君キン | ナノ


「それじゃあ通知表渡すぞー」


その担任の一言で、ゆるかった雰囲気が突如として緊迫したものに変化した。受験に関わってくる成績だ、ドキドキするのも理解できる。それでもやっぱり、今日から長い長い夏休みに入る嬉しさもあるからか微妙な盛り上がりも見せている。



「(はあ、それよりも、身体が痛いなぁ)」


主に服で見えないようなお腹や背中、肩。
シャマルとの約束があるので、なるべく避けるようにしてきたけど、テストの結果が悪かったせいなのか、まるでストレス発散するように暴力を振るって来た。

きっと今日も、成績が悪かった!という理不尽な理由で呼び出される可能性もあるな……なんて思っていると名前を呼ばれた。



「なかなかの成績じゃないか!この調子で、2学期も頑張るんだぞ!」

「は、はぁ……」


薄っぺらい紙1枚を渡しながら、担任はよくやったと肩をバシバシ叩く。痛いからやめてもらえないかな……痣だらけの肩もそうだけど、クラスメートの視線も痛いから。

それからというもの、最後の人の名前が呼ばれるまで、あたしはチクチクとした視線を我慢しなければならなかった。




「これで1学期は無事終了したな。これから約40日間の長い休みに入るわけだが、勉強は怠らず、生活習慣もなるべく崩さずに過ごすように!それじゃ、楽しめ!以上!」


ニカッと白い歯を見せてから担任が教室を出て行くと、それからすぐに教室内はわっと盛り上がりを見せ、各々成績の見せ合いっこなどしている。そんな様子を見ながら、あたしは机の上に転がっていた紙クズを捨てようと席を立ってゴミ箱に向かった。

そして、手からゴミを手放した時だった。



パシッ

「え……」


骨が折れるんじゃないかってくらいの強さで手首をギュッと掴む手の主を見ようと視線をずらして行けば、唇が三日月型のように歪ませて笑っている常盤がいた。



「愛莉ちゃん!?」


被害者と加害者。
そんな関係にある二人が接近していて見逃す人なんていない。

そして、いち早く気づいたのは沢田。



「っ、痛い痛い痛いっ!!」

「は!?」


あまりの早技に頭が追いつかなかった。こちらにクラスメート達の視線が集まった途端、常盤は誰にも見られないようにあたしとの立場を逆転──そう、あたしが彼女の手首を掴んでいるようにさせていたのだ。

痛い、放して!と訴える常盤を見て、あたしは焦りを感じながらパッと手を放して数歩後退した。



「愛莉ちゃん大丈夫!?」

「う、うん……」

「おい岸本!常盤さんになんてことを!!」

「最近何もしてないから反省してんのかと思ってたけど、そうじゃなかったんだな」


「してない……あたしは、何も」

「嘘言ってんじゃねーよ!!」


ダッと駆け出したかと思えば、勢いよく飛んできた獄寺の拳。それは見事にあたしの左頬に当たり、力強いそれに耐え切れずに体勢を崩して倒れ込んだ。


「いっ、たぁ……」


「テストやら何やらで相手してやれなかった分、今日はみっちり相手してやるよ」

「今日から運のいいことに夏休みだし?すっごいボコッても別に構わないよな、ゆーっくり休めるんだからさ!」

「オレも加えてくれよ!これから家帰ったら母ちゃんに怒られっかもだし、その前にストレス発散しときたいんだわ」

「あはは、なんだよそれ、成績悪かったのかぁ?でもま、丁度いい道具だよな、コレ」


あたしを取り囲むように集まって来る男子達。これからの運動のために準備をしているのか、関節を鳴らしたり肩をぐるぐると回している。

山本に至っては、机の横にかけてあった愛用のバットまで持ち出して。久々に……いや、これまでにはなかった道具まで持ち出されて、危険だと脳内に知らせる警報音はいつも以上にうるさく鳴り響いた。



「おら、立てよっ!」

「いっ」

「ははっ!まずはサンドバッグになってもらう、ぜっ!!」


腕を引っ張られたかと思えば、背中を押されて。無防備になった身体に、容赦なく蹴りや拳が飛んできた。腹部に集中する攻撃に、何度も何度も意識が飛びそうになる。


声にならない叫びが上がる。
でも、負けたくない。その想いから、あたしはギュッと唇を噛み締めて痛みを堪えた。



「ゲホッ、ゴホッ……!」

「ってか細くてやり応えねーなー」

「可愛い顔が台無し──って、泣いてねぇし」

「うわ、つまんね」


「ねぇ、次は私達がやりたいなっ」


攻撃を受けていたことで倒れることができなかった身体は、それがピタリと止むと、その場に力なく崩れ落ちた。

そんな弱り切ったあたしを見てか、今なら女でも何かできると思ったんだろう。今まで罵声だけで済ませていた女子達が自ら名乗り出て、数人があたしを囲み出した。ああ、また蹴られるのか、と思っていた。



「私ね、ずっとその目が嫌いだったの」

「そうそう。見下すようなね……そんな目で愛莉のこと、見ないでくれないかな?」

「取っちゃいたいよねぇ」


しゃがみ込み、あたしの顔を覗き込みながらニタァと笑う女子達。

ゾクリと背を走る寒気に、意識は自然と両目に。このままでは光が見れなくなるかもしれないという恐怖感に襲われ、手で両目を覆おうと動かした時だった。


パシッ

「!?」

「目は可哀相だし、この爪とかどう?」



なんで、なんで、ナンデ──?

