君キン | ナノ


夏とは思えないほど、涼しい風が吹き込む。

外からは、毎日練習を怠らないサッカー部と野球部の元気な声。廊下からは、音楽室から漏れている楽器の綺麗な音色が微かに聞こえてくる。



「……飽きた」


この保健室生活、4日目に突入したわけだが、なかなか出してもらえないし動かしてもらえないしで……結局、そのせいで恭弥先輩にも助けてもらったお礼を言えていない。暇なのかと疑うくらい1日中見張りっ放しのシャマルだったが、珍しく今日はずいぶん長い間保健室を空けているな。


「シャーマルっ、シャマルー?」


返事も、気配もない。
時は来た。今こそ保健室を抜け出し、恭弥先輩にお礼を言う時!

バッと毛布から出て、スリッパを履き保健室の扉へと向かう。ガラガラガラ、と慎重に開け、ひょこっと顔だけを出して廊下に誰もいないことを確認する。シャマルのお陰で腹部の傷はほぼ治っていて、以前の動きとまでは言えないけどかなり楽に動けるようになっていた。心の中で、シャマルにお礼を言いつつ、廊下を駆け上がる。



コンコン、と応接室の扉をノックすれば、中から恭弥先輩の声がする。現在見回り中、とかじゃなくて本当よかった……ホッと胸を撫で下ろしながら、扉を開ける。


「どうしたの」

「えっと、お礼を」

「お礼?」


「はい。あの時恭弥先輩が来てくれなかったら、絶対に倒れたまま動けなかったし。だからすっごく感謝してます」


しばらくして、あぁ、と短く零す先輩。もしかして、忘れてた……?でも、いいんだ、あたしが勝手に言いたかったことなのだから。
それから何を言うでもなく、先輩は再び手に持っていた資料に視線を落として仕事の続きを始める。保健室に戻るっていう選択肢もあったけど、その際に見つかってグチグチ言われるのも嫌だし……と、あたしは静かに移動してソファーに腰を下ろした。


長い長い静寂が応接室を包み込む。でも、別に嫌な雰囲気じゃなかった。他の人相手ならば、何か話さなくちゃと思って落ち着かないところだけど、なぜか先輩に対してそういった焦りの感情は生まれない。



「優奈、お茶」

「え!?」

「復帰祝いに、お茶淹れて」

「いや普通逆じゃ……や、やります」


突然声を発したかと思えばお茶淹れて。恭弥先輩もかなりリボーンと同じ部類!だけど無言の圧力と鋭い視線で睨まれたらお手上げだよね。ブツブツと聞き取れない程度に文句を言いながらお茶っぱを湯呑に入れ、熱いお茶を注いでいれば、先輩が不意に訊ねてきた。


「優奈、きみは何がしたいんだい?」


「……え」

「きみは笹川京子を刺してない。なら、どうしてやってないって言わなかったの」

「それは……」

「何を悩んでるのか知らないけど、僕にもその悩みを打ち明けずに、孤独の道を選ぶ気かい?相当な物好きなのかな、きみ。僕なら別に構わない道だけど、きみは違うでしょ。
ひとりじゃ、きっとそのうち何も吐き出せずに自身が壊れていくだけだ」



もとが吐き出すような質じゃないだろうし、と付け加えてから再び口をつぐんで、視線に資料を落としてしまった。

キュッと胸が締め付けられた。何も吐き出せず、自身が壊れていくだけという言葉が今のあたしにピッタリ過ぎたからだ。あることないこと全部嘘にして、自分をどんどん追い込んで……ああ、どうしてあたしは、こんなにも上手にできないんだろう。


「……こわい、んです」


お茶の入った湯呑を先輩のテーブルの上に置きながら出た言葉は、あまりにも弱々しく震えていて、自分でも驚いた。



「……ふうん」

「先輩の言う通り、あたしは京子を刺してなんかいない。けど、……ほんとに、怖くて。あたしが本当のこと言ったら、きっと、沢田だけは違う行動に移すから……でもそれは、ボンゴレをバラバラにさせるための引き金にしかならないからっ」

