君キン | ナノ


骸さんから沢田は黒曜にも足を運んでいたということを聞いて、もしかしたらいるかもしれないと思い黒曜に向かっている。他の町にはきっといない、そう思った。


「それにしても、今日暑過ぎ」


額から流れ出る汗をハンカチで拭い、ペットボトルを取り出して喉を潤すようにお茶を口の中へと流し込む。……全然冷たくない。

ふう、と一呼吸置き、また黒曜に向かって走り出そうとした時だった。トントン、と肩を叩く手。誰だろうなんて疑問にも思わない。きつい香水の匂い、それから少しの殺気……ああ、なんでこういう時に。


「常盤……」

「元気そうだねぇ、優奈ちゃん?」


後ろを振り向けば、日傘を指してにんまりと三日月形に口を歪ませた常盤。


「そんなに急いでどうしたの?」

「別にどうもしない」

「あら、素っ気ない!優奈ちゃん、愛莉ねぇ、あなたの家を見つけちゃったの」


「そ、そう」


もしかして入ったのだろうか……あそこにはヴァリアーからの手紙が放置してある、見られていたら、どうしよう。


「優奈ちゃんボンゴレ関係者でしょ」

「……いつわかった」

「んー?暗殺部隊の、スクアーロって人が来たでしょ。それで確定したの!本当はツナくん達とみんなであなたの家に入って、優奈ちゃんがどっかのマフィアなんじゃないかって疑わせてからバラバラにさせる計画だったんだけど、その人が来てくれたから手間が省けちゃった!」


今ね、面白いくらいバラバラよ、と高らかに笑いながら言う。


「悔しい?バラバラにさせずに愛莉のファミリーを暴こうと思った?ふふっ、無理だったね、愛莉の勝ち!」

「まだそんなのわからない」


「──は?」

「確かに今はバラバラだ。でも、それは現実から目を背けてる奴らがいるから」

「まぁね。でも、あんたにその現実を彼らにわからせてやることはできないし、わかったとしても今更よ、もう遅い!こっちは動き出してる!」

「なら、こっちは時間ギリギリまであんたのファミリーの名を探し出す。それさえわかれば、こちらには最強の暗殺部隊がいる。正直言うと、沢田達が真実知ろうが知るまいが関係ない……あんたらを殲滅できればね」



そう、あたしの頑張り次第なんだ。

こいつらのファミリーを暴いて9代目に報告すれば、この仕事は終われる。残りの作業はヴァリアーがやってくれるから。


真実知らなくても関係ないとは言ったけど、ほんとは知ってほしい。そうじゃないと、自分はやってないと訴え続けていた京子が報われない。彼らには、自分が酷いことをしてしまったんだという事実を受け入れてもらわなければ。

何の疑問も持たずに、ただ言いなりになっていた自分達はもっと最低で酷い人間なんだってことを、胸に刻みつけてもらわないと。



全部常盤のせいにされちゃ堪らない。



「ずいぶん余裕そうな声じゃない。この何ヶ月か愛莉のファミリーを見つけることができなかったのに、今更どう頑張っても無駄じゃない?」

「ヒントもらったから」

「……ヒント?」

「そう。だから、見つけ出すのもそう遠くはない」


「っ!ふ、ふん!そんなの無理!せいぜい頑張って足掻けばいいわ!そしてその目でボンゴレの最期を見ていればいい!!」


ギッと睨みつけてそう言い、常盤は踵を返してこの場を去って行った。

何のために引き留められたのか。ああ、きっとこちらは動いている、余裕だ、ということを見せつけたかったのかな。そういうの自慢したくなる気持ちはわかるけど、言いたいのならもっと周囲に気を配らなきゃダメだよ、常盤。



「さて、早く沢田を捜さなくちゃ」


パシッと両頬を叩き、自分に喝を入れて黒曜に向かって走り出した。




あれから、かれこれ6時間くらいは経ったんじゃないだろうか。もうずいぶん日は沈みかけていて、昼間までは快晴だったのに、今は雲行きが怪しい。いつ降りだしてもおかしくない天気だった。


