君キン | ナノ


ガラ、

「…………」


教室の中は、思っていた以上に静かで。すすり泣く声と、心配している声のふたつがはっきりとしていた。



「常盤さんどうかしたの?」


何が起こったのだろうと心配している体を装って声をかけてみれば、クラスメートの視線は一気にあたしに注がれた。その視線はどれも厳しいもの。


「岸本がやったんだろ!?」
「いきなり叩くなんて酷いじゃない!」
「愛莉ちゃんの何が気に入らないのよ」


ああ、そういう話か。
常盤がみんなに言い触らしている様を思い浮かべたらため息が出る。そして、息を吸って……、


「“ツナくんと武くん、隼人くんの近くに寄って来るのが気に入らない、邪魔なのよあんた!って言って愛莉を叩いたのぉ!!”……とでも、言われた?」

「そっそれがなんだよ」

「事実なんでしょう!?」


えええ、当たったの?まったく、誰にでも安易に想像できる言葉を告げるなんて常盤もまだまだ……ああ、これまだ序章だったっけ。

正解するし常盤の甘ったるい喋り口調マネしちゃったし沢田達のことも名前で呼んじゃったしで、なんだか一気に自分自身を疑ってしまう。気持ち悪い。



「優奈ちゃん、それ、本当なの?」


困ったような顔して訊く沢田。そんな彼の後方には、山本と獄寺があまりよろしくない表情をして立っていた。


「ツナくんっ、愛莉は、愛莉はツナくん達にとって邪魔な存在なのぉ!?」

「そんなことない!愛莉ちゃんは大切な友達だよ」

「当たり前なのな。愛莉が邪魔だなんて思ったこと一度もねーぜ」

「そりゃそうっスよ!常盤さんは10代目の大切なファミリーの一員なんスから」


ですよね10代目!(とびっきりの笑顔)で言うと、その言葉を受けた沢田は、もちろん困り果てている様子だった。


「あたしやってない。常盤さん、あたしはあなたを邪魔だとは思ってない……けど」

「けど?」


「山本と沢田はうざい」

「「なっ!?」」

「おい岸本!山本はいいとして、10代目に向かって何言ってやがんだ!!」

「だって、数学なら獄寺に教わればいいのに、どうして来るの?休み時間の度に来られても困るのよ、転入して1週間経ってるのに友達ができやしない」


任務のために来ただけだから、友達なんていなくて構わないんだけどね。うざい理由のひとつとして挙げてみれば、それは悪いことをしてしまったと思っているのだろう、眉尻を下げていた。


「ふぇっ……でも、どうして叩いたのぉ!?」

「叩いてない。あなた勘違いしてるんじゃない?」

「か、勘違い……?」


「そう。常盤さん、軽く貧血起こしてたでしょ?それでクラクラしちゃってて、足取り覚束なかったから壁にぶつかっちゃったんだよ。で、あたしがその時いたからそう錯覚しただけ」


そう言って微笑めば、常盤の顔は一瞬歪んだように見えた。思い通りの結果につながらなかったのが気に食わないんだろう。けど、その顔はすぐに戻り、ちょっと安心したような表情で納得の意を見せてから立ち上がりこちらに来た。


「ごめんねぇ?勘違いしてたぁ」

「いいよ別に」

「ほんとう?許してくれてありがとうねぇ」


「……!!」


ギュッと握られる手。周りから見れば、仲直りの握手に違いないけど。
ほんわかな表情を崩すことなく、あたしの手を握る彼女の手に込められた力は異常。自分で言うのもなんだけど、細身でできているこの手は今にも悲鳴を上げそうだった。


「           」


そっと近づけられた顔は、あたしの耳元で言葉を囁いた。それは、いつもクラスメート相手に出されている声ではなく、さっきトイレで邪魔だと言われた時の声よりも更に低いものだった。




じゃあ、昼休み屋上でね

……その言葉を聞いた直後に、すぐチャイムが鳴り4時限目が始まった。
教科は社会。しかし当然、あたしはその授業を受ける気にはならず、顔を山本に見られないように壁側に向けて、日常が崩れるカウントダウンへの恐怖を少しだけ感じながら机に突っ伏して目を瞑った。









カツン、カツン……


屋上へと向かう階段は、人気がなくとても静かで、自身の足音だけがよく響いていた。
言いつけ通り、授業が終わってからすぐに教室を出た。しかし、その時すでに常盤の姿は見当たらなくて……たぶん、すんごい表情をして待っているんだろうな。