「そう。“ボンゴレ”……ね?」


「あ」


しまった、と口を塞ぐがもう遅い。目の前には、妖しく笑う恭弥先輩がいた。


「ま、今更だけどね。赤ん坊や跳ね馬がきみを助けに来た時点で確定はしてた」

「そうですか」

「もうずいぶん前のことだけど、六道の話。もう聞いてもいい頃でしょ……きみは、何者?」



ひと口お茶を飲み、それからこちらに向けた視線は鋭かった。そういえばそんな話もあったような気がする……まさか、覚えているとは思わなかったけど。

確かに、話してもいい頃。でもなんだか、怖い。あたしの正体を知って、どう思われるかわからないし、あの二人のように受け入れてくれる保証なんてない。トクン、トクンと心臓の音が頭に響く中に、恭弥先輩の真っ直ぐな声が入ってくる。


「僕は、優奈を傷つける側には回らない。あっちは、群れているしね」

「……」


「これでも、きみを信用してるつもりだ」


その言葉に、顔が上がる。先輩を見れば、照れ隠しなのかそっぽを向いていたけど……だけど、その言葉に嘘がないことくらいはわかる。冗談で言う人なんかじゃないから。

信じてほしい、と言わなくても信じてくれる相手がいることって、幸せだ。本当に心からそう思った。それなのに、言わないなんて選択肢が果たして存在するのだろうか。グッと拳を握り締め、意を決した。



「話します、全部……」



途中、先輩と目を合わせているのがつらくなって、逸らしたりもした。言葉に詰まることもあった。途切れ途切れに、でも全部のことを包み隠さず言おうと言葉を紡いでいる最中、恭弥先輩は一言も喋らずに、ただ黙って聞いてくれていた。

違う世界の人間だということ、会う前から先輩達のことを知っていたということ、ボンゴレの暗殺部隊と4年間過ごしていたこと……それから、並盛に来た理由も。


「優奈が来た理由は、常盤愛莉が関係している敵を見つけ出すってこと、か。ふうん」

「あの、違う世界って話……何とも思わないんですか、嘘だとか、思わなかったんですか?」


「信用してるって言ったでしょ。それに、話している時のきみの目に嘘偽りはなかった……あんなにも真っ直ぐなのに、気づかない草食動物はバカだね」

「それは、違うんです」

「?」

「あたしがいけないの。人のことどうこう言えない……常盤のこと言えないくらい、あたしだって嘘ついてきた。京子を守るためなら嘘ついて自分を犠牲にしてもいいって思ってたし、本当のこと訴えたところで彼らは信じてくれないと勝手に解釈していた……だから、必死にもならなかった、どんな結果であれ終わる時は来るんだからって」


本当は、沢田達が優しい人だってずっと前から知っていたよ。ただの偏見かもしれない、漫画からの情報だもん。だから実際はわからない、でも、仲間……ううん、常盤を守るためならと全力を尽くしていた人達。その気持ちは本物だから、きっと優しい人達なの。

でも、もう遅かった。
これから、あたしがどんなにやっていないと訴えようとも、もう何もかも遅いんだ。



「あたしのせいで最悪な結果を導きそうになっちゃってて」

「でも、きみはそのために来たわけじゃない」

「はい。あくまでも敵マフィアを見つける……それが、最終目的なんですけど」

「見つからないわけだ」


その一言にガクッと項垂れる。そう、バラバラになってしまうことが避けられないならば、いっそのことその前に見つけ出せばいいと思って調べてはいるのに、なかなか見つけることができない。


「案外ヒントは身近にあるものだよ」

「え?」

「全マフィアを虱潰しに調べていったところで、相手はどうせ情報を隠してるはず……そんなので見つかるわけないよ」

「ゔ……!今までの努力は全部無駄ってことじゃないですか!地味に傷つきます!」


「手伝おうか」

「ダッダメ!それはダメです!これはあたしが与えられた任務、だから最後まで自分ひとりでやりたいんです。これだけは、絶対に譲れないです」


リボーンなら、もう見つけているのかもしれない。でも、それを言わないのは、あたしのことを思ってだろう。イタリアから任務として来たのに、彼が見つけてしまってはあたしの意味はない。そもそも、この世界に存在している意味がわからない人間だ。

仕事は誰よりも遅いかもしれないけど、あたしが存在する意味を失くさないための、彼なりの優しさなんだろう。



「意地っ張り」

「わかってます。」

「そこまで言うのなら手伝わないけど、僕のあげたヒントだけは受け取りなよね」


「っはい」


素直に、嬉しかった。異世界云々に関して、恭弥先輩は“信用してるから”その言葉だけで、それ以上追及してくることも、あたしを変な目で見ることもしてこない。というか、本当に気にもしてない様子で、暇だったらこの資料に判子を押して、と仕事を任されてしまった。