「黒曜にいるはずなんだよ、絶対!」


自分でもこの自信はどこから湧いてくるのか甚だ疑問だ。でも、この進む方向に沢田がいるんじゃないかという気持ちがあるのだ。

とりあえず、今は走り疲れた。どこかに休憩する場所はないだろうかと、とぼとぼ歩いていると、空からポツリポツリと冷たい何かが身体に当たる。


「わっ、雨降ってきた」


鞄の中に折り畳み傘は入れていない。
うわわ、と焦りながら雨宿り出来る場所はないかと駆け足になる。この辺りのバス停に屋根などは付いていなかったし、夏の雨は意外と大粒だから木の下にいても濡れてしまうだろう。



ザァアアア

と、そうこうしている間に、とうとう雨は本降りに。雨宿りをしたところで、もう雨は止みそうにない勢いだった。これは先輩の家まで濡れて帰るしかない……?という嫌な考えが巡った時だった、橋を発見した。

さっきから、横に少し大きい川が流れていたことには気づいていたけど、このタイミングで橋が登場してくれるとは。ラッキーと思いながら土手を下り、橋の下に駆け込む。この数分の間でもだいぶ水分を吸ってしまっていて、髪の毛をギュッと絞りながら、もっと雨に濡れない場所に入ろうと歩を進めようとしたけど、その足は止まった。



そう、先客が、いたのだ。

ずっと、ずっと捜していた人。彼は背を向けているから、こっちには気づいていない。

あの重力に逆らった特徴的な髪は、雨に濡れてしまっているからか垂れ下がっていて。服もあたしと同じように身体にへばりついてしまっているから、身体のラインがはっきりとわかる。ああ、本当に痩せている。


「…………」


少しだけ、声をかけるのに戸惑いが生じた。
背中を見ているだけなのに、なんだかあたしの知っている彼とはずいぶんかけ離れてしまっているような、そんな雰囲気がするからだ。でも、行かなくてはいけない。


「……沢田、」



反応を示さない。あたしの声が小さかったのか、雨の音で掻き消されたのかはわからないけど、本当に、ピクリとも動かない。まさか、……いやまさかね、はははっ。

フッと出てきた恐ろしい考えを振り払い、あたしはゆっくりと沢田のもとへ近寄る。こんなに慎重に近づく必要もないんだけど。



「…………岸本、」

「!?」


驚くくらい静かに話しかけてきた沢田の声は、それこそ死にそうなんじゃないかと不安になるほど掠れていて。



「オレ……、オレ、」

「……」

「色々考えて、少しだけ答えも見えて……もう、時間もないってわかってるのに」


あと一歩、踏み出せないんだ。
そう言って体育座りをしていた沢田は、自身の両膝に顔を埋めてしまった。



ボンゴレは優奈の言葉を待ってますよ


……骸さんの言った言葉を思い出し、ギュッと痛いくらいの拳を作る。ここで逃げたらダメ、あたしも、向き合わないと。



「沢田……あたしを、信じてくれる?」

「……」

「あんたがずっと真実から逃げていたように、あたしも逃げてた。やってないと言えば、あんた達がバラバラになるってわかっていたから……」

「嘘、ついてたの」

「ごめん。本当は何もしてないよ。京子が刺されたのだって、その時初めて聞いたことだった」


「じゃあどうして本当のこと言わないんだよ!!」



顔をバッと上げ、こちらに身体を向けて少々声を荒げる沢田。けど、水分もろくに摂っていないのか、すぐに咳き込んでしまった。


「きみが違う行動するのわかったから」

「オレが?」

「そうだよ。あたしが何者なのか、きっとスクアーロが来る以前からなんとなく気づいてはいたでしょ?」


「……まぁ、うん」

「だからさ、きみは信じてくると思った。でも、獄寺や山本は絶対にそんなことはあり得ない、きみのその行動を疑う、そして離れる。その危うい状態のところで襲撃されたら堪らないと思ったの」


