君キン | ナノ


目が覚めて、ぼやけた視界が段々とクリアになっていくにつれて、ここは応接室なんだとわかった。それからシャマル、ディーノ、リボーン、恭弥先輩……沢田がいて、危害を加える人なんてほとんどいないと認識したから、平気だって思った。

なのに、震えた。
怖がる必要なんてなかったはずなのに、声も、身体も、震えてしまった。



「……」


少しの間ひとりにさせてもらい、幾分落ち着きを取り戻した頃、ソファーから起き上がって廊下にいたディーノにもう大丈夫だと伝えた。
それからすぐに学校を出て、今は車に揺られながら沢田の家に向かっているけれど……依然として身体の震えは治まらない。




──人間が、怖い。


キキッ

「着いたぜ、優奈。……おい、優奈?」


「! あ、うん。ごめんなさい」


運転席から身を乗り出し、着いたと知らせるディーノの声にしばらく気が付かなかった。ハッと我に返り微笑んで見せるけど、きっとその表情は酷いものなのだろう……彼の表情が曇ったのが、何よりの証拠。


「大丈夫か?」

「平気……ただ、身体が、痛かっただけ」



彼は味方だとわかっているのに、自然と壁を作り、距離を置き始めようとしている自分の心にイライラする。

車から降り、目の前に立つ沢田の家を見た。
正直、こんな傷だらけで痛々しい身体をしている姿を、事情を知らない人達には見てほしくない……不安にさせてしまう、迷惑をかけたくない。


インターホンを押すことに躊躇していると、ポンと両肩に誰かの手が乗っかった。それだけでも、身体は異常なほどの反応を見せて強張り始めた。


「……辛いかもしれねぇ。けど、今ひとりになったらもっとダメだぜ」

「……」

「もし、もし本当に辛くて堪らないのなら。優奈、イタリアに帰ろう」



「え?」

「任務のこと、リボーンから聞いて多少は知ってる。けど、こんなの……!任務を全うするためとは言え、ここまで傷つく必要なんてないはずだ!!
なぁ、身体が違うからって軽視し過ぎだぜ!?もっと自分を守れよ、人を頼れよ!勝手にひとりで突っ走って傷つくな……傷つくなよ、お願いだから」


こんなにも震えているのは、誰だろう。

その答えは簡単だった。
最初は怒鳴るように言葉を発していたディーノは、段々と震えるように細くなっていって、弱々しい声で言葉を続けた。そして気づけば、両肩にあった手は外れて、あたしを包むように背中からきつく抱き締めて声を押し殺しながら泣いていた。


「任務……辞めちまえよっ、9代目にはオレから言っておくし、それに9代目も」

「わかってる、よ。でも、おじいちゃんだって、あたしに傷ついてほしくてこの任務を頼んだわけじゃない……こうなってしまったのは、力不足のせい。あたしがもっと強ければ、よかっただけなんだよ。ディーノ、気持ちは嬉しいけど、任務は辞めないしイタリアにも帰らない……ねぇ、泣かないで」


「バカッ、おまえが泣かないから、オレが代わりに泣いてやってるんだろうが!!」



サッと離れると、あたしに見られないようにか、こちらに背を向けて流れる涙を腕でぐいっと拭っているようだった。他人の心の変化に気づけて、他人のために泣けるくらい優しいボス……だから、あんなにも部下に愛されて。


真っ直ぐに生きているあなたが羨ましい。



「助けに来てくれて、ありがとう」

「っ、」

「泣き顔、見られたくないでしょ?今日はもう大丈夫だから、送ってくれて、ありがとうね」


「……優奈、」


彼の背にそう言い、あたしは沢田の玄関へと向き直った。今は、彼の顔が見れない。見たらきっと、弱くなりそう、イタリアに帰りたいと言ってしまいそうだから。


「ゆっくり、休めよ?」

「うん」



ブロロロロと車が過ぎ去る音を聞いてから、緊張する手を動かして、インターホンを押した。その瞬間から、誰が出て来るのだろうという不安の波が一気に押し寄せる。ああ、今すぐにでも逃げてしまいたい。



