Open sesame!26



まず扉脇に控えている鶴先輩、そして直前に鶴先輩から言われたのだろう、各自行儀よくテーブルに着いた友人達の視線が一斉に日向に集まる。驚きと華やいだ声に迎えられ、日向は内心ほっと肩の力を抜いた。尾白ならともかく、自分がこうした格好をして喜ばれるかどうか不安はあったのだ。少なくともサプライズとしては成功したようである。
日向はいま燕尾服を基調とした、俗に言う執事の格好をしていた。タイやベストなど細かいところはアニメや漫画で目にするものに近いだろう。髪は手櫛でそれとなく分け目をつけた程度だが、雰囲気は出せていると思いたい。
とにかく冷静に、落ち着いて。そんなことを心のなかで唱えながら鶴先輩に叩き込まれた作法で入室し、指導された姿勢と足の運びで歩いていく。
友人達が待つテーブルの前までくると踵を揃え、一礼した。
「お帰りなさいませ、お嬢様方」
深く、“ご主人様”への慈しみに満ちた声。
姿勢を戻し、それぞれの友人達を見やる日向の目と口許にはほのかな笑みが湛えられている。まるで本当に手のかかる“お嬢様達”相手に心からの敬愛と、とびきりの忠義を感じているように。
「お茶の用意ができてございます。よろしければご休憩なさいませんか」
機械的にそう言い切り、いつも通りの顔に切り替わった日向がへらりと笑う。
「――ってやってみたけど、どうかな?」
即席のにわか執事は、室内に膨れ上がった歓声と疑問を投げ掛ける声にもみくちゃにされた。席が近かった雨月などは大層興味深そうに日向の全身をあらゆる角度から眺め、今は背後に回り燕と形容される裾を興味深そうに持ち上げては下ろしている。矢田川は興奮も露に携帯を構えて撮影し、勅使河原はやたらときらきらした目で日向を見ていた。仕掛けた本人としては上々の反応であり、鶴先輩も満足そうだった。
「皆がこうやって集まってくれたのが嬉しくて、お返しがしたかったから鶴先輩に相談したんだ」
格好は完全に鶴先輩の趣味だった。服もその鶴先輩が独自のルートで入手したもので、女子はこういうの好きだから間違いないと押し切られた。ついでに紅茶の淹れ方も教わったので、後で淹れてみたいと思う。つまり日向が鶴先輩の意見を参考に考えたお返しとは、この格好での給仕だった。
なおこの執事服は素人ながら使用されている生地諸々が安物ではないと分かるので、絶対に汚すことも破くこともしないでおこうと決意している日向である。もしかすると日向とそう体格の違わない誰かのオーダーメイドなのかもしれない。
服とセットでついていた懐中時計を純白の手袋をはめた手で取り出してみせると、それまで他の友人達が騒ぐなか驚愕の表情を張り付かせたあと一人むっつりと押し黙っていた卯月が静かに疑問を差し挟んでくる。
「……いつの間にそんなことしてたのよ」
今日、卯月を迎えに行く前だと告げると、少しの沈黙の後にだからかと納得された。鶴先輩宅に来るまでの日向の案内が、まるでつい最近その道を通ったことがあるような、かといってその道に慣れているわけでもない微妙なラインのものだったそうだ。
日向が友人の鋭い観察眼に感心していると、鶴先輩が手を叩いて皆の注意を引き付ける。
「話が尽きないのはいいことですけれど、まずはお茶を頂いてからに致しません?のんびりしているとすぐに焼き上がってしまいますわよ」
そんな先輩の号令でプリンが焼き上がるまで、今回の目的であるお茶会の前菜とも言うべき束の間のティータイムが開催されることになった。
日向が茶器を整え、鶴先輩が注ぎ、それをまた日向が運ぶ。日向が紅茶を淹れるのは本命のお茶会の時まで延ばされることになり、無事に淹れられるだろうかと不安に思うも今は切り替えて給仕に徹する。各々人数分が行き届いて席に着くと仮初めの執事の仮面も剥がれた。
「さあ、それではお飲みになってくださいまし」
それからは普段通りの賑やかさで場が彩られた。日向は友人達からあれをやってこれをやってと執事っぽいリクエストを頼まれてはそれに応え、そんな戯れも落ち着いた頃、ふとキッチンの方に目を見やった日向が友人の一人に一つの提案をする。
「そういえば矢田川さん、レモンの蜂蜜漬け作ってみる気ない?」
「えっ?私?」
急なことに戸惑う矢田川に、日向は構わず続ける。
「勅使河原さんから聞いたんだけど、矢田川さんは漬けるのが上手いって」
日向の言葉にうんうんと首振り人形のように頷く勅使河原。実は、と日向は先程した提案の説明に入る。
今日プリンに入れた蜂蜜は玉生からの差し入れであり、彼の家ではハマりやすく飽きやすい家族が蜂蜜を一時期大量に買い込んでいた。その結果その家族以外甘いものが得意でない玉生家ではとても消費できない蜂蜜が大量にストックされ、またその家族も早々に蜂蜜ブームから去ったために、玉生家では大量の蜂蜜をどう消費するか、或いは処分するかという問題が残った。彼の家ではよく起こる問題らしい。
そういった流れで日向も蜂蜜の一つを分けてもらい、今日使った分はまた新たに玉生から譲り受けたものだ。
そして今日使った残りの分を矢田川に貰ってくれないかと日向は頼んでいるわけである。甘いものを得意としない玉生が以前にレモンの蜂蜜漬けには興味があると言っていたことを添えて。