まぁ、もう意味ないけどねと肩を竦めながら言えば、沢田はあたしから視線を外して遠くを見つめた。そんな彼を見つつ、言葉を続ける。


「でもそれは、あたしの逃げ。きみ達の絆の強さを信じ切れていなかった……どうせ沢田が何を言っても、彼らは信じないだろうって勝手に思った。今更だね、ごめん」

「……」

「もっと嫌になるくらい、やってないって訴えればよかったのかな。
でも、きみ達もきみ達だよ。いいように操られて、何も疑問に思わなかった?イジメが起こった本当の理由は知ってた?その現場を見たことがあった?全部、結果じゃなかった……?」


ああ、どうしよう。どんどん言葉が溢れる。沢田を見つけたら、自分はやっていないということだけを言うつもりだったのに。



「京子がどれだけ苦しんだと思ってるの!?やってないと訴えても結果ばかり見て、彼女の言葉を聞こうともしなかった!あの子がどれだけ泣いたと思ってるのよ、どうして今になって現実と向き合おうと思ったのよ、もっと以前にそんなチャンスいっぱいあったでしょ!?いい加減目を覚ませバカ!!」


「!」


京子の気持ちを想うと胸が痛いよ。抑え切れない想いが溢れて、どんな言葉が飛び出すのか自分でもわからなかった。

目を覚ませ、そう言った瞬間だった。今まで虚ろだった沢田の目に光が宿った気がした。



「わかったら早く帰──うわっ!?」


踵を返そうとした時だ。グイッと突然引っ張られた腕。何日間か何も食べてなくて弱ってるくせに、その力だけは強くて。いつも以上に走り疲れてへばっていた身体は、簡単にバランスを崩して彼の腕の中に。ちょっと、な、なに!?


「放して!」

「……」


ぐぐぐ、と胸板を押すも離れなくて。でも、段々と沢田が震えているのに気づいて、あたしは抵抗するのをやめた。


「オレほんと、バカだ……」

「……」

「京子ちゃんがイジメなんかする子じゃないって、ほんとはわかってたはずなのに。でも、愛莉ちゃんが嘘をついてるだなんて思いたくなくて……頭の中ごちゃごちゃになって。ほんとは、理由を聞けばよかったんだ。なのに、聞かなかったのは、どっちも信じていたかったからで……けどそれは現実から逃げてるってこと、そんな自分が許せなくて」



いつしか、暴力がストレス発散になっていたのかもしれない、と細々と言葉を紡ぐ沢田。ストレス発散に使われていたあの子の気持ちを、考えなさいよ、バカ。


「京子は痛かったよ、心も、身体も」

「……うん、謝っても、謝り切れない」

「謝って済む問題じゃない。でも、その行為がとても酷いことで罪深いことであるのをきちんと理解した上で、一度だけでいい、心から謝罪して。そうすれば、京子は笑ってくれる」


「そんなわけ」

「ある!京子は優しい子なんだよ」



ほら、早く帰ろう。そう言って沢田の腕からするりと抜け、雨の降り注ぐ方へ足を進めようとした、けれど、ギュッと手首を掴まれてその行動は阻止された。


「岸本は、」

「え?」

「岸本は、苦しかった……?」


沢田の目が、あたしを捉えて離さない。


「任務だもん。バラバラにさせないためにわざと自分がやったように言ってたし、暴力を受けるのは覚悟の上だった……うん、でも、」



苦しい、苦しくなかったで言えば、苦しい。覚悟したことだったけど、暴力を受けて平気なわけないじゃないか。でも、言葉にはできない。我慢していた涙が、出てしまうと思ったからだ。

