君キン | ナノ


8月20日

夏休みに一度だけ全校生徒が登校する日。あたしも恭弥も、いつもより早めに起きて朝食を食べている。


「大丈夫なの?」

「え」

「今日で片が付くんだろう。なのに、どうしてそんな暗い顔してるの」

「……まぁ、色々とあるんだよ」

「ふーん」


今日で任務は終了する。花屋に行ったお陰で、常盤がどこのファミリーの者かもはっきりしたし、そのことは9代目にきちんと報告した。あとはもう、ヴァリアーの到着を待つばかりってところだ。

暗い顔の原因は、それ以外なんだけど。


恭弥はこれ以上の詮索は絶対にしない。それが良いのか悪いのかはわからないけど、少なくとも聞かれないことにホッとしている。そろそろだなと思う兆候が数日前から増えだした。

現実世界のあたしの意識が戻りつつあるからなのか、たまに何の前触れもなく意識が飛びそうになったり、幽霊みたいに身体が透けたり。



「僕は服装点検があるから先に行くよ」

「うん」


「──優奈」

「ん?」

「いや、何でもないよ。鍵、ちゃんと閉めてから来てよね」

「わかってるよ!」


パタン、と閉まった扉を眺めながら、最後にひと口だけ残った食パンを口に運ぶ。


寂しい
帰りたくない

なんてバカなこと、思ってないんだから。



「──っ」


ああ、おかしいな。並盛に来た時には、こんな世界から早く消え去りたいと思っていたほどだったのに。俯いた視線の先には、拳を握った自分の手。心なしか、震えてる。

スッと目を閉じれば、瞼の裏には色々な光景が広がる。あたしは、人間の醜い部分にも触れたけれど、それ以上に人間の優しさにも触れ過ぎたんだ。……でも、もう帰らなくちゃいけない。これ以上、居続けることはできない。もともと、ここに存在していい人間なんかじゃなかったんだから。



パシンッ

「……っつー」


両頬を思いっ切り叩けば、思っていた以上にその痛みが伝わって来てジンジンする。最後の最後で、こんな弱気になっちゃダメだ。


「笑顔でいよう。最後なんだから」


お皿を片付けて、きっとこれで最後になるであろう恭弥の家を一度ゆっくりと見て、あたしは鞄を肩にかけ学校へ向かった。







学校に着く間、何人か不審な人間を見た。今日学校に乗り込むつもりでいる、常盤のファミリーだろう。彼らを睨むように見てから前を見据えれば、校門には、服装点検のため生徒達を見張っている恭弥。その姿を目に焼き付けながら、彼に笑顔で近づいて鍵を手渡した。


「ちゃんと閉めて来たよ」

「当たり前でしょ。開けっ放しで来たなんて言ったら咬み殺してるところだよ」

「あははっ!それじゃあ、またね」


「……、……うん、また」



ひらりと手を振って傍を離れる。
恭弥、何か言おうとしてた……でも、聞きたくなかった。逃げるように背を向けて、足早に校舎へと向かって行くあたしを、恭弥はどんな顔をして見ているんだろう。

想像しただけでも、胸が苦しい。




ガラッ……ヒュンッ

「!」

「ちぇ、当たんなかったかー」


扉を開ければ、いきなり何かを投げ付けられた。壁に当たって廊下に転がるのは、鉛筆。そんなもので何がしたかったのだろう、そう思ったら笑いが込み上げて来そうだ。


「危ないことするね。あたしじゃなかったらどうする気だったの」

「別にどうもしないっての」

「また常盤さん傷つけて!ほっぺた真っ赤に腫れ上げってるじゃないの!!」


「……ふぅん、痛そうだね」


皮肉を込めて言えば、その態度に腹が立ったのか、男子の拳が飛んできた。



ブンッ

「うあっ!?」

「おっそい。止まって見えるよその拳」


ひょいっとそれを避け、あたしは静かに自席に着いた。はぁ、もう少し大人しくしていられないのかな。あとで後悔するのはきみ達だってのに。それから、この時間にはいつもいる元気な人間の姿がないのを見て、口を開く。


