スッと視線を落としながら、ポケットに右手を入れて再びボリュームを上げる。
今更話だなんて、悪い話に決まってる。
この休憩中に菜子ちゃんがまた何か吹き込んだ。わたしは何もしていないのにね。
「…………」
「……、」
ああ、いつまでそこにいるの。
いい加減消えてくれないと困るんだけど。……ああ、わたしが戻ればいいんだ。
バスの中では近づいて来ないはずだろう。そう思って、何分かぶりにベンチから立った。
フラッ
「っ!」
「おい、矢紘!?」
こんな時に立ち眩みを起こすなんて。
ふらりと倒れかけた身体は持ち直すことなどできず、柳の胸にすっぽりと収まった。
「っ、は、放して……!」
「だが」
「ただの立ち眩み!いいから放してよ!それともなに、またわたしに暴力を振るうの!?スポーツをするためにあるラケットやボールを使って、わたしを的にして……っ早く、放して……!」
グググ、と柳の胸板を押しながら言えば、周囲の人達が気づき始めたのかざわつく声が耳に入る。そのことに柳も気づいたのだろう、パッと力を弱めたところで、わたしはバスへと走った。
大きな音を立て、荒々しい座り方をしたせいか、すでに戻っていたレギュラーや菜子ちゃんの視線が一気にわたしのもとへと集中したのがわかった。
「……っ」
その数分後に柳が戻って来た。
わたしの横を通り過ぎ、自分の座席に座ったことがわかると、今までドクドクと騒ぎ通しだった心臓が少しだけ治まった。ホッと息を吐くが、身体が震えている。
こわい、こわい……いや、
はやく氷帝のみんなに会いたい
……いや、っ、ひとりが、
ひとりになりたい……
だめ。ひとりは、さみしい……
「っは、……う、」
グッと胸元を押さえる。
息苦しい。
まるで喉に何かが詰まっているみたいない、上手く呼吸ができない。
「う、うぅう……っひ、く」
発車まであと3分。
誰がまだ帰って来ていないかなんて確認もしなかったから、わからない。こんな所見られたくないのに、誰か来たら、どうしよう。
また不安が押し寄せる。
息苦しさも、涙も、この気持ちも要らない……カラッポにしてしまいたいのに、その気持ちとは裏腹に症状は悪化していく。
「弦一郎、あと誰が戻っていない?」
「仁王だ」
その言葉に身体がピクリと反応を示す。
仁王……?
ああ、尚更見られたらいやだ。
靴を脱ぎ、膝を抱え込んで顔を埋めた。
「それにしても、氷帝跡部さんの別荘かぁ」
「どうした?」
「いや、どんなとこかなって」
「すごいんですね跡部さんて方。私、会ったことないのでわからないですが……仲良くできるか不安です」
「大丈夫じゃねえの?」
氷帝のみんなが、菜子ちゃんと仲良く?
そんなの、あり得ない。
……いやでも、わからない。菜子ちゃんの振る舞いによっては、もしかしたら……。と、そこまで考えて頭をフルフル振る。
大丈夫、
みんなは、大丈夫。
「すまんのう、遅くなった」
「いや、時間内だ」
「そか。!……おまえさん、なに」
「仁王、続きやるぜー!」
次こそは負かしてみせるとやる気満々の丸井の声を聞き、仁王はそのまま後ろへと足を進めた。
危なかった。
これでしばらくひとりになれる、そう思うと少しだけ気分が楽になった。
ゆっくりと顔を上げ、腕や足を擦る。
冬でもないのにすごい冷えてる。
ここまでの症状が出るのは何年振りだろう……もとに戻るまで放置しかない。どう対処してたのか、覚えてない。
高速道路を下り、一般道路を走っていたバスがキキッと停まった。
チラと前方を見てみれば、運転手が誰か外にいる人と話をしている。もう景吾の別荘だ、今から所有地に入るのだろう。
門がギィイイと音を立てながら開き、バスは再び進む。
「うおー!すげぇ、これが跡部さんの」
「門からバス移動ってことは、ここ相当広いんじゃないか?」
「さすが跡部だな」
「なんだか私ワクワクしてきました!」
一般人の反応だなぁと思った。まあ、それもそうか。普通の家庭がこんな広い土地を持っているわけがないのだから。
別に庶民をバカにしているわけじゃない。むしろ、わたしはそういう家庭で生まれて普通に暮らしたかったと思っているほどだから。
「今回は合同合宿に呼んでもらえ、感謝している」
「5日間だけやけど、よろしゅう」
3校が揃ったところで、景吾と真田、それから白石くんがそれぞれ握手をした。
