Open sesame!8



日向が用意しようとしていた尾白のための写真は、途中から爛れた特定の意図を含んだ第三者の欲望の具現化に取って変わられていた。何故日向相手にそれが爆発しているのかは理解に苦しむが、その場のノリというやつだろうか。確かに玉生の忠告通り日向に触れてもいないし接近してもいないが、だからといってこれはない。
玉生は決断した。緊急連絡を入れてきた生徒に電話をかける。
『っあ、玉生?良かった。あのさ、日向が』
周囲を憚っているのか潜めた声に玉生も声量を落として応える。日向もその生徒も教室にいるらしい。
「分かってる。そっちはどうなってる?」
説明しようとしてくるのを抑える。こちらを見てきた尾白に目配せし、玉生は聞こえてくる声に集中した。
『それがさ、最初は普通に写真撮ってるだけだったのに、それがだんだんエスカレートしてきて……コエーよ。みんな目がギラギラしてんの』
「いいから、要点だけ伝えろ」
『あ、ああ、悪い。えっとだな、勅使河原さんは雨月さんを呼びにもう一人のウヅキさんを探しに行って、その時に矢田川さんがここは私に任せろって言ったら女子何人かに抱きつかれて禁断の百合の世界に……アッ、日向が寝転がってなんかグラビア撮影みたいになってる』
しどろもどろで要点も何もないが、日向も矢田川も無事ではあるもののとにかく生徒達が興奮して歯止めがきかなくなっているらしい。確かに携帯越しに聞こえてくる騒ぎっぷりは写真の件を抜きにしてもかなりのもので、この状況が続くようなら教師が様子を見に来てもおかしくない。
「できるなら日向と矢田川さんを逃がせ。今から俺も行くから」
無理だと泣き言が聞こえてくる携帯を切り、尾白に日向救出してきますと言おうとした玉生はその先を言えなかった。尾白は携帯を耳に当て――恐らく日向の携帯にかけているのだろう――今にも駆け出そうとしているところだった。
「怪我してるんだからお前は後から来い。場所はお前達の教室で合ってるな?」
でも、と返そうとした玉生は尾白の普段とまるで違う顔付きに息を飲む。それから何かを託すように言った。
「――はい、お願いします」


玉生ができるだけ急いで教室に向かうと、雨月と卯月を連れた勅使河原と鉢合わせた。四人で連れだって慌ただしく着いた教室は本当に人がいるのかと疑いたくなるほど静まり返っている。空気が重い。
開け放たれた引き戸から中を見るとその原因は容易に知れた。ジャージを敷いた床に正座をした日向と、その日向を仁王立ちで見下ろしている尾白がいる。その尾白から放たれている無言のオーラが教室中に重く垂れ込めて充満しているのだ。不機嫌に怒っているように見える。
その周囲を撮影に協力していたのだろうクラスメイト達が取り囲んでいる。その生徒のなかによれよれになっている矢田川を見付け、勅使河原が名前を呼びながら駆け寄っていった。玉生とウヅキ二人は依然廊下に立ったまま、教室に入れずにいる。その廊下からも通り過ぎる生徒達が物見高そうに教室を覗いていった。
その教室の奥から連絡をくれた生徒が玉生達に気付く。忍者のような動きで教室の奥から脱け出してくると、何が起こったかを教えてくれた。
クラスメイト達は歓声をあげるなりしてやはりうるさくしていた。そんな騒がしい撮影のなか、日向の携帯を手にカメラマンを気取っていた生徒が尾白からかかってきた電話に慌てふためき、間を置かずに大層ご立腹の様子の尾白が登場し、それからというものずっとこの状態だという。それまで横たわって撮られていた日向は尾白の名前を聞くなり起き上がって、教室に入ってきた先輩の予想外の剣幕に沈痛な面持ちで正座している。
「前にこのクラスを騒がせた俺が言えたことじゃないけど、悪ふざけするにしても節度は守れ」
「……はい、すみません」
尾白から日向への公衆の面前での思わぬ強い叱責に、見守っていた生徒達の間から堪らず声が上がる。
「ッあの、俺達が調子に乗ったからこんなことになったんです。だから日向を叱らないでやってください」
「そ、そうです。悪いのは私達も同じです。だから日向だけを責めるのは――」
「それでも原因は日向だ」
そうだろ、と尾白は有無を言わせず後輩達を睥睨する。厳しく冷たい語気に異を唱えた生徒達は押し黙り、日向は少し震えた声で、しかし真っ直ぐに尾白を見返した。
「――はい。僕が言い出してやったことです。責任は僕にあります」
緊張に強ばる顔には些かの揺らぎも見られない。背筋も真っ直ぐに伸びている。見つめあい、尾白はふっと少しだけ力を抜いた。立て、と日向の腕を取って立ち上がらせる。その折りに玉生は尾白の口元に悪戯な笑みを見つけて、某かの予感を覚えた。
「お仕置き。何がいい?」
「えっ?」
日向と周囲の反応は同じものだった。目と口を開けてぽかんとしている。意表を突かれた顔だった。ただ玉生だけが尾白の突拍子のない言葉の意味を理解する。尾白は玉生の出任せを本当にしてしまうつもりなのだ。
尾白はここぞとばかりに意地悪そうな表情を作り、品定めをするように日向の全身を上から下から眺め回す。舐めるように、とはまさにあのことを言うのだ。
「そうだな、せっかくケツの写真送ってもらったんだから、お尻ペンペンしてやろう。好きなだけ叩いてやるから、いい声で鳴けよ」
動揺と混乱が微かに、だが確実に大きくなっていく。何がどうなっているのか、また何を見せられているのか、把握している人間はここにどれほどいるのだろうか。
「ここじゃ恥ずかしいだろうからトイレ行くぞ」
「えっ?あ、あの……?」
恐らく最も混乱が激しいだろう日向を引っ張りながら、尾白は引き戸の周りに固まっていた玉生達に無言で道を譲らせる。その際に雨月が咄嗟に前に出ようとしたのを卯月が手で、そして尾白の一瞥が止めさせた。そこに交差したものを知るのは本人達だけになる。
事態を沈静化させただけでなく日向を連れ出し、また同じことが起きないよう釘まで刺していった尾白は、ついてくんなよとただ一言を残して教室から出ていった。