だから、口パクで伝わればと思った。



「ほんとは、(とっても苦しかった)」

「!」



「いたぞぉ!岸本だ!!」

「!?」


雨の中、誰かがあたしの名を叫んだ。豪雨のせいでよく見えない……目を凝らしてようやく確認できたのは、それがクラスの人だということだ。突然なんなの。


「またテメェは岸本さんを……!」

「泣きながらオレ達に連絡してくれた!」

「夏休みになってまで手を出すたァ許せねー奴だなほんと!ボッコボコにしてやる!」


傘も差さずにあたしを捜していたのはそういう理由か。呆れてため息が出てしまう……わざわざ連絡入れる、という時点で変だと気づけばいいのに。一体何人に連絡をしてるのよ。


雨の中飛び出しても、沢田の体力がいつまで保てるかわからない。だから、あえてこの場を動こうとはしなかった。一般人だけなら、あたしでもどうにかなると思った。

運のいいことに、山本はいない。



「あらら、ダメツナがいるんだけど」

「あ、そーいえばこいつ常盤さんを裏切ったって!」


最低だよなぁ?と口々に言う男子達。その間も、どんどんあたしと沢田を取り囲んで。完璧に逃げ場はなくなった。

早く片付けてしまおうと地面を踏む足に力を入れた時だった。



「岸本は下がってろ、オレがやる」


「何言って……!?」

「もう傷つけない。だから、下がってろ」


あたしを守るように自分の後ろに回した沢田を見れば、驚くことに、超死ぬ気になっていて。死ぬ気丸持ってたの?それともリボーンがどこからか撃った?

ううん、そんな時間はなかったし、リボーンはこの場所を知らない。まさか、死ぬ気丸ナシで超死ぬ気になったというの……?



「岸本を守る」

「──!」


そう言ってから沢田がここにいる男子をすべて倒してしまうまでに、さして時間はかからなかった。初めて目の前で見た死ぬ気の沢田。その強さと言ったら半端なくて、しばらく開いた口が塞がらなかった。



「ぐはぁっ……」


ドサッ

「はぁ、はぁ……、」

「あっ……沢田!」


最後のひとりが倒れたのを見て、沢田の額に灯っていたオレンジ色の炎がしゅんと消えると、力尽きてしまったのか身体が傾く。倒れる、と判断した時には、すでにあたしの身体は駆け出していて、すんでのところで沢田を抱き止めていた。



「なんで、こんな無茶を……」

「スクアーロに、絶対守れって言われてたんだ……それと、オレ自身、岸本を守りたいって思ったんだ……っ、そんな理由じゃ、ダメ?」

「……ダメじゃ、ないよ」


「はは、ありがと」


疲れ切った笑顔。でも、どこか安心したような笑顔を向ける沢田。ありがとうって、それはあたしのセリフだよ。


「オレのこと捜してくれて、ありがと。ほんとのこと、話してくれてありがと……ようやく、一歩踏み出せそうだよ」


「……沢田?」

「──」

「疲れて、寝ちゃった?」


あたしに身を預けたまま、沢田は静かに寝息を立てていた。今まで睡眠も疎かにしていたのか、あたしが少し大きめな声で話しかけても起きることはなくて。

そんな沢田から視線を外せば、彼に倒されて地面に転がる男子達。



「ダメツナなんて呼ぶな、バカ男子」


聞こえないだろうけど、言いたかった。

ダメなのはあんた達だ。
常盤に操られるだけの、ただの玩具。



──さて、これからどうしよう。

雨の中この沢田を担いで戻るわけにもいかないし、それ以前に沢田を家に入れてくれないだろうな恭弥先輩は。

鞄の中の携帯を取り出す。時間はもう7時を過ぎていて……ああ、ご飯遅くなる。怒られるな、と思いながら電話帳を開いてある人物の名を探し出す。



プルルル、プルルル

「あ、もしもし?」


いつ振りだろう、彼の声。
慌てて電話に出てくるのが懐かしくて、つい笑ってしまった。呆れたような、安心したような声が耳に届く。



「今ね、黒曜と並盛の境くらいにある橋の下にいるの……迎えに来てくれる?」


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