花結び22



「実をいうとね、私アンタのこともアイツ……日向のことも疑ってたのよ」
言いながら卯月は緑の園を見て回る。生気に溢れる植物の彩りは、ここまで丁寧に手入れがされていると一種の工芸品のようだった。緑に囲われ、どこからともなく漂ってくる花の香りに浸っているとここがどこだか忘れそうになる。
「アンタが日向を切り離したくてやってるか、それとも日向がアンタの気を引きたくてやってるか。そのどっちかなんじゃないかって思ってた」
日向は実行犯と親しくしていたし、尾白もその人物とは二人きりで会ったこともある。尾白はその際にその件の人物に疑惑の灰色の糸が巻き付いていたのを思い出す。今思えばあの糸はこの少女から伸びていたのだ。
「その疑いは晴れたのか?」
「そうね。アンタは邪魔だと思うならきっぱり断ればいいし、日向だって同情を引くには被害が小さい。……そう、中途半端なのよね。どっちにしても」
それに、と卯月は何気なく言った。
「アンタ達がそんなことするなんて思えなくなったし」
尾白はそんな彼女の後ろ姿に目を見張る。随分素直になったなと感心すれば、卯月は語気を強めて、私だって少しは変わろうとしてるんだからと怒った風に返した。
どうも日向のプリントをゴミ箱から回収しようとしたのも雨月を取り巻く環境から羨ましく妬ましく思う気持ちはあれど、逆に雨月と親しくしているからこその親近感や親切心が働いた結果でもあるらしく、本当にどこまでいっても雨月が基準の価値観なのだなあと、日向を棚にあげて尾白は思う。
「――あ、そういえば」
尾白がそんな風に考えていると卯月が振り返り、
「アンタ、たまに日向のこと試してるでしょ」
と、決め付けた。尾白は何も言わない。
「どういうつもりか知らないし、私が言うことでもないんだろうけど、この際だから言っとくわ。アンタが日向のことをどう思ってるのか、いまいち分かんないのよね。他と全然態度違うのに、付き合ってもないし好きでもないってどういうこと?」
歯切れのいい言葉は誤魔化しや曖昧な答えを望んでいない。ただ厳然とした事実のみを必要としている。尾白は苦笑した。
「それ前にも言われたなあ」
徳さんにも指摘されたことだった。
特別扱いをしているつもりはないが、日向には他の人間と違う感覚や感情を抱くことはある。他の人間に対して日向と同じ距離感で接しろと言われても無理だろう。それが何に由来するのか、はたまたどういうものなのか尾白自身にもはっきり捕捉しかねている現状だった。
また尾白は卯月が指摘した通り、日向から尾白への好意がどんなものか、その想いの深さや広さ、果ては重さなどを意図して測ることがある。汲めども尽きぬその想いに飛び込んで包まれたらどんな心地がするのかと夢想することはあれど――そしてそんなときは忌避感や嫌悪感といったマイナスの感情がわかないのが常であったが――、では尾白の側に何があるのかと問われたら白紙だと言わざるを得ない。
卯月はそんな尾白を探るようにじっと見る。そして意外にもあっさり引いた。これ以上は止しとく、とも言って。
もっと厳しく追求されると思っていた尾白が肩透かしを食らった気分になって実際に口にも出してみると、言いたかっただけだからと卯月はさっぱりしたものである。
「私は他に言うことないけど、アンタは?」
尾白も聞きたいことは聞いたので二人は揃って箱庭を出た。卯月が先頭に立ち、二人で縦に並んで歩く。
その背中を見ているうちに尾白は先程の切れ味抜群の卯月の切り込みを思い出す。他のことに対しても何か触れようと思ったが結局尾白が口にしたのは、お節介なんだなという一言に収まった。すると前を行く少女から、
「と、友達はっ、大事にするもんでしょ」
と、ひっくり返った声で言われ、尾白は今度こそ本当に驚いた。よくよく見れば彼女の歩行はぎくしゃくとしてぎこちなく、なるほど確かに彼女は変わろうとしている。
「直接言ってやったら喜ぶぞ」
「……か、考えとくっ」
またもぎこちなく答えた卯月の後に続き尾白が庭を出ると、当たり前だが既に日向と雨月の姿はなかった。実は待っているのを期待していたらしい卯月は残念そうにしている。尾白も日向の姿が見えないことに卯月と同じ心境になってしまい、どうしたらいいか迷ったあげく雲ひとつない青々とした空を見上げた。


