君キン | ナノ


「う……、痛い」


昨日殴られ蹴られで作った怪我は、案の定、痣となって出現した。それに少し動くだけでも、釘が刺さったかのような鋭い痛みが身体中を駆け巡る。

あたしはいつものように冷蔵庫から食材と取り出して、朝ごはんを作っていた。向こうでもよく料理作らされたから手慣れたものだ……と言っても、実際17歳なわけだから作れないとなるとちょっとね。



「げっ、手紙まだ書いてない!!」


朝ごはんを食べていた手を止め、カレンダーを見ればイタリアから日本に来てすでに1週間は経っているのは変えられぬ事実で。これまはずい……ザンザスが怒っていなければいいんだけど。それよりも手紙じゃなきゃダメだろうか、メールは?

……愛がこもってるのは、手紙ですよね。



時刻は7時ちょっと過ぎ。そろそろ行かなくては咬み殺されてしまうので、急いで支度をして家を出た。





「お、おはようございまーす……」


恐る恐る挨拶をしながら応接室の扉を開け、恭弥先輩の姿を確認しようとしたのだが。



「あれ?」


目の前に広がった部屋に人影はない。
確かに数分遅れはしたけど、もう仕事始まった?でも校門には誰もいなかったし、ここに来るまでにすれ違いもしなかった。

扉の前でポカーンとしたそんなあたしの頭上から、声が降って来た。



「何してるんだい?」

「うわ!?っととと、恭弥先輩こそ何して!」


「……トイレだよ。」


短くそう答えると、恭弥先輩は横を通り過ぎて応接室の中へと入って行った。

なんだトイレか……先輩がトイレか。う、あははっ、なんか面白いかもしれな──ギャッ!なんか睨まれた。なんだなんだ、この世界の人はみんな他人の心を読めちゃうのか?なんて思っていれば、ちょいちょいと手招きされた。



「はいはー……いっ!?なにするんですか!」

「……」


呼ばれて彼の近くに寄ったはいいが、いきなり制服をバッ、て。バッ、て!!


「はっ、まさか恭弥先輩、セーラー着せた理由って並中の制服よりも捲り易いからとかそういうのが目的だったの!?」

「うるさい、咬み殺すよ」

「くっ」


ひと睨みされて黙れば、急に冷静になれて。ああ、そういえばそこら辺って昨日作った怪我とかが……あ!


「こ、これは何でもなくてですね!あたしドジだから転んじゃって……だからそんなジロジロ見るものじゃ……あだっ」

「転んで作った傷じゃないね。ちょっと触れただけでそんなに痛がるんだから」


ああもう、触らないで!くすぐったいのと痛いのが混ざって変な感じがするから!

これくらいはどうってことない、と告げれば、京子を守るためによくやるよねとため息を吐きながら先輩は言った。笑顔が天使並みの可愛さを持つんだもの、それを奪ったらいけないと思うわけで……そう考えたら、あたしどんだけ彼女が好きなんだと思った。



「そういえば1週間という条件はもう終わったはずだよ」

「今日で終わりですね。あの、先輩、条件の変更をお願いしたいんですけど」


「ワォ、嫌な予感がしてならないよ」

「いだっ、痛っくすぐった……や、やめてください恭弥先輩!今絶対遊んでるでしょう!」


条件変更のお願いをした途端、恭弥先輩は制服捲りっ放しで露出していたあたしの痣たっぷりの腹部を容赦なく触ってきた。痛いのかくすぐったいのかはっきりしてよ、とか言って触り続ける……痛くすぐったいんだから仕方ないじゃん!!



「まあ、きみがきちんと仕事さえしてくれれば、この部屋くらいいつでも貸してあげる」


風紀委員だしねと言いながら、あたしの制服をようやく放してくれた。

先輩は椅子から立ち上がり、校門に行くよと促してから応接室を出て行った。そんな彼を追いながら、背中に向かって、心の中でありがとうと感謝した。




服装点検及び遅刻者を捕まえるために校門の前で立っていれば、嫌でも耳に入る、あたしに対しての悪口。さすがに恭弥先輩が近くにいたから、突然殴りかかって来るとかそんなことはなかったのでよかったが……学校に入って来る生徒達の視線は痛かった。