あ、そういえばあたしって風紀委員だった。



「先輩、長期休暇時の風紀の仕事って、何してるんですか?」

「並盛の見回りとか」

「学校だけじゃなく!?それって警察に任せておけばいいことじゃないですか」

「僕が秩序だからね。並盛に関しては、僕がすべて取り締まってる」

「(中学生のやることじゃない!)」


「驚いてないで、手を動かす。」


文字の羅列に目を通していく恭弥先輩は、全然こちらを見ることもなく言った。なんで手が止まってるのわかったの、と思ったけど判子を押す音が聞こえないなら当たり前か。かなり単調な作業で暇だけど、保健室でぼーっとしてるよりはマシだった。



「人間不信、治ったみたいだね」

「……え」

「きみ、あの時目を覚ましてから酷い怯えようだったじゃないか」

「そうでしたね。なんだか誰も信じられない気がしちゃって……でも、今は平気です。信用してくれてる人まで信じられなくなっちゃうとか、なんて浅はかな行動をしたんだろうって、この前気づきました」



彼らにも距離を置かれると言われた瞬間、苦しくて、怖かった。自分が彼らを避けるような態度を示した時点でそうなる可能性も0じゃないことくらいわかってたのに。いざそれを口外されると、とてつもなく怖かった。

なんて、欲張りなんだろうか。
あたしは避けてしまうかもしれないけど、それでもあなた達には信じてほしいだなんて自己中にもほどがある。


しゅん、と肩を落としながらポスポスと判子を押していると、はっきりと聞き取れるようなわざとらしいため息が聞こえた。



「?」

「きみに行っても問題はないと思うけど、4日前くらいから、沢田綱吉の行方がわからないんだ」


「……はい?」


耳を疑った。なぜ、そんなことに?



「その日、暗殺部隊が来ただろう?学校に不法侵入なんてして、咬み殺そうかと思ったよ」

「スクアーロ!まさか、何か余計なこと」

「さあ、そこまで詳しいことはわからないけど、接触したことは確かだね。商店街が酷い荒れようだったよ」


そりゃ、あたしが傷だらけの理由が沢田達にあると知って彼が何もしないわけがない。でも、そこで沢田が行方不明になる原因がわからな……いや、待って、あたしが彼の心配をしたって意味ないでしょ。しっ死んでさえいなければ未来に影響は出ないんだから……平気だよね!うん、そうだよ!!


「浮かない顔してるね、心配?」

「そっそんなわけ」

「きみ、嘘下手だね。目が泳いでるよ」


「っなんで先輩、そんなにわかっちゃうの!?みんなあたしの嘘わからないのに」

「わかろうとしてないだけじゃない?」


フッと鼻で笑う先輩をジトッとした目で見る。心配なんか、してない……。


「外出を許可するよ」

「?」

「そわそわし過ぎ。今日どうして変態医師がいなかったかわかる?きみを抜け出させるためにわざと離れたんだ」


「え、まさか」

「嘘言ってどうするのさ。もう充分動けるまで回復したんだから。……はい、きみには風紀の仕事をしてもらうよ、これが沢田綱吉の捜索願い」



ピラッと差し出された一枚の紙。この子捜してください、とでかでかと書かれてあった。きっと、奈々さんが心配して警察に届を出したんだろうけど、これは……まるで飼い主が「行方不明になったペット見かけたら連絡ください」と電柱に貼ってるようなものととっても似ていた。



「委員長命令だよ」

「……」

「本当は、やってないって、言いたいんだろ?もしそれで仮にバラバラになったとしても、それをどうにかするのは沢田綱吉。誰よりも弱そうに見えるけど、芯は強い奴だ」


だから今までの難も、乗り越えられた。恭弥先輩の言う難というのは、黒曜中やリング争奪戦の時のことを言っているのだろうか……。

うん、本当のこと言いたい。
バラバラになってしまうんじゃないかってことを恐れてたら、いつまで経っても何も変わらないんだ……今まで目の前の状況ばかり鵜呑みにしていた沢田が、ようやく真実と向き合おうとしていたのに、そんな彼からあたしは逃げた。


今度は、逃げちゃいけない。



「じゃあ、行ってきます」

「遅くまで捜しても見つからないようだったら、ここに来て。もう保健室は嫌でしょ」

「住所……もしかして、先輩の家?」

「そうだけどなに?」

「う、嬉しいです!ぜひお邪魔させてください!」



住所の書かれた一枚の小さな紙を受け取り、応接室を出れば、あとはもう駆け出すしかなかった。


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