Open sesame!3



かといってどうすればいいのか。
電気はまだつけてあるが、夜も深まり日向は後は寝るだけの状態である。先程から机について用意した紙を前に何か打開策はないかと頭を悩ませている握ったペンの先が新たな文字を生み出すことはない。
日向の部屋はこの年頃ならこうだろうという至極ありふれた部屋である。物もそれなりにあり、洋風の間取りに程よく整理整頓された空間に、叔父の職業上資料に使う本もちらほら置いてある。
日向はその部屋で風呂上がりからこっち考え事に耽っていた。
尾白は日向と話している最中に何か思うところがあったらしく、それで離れた方がいいと言った。日向が失言した、或いは失礼な態度を取ったのなら誠心誠意謝って許しを乞うこともできよう。しかし日向の側に非はないと予め尾白からは釘を刺されている。むしろそう言って何度も念を押す尾白の態度は日向への労りと親身な心遣いに満ちており、日向を逐一ときめかせた。若干むくれた子供を宥めているようだと思わぬわけでもなかったが、それもまた新たに知れた尾白の一面として日向は胸に刻み付けるのを忘れない。
仮に日向の側に非があったとしても尾白から非はないと宣言されている以上、日向が強硬に自らの過ちを主張したところで尾白の配慮を無下にするだけだ。ましてや本人にも理由が分からないあやふやな謝罪など、日向が尾白に届けたい誠意とはかけ離れている。
それにこのことについて尾白の周囲の人間に事情を聞くのは意味がないから止めておけと事前に注意されてもいた。自分一人の胸の内にしまっていることだから他の人間に喋ることはないと言い渡されている。
第三者による糸の作用かとも疑ったが、尾白はその可能性を否定したし日向もその可能性は低いと思う。もしや日向を巻き込まないためにわざと距離を置いたのかもしれないとも考えたが、それだと戦力として当てにしていると言ってくれた尾白の言葉を疑うことになる。日向は即座に浮かんだその考えを打ち消し、それから八方塞がりの状況に嘆息した。
何より口惜しいのは、何度自分の胸に聞いても尾白の悩みの糸口が掴めないことである。
あのとき、日向はこれから眠ろうとしている尾白の枕になろうとしていて、話すことと言えば日常に根差したありふれた話題だった。尾白との密着に密かに胸を高鳴らせつつも極力それを意識しないようにして、次の授業で問題を当てられていること、自分も長期休暇中にバイトをするつもりであること、それから玉生との友好が順調に育まれていることを報告し――そうだ、確かあのとき尾白の方から玉生とのことを聞いてきたのではなかったか。
ショックが大きくて前後の記憶が定かではないが、もっとよく思い出してみることにする。
尾白は日向の首元に頭を寄せ、眠気でぼやけた口調でそういえば玉生の怪我の具合はどうだと聞いてきた。日向は誇張も偽りもなくありのままを伝えた筈だ。交友関係についても同じ。それで尾白が不機嫌になるとは考えにくい。
やはり日向が何かしたのではないか。だが尾白は否定している――。
思考は堂々巡りで分かりきった答えを辿るのみ。いつまでも落ち込んではいられないのに、動き出すための取っ掛かりが見つからない。神無月のこともあり、尾白は他の異能の持ち主や白い毛玉についても気にしてみると言っていた。まずは日向もそこから行動に移してみようか。糸と毛玉のことについては卯月と雨月には尾白と一緒に既に話してあるので、彼女達の協力を仰ぐのもいいかもしれない。
日向はそろりと机の端に寄せておいた携帯を手に取る。操作して、表示された内容に自然と表情がやわらかくなった。日向が今日の弁当を写真に撮って送ったところ、尾白から戻ってきた返事だ。
『きんぴら』
たったそれだけの、変換が面倒くさかったのだろう一言。並んでいるのは無機質な文字列なのに耳に馴染んだ尾白の声で囁かれたようなくすぐったさがある。いつか尾白が選んだ弁当のおかずを揃えた特製弁当を作ってみるのもいいかもしれない。
日向は次に画像を表示させる。尾白から気紛れに送られてきた雲を撮った写真で、撮った直後のものもあれば過去に撮ったものもある。惚れた欲目か、尾白の腕が良いのか――日向は断然後者だと思っているが――よく撮れていると思う。どこまでも主役は雲で、悠々と気持ちよさそうに泳いでいる。もくもくと綿のように膨らんだ雲などは感触が心地よさそうで思わず飛び込んでみたくなる。
いつかこれはと思うものがあれば日向も尾白に送ってみたいと思っているのだが、残念ながらまだその機会は訪れていない。
日向はその一枚一枚に思ったことを伝え、最後に必ず尾白と一緒に見たかったと付け加えるのを忘れなかった。率直な願望の現れであり、恥ずかしながら尾白の気を引きたい下心もある。歓心を買いたい。ただ傍にいるだけで満足できていれば良かったのに、ついこうして欲張ってしまう。
