私にとって、幸せになれる最短方法は幾つかある。ひとつ、美味しいものを食べること。ふたつ、時間を気にせずに眠ること。そしてのっぴきならないみっつめは、彼と共に在ることである。単純だと、自分でも十分承知しているのだけど、こればかりはどうしようもない真実として、私に重みを齎すのだ。


「……寝過ぎた」

 二日間も休みを貰えるのは、とても貴重だからと。
 気晴らしの一泊二日。出張所から大して離れていないその宿に泊まりに来たのは正解だったと思う。ただ、少々寝坊をしてしまったことは、若干の失敗であるかもしれない。
 このままでいたいと、本当に心の底から思うのに、時計はあくまで正直だった。

「柔造、起きて」

 二つ並んだ布団は大して意味を為さず、私たちは結局一つの布団に納まってしまった。幸せそのものの表情を浮かべて寝ている彼を起こすのは忍びなかったが、せっかくの休日――しかも宿に泊まりに来ている――を寝るだけで終えるのはもっと辛いし、チェックアウトの時間も段々と迫っているしで、浴衣が捩れて肌蹴ている肩を軽く叩いた。ちょっとやそっとじゃ目覚める気配を見せない柔造に半ば呆れてきた頃、畳についていた腕を、軽く叩かれた。

「起きた? おはよう」
「……ん、おはよーさん。何時や?」

 寝ぼけ眼(まなこ)がこちらを見ている。小さく、掠れた声は色っぽかった。短い黒髪は跳ね、明後日の方向を向いている。私は笑う。可愛らしかった。

「10時。ちなみに、チェックアウトは11時だよ」
「…………随分と早いなあ」

 ゆっくりと起き上がった柔造が、腕を伸ばし、私を抱き締める。起き抜けだからなのか、常よりも少し高い体温に包まれると、甘い切なさが入り混じったような気持ちにとらわれて、呼吸を忘れてしまいそうになった。そうっと背中に手を伸ばし、鼻腔いっぱいに彼の匂いを吸い込む。柔らかく、温かく、心地良い。逞しく、安心を感じさせる胸に閉じ込められるがままでいたら、耳元で柔造が笑った。

「どうしたの」
「はは、お前はやらかいなあ思てな」
「太ってるってこと?」
「ちゃうわ。胸とかほんま……あいたたた、何でつねるん」
「廉造くんみたいなこと言わないの」

 朝っぱらから気に障ることを言ってくれる。浴衣の裾に入りかけていた邪な腕を叩き、一応否定はしてくれた頬を強く引っ張ってやったら、お返しとばかりに脇腹をくすぐられた。途端に堪らなくなって、彼の腕の中を飛び出す。悪戯を楽しむ子どものように無邪気な瞳が、私だけに注がれていた。

「この宿、結構良いね」
「せやな。料理も美味かったしなあ、大満足や。また休みもろたらどっか行こな?」

 きらきらと笑いながら首を傾げる彼に、うんと頷く。決して多くはない休みを、ふたりで一緒に全力で楽しみたいのは、私だって同じなのだ。ここ最近、目も回るような忙しさにかまけていたみたい。

「今度は露天があるところがええな」
「露天なら、ここにもあったでしょ」
「ちゃうわ。部屋に露天が付いてるやつあるやろ? あれやねん」
「そんなリッチなところ、行けるかな」
「絶対行ったるわ。で、ずっと風呂入ったる」

 明らかに下心を含んだ決意を結ぶ柔造を横目で見ていたら、唐突にハッとした。こうして寝起きを共にするのは、一体いつ振りだろう。昨日も体験したような幸せに思えていたけれど、そんなことはない。こんな風に全身全霊で癒しを感じられる今の時間が、より大切に感じられた。

「久しぶりやな、こんな朝」
「うん、そうだよね。何か夢みたいだ」
「ほんまにな」

 顔を見合わせて、お互いに笑った。

 私と彼の間を邪魔するものなど何もない。
 くちびるに触れるまでの時間は、数えるまでもない。




ワンツーフィニッシュ
2011/07/04|志摩うま様へ提出

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