「山本はどうしたの?珍しいね、いないの」

「お、おまえがやったんだろ!?」

「へぇ、そんなことにしてるんだね、常盤」


「な、んで……っ愛莉は、っ!」



山本の席から視線を移して常盤を見れば、上手い言葉が見つからなかったのか、突然ワッと泣き出して教室から飛び出して行った。ため息をついて教室を見渡せば、京子が来ていないことに気づく。おかしいな、あの子もあたしよりいつも早いのに。

嫌な感じに胸が騒ぐ。
ドクンドクンとうるさく鳴り響く自身の心臓に焦りを感じていると、追い打ちをかけるように勢いよく教室の扉が開いた。



「優奈!!」

「花!?」

「京子が……っ京子がいないの!」


「チッ、常盤か……!」

「あ、ちょっと優奈!?」

「花は教室にいて。大丈夫、京子は絶対にあたしが助けるから!」


ガタッと席を立ち、不安そうな花にそう言い駆け出す。廊下を走るあたしの足は、イライラするほど遅く感じた。もっと、もっと速く走りたいのに!

キュッと音を立てて廊下を曲がったところだった。



「うわ!?」

「っ、邪魔!!」

「おい岸本!?10代目になんつーことを……ってどこ行くんだよ!」


目の前に現れたのは沢田と獄寺。今は説明している暇もぶつかって倒れてる暇もないのだ、あたしは沢田の肩をドンと押して、そのまま階段を駆け上がった。

屋上に着くまでの間に、どれくらい神様に祈っただろう。



お願い、お願い……!

神様、京子を見捨てないで……!お願い!


間に合って──!!



バァンッ!

「京子ぉおおお!!」


開け放った屋上の扉。まるで、一番最初に常盤に呼び出された時のことを思い出させるような眩しい太陽の光に目を細めながら、屋上に足を踏み入れる。



「優奈ちゃん!」

「っうるさい。黙ってよ京子ちゃん。ふふ、やっぱり来てくれたぁ」


「常盤、あんた……」


屋上のフェンスより外側。落ちるか落ちないかのギリギリの場所に、京子と常盤はいた。京子の首元には、鋭利なナイフがキラリと光っていて、少しでも動かせば刺さってしまう。その光景を見せられ、なかなか足が進まない。


「岸本っ……って、京子ちゃん!?」

「んなっ」


来ないわけがなかった。遅れて屋上に辿り着いた沢田と獄寺を一瞥して、あたしは再び常盤を睨みつける。

一般人が来なければいいけど。これは、ボンゴレの問題……マフィア同士の問題だから、巻き込むわけにはいかない。



「ちっ違うの!これは、京子ちゃんが」

「はぁ?何が違うだ。オレは知ってるぜ、おまえが他ファミリーの奴だってこと」


「……なーんだ、知ってたんだ」

「京子を解放して。」

「いやよ。さて、どうしようかなぁ、京子ちゃんを、殺しちゃう?」

「っ!」

「やめて愛莉ちゃん!!」


クツクツと笑いながら徐々にナイフを近づけ、京子の肌にピタリと触れた瞬間、沢田が叫んだ。


「きみの目的はボンゴレを潰すことなのかもしれない、けど、もう止めよう!?」

「……」

「愛莉ちゃんのしたことは許せない。オレ達を騙して、京子ちゃん達を陥れたんだから。けど、オレ達も最低だ……愛莉ちゃんの嘘に気づこうともせずに、自分達を守ってた」


「だから?」

「、ごめん……」

「はっ?意味わからないんだけど。どうして愛莉に謝るの、バカじゃない?」

「10代目をバカ呼ばわりすん──!」


ほんと、沢田のこととなるとすぐに血が上る。ダイナマイトを取り出し今にも投げそうな獄寺の前に手を出し、その行動を阻止する。今投げたら、京子にまで被害が及ぶ。


「謝られてる意味がわからない?バカなのは常盤、あんたの方だ。山本にもあの時言われてたんじゃないの?もっと早く気づこうとしていればって」

「あぁ、そうね。早く気づけば、愛莉はとっくに並盛から姿を消してたんじゃない?」

「そうじゃない!!」

「!?」


その言葉を否定すると、常盤は怪訝な目をしてこちらを睨んだ。それ以外に何があるのだ、と本気でわからないらしい彼女。やだな、怒りのせいで血管が切れてしまいそうだ。

落ち着けようと額に手を伸ばそうとすれば、花の声が耳に届いた。その声にハッとして屋上の扉に視線を向ければ、花を先頭に、クラスメートのほとんどが屋上へと入り込んで来ていて……嫌でも眉間にしわが寄るのがわかった。