朝の仕事が終わり、重たい足取りで教室へ向かう。昨日はあの後、教室に戻ろうとしたあたしを花が必死に止めたので、鞄を花に持って来てもらい早退した。だからこそ、余計に教室内がどうなっているのか怖い。



ガラッ

扉を開ければ一斉に集中する視線。
それはすべて憎悪や憤怒の入り混じったもので、教室内全体がピリピリとした空気。それでもあたしは、平然を装って自席へと向かった。


「最低だよなおまえ」

「だからやってないって言ってるでしょ」

「じゃあ、アレは誰がやったって言うんだよ!?」


名前も知らない男子が、バンッとあたしの机を叩き方向を示す。どうせ常盤が泣いてるんだろう、そう思っていたのに。


「!?」


目に映り込んだのは、泣いている姿は当たっていたものの、常盤じゃなかった。

どうして、どうして京子が泣いている!?
昨日のことで標的はあたしに集中したかと思っていたのに。京子が見つめる先にあったもの、それは彼女自身の机の上で。そこには、乱雑に書かれた残酷な文字と、大量の生ゴミ。


「あれ、岸本がやったんだってな?」


「は……?なに、言ってんの」

「とぼけんじゃねぇ!テメェがやってるところを常盤さんが目撃したんだよ」

「今朝も早く学校に来たんだってなぁ?」

「……」

「おい、なんか言ったらどうだよ!?」


目の前にいた男子が机の脚をガッと蹴ったことにより、他の奴らがそれを合図にしたかのようにこちらに寄って来る。朝から集団リンチかと思われた時だった。


「待ってぇみんな!!」


その動きを止めたのは、嫌でも聞き慣れてしまった常盤愛莉の甘ったる声だった。



「なんで止めるんだよ常盤さん!」

「そうだよ愛莉ちゃん。岸本は、きみだけじゃなく京子ちゃんまで傷つけた……!」


「でも、もしかしたら愛莉の見間違いかもしれないし……ねぇ京子ちゃん、コレは誰がやったと思うの?」


くすり、と見えない程度に笑う常盤は、京子に誰が犯人なのかを訊ねながら彼女の傍まで寄り肩に手をかけた。

あたしは見逃しはしない。
その時、京子の肩が恐怖に震えていたのを。


「? どうしたのぉ、京子ちゃん」

「……知らないっ!優奈ちゃんは、絶対にこんなことしないよ!!」

「やっぱり愛莉の見間違いかなぁ?」


ああ、そういうことか。常盤の奴、京子に何か条件を出したな……、でもね京子、あなたは常盤の条件に応じて従っていなきゃいけなかった。あたしを庇うなんてバカなことしちゃいけない。



「じゃあ、一体誰が京子ちゃんの机を」


あたしを真っ先に疑うかと思ったのに、クラスメートを疑い始める沢田。そんなちょっとした行動に、ほんの少しだけ嬉しいだなんて思ってしまった。


「なあ、それより笹川って……いつから岸本のこと名前で呼ぶようになってたんだ?一緒にいたことなんてなかったよな」

「そういえばそうだ」


京子には近づかない方がいいと警告を受けていたし、この数日間、京子と関わっている姿なんて誰も見ていなかったのだ、それなのにどうしてあたしの名を、親しげに呼べるのか。

ああ、山本、嘘を作るキッカケをありがとう。



「ふふ……ありがとう、京子」

「え?」


「本当はもう少し利用したかったんだけど、その様子じゃあ無理そうね」


あたしの予想外なセリフに、教室内は一気に静まり返った。京子だって、どうしてそんな話をし出すのか理解し難いのか目を丸くしている。


「どういう意味」

「え、わからない?じゃあ、みんながわかるように、わかりやすく、言うね。
あたしはね、京子を使って常盤を虐めてたの。今みたいに、何かあたしが不利になることがあれば庇うようにも言った。……でももう要らない。だからあなたの机、めちゃくちゃにしちゃった」