けど、これ以上の迷惑はかけられない。



ガチャ、と扉が開く音がすれば、小さな赤ん坊がお出迎え。待ってたぞ、と言う彼に弱々しく微笑むと、何かを感じ取ったのか、表情を見られないようにという気持ちからなのかボルサリーノを深く被り直してしまった。


「とりあえず上がれ。ママンに挨拶するか?」

「こんな状態、見られたくないから……悪いけど、今は無理」

「そうか。優奈の部屋は2階の一番奥に用意してあるからな、そんじゃあな」


「うん」


いつもより素っ気ない態度のリボーンに、少なからずあたしは安心していた。彼は、わかってくれたのかもしれない、ひとりになりたいという気持ちを。

靴を脱ぎ、痛む身体に鞭を打ってゆっくりと階段を上がる。2階の廊下を歩けば、奥の部屋へと辿り着く前に、部屋の扉が数センチ開かれているのが目に入った。こっそりと覗いてみれば、ベッドの上で小さく体育座りをしている沢田がそこにはいた。



「(隣の部屋、か)」


軽くため息をつきながら離れ、用意された部屋に入ってみれば、ずいぶんと長いこと触れていなかった畳が広がっていた。久々の日本らしい感触に、あたしは電気も点けずに部屋の隅っこへと行き、壁に背を預けながら座り込んだ。

でも、安らげる場所なんてなかった。
目を瞑って落ち着かせようとしても、逆にあの時の恐怖と痛みが蘇ってしまうだけ。


こてん、と体勢を崩して横になった時だった。閉めていたはずの襖が静かに開き、廊下から漏れ入る光のせいで顔は見えていないけど、シルエットで誰が来たのかはすぐにわかった。瞬間、身体が震え上がる。



「……」

「……」


襖を開けて入って来たのは沢田。それから、何を言うでもなく、彼はゆっくりと襖を閉めて近づいて来た。

一歩、また一歩と歩み寄って来る度、それに比例するようにあたしの心拍数もどんどん上がっていく。横になっていた身体を起こし、もう隅っこで逃げられないことはわかっているのに、もっともっと後ろへ行きたいと思う気持ちばかり募って壁に背中を押し付けてしまう。



「来ない、で……」


警報音が頭の中で鳴り響く。
これ以上近寄らせてしまったら、危ない。そう感じるのは、あたしが人間に対して恐怖を抱いてしまっていることと、沢田がいつもと違う、だからこそ何をするかわからないからだ。



「来るなぁあああっ!!」

「!」


精一杯の声を絞り出して拒絶反応を彼に示す。なのに、一瞬びくりと肩を揺らしただけで、歩む足は動いたまま。なんで来るの、来ないで、来ないでよ!

パニックを起こしながらひたすら拒絶の言葉を連ねても、お腹に力が入らず声も弱々しいせいで、彼の足は全然止まろうとしない。誰でもいいから、気づいて。その願いも届かないまま、とうとう沢田はあたしの目の前に辿り着いた。


そして、しゃがみ込む。



「──っ」


そうすれば、ピタリと交わる視線。
吸い込まれてしまいそうな瞳をしている沢田を見て、こいつは誰だ、と感じた。それと同時に、何もかも見透かされてしまいそうな気がして、耐え切れずに視線を逸らした。けど、その行動はすぐに無意味になる。



ぐいっ

「!?」

「オレの目見て。逃げないで」


突然頬を両手で包むように挟まれたかと思えば、視線を合わせるように、強制的に顔の向きを正面に持って来られてしまった。目の前の顔は、しばらく険しい表情をしていたけど、次には目を見開く顔に変わった。



「触ら、ないでっ……」


意図したわけじゃない。なのに、涙が出た。
今までこういった場面で泣くなんてしてこなかったからこそ、自分自身戸惑っているし、それはきっと沢田もそうで。


「何してんだ、ツナ」



ビクッと揺れた沢田の肩越しに、リボーンの姿を見た。怒気を含んだ口調で問いかけるリボーンに、しゃがみ込んでいた沢田はスッと立ち上がると、部屋から出る間際によくわからない言葉を放った。



「──確かめたかっただけ」


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