どうして急に、イジメのやり方が変わった……?


ゴミを投げてきたり、人の前でわざと聞こえるように悪口言ったり、机とか椅子、下駄箱に細工をしたりと肉体的な攻撃はなかったというのに。



「これって、手で取れるもんなの?」

「……っいや」

「さあ?でも、思いっ切り引っ張ればいけんじゃないかなー」


「いやっ、いやいやいやいやいやぁああああ!!」


掴まれた手を振り払おうとしても、両足や腹部をがっちりと押さえ込まれていて力が全然入らない。ドッドッドッ、と心臓は早鐘を打つ。


いやだ、やめて、やめて……!

手を引っ込めたいのに、どうしても動かない。身体が震える。そして目に飛び込んでくるのは、あたしの爪に近づいてくる誰かの白い手。



「あ……あ、いや、いやぁッ……」


「じゃあ、いっきまーす」

「せーのっ」



グッ……

 ブチィッ

「あ゙ッ、う、あぁあああああ!!」


想像を絶する痛みに、とうとう目から涙が零れた。我慢なんて、できなかった。
咄嗟に手を引っ込めて右手を守るように押さえると、そこに存在するべきものが、ひとつ欠けてしまったという現実を嫌でも知ることとなった。


「意外だなぁ。血、もっと出ると思ってたのに」

「でも、こいつの泣き顔見れて満足だわ」

「それじゃ、気分最高のままカラオケに行って歌いまくりますか!」


見せつけるように、あたしの爪だったものを床に置いて踏み潰す。そして、あとはどうぞ、なんて言いながら女子達は出て行った。


もう、このまま、意識を飛ばしてしまいたい。


肉しかない指先に触れる度、涙が出て止まらない。涙で滲む視界。床に蹲って右手の痛みに耐えるあたしの耳に、嫌な単語が飛び込んできた。


「フィナーレは山本のバットだろ」



ねえ、そのバット……


「ああ、任せとけ」



そのバットは、刀に変わるモノですか──?


けど、そんな疑問言えるはずもなくて。
校庭でやらないか、という提案に反対する人もいなくて、抵抗したくてもボロボロな身体は軽々と獄寺に担がれて教室を出る。

嫌だ、嫌だと訴えても、聞こえてもいないのか、まるで反応を示してくれない。山本、獄寺を先頭に、ぞろぞろとクラスメート達がついて来る……ああ、沢田はいないんだね。



「(誰か……っ)」



どうして、こういうピンチの時に限って、廊下ですれ違う人もいないのだろう。









ドサッ

「……っ」


まだまだ太陽の日差しが強い校庭を抜け、2−Aの沢田を除いた男達は体育館裏へと集まっていた。獄寺に担がれていた身体は、そこに着いたや否や、汚いものを投げ捨てるかのように地面へと落とされた。

痛みだらけで、もう、感覚すら残っていないこの身体は、また傷つけられるのだ。



少し離れた場所で、山本が軽く素振りをしているのが目に入った。勢いがないからか、まだそのバットが刀に変化することはない。もしも本当に刀に変わるものなら、あたしはそれを受けて、果たして生きていられるのだろうか。



このまま、死んじゃうのかもしれない。

だって、助けなんて、来ないから。



ポケットに入っている携帯に手を伸ばすけれど、それを握り締めたところで終わってしまうのだ。こういう時ばかりは、自分の性格を恨みたくなる。



「よし、いくか!」

「おっ準備できたんだな!いっけー山本!」

「ボッコボコにしてやれ」

「くくっ、ゾクゾクするなこれ」


周りはやれやれと煽り立てる。その様子じゃあ、山本と獄寺以外の奴らは、そのバットが刀に変化するとは微塵も思っていないんだろう。

その声に笑顔で応えながら、山本はいきなり行動に移すことはせずに、あたしの目の前にやって来てしゃがみ込み、そして顔を覗き込むように見てきた。



「どうして急にエスカレートしてんだ?って顔してんな」

「……」

「知らないままは可哀相だし教えてやるよ。ってか、知らないわけないよな?テスト期間中に、汚い男を使って愛莉を襲わせたことに怒ってんだよオレ達」


身体震わせて教えてくれたんだぜ、と伏せ目がちに言う山本を見て、思わずバカじゃないのかと口走ってしまいそうになった。

そんな出来事、普通、男には話さない。いや、話せない。あたしは、強姦された友達を知っているから……その子は、男だけじゃなく女にも話せず、人間不信に陥っていた。それくらい、デリケートな問題なんだよ。



「だから本当はバットなんかじゃ、愛莉の苦しみには到底及ばないんだけどな」

「……そんな話、知らない」

「またしらばっくれんのか?ほんと、素直にやりましたって言えば、このバットくらいはやめてやったのによ」


「!」


もう話は終わりだと言い、今まで以上の冷たい目をして立ち上がり、バットを構える山本。心臓が再び早鐘を打つ……バットが刀に変化するものだとわかってしまったからだ。



いけ、いけ!
手拍子付きで盛り上がる男達。

少し離れた場所で煙草を吸う獄寺。


そして笑顔で見下ろす山本。




「(ごめ、ん……)」


──あたし、ここで死んじゃう。



ビュンッ!
 ブシャアッ……


しおりを挟む