( 寒い、なあ )
ひどい雨だった。久しぶりの天からの恵みに草木は歓喜の声をあげていたが、生身の私にとってそれは厄介この上なかった。水分をたっぷりと含んだ戦装束は、その重みによって動きを通常よりも鈍くさせる。その上、今日は少し血を流しすぎた。重い身体を必死に動かして、目の前の敵に刀を振り下ろす。おのれ、おのれ、と悔しそうな声で、そいつは私の名を口にする。本物ではない、もう一つの、私の名。
* * *
「傷の具合はどうだ」
白い布を水が入った桶につけながら、長髪の青年は私に尋ねた。部屋にはその青年の他に3人の青年がいた。もじゃもじゃが2人とサラサラが2人。皆の視線は一様に、布団に横になる私に注がれている。
「こんくらい大丈夫だよ」
「馬鹿を言うな。腹に穴を開けておいて大丈夫なわけがなかろう」
「あーハイハイ、すみませんでした。次からは頑張ります」
「だいたい隙が多過ぎんだよお前は」
「うるせー、お前の頭が隙だらけなんだよもじゃもじゃ」
「上等じゃねーかテメェ、表出ろや。そのどてっぱらにもう一回でっけェ穴開けてやろうか?あ?」
* * *
「それよりよォ、」
銀時との稚拙な口論が小太郎の制止によって止まりかけていた時だった。今までだんまりを決め込んでいた晋助が口を開いた。
「なんでお前ほどの奴がそんなデケェ傷負わされたのかが俺は知りてェ」
「そんな褒めないでよ照れるじゃん」
「はぐらかすな」
晋助の双眼が真っ直ぐに私を捕らえて離さない。事情を知っている小太郎が「高杉」と制止をしたが、そんなものは意味をなさなかった。私は諦めて、私の腹に穴が空くまでの話をしようと口を開く。
「気づいたら、私の部隊の半数以上が倒れてた。」
「!」
「いつもよりも向こうの数が多かった。途中から雨も降ってきて、………必死だった。」
「…また、一気に減ったな」
先程までの喧騒が幻だったかのように部屋は静まりかえっていた。事情を知っていた小太郎と銀時は難しい顔をしていて、いつも煩わしいはずの辰馬も縁側の障子にもたれ掛かって傍観者を決め込んでいる。その静寂の中で晋助が立ち上がり、拳を震わせていた。
「畜生…っ、!」
「……落ち着け高杉」
「落ち着いてられるかよ!数がへりゃあ圧倒的にこっちが不利になる。そんなことくらい、テメェもわかってんだろうがヅラ!」
「高杉、座れ」
「、テメェ…っ!この戦の意味がわかってんのかよ!俺らは何の為に此処にいる?……あの人の、松陽先生の仇をとるためだろうが!」
「高杉」
部屋に響き渡る程の怒声をあげた晋助の次に口を開いたのは銀時だった。
「お前は"先生の仇"に躍起になりすぎてる。少し休んで頭冷やせ」
「っ、なんでお前は、いつも…!お前が一番あの人の近くにいたじゃねェか!何で躍起にならねェ!何で狂わねェ!何で憎まねェ!一番アイツらを憎まなきゃならねェのはお前じゃねェのかよ!」
「高杉!いい加減にしろ!」
高杉が狂ったように怒鳴り散らす。ピリピリとした空気が直接肌に突き刺さったような錯覚に襲われた。胸が張り裂けそうで、今すぐにでもこの部屋から逃げ出したかった。今まで誰も口にしなかった、核心に迫った部分を晋助は感情任せに口にしていた。もはや小太郎の声など晋助の耳には入っていない。
「なぁ高杉、先生が俺らにこんなこと望むと思うか?毎日泥にまみれて、血に濡れて、いつ死ぬかわからねェ恐怖に囲まれて、そんなことしてまで先生が俺らに仇を打って欲しいだなんて、言うか?」
全身に鳥肌がたった。目からはぬるい液体が溢れて溢れて止まらなかった。核心の核心。わかっていながら誰も口にすることのなかった最大の禁句を銀時は言葉にしてしまった。全て終わりだ。そう思った。私たちの今までの行動全てが無に変わる瞬間がそこにはあった。
否、私たちはただ弱かっただけだ。先生の死を受け入れられるほどに私たちは強くなかった。だから生きる為には拠り所が必要だった。それが間違っていると知りながらも、それに縋るしか私たちにはなかったのだ。
霞んだ視界に映ったのは、立ったまま拳を握り続ける銀時と、座ったまま俯いている小太郎だけだった。晋助の姿はその部屋の何処にもなかった。
( あ、また1つ終わった )