俺、切原赤也は、ただいま恋をしている。
去年のそう、桜が散り始めた頃の入学式から、今日、新学期を迎えるこの日まで、ずっと一途に想いを寄せている人がいるのだ。
「なまえ!」
後方からの呼びかけに、なぜか俺がびくりと肩を揺らす。
ちらりと横目で見ればそこには、大きく手を振っている去年同じクラスだった女子。の、視線の先に、その人はいた。
みょうじなまえ
彼女もまた、去年同じクラスだった。
呼びかけに反応すると、ふわりと微笑む。俺に、ではなくて手を振る女子になのだけれど、顔はこちらを向いているからなんかもう、棚ぼた万歳。
心の中でガッツポーズをしつつ、そろそろクラス割を見なければと思い、少しだけ人が減った掲示板へと向かう。
A組の上から順に、か行の辺りまでをぼんやりと眺める。正直、気が重たい。去年はほぼ毎日みょうじを見ることができたから幸せだったのに、もし今年別になっていたら、と思うとこの1年間乗りきれる気が全然しない。真田副部長に怒られる日々を過ごす未来がちょっと見えた。
「あった、D組か」
ようやく見つけた自分の名前。それからツツツと視線を下にずらして、ずらして。
「!!」
あったぁああ!!
みょうじの名前も!D組に!!よっしゃ!
本日二度目のガッツポーズ。
こうしてはいられない、すぐに教室に行ってみょうじと……。
みょうじと、どうすんだ俺。
2−Dと表記されたプレートを見て、教室の戸を開ける。
顔なじみも何人かいて、おはようと挨拶してきたので、それに返事をしながら黒板に貼られた座席表の紙を見る。
まあ、新学期は名前順だよな。
そしてそれは、みょうじと席が離れていることを意味する。まーた話しかけるきっかけねえじゃん。重たいため息を吐いて、席に着いた。
「みょうじ、今年もよろしくな!」
「うん、よろしくね」
机の上に置いた鞄を枕代わりにして頭を乗せる。少しだけ顔をずらせばみょうじが見えて、彼女の隣には知らない男。おまえ誰だよ。しね。
俺は別に、コミュ障ではない。人見知りでもないし、女子苦手とかそういうのでもない。普通にしゃべる。しかし、だ、みょうじを相手にすると途端に“いつもの俺”が引っ込む。なのでたぶんみょうじには俺はコミュ障だと思われているに違いない、つらすぎ。
今年も話せず終わったらなんかもう男としていろいろ情けなさすぎだろ、と思いながら、席に座ったみょうじをそのままぼんやりと見つめていると、ふと、彼女が視線をこちらに寄越した。気がしたが、教室の戸を開けて入ってきた教師によって交わった視線は1秒にも満たなかった。
なのにうるせぇぞ、俺の心臓。
嬉しがってんじゃねえ。
たった1秒で早鐘打ってるようじゃ、話した時はどうするのだ、死ぬのか。
「この後は始業式があるから、体育館に集まるように」
そう言い教師が先に出ていくと、各々席を立ち、時間まで雑談をしたり別の教室に行ったりと自由に過ごし始める。さすがに3年生の教室に行くのも変だよな、と先ほど机の横にかけた鞄を手に取り、もう一度上に置く。
時間まで寝てやろうかと、思ったのだが。
「切原くん」
「んあ……!?っ、みょうじ!?」
「よかった、名前知っててくれてた」
今までこんなに近い距離にいたことがあっただろうか、いや、ない。いつも遠くで見ていたその笑顔が、今は俺に、俺だけに向けられていた。
名前知らないわけねえじゃん、むしろ俺のこと知っててくれてありがとう。そう心の中で思っていたが、言葉として出たのは「何か用?」なんて冷たいにもほどがあるもので、これが初トークなんてマジで印象悪すぎる。嫌われたいのかよ俺は。
そんな気持ちを知ってか知らずか、みょうじは特に気にする様子もなく言葉を紡いだ。
「用があったのは切原くんじゃないの?」
「え」
「だって、さっき見てたでしょ、先生が来る前」
「あー……」
バレていたらしい。
と、いうか、視線がぶつかったのみょうじも気づいていたのか。あの1秒にも満たなかった短い時間を。言葉を濁した俺を見て困らせてしまったと思ったのだろう、みょうじは、ごめんごめんと言いながら笑う。
「去年同じクラスだったのに全然話したことなかったから、今年は仲良くなれたらなって思って」
だからよろしくね、そう言い終わると同時、みょうじは友達に呼ばれて離れていった。
もうすぐ始業式。
少しだけ人が減った教室で、鞄に顔を埋める。
男ってやつは本当に単純だ。
さっきみょうじに話しかけていた男にイライラしてしねなんて思ったことも、すっかり忘れて。
「しあわせすぎ」
誰に聞かれることもなく鞄に吸収された声。
引っ込んでいる“いつもの俺”、出てこい。じゃないと後悔するぞ、この1年、絶対天国だから。