最後の階段を上り切り、あたしはひとつ深呼吸をしてから屋上の重たい扉を開けた。




「──っ、眩しい」

「待ってたよぉ」


屋上の扉を開けて真っ先に飛び込んできた太陽の光に、目を細めた。そして、その光を背に受けて立っている常盤愛莉が見えた。


「あたしと話したいことって?」

「あんたのお陰で、愛莉の望んでた結果につながらなかったんだけど、どうしてくれるの」

「そんなの知らない。それよりあたしだって驚いてるよ、頬なんて叩いてもないのに勝手に濡れ衣着せられて。だから、貧血話に持ってくの苦労したわ」


あそこで常盤が自分の頬を叩いたと言っても信じてくれる者なんているわけがないのだ。これでもまだ自分の身は可愛いから、嘘だってついちゃうよ。

面倒なことになっちゃったなぁなんて笑って言えば、彼女の顔は徐々に醜くなっていく。


「愛莉をここまで怒らせたのは、あんたが初めて。笹川京子なんてすぐに怯えて何も言えなかったのに」

「……」

「ツナくん達に言われてるんでしょ?笹川京子に近づかない方がいいって。でもどうしてかしら、彼女学校に来てるのにいつもどっかに行ってて見つからないのよ……ねえ、何か知ってる?」


「さあ?でも、笹川さん陥れたのあなたなんだね」

「ふふ、驚いた?あの子、最初から気に入らなかったのよ……いっつもツナくん達の周りでニコニコ笑ってて。
だから愛莉は笹川を陥れた!もう這い上がって来れないくらいどん底に。だって、学校に二人もアイドルなんて要らないでしょ?あははっ、彼女を信じる人はだぁ〜れもいないんだよ!!」



この学校のお姫様は愛莉だけで充分、そう言って狂ったように笑いながらポケットに手を伸ばす常盤。そして出てきた物は、鋭利なカッター。

顔の近くでツツ、と太陽の光によってキラキラ輝く刃を出しながら妖艶に笑む彼女。


「それ、どうするの?」

「同じようなことするの」

「その刃を自分の腕に刺すってことか」

「ご名答。そうすれば今度こそあんたは地獄に落ちる……序章もそのためにやった。さっきのこともあるし、もう何を言ったって無駄なんだよ」



スッと上げられるカッター。
そこで止めに入ろうだなんて思わない。止めに入ったところで彼女の思うツボ……なら、ここで見ていればいい。

躊躇なく振り下ろされたカッターはぐさりと彼女の左腕に突き刺さった。当然の如く、その傷口からは鮮明な血が腕を伝って、ポタリポタリと床に滴り落ちる。日本に来て久々に見る、真っ赤な血だった。



「痛くない?」

「っんで驚かないの!?……ま、別にいいか……っキャァアアァアアアア!!!」


さっきと変わらない悲鳴。
外だから、反響することもなく耳を塞ぐほどではなかった。そのまま床にへたりと座り込む常盤は腕を押さえながら口元を歪ませていた。
静まり返った屋上には、悲鳴を聞き階段を駆け上がって来る音がよく聞こえる。生徒達がここに来るまでは、もう少し時間がかかるだろうと思っていた矢先だった。



バンッ

「!?」


「今の叫び声……!愛莉ちゃん!?」

「なっ」

「愛莉!大丈夫かよ!!」


勢いよく開いた扉の向こうには、お弁当を手に持った沢田達。一番最初に発見するなんて、なんと運の……いや、常盤は知っていたのだ、彼らがここに来ることを。

そして彼ら3人は、立っているあたしのことなど見向きもせずに、泣きじゃくる常盤に急いで駆け寄った。



「何があったの愛莉ちゃん!!」

「ツナくん……愛莉ね、3時限目のあの時にっ、優奈ちゃんから昼休み屋上来てねって言われてて。それで、来たら、急にカッターを取り出してっ……邪魔なのよって!」


「カッター……」


泣いている常盤から目を離して、沢田達は揃って床に転がっている血がべっとりと付着したカッターを見た。

それから、あたしを視界に捉える。



「……」

「おい、常盤さんに何てことしてくれたんだよ」

「あたしは何も」

「嘘つくんじゃねぇ!やっぱり、さっきもテメェが常盤さん叩いたんだろ!?」


獄寺……前から気になっていたけど、常盤に“さん”なんて付けて。沢田の次に信頼しているとかそういう話なの?


「知らない。勝手に自分で刺したの……さっきのだって、自分でほっぺ叩いたし」

「岸本、おまえ最低なのな」


スッと立ち上がってこちらにじりじり寄って来る山本と獄寺。何日ぶりかに山本には名字で呼ばれたわけだが、そんなことはどうでもいい。今の彼らの表情、とても恐い。


「優奈ちゃ……いや、岸本」

「ふうん、沢田もあたしを信じてくれないんだ」


「っ友達だと思ってたのに!!」

「あたしが嘘をついているって言うの?」

「そうだよ」


ああ、即答ですか。5日前に嘘は嫌いだと言ったのはもう覚えていないか……それよりも怒りが勝って、そんなことに気が回らないかな。

3人があたしを取り囲むと同時に、多くの生徒達がぞろぞろと屋上に来た。




「あたし、風紀委員なんだけど」

「ケッ、雲雀なんざ怖かねーんだよ!!」


「っうぐ!」


鳩尾に一発。さすがにこんな衝撃をもろに受けたことがなかったから、簡単に吐血して蹲った。

もう少し本格的に鍛えてもらえばよかったかな。物避けたりすることに関しては言うことなしってくらいなんだけど、さすがに一般人だと思い込まれているのに俊敏な動きなんてしたら怪しまれる……恭弥先輩の名前を使ってもこいつらには効果ないし……ああ、痛いなぁ。


「獄寺だけずるいのな。オレも殴る」

「オレも。愛莉ちゃんの方がもっと痛い思いしたんだから」


ガッ、ドス……ゴッ!!