日向は玉生から蜂蜜を受け取る際に残った分は好きにしていいと言われていたし、元々この中に持って帰りたい人がいたらその人に譲るつもりでいた。例え望む人がいなくても余った分は鶴先輩がもらってくれる手筈になっていたのだ。
もし玉生と矢田川の二人の間に何かしらの良い兆候が起きているなら、微力ながら後押ししたいと思う日向だ。
矢田川は急な申し出に頭が追い付いていかないようだったが、その一方で返事を待つ日向には卯月からいつのまにそんなことになっていたのかと再び警戒心たっぷりの疑問を投げかけられた。
鶴先輩の家に来る前だと素直に白状すると、どうしようもないものを見る目をされた。まだ何か言おうとしていた卯月は、じゃあ玉生にお礼言わないとだね!、そうですわね、と今初めて蜂蜜の出所を知った雨月と始めから知っていた鶴先輩の二人に両隣から明るくマイペースに話の腰を折られて言葉を飲み込む。
日向の今日の行動をまとめると、まず事前に玉生から受け取っていた蜂蜜を持参して鶴先輩の家で指導と衣装あわせをし、そして卯月を迎えに図書館に向かったことになる。
それを聞いた今回の発起人である勅使河原は、日向に無理を強いてしまったのではないかと恐縮する。日向はそんなことはないと微笑み、皆に気持ちを返したかっただけなのだと優しく告げる。途端に勅使河原は薄赤く染まった顔を俯け、もじもじし出した。どうやら罪悪感は吹き飛んでくれたらしい。コスプレ効果恐るべしである。
そしてまだ思い切れずに揺らいでいる矢田川に、日向は後押しの言葉をかける。
「よかったら貰ってくれると助かる」
「でもそんな……私でいいの?」
「うん、お願いするよ」
駄目押しの一言と笑顔に矢田川は心を決めてくれたようだ。日向の両隣には矢田川と勅使河原が座っていて、未だ照れたままの勅使河原と同じく矢田川も俯いて照れを滲ませ、ありがとうと呟いてくる。これもコスプレ効果のおかげだろうか。執事服とはすごいものである。そんな彼らのやり取りを鶴先輩が少しだけ寂しそうな、しかしそれ以上のやわらかな眼差しで見守っている。
そんなやり取りを終えると、正面にいる卯月が腕組みをして日向をじっと睨みつけてくる。間を置かず、突っ慳貪な言葉が日向に向けて一直線に放たれた。
「――ふん。アンタなんてアイツに嫌ってほど構われてデレデレしてればいいのよ」
「あ、ありがとう?」
卯月の意図は汲めないものの、アイツとは尾白のことで、どうやら中傷されたわけではなく、むしろ尾白との仲を応援されているのだと分かる。日向は戸惑いながら礼を述べた。
だが卯月はそんな日向の態度にまたも不満を募らせたようで、そっぽを向くとつらつらと彼女の思考を垂れ流し始めた。
「私達に相談してくるくらいなんだから、アイツも結構本気でアンタのこと考えてる筈よ。だからアンタも覚悟しておきなさいよね」
彼女が堂々と言い放った瞬間、室内の空気と時間が止まった。他の話に興じていた者達もそれぞれ不意打ちを食らった顔で停止し、雨月などはちょうどアイスティーを飲み込もうとしていたところだったのでむせて立ち上がった矢田川に背中を擦られている。
日向は一人疑問符を浮かべ、いま言われたことを冷静に整理した。
「……ええと、つまり、尾白先輩が卯月さん達に僕のことを相談したってこと?」
卯月は何で日向がそのことを知っているのかと驚きと疑問の狭間で目を丸くしていたが、徐々にその顔色が自らの失態を自覚したものになっていく。ゆっくりと肘をテーブルにつき、両手で顔を覆った。見えている耳が赤く染まっているから、よほど悔しくて恥ずかしいのだろう。そんな卯月の頭を雨月が、鶴先輩が背を撫でて両サイドから慰めている。
「……そんなわけで、皆のところに尾白先輩が相談に来たわけなんだけど〜」
「う、うん。卯月さんに日向くんを喜ばせたいから、黙ってようって言われたんだけど……」
最早隠しておいても意味はないと判断したのか、席に戻った矢田川と勅使河原が卯月に気遣わしげな視線を送りつつ交互に日向に説明してくる。
卯月は唸るようにして、違う喜ばすんじゃなくて驚かせたかっただけだと未だに何かに対して強く抵抗を続けている。
日向はさっきもこんな光景を見たなと思いながら、そんな卯月の片側で何かを訴えかけるようにこちらを見ている鶴先輩に、分かっていると小さく頷く。鶴先輩はその表情に優しさをとろりと滲ませた。体の線をほっと安堵の色で緩ませる。
詳しく話を聞いてみると、尾白が彼女達に聞いたことは恋人がいたらしたいことは何か、そもそも恋愛感情とは何か、家族愛や友愛とは何が違うかなど年頃の少女に聞くのはどうかと思うような際どい質問からどうにも答えにくい哲学的なことまで多岐に渡った。尾白がなぜ彼女達に聞いたかといえば、日向の身近な人物に聞いた方が答えが導きやすくなると思ったからだと本人が照れも躊躇いもなく言っていたという。
彼女達も尾白に聞かれて真面目に答えてくれたとのことで日向は頭が下がる思いだったし、尾白が――恐らく日向との関係を考えようとして――労力と時間を割いてくれたのだと思うと胸の奥に震えるような熱が籠る。

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