「え、常盤さん!?」
「ど、どうして京子ちゃんに刃物を」
「どういうことだよ!」
「先生とか、呼んだ方が―」


「呼ぶな!」

「!?」

「これはあたし達の問題。あんたらは何もせずに、大人しくそこで見ていて。余計な行動を起こしたら容赦しないから」


殺気交じりに忠告すれば、クラスメートは顔を青くしてコクコクと必死に頷いた。



「……で、何がそうじゃないのぉ?」


常盤は、この状況に陥ってしまえば嘘も意味ないと判断したのか、京子の首元からナイフを引くことはせずに静かに言葉を発した。


「沢田、あたしが言ってもいいわけ?」

「えっ」

「こういうことは、仮にでも仲間であったきみ達の口から言った方がいい。わかるよね」


「う、うん」


その言葉に静かに頷き、沢田はあたしより一歩前に足を踏み出して言葉を紡いだ。


「早く気づいていれば、愛莉ちゃんに嘘をつかせることもなく、苦しい想いもさせずに済んだのにってことだよ」

「はあ?」

「オレ達、今は敵だってわかってしまったけど、でも愛莉ちゃんは大切な友達なんだ」


「!?」

「一緒にいた時間に、嘘偽りはないだろ?もしかしたら愛莉ちゃんは楽しくなかったのかもしれない……けど、オレ達は楽しかった。これは本当だから」


獄寺にも意見を伺えば、はい、と頷く。
まだまだ少ない時間だったかもしれない。でも、一緒に過ごしていた時間全部が、ボンゴレ潰しのために動いていたわけじゃないだろう。




「プッ……あはっあははははは!」


俯いていた顔は急に天を仰ぎ、狂ったように高笑いをする常盤。当然、今までそんな姿を見たことがなかったクラスメート達からはどよめきが起こる。


「何がおかしい?」

「え?だっておかしいじゃない、敵だってわかったのに大切な、友達っ?ふふっ、ボンゴレって頭おかしいのかな、ふざけてるようにしか愛莉には聞こえなーい」

「ふざけてんのは……っふざけてんのはあんただよ!!」


「ちょっ岸本!」


もう我慢の限界だった。ダッと地を蹴り、あたしは常盤との距離を一気に縮めると、京子にナイフを刺してしまう前にそれを取り上げ、京子をフェンスの外から引っ張り出し安全な場所へと追いやった。

その瞬間、きっと錆びていてネジが緩んでいたのだろう、フェンスが壊れ、あたしと常盤を隔てる障害物は何もなくなった。



パシンッ

「──いったぁ!」


左手を思い切り振り上げ、躊躇なくそれを常盤の右頬に叩きつけた。

真っ赤に腫れ上がった頬の反対側。
それから一秒の隙も与えずに常盤の胸倉を掴み、怒鳴りつけた。



「沢田達はあんたのことを大切に想ってるんだよ!!」


「敵、なのに」

「敵味方も関係ない!友達として大切で、常盤の笑顔が大好きなんだよあいつら!そんなことっ、何ヶ月も一緒に過ごしていたあんたが一番知ってるでしょ!?」

「……っ」

「あんたを追い出すために気づきたかったんじゃない。あんたの笑顔を、一緒に笑って過ごす日々を守りたかったから!」


しん、と静まりかえる屋上。

耳に届くのは、こんなことが起きていることも知らないで教室で過ごす生徒達の笑い声。



「騙してたのかよ」


ポツリと呟かれた言葉。今ここで、初めてこういうことを聞かされたクラスメートはそういう風に感じても不思議じゃない。けど、酷い?最低?死ね?なにそれ。


「あんた達がそれを言うんだ」

「!」

「なっ、おまえは憎くねーのかよ!どんな理由があったかは知らないけど、イジメられてたんだぜ!?」


「そりゃあ憎い。でも、それであんた達は酷くないとでも思ってるわけ?」

「当たり前だろ!?騙されてたんだ」

「そうよ!私達は悪くない!」

「こいつ以上のバカがいたとはね。……疑いもせず、直接暴力を振るっていたあんたらも酷い。それから、悪事を働いていたのは全部常盤のせいだと押し付けるその心、ほんっと最低。死ねとか、人間相手にそんな簡単に言うな!!」