「なっテメェ、今までのも全部!!」

「沢田言ってくれたね、京子には近づかない方がいいと……でも、それ逆なんだ。あたしに近づかない方がいいよって、京子に言うべき警告だったんだよ」



見下すような言い方で、ありもしないことを告げる。無理のある嘘だったけど、沢田も獄寺も山本も、クラスメート全員が怒りを感じ肩を震わせていた。

そりゃあそうだ。今まで京子がやっていた常盤に対する暴力というものも、裏ではあたしが操っていたという設定にしたんだから。



「京子も、そして花もごめんなさい。こういう風にすることしか、あたしにはできないから……」

「「!?」」



──でも、でもね、今は何も言わないで。



「ふざけんじゃねーぞ岸本!!」

「ッ……!」


突然飛んできた拳に反応しきれず、壁へと吹っ飛ばされた。背中に感じた衝撃により、壁にだらしなく寄りかかるあたしに、ひとつの影が近づく。


「ずっと京子ちゃんを利用してたんだ?」

「……そうだと言ったら?」


「絶対に、絶対に赦さない!!」

「ぐっ、」


叫びながら、沢田はあたしの胸倉を掴み上げた。何様だきみは、どこぞのアニメのヒーローごっこでもしているつもり?

生憎、きみにヒーロー役は似合わない。



「よくもまぁそんな口が叩けるね。今まで散々京子を傷つけたくせに、今更守るとか言っちゃう?ははっ、バカにするにもほどがあるよ、この馬鹿男が!!」

「馬鹿男……オレが?」

「ええ、そうだよ。バカでもダメでもどっちでもいいけどさ。……おバカな沢田さん、今までのあたしの言葉が、全部嘘だと言ってもきみは信じないだろうから、こうすればすっごく楽になるよ」

「……」


「あのね、今までのこと、ぜーんぶあたしのせいにしちゃえばいいの。そうすれば、悩まずに心置きなく暴力を」

「優奈ちゃん!!」


「笹川!?」

「山本くんっ、放して!!」


いいところだったのに……ダメだよ京子、台無しになっちゃう。沢田の肩越しに、彼女の肩を押さえている山本の腕を必死に振り払おうとするのが目に入った。

そんな彼女と目が合った瞬間、あたしは微笑みながら、自身の唇に人差し指を寄せて、黙っててと伝えるジェスチャーをした。


「……!いやっ嫌だよ!!」

「笹川どうしたんだよ、もう縛られてる必要なんてねーんだぞ!?」


「京子ちゃん……?」


綺麗な涙を流しながら、嫌だ嫌だと叫ぶ彼女を見て沢田も困惑しているようだった。

このまま上手くいけば解決するかもしれない。
でも、あたしの任務のためにはこれじゃあダメなのだ。だからあたしは、容赦なく酷い言葉を浴びせるよ。


「京子はもう要らない。庇う必要もないし、解放してあげる……だから少し黙っててよ。
さあ沢田綱吉。あたしは、京子を利用した、常盤を傷つけた。ねえ、赦せないよね?これで心置きなく、そして大好きな京子を守りながら、あたしを痛めつけられる」

「!!(この感じ……)」


前にも感じたことのあるものに、オレは酷く背筋が凍るような感覚に陥った。
顔の向きを京子ちゃんから正面に戻せば、微笑みながら自分を見ている岸本の顔がそこにはあった。

──彼女から出た殺気だと瞬時に思った。



「いつまでも、可愛い可愛いお姫様に騙され続けていればいい。そうすれば、あんたらに任せるよりも、もっともっと素敵な未来が待ってるだろうから」


何を言っているのか、よくわからなかった。
未来って、一体なんのことだ?そんな考えが脳を支配している間にも、HRの始まりを告げる鐘が鳴り響く。


放せ、と短く言われて気づいた時には、オレは岸本に胸板を強く押されて、彼女の拘束を解いてしまっていた。




それから1時限目が始まり、とっくに帰るかと思っていた彼女は、机に向かって授業も聴かずに一生懸命何かを書いている様子だった。

しかも、時たま笑顔を見せながら。


あんな笑顔を見たことがない、と思った考えをすぐに消す。それよりも、あんなことしておいてよく笑っていられる。いや、もしかしたら、今のこの状況を楽しんでいるのかもしれない……そうならば、岸本はとんでもなく非道な人だ。








「なあツナ、岸本知らないか?」

「え?」

「放課後呼び出してやろうかと思ったんスけど、いないんですよ」


2時限目が始まる直前、彼女はすでに学校から立ち去っていた──。


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