とは言っても頻繁にメッセージを送って尾白の思索の邪魔をする訳にもいかないので、日向から連絡を取るにはどれくらいの頻度が望ましいか、接近禁止令を言い渡された時に尾白に決めてもらおうとした。だが尾白は細かく決めるのが面倒くさかったらしく、好きにしろとの返答を得た。勿論そこには返事は期待するなとの意味も込められており、日向もそこは百も承知である。自制を働かせつつ時折尻尾を出しながら日向は尾白にメッセージを送った。
そうして思うのは、玉生も言っていたが日向は本当に尾白に対して際限がないということだ。汲めども尽きぬ。万事あの調子の受け流す尾白でなければとうに迷惑がられ、鬱陶しがられていたことだろう。
卯月と偶然一緒になった帰りに日向は尾白への、卯月は雨月への好意を道すがら語りあったことを伝えると、転ぶなよとの簡素な一言が返ってきた。直接会えないのが効いているのか、そんなちょっとした優しさに日向の胸はどうしようもなく締め付けられる。
携帯上でやり取りする尾白の態度に変わりはない。少なくとも日向にはそんなに変わりがないように思える。
そっけなく淡々としていても、ふとした時に滲む優しさ。飄々と受け流しているようでいて見るところはしっかり見ている。尾白は尾白として変わりなくそこに在った。
次に日向は尾白と風呂に入るまで交わしていたやり取りを画面に映す。今から話をしていいかと尋ねた日向の一言から始まっていた。
『先輩は好きな科目ってありますか』
『特にない』
『では一番点が取れる科目は』
『満遍なく』
『オールラウンダーというやつですね』
『ちょっと違う。可もなく不可もなく』
『ということは赤点知らずと』
『まあな。勉強してた?』
『はい。復習と予習を軽く。ご褒美に先輩と話をしたいと思いまして』
『セルフ飴と鞭とはやるな』
『先輩にされたらもっと頑張れると思います』
『いいの?すごいのやるけど』
『望むところです!』
『なんか俺もやる気出てきた。風呂入ってくる』
やはりいつもと変わらない会話だ。そこで会話は一旦打ち切られて、それから日向も風呂に入り明日の用意を済ませた後は接近禁止令解除のための方策を練っていたわけである。画面上の無機質な文字列をなぞると、慣れた硬質な感触が指に触れた。
こうした携帯越しでの交流もこれはこれでいいものだが、直に会って隣で何事もなく雲を眺め無言のままに通じ合うあの時間ほどの一体感はない。ほんの少しの寂しさと表裏一体の喜びは、凍える夜にかじかむ手指をじんわり温めるほどの温もりで日向を包む。
気が付くともういい時間になっている。日向は尾白におやすみなさいと打とうとして、その尾白から一枚の写真が送られてきたのに気付いた。
それは夜と月と雲を切り取った写真で、闇に浮かぶ月に雲がかかっている。仄かに照らされた雲の端が淡く薄く月光を透かし、夜の闇と雲そのものの陰影を際立たせる。ひっそりとした静けさのなかにどこまでも広がっていく天空の雄大さが尾白の手により映し出されていた。おやすみ、と一言添えられている。
『ずっと見ていたいほど綺麗ですけど、どこか寂しさもある写真ですね。いつか夜の雲も先輩と一緒に見てみたいです。おやすみなさい』
そう返してから日向も寝ることにする。その前にあの写真の光景を自分の目で確かめてみたくなって、窓に寄りカーテンを開けた。
夜空にある冴え冴えとした月と雲は尾白が送ってくれたものと少し形を変えてそこにあった。美しいが、やはりどこか物悲しい。日向がそう思うからそう見えるのか。
そっと息を吐くと、カーテンを閉めてもう一度明日の準備を確認する。眼鏡を外して電気を消し、枕元に携帯を置いて寝具に潜った。
この“待て”はいつまで続くのだろう。会いに行けるのに会いに行けないのは不便だ。目を閉じて、会いたいなと思う。
寝入り端にそんなことを考えていたせいなのか、日向は夢を見た。学校で尾白と果たした二度目の邂逅、一方的な再会を。


まだ高校生活にも物慣れなさが漂う時期。グラウンドに整列したジャージ姿の生徒達に、同じくジャージ姿の教師が授業の終わりを宣言した。皆がそれぞれに歩き出すなか、日向は立ち尽くしたままほっと息を吐く。これで四時限目の授業は終わり、ひとまず昼食と昼休憩に入る。
「どうした?行くぞ」
声をかけてきたのは玉生で、入学式の時にちょっとした縁があった生徒だ。まさかの同じクラスに二人とも驚き、笑って、以来何かとつるむようになった。ぶっきらぼうに見えて面倒見のいい、目端の利く同輩である。
日向は友人に促されて歩き出す。着ているジャージは制服の配色を反転したもので、水色に白のラインが入っている。髪色が被る日向は見事に同系色で全身をまとめられていた。

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