「あ゙っ……っゲホ、」


何発、何十発、もうわからない。
避けたいのに、もう身体が動かない……!



「3人とも!もうやめてあげてぇ!?」

「!? こんな時まで優しくする必要ないよ!」

「でもっそれ以上やったら優奈ちゃん死んじゃうかもしれないよぉ!!」


その言葉で動きはぴたりと止まった。


「10代目、どうします?」

「……岸本、今すぐ愛莉ちゃんに謝って。そしたら今回のことは見逃すよ」

「ツナ、それでいいのかよ」

「だって愛莉ちゃんがこれ以上望んでない。ねえ岸本、早く謝りなよ」



「ゔ……」


ガッと髪を鷲掴みにされ無理やり顔を上げさせられると、目の前には沢田の顔。ああ、なんて恐ろしい顔だ、沢田綱吉。


「早く」

「……れ、がっ」

「?」


「誰が謝るもんか!!」



「なっ、テメェせっかく10代目が許してやるっつってんのに出た言葉がそれかよ!」

「当たり前だ!あたしは何もしてないのにどうしてその女に謝る必要がある!?あんた達は何もわかってない……っ、あの女に近づくより笹川さんに近づく方がよっぽど」


パシィン!

「10代目!?」
「ツナ!?」


「いったぁ……」


頬がひりひりと痛む。
そうか、ほっぺを叩かれたのか……。


「それ以上何も言うな!!オレがせっかくチャンスを与えてやったのに、きみは踏みにじった」

「だからなんだ」

「っこれから容赦しない」


急に髪を放されて、あたしは床とご対面。
血をダラダラと流す常盤と連れて、沢田は屋上から出て行き、山本と獄寺は最後に一発ずつ蹴りを入れてから後を追って行った。

そして、まるでお祭りが終わってしまったとでも言うかのように、見ていた生徒達はそれぞれ何かを言いながら屋上から出て行った。


静かになった屋上。あたしは一度周囲を見て、ひとつため息をつきながら腹這いから仰向けへと体勢を変えた。



「いっ……たたた、」


身体のあちこちが悲鳴を上げる中、目の前に広がるのは青空。雲ひとつなく、ただただ青い空が広がっていた。


ねえ、青空は全てを飲み込み包容してくれる温かい存在じゃないの?

あの沢田は正反対だ。
飲み込んではくれても、包容せず突き放す。



家光……本当にあんたの選んだ後継者達はいい子なのかな。今からでも遅くないよ、ザンザスを次期ボンゴレボスにしよう?



「この任務、最悪だ」


ぽつりと零れる言葉は、誰にも届くことはなく風と一緒に消え去ってしまうだけだった。

最悪だけど、今、彼らから離れるわけにはいかない。見定めながらも護衛して、常盤の正体と目的を暴かなきゃいけない。


「京子に花も、守らなきゃ……」


目を瞑り、二人のことを思い浮かべていると、バンッ!と勢いよく扉が開いた。あまりの音の大きさに驚いて目を見開き、顔を上げた。


「優奈!!」

「あ、花……」


「あんたっ、バカじゃないの!」


ズカズカとやって来て、傍で座り込む花。


「泣いてるの?」

「ちっ違うわよ!汗よ、汗!」

「汗は目から出ないよ」


「……ほんと、大丈夫なの?」

「!」


スッとあたしの額に乗せられた手のひら。
温かくて、優しくて、なんだか身体の痛みなんて消えちゃうんじゃないかってくらい安心するものだった。



「うん、大丈夫」

「バカね、その傷で大丈夫なわけないじゃん……あんた細身なんだから、骨とか折れてるんじゃないかって」

「たぶんそんな簡単に折れるもんじゃないよ。でも、これで明日から京子は安心して登校できる」

「でもっ」

「心配しないで、あたしは平気。だから、今回のことは絶対に京子には内緒ね」


まぁ無理かもしれないけどね、と小さく笑って言えば小突かれた。あたしの目の前には、眉間にしわを寄せて唇をぎゅっと噛んだ花の顔……今にもまた涙が零れ落ちそう。



「辛くなったらちゃんと言って」

「え?」

「いつでも支えになってやるって言ってんの。一回で耳に入れなさいよ」


「──うん、花や京子がいてくれれば、それだけであたしは充分だよ」



大丈夫、まだへこたれたりなんかしない。
あたしには京子と花が……守らなくちゃいけない人がいる。

そのためにあたしは日本に来た。
常盤愛莉……今すぐじゃないけど、あんたの正体を必ず掴んで追い込んでやる。


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