追記的な(日記etc.)
2014/04/16 21:58

【あの頃の君と僕】

時代背景を此方でupさせていただきます。


時代背景。

【栄光ある孤立】

イギリスの非同盟政策を象徴。

1896年1月16日、カナダ議会。
【イギリスは外交的に孤立しても、】
【栄光ある存在であることは不変であり、】
【カナダ自治領はイギリス本国を】
【断固維持する。】
という趣旨で用いられた。

その後、イギリスの政治家や、
雑誌などで引用され、流行した。

このことがいわれるまえ、
イギリスは

【第一次ボーア戦争】
(1880年12月16日〜1881〜3月23日)

19世紀、
17世紀頃からケープ植民地に
入植していたオランダ系移民の子孫である
ボーア人とアフリカ南部の支配権を
かけた戦いのこと。

イギリスはそれまでに
ボーア人共和国として
ナタール共和国(1839年)
トランスヴァール共和国(1852年)
オレンジ共和国(1854年)などを認証
していたものの、
その場から相次いでダイヤモンドや
金鉱などがとれたたこと
トランスヴァール共和国が海を求め
侵攻しはじめたため、
これを無理に併合しようとしたイギリスに
抵抗したボーア人により
【マジュバ・ヒルの戦い】がおこり
鮮紅色の軍服をきていたイギリス兵は
標的になりやすかったため、惨敗した。
結果、トランスヴァール共和国の独立を
認めることとなった。

大英帝国の面目まるつぶれ。

といった出来事があった。

そんな中、
【栄光ある孤立】がカナダからおくられた。

その後、多くの資本家が
ダイヤモンド、金鉱狙いで
アフリカへの進出が増えた。

再び戦争を起こしたイギリスは

【第二次ボーア戦争】
(1899年10月11日〜1902年5月31日)

オレンジ自由国とトランスヴァール共和国に
勝利し、またそれらを吸収した。

1970年代、イギリスは経済的優位にも
かげりがみえはじめ、
ドイツに対抗してロシア、フランスが
露仏同盟を成立したことや
義和団事件以降、満州に影響力を強める
ロシアに対抗するためなどから
1902年1月30日に孤立政策を捨て
日英同盟を結んだ。

【栄光ある孤立】とカナダ自治領が
発言したのは
カナダ自治領こイギリス本国への
強い支援メッセージの一環である。
また、カナダ自治領は
心理的圧迫要因、アメリカへの
ベネズエラにとったような強硬な姿勢を
イギリスに求めるためであった。



───────




さてさて、三月兎です。

最近、更新さぼってました…。

すみません。

やはり、少しの変化ですが
今の生活の違和感があり
身体にガタきてます…。

運動してなかったから、かな?

腰とか太ももとかが痛くて
肩は常時こってるんですけど、
よりいっそうひどくて…。

花粉症とかで鼻つまってるせいも
あったりはするんでしょうけど。

ちょっとキツくて
サイトの方まで手がまわってませんでした。


今のうちから宣言をしておきますが、
夏休み頃からそもそも低い更新が
もっと停滞すると思われます。

というか、
4月〜6月もそれほど更新は頻繁に
おこなわないと思われます。


つまりは、長い休暇期間に入るかも、
ということです。


確実になりましたら、
また追々伝えさせていただきます。




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