一気に捲し立てれば、口々に酷いやら最低やらと言っていたクラスメートは全員押し黙った。

思えば、こいつらはまだ中学2年生。
今、自分達のやってきた行いをきちんと認めて正して行けば、将来良い人間になってくれるはずだ。そう思いながら目を細めれば、突然身体が浮くような感覚に襲われる。



「っ、」

「きゃ!ちょ、優奈ちゃん!?」


胸倉を掴まれていたままの常盤は、突然あたしが体重をかけてきたことに驚いて声を上げた。そんな彼女のすぐ後ろは、校庭だ。このまま体勢を崩せば、落ちる。


「常盤、」

「な、なによ……」


「ファミリーを見つけた」

「!」

「学校の周りに潜んでるでしょ、あんたのファミリー。けど、ボンゴレを潰すことはできずに終わる、もうすぐヴァリアーが来るから」

「愛莉のファミリーを、潰す気?」


震える声。そりゃあファミリーのことは大切だろう。だって家族だものね。
でも、ボンゴレの傘下にあった常盤のファミリーが裏切り的行為をしてしまったんだから、今後のために潰さなければいけない。


「潰すよ。裏切ったのはあんた達だ」

「じゃあ、愛莉はもう」

「そう、だね。常盤に味方はいないし、もしかしたら、あんたも殺される」

「……」


「でもそれを決めるのは、沢田だ」

「ツナくん?」

「ねえ、こっから飛び降りて死のうとか考えないでよね。あんたはまだ、10代目ファミリーの一員として存在してるんだから、そのボスが判断を下すまで、命は断つな。っていうか、死ぬな」

「なんでっ、愛莉はいっぱい最低なことしたんだよ、死んだって誰も悲しまない!」


敵だらけの人生なら、愛莉は死んで捨てる。そう言い捨てた常盤の頬を、今度はペチッと軽く叩いた。


「だから言ったでしょ、あんたを大切に想ってくれる人がいるから、死んじゃダメ。この先辛いこといっぱい待ち構えてるだろうけど、それでも生きて。この罪を背負いながら」

「……っ」


眉間にしわを寄せて、今にも泣きそうな常盤の顔。それが、段々とぼやけていく。口を動かしているようだけど、その声までもが遠くに聞こえ始めた。

意識が、遠退き始めている。


そのことに少しの焦りを感じながらも、彼女の胸倉を掴んでいた手を離し、とん、と胸元を押してやれば簡単に尻もちをついて。そう、それなら落ちることはないね。その代わりに、掴んでいた場所がなくなったあたしの身体はもう自分で立つことすらできないようで、ふらりと傾き、重力に逆らうことなく屋上から身を乗り出した。


「!?優奈ちゃっ……!」

「!」



遠くで、叫び声が聞こえた気がした。




グイッ

「っ岸本!!」

「ゔ……っ、さわ、だ?」


ぶらり、ぶらり。屋上からぶら下がる身体は、風に揺られて左右に動く。目をぐっと細めれば、あたしの手首を必死に掴む沢田がいて。その横には常盤と、それから京子、花……獄寺もいる。ああもう、嫌だなぁ。