四天宝寺のレギュラー達を見るのは正直初めてだった。あ、いや、謙也くんだけは侑士の従兄で東京に来た時に何度か話したことはある。
「久しぶりやんな、矢紘ちゃん」
「あ、……うん」
「?」
丁度隣に立っていた謙也くんに話しかけれれ、わたしは素っ気なく返答した。
ごめんなさい。あまり仲良くした風を見せると、本当に何をするのかわからないのだ、菜子ちゃんは。
「この5日間サポートしてくれるマネージャーを紹介する。出て来い」
景吾の上から目線な物言いに少しムッとしながらも、わたしは前へと向かった。もちろん菜子ちゃんも。
「立海大2年の高橋菜子です。みなさんの5日間が充実したものになるように一生懸命サポートしたいと思ってるので、よろしくお願いします!」
「立海大3年、中津矢紘です。……よろしく」
菜子ちゃんの挨拶に対し、とても短く終わらせたことにほんの少しざわつく。必ず意気込みを言わなきゃいけないなんてルールはないのだから、これでもいいはずなのに。
「とりあえず始める前に、部屋の割り当てをしておいた。これを見て荷物でも運べ」
今日の練習開始は13時からだ。
そう言って景吾は別荘の中へと入り、それに続いて氷帝のみんなも入って行った。
一枚の紙を貰った。内容を見れば、それは部屋割。四天宝寺の方を渡されていた。景吾なりの優しさなのだろうかと思うと、少し心が温かくなった。
菜子ちゃんを見れば、立海の方へと駆けて行くとすぐにみんなに囲まれて。なんだかすっかり守られちゃって……と思いながら四天宝寺の方へと歩いた。
「今から部屋番号言うんで……えっと、言い始めても大丈夫ですか?」
「大丈夫やで」
「では、」
笑顔で言われて、心臓が跳ねた。
白石くん……同い年とは思えないよ。
「白石くんと小石川くんが301号室、謙也くんと財前くんが302号室、石田くんと千歳くん、遠山くんが他の部屋より大きめの303号室……で、金色くんと一氏くんが304号室。覚えました?」
「こないにデカかったらひとり一部屋でもええんちゃいます?跡部さんもケチやな」
「こら財前、なに贅沢言うてんねん」
「謙也さんと相部屋っちゅうのが気に食わへんだけっスわ」
はあああ、とあからさまなため息をついて、財前くんは荷物を持ち一足先に別荘へと入って行った。先輩相手にすごいことを言う2年生だ。
「中津さん、」
「?えっと、なんですか千歳くん」
「なんで謙也のこつ名前で呼んどると?」
「ちょっとした知り合いで」
「へぇ」
「なーなー姉ちゃん!」
「!?」
「ワイのこと遠山やのうて、金ちゃんて呼んでーな!なっ、ええやろー?」
「えっ、えと」
わたしの手をギュウッと握りキラキラな目で見てくる遠山くんに、どうしようかと頭を悩ませていると、白石くんが近づいて来たのが目に入った。
「金ちゃん、中津さんが困っとるやろ?」
「えーでもー」
「放したり?なあ金ちゃん」
悪そうな笑みを浮かべて、おもむろに左腕に巻かれた包帯に右手を近づけると、遠山くんは急に身体を震わせてわたしから離れた。
「毒手だけは嫌やー!せやけど、遠山くんなんて呼ばれるん寂しいやん」
「……中津さん、すまんけど呼んでやってくれへんか?」
「じゃ、じゃあ、金ちゃん……」
「へへっ、じゃあワイも姉ちゃんのこと矢紘って呼ぶからな!5日間よろしゅう!」
満足そうな笑顔を放って、遠山く、じゃなくて、金ちゃんは別荘へと走って行った。
なんて元気な子だろう。見てるこっちまで笑顔になってしまうくらい元気で、でも、きっと毎日を一緒に過ごすとなるとちょっと疲れちゃうのかな?
「金ちゃん楽しそうやねぇ」
「!」
「びっくりさせてしもた?ごめんなさいね」
「いえ」
「あたしは金色小春。中津さん、マネージャー二人しか居らへんけど頑張ってね」
「小春に手ェ出したら死なすからな」
覚えとき!と言いながら、金色くんと肩を組み仲良さそうに別荘へと入る一氏くん。
その後も少しだけ四天宝寺のみんなと自己紹介みたいな、簡単な言葉を交わしてからわたしも別荘へと足を踏み入れた。
期待と不安
どちらが大きいかと問われれば、不安。
まず今日明日は榊先生は来ない。
四天宝寺の顧問である渡邊先生は、都合が合わないらしいから合宿には顔を出さない。
どうか、何も起きないでほしい。
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