二人がいなくなってしばらくするとにわかに生徒達がざわめき出す。あれは何だったのかと懲りずに好奇心を募らせている者もいれぱ、大変なことをしてしまったと顔を青くしている者もいる。やっと教室に入っていった玉生達の元に支えあうようにしてやってきた矢田川と勅使河原は後者で、雨月は卯月と玉生に二人のことを任せるとその二人より更に泣きべそをかいている生徒を慰めにいった。
「た、玉生〜……どうしよう」
「こ、これで先輩と日向くんがこじれたりしたら……わ、私、どうお詫びすれば……」
「二人とも落ち着いて。あの人は日向に悪いようにはしないよ」
勅使河原、矢田川と見ていった玉生は矢田川の髪がアホ毛のように乱れているのを発見した。よれていた格好は大体元のように整えてあったが、そこはうっかり直し忘れたのだろう。何の気なしに手を伸ばして髪に触れた玉生は、その矢田川に目を真ん丸にして見つめられて慌てて手を引っ込める。
「ごっ、ごめん、髪の毛跳ねてたから」
「あっ、そっ、そっか!あ、ありがとう」
世話を焼くにしてもさすがにこれは引かれたかと思い焦っていると、当の矢田川はもじもじしつつも気分を害したわけではなさそうだ。勅使河原に至っては何やらきらきらした目で玉生を見てくる。どういう感情でのものだろう。
これまでと違う方向で三人がそれぞれわたわたしていると、日向の携帯を持った生徒や他の生徒達もかなり狼狽えた様子で玉生達の元に集まってきた。
「な、なあ、マジで日向酷いことされてないよな?だってあいつ先輩から距離置かれたって言うし、ああいう写真送ればまた話せるきっかけになると思ったんだよ。それがあんなことになるなんて」
この日向の携帯を持った生徒が即席カメラマンを務め、尚且つ写真を無断で送っていた張本人だった。ある意味彼も原因の一人だと言えなくもないが、大層恐縮し周章狼狽しているので、追い打ちをかけるのは憚られる。
他の生徒達も次々に、独占欲強いって本当だったんだ、人は見かけによらないなどと、すっかり尾白が嫉妬深く束縛の強い男だと信じ込んでいる様子である。玉生は否定しようか肯定しようか迷い、結局は尾白の機転に乗っかることにした。
「いや、あの人はそういうの嫌がるだろ。独り占めして囲いたいタイプ」
「あー、独占欲強いんならそうだよなぁ、ごめんな日向ぁー」
ここにはいない日向に向かって謝罪を飛ばすも、でもだったら何で先輩は日向を遠ざけたんだと根本的な矛盾を口にする。咄嗟に返せなかった玉生の代わりに、余計な詮索を封じる声が僅かな隙間に滑り込んできた。
「……別に、アイツらのことは心配いらないわよ。ほっとくくらいがちょうどいいんだから」
ぼそりと喋ったのは卯月である。久しぶりに再会した雨月の親友であり、ツンツンしているように見えて意外とデレの多い人物だ。
アンタ達も、と卯月は矢田川と勅使河原にも声をかける。
「反省してるんなら日向やアイツに謝ればいいし、次から同じ間違いしなきゃいいのよ」
そうだよー、と雨月が後ろから矢田川と勅使河原の間にむぎゅっと体を入れ、それぞれの腕を友人達の体に回してぎゅうぎゅうに抱き締める。雨月の腕に抱かれた二人は始め驚いていたが、すぐに表情を明るくして自分から寄り添いにいった。すると玉生の後ろから「ああ、百合……」と恍惚とした呟きが聞こえてくる。緊張連絡を入れてきた生徒の声だ。そんな気はしていたが、どうやらそういう趣味の持ち主らしい。
「殿様ちょっと怒ってたけど、ダイジョーブダイジョーブ!嫌いにはなってない!」
雨月の花丸の笑顔での宣言に、教室中に漂っていた浮き足立っていた空気が薄れる。疑問を発した生徒も、まあ二人がうまくまとまるならそれでいいかと細かいことを掘り下げるのは止したようだ。卯月は矢田川と勅使河原に揃って礼を言われて照れている。雨月はずっとにこにこしている。
玉生は教室内を見回し、これなら大丈夫そうだとほっと息を吐いた。クラス内の空気も、クラスメイト達から尾白や日向への印象もそれほど悪くならずに済んだようだ。一部アレなイメージにはなったようだが、そこは仕方ないと諦めよう。
玉生の指示で撮影会のため寄せられていた机や椅子を戻す傍ら、それに従うクラスメイト達は落ち着いてみれば何故あんなにも自分達は見境なく盛り上がり抑制がきかなかったのか、皆顔を見合わせて不思議そうな様子だった。


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