「そんな必死な顔、しないでよ」

「待ってて、今引き上げるから!」

「必要ない」


「!?優奈ちゃん、なんで!」

「優奈が死んでどうするのよ!これからまたクラスで楽しく過ごすわよ!」

「そ、そーだぜ!」


そんなこと、言わないでよ。
必死な顔してさ、あたしに死ぬなって……あはは、本当に、嫌になっちゃう。



「なんで笑ってんだよ!?」

「……っ京子と花は、わかってくれるでしょ」

「え?」

「わかるって、何をよ……」


「そろそろなの」


遠回しな言い方だったけど、それだけで二人は理解してくれたみたいだ。途端に彼女達から涙が溢れ出したのか、頬に涙が当たる。


「そろそろだか何だかわからないけどっ、愛莉に生きろって言ったくせに、優奈ちゃんが死ぬなんて卑怯よ!」

「どうして?」

「今まで辛かったのに……これからが楽しくなるっていうのに、死ぬなんてバカみたい!!」

「あー、うん、そうかもね」



でも、サヨナラしなくちゃいけないのだ。

本当はすぐに消え去りたかったのに、こんなに引き留められて。溢れ出しそうな涙を閉じ込め、あたしはフッと微笑みながら彼らに最初で最期のメッセージを告げる。


「常盤、ちゃんと生きるように」

「!」


「獄寺は、すぐカッとならないように。時には冷静に状況を見ることも、必要だよ……将来、10代目の右腕として、頑張って」

「何言ってんだよおまえ!死ぬつもりなのか!?ふざけんじゃ──んぐっ」

「こんな時くらい黙って聞いてよ!!」

「……ありがと、花」


怒鳴り始めようとする獄寺の口をバッと押さえ込んでくれたのは花だった。



「これからも京子の親友でね。今まで、支えてくれてありがとう、嬉しかった」

「っバカ」


「……京子」

「ふっ、うっ……優奈ちゃ、」

「泣かないで?あたし、京子の笑顔が大好きなんだよ、だから、笑って。これから先も、ずーっと、笑顔でね」

「うっ、優奈ちゃんっ大好きだよ」

「うん。」


泣きじゃくりながらも、きっと京子は笑顔を作ってくれた。ありがとう、あたしも大好きだよ、あなたの笑顔絶対に忘れないから。


「それと、沢田……」

「オレ……っ」

「うん?」


「オレ、岸本に暴力振るってたこと、ほんとに後悔してるんだ……!」

「ごめんはなしだよ。もう何回も聞いた」

「ゔん、だから、ありがと……っ」


ありがとうって言われるのもな……苦笑しながら、あたしはぶら下がっている腕を伸ばして、沢田の震える手に右手を重ねた。


「!」

「常盤のこと、お願いね」

「……愛莉ちゃん?」

「そう。彼女をどう処分するかは、きみが決めること。きみの決めたことに従うよう、ヴァリアーには言ってあるから、ザンザスになんて言われても、意思は曲げないでね」



言いたいことは全部言った。あとは、彼の手を離すだけ。そう思って伸ばした右手だったけど、少しだけ躊躇われた。ほらね、やっぱり帰るのが嫌になっちゃうと思った。

でも、その想いを振り切って、あたしは沢田の手を無理やり手首から離させた。



「っ!」

「優奈ちゃん!!」

「ばかやろっ」


みんな、泣かないで。
あたしは帰るだけなの、死ぬんじゃない。ああ、でもみんなからすれば、あたしは死んじゃうってことになるのかな。


落ちていく中、あたしは最後の仕事をする。

あらかじめ画面に表示してあった番号に電話をかけ、伝えれば、本当に何もかもが終わる。



『──帰るのか』

「うん。やっと、帰れるの……長かった、けど、思えば短かったのかなぁ」

『……』

「泣いてる?」

『ハッ、笑わせんな』


「ですよね。それじゃあ……あとのことは、よろしくね、ザンザス」



ピッと電源ボタンを押し、目を閉じた。



優奈!?


脳に響く声……これは、浅香?



先生!優奈の意識が、戻りそう!!



戻れる、あたしの世界に。

段々と浅香の声の方が大きさを増してきて。こちらにいられるのも、残り数秒だろうか。



「優奈!!」

「っ、?」


辛うじて聞こえた違う声に薄っすらと目を開ければ、窓から、あたしを見るひとりの人物……ああ、恭弥かな。うん、きっと、そうだ。でも、何を言えばいいのかな、全然思いつかないよ。



「──恭弥、ありがと……」



結局、そんなことしか言えなくて。

帰るだけだから、心配しないで。そんな意を込めた微笑みを向けてから、あたしは静かにこの世界にサヨナラを告げた。目を瞑る直前、地面から光が溢れ出したのが見えた。


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