***


「ひ、日向、これ……」
「きっと悪戯だよ」
でも、と不安そうな雨月に日向は強いて笑ってみせる。昇降口、下駄箱で手紙を見つけてからの二人は重苦しい空気に包まれていた。日向は雨月に心配いらないと言い添え元通りに折り畳んだ紙を封筒に戻す。そこに廊下から駆け込んできた人物があった。日向は咄嗟に手にしていた手紙をポケットにねじ込む。
「あっ、よ、良かった。二人とも来てたんだね」
息急き切ってやってきたのは勅使河原だった。もし二人が今少し冷静であったなら、彼女の前髪に隠されていない片方の目が焦点を結んでいないことに気付いたかもしれない。しかし思いがけず友と連絡が取れないこと、不意打ちの手紙、そしてクラスメイトの取り乱した様子に彼らは些細な変化を見逃した。いや、例え気付いたとしても動揺しているが故だと思っただろう。
勅使河原は二人の傍まで寄ってくると窮状を訴える。
「あ、あのね、玉生くんが怪我しちゃって。――あっ、大丈夫。そんなに大怪我ってわけじゃないから。でもルリちゃんが動揺してて、できたら傍についててあげて欲しいんだけど……」
「分かった!」
矢田川なら玉生の異変に確かに動揺するだろう。雨月は食い気味に即答すると、あっという間に昇降口から外へ飛び出していった。何度見ても見事な俊足である。こんな時でなければ勇ましいその後ろ姿に惚れ惚れとしたことだろう。
勅使河原がどうしようとおろおろしている。彼女は日向達と違い校舎の中から出てきたので、矢田川がいるのは外ではなく校舎の中だと思われた。
「携帯に連絡を入れてみたらどうかな。それで、玉生はどこに?すぐに会える?」
「そ、そうだね。雨月さんには私から連絡しておくから、日向くんはこっち」
言われるままについていく。日向を支配しているのはぶり返した焦燥感、そして後悔だった。
連絡がとれていたとしても日向に何ができたわけでもないだろうが、それでもできたことがあったのではないかと悔やまれる。勅使河原の話では大した怪我ではないらしい。が、こうして慌てるほどの怪我ではあるのだ。昨夜から尾を引いていた不安が加速していく。玉生のサッカーに対する情熱や頑張りを知っているだけに、怪我をしたのがどうか足でないといいと願う。
勅使河原が案内したのは保健室だった。しかしすぐには入らずに後ろにいる日向を通せんぼするように立ち止まり、振り返る。
「勅使河原さん?早く中に――」
焦れる日向の言葉は途中で切れた。勅使河原の立ち姿、その佇まいにどこか人間味が感じられなかったせいだ。彼女はその白い細面に薄い笑みを浮かべている。しかし実際には何の感情も表しておらず、ただ表情を模して張り付けただけに見える。ぼやけて焦点をなくした瞳に見つめられると、居心地の悪い悪寒にじわじわと神経を蝕まれていきそうだった。底無しのがらんどうの淵が開き、日向を誘う。
「ここでね、待ってるから。会ってあげて」
これまでと形を変えた不安に苛まれる。この感覚はあの手紙の文面を読んだときと同じ、いやそれ以上の嫌な予感だった。このまま飛び込んでいいのかと勅使河原によって開かれていく扉を前に日向は考える。しかし友を放っておく選択肢など端からない。尾白のことを思うと毅然と前を向く気持ちが湧いてくる。自然と足も前に出た。そうして保健室に踏み込んだ日向の背後で外と中を隔てる扉が閉まり、鍵が回る。


***


「あれぇ、雨月じゃん。どうしたの〜?」
雨月はその声で全力疾走していた足に急ブレーキをかけた。なんとなくの勘で矢田川は外にいると踏んで飛び出してきたものの、とにかく闇雲に走り回っていた雨月は声の主を探して辺りを見回す。学校の敷地の山寄りにある、他の施設とは少し外れた一角である。ネットを張り巡らせた向こう側に色味を添える花々と、恐らくこちらがメインであろう野菜を植えている畑があった。奥にはビニールハウスもある。
ジャージ姿の生徒達が土いじりをし、作物の面倒をみている。そしてそのネット越しに同じくジャージ姿で軍手についた土を払いながら、雨月の探し人が小走りにやって来た。
「矢田ちゃん!」
雨月がかじりつくようにネットに張り付くと、矢田川は仕方ないなあとばかりに苦笑して足を早める。
「雨月ってばほんと元気よね〜。――おはよ」
おはよう、と無意識に返しながら雨月はまじまじとネット越しの友人を眺める。矢田川はどうやらこのジャージ集団の一員のように見える。手伝いでもしているのだろうか。それにどう見ても勅使河原が言っていたように動揺している様子は見受けられない。
雨月の遠慮のない視線に矢田川は少し気まずげに自分の体を見下ろした。
「……あ〜、言ってなかったけど、実は園芸部に入ってたのよね〜」
それからちょいちょいと手招きされるので雨月はそれに従う。耳を出せとジャスチャーで伝えられて、それにも従った。矢田川は軽く周囲を窺い、軍手を外した手で口の周りを囲うと小声で打ち明ける。
「続けられるか自信なかったから黙ってたんだ〜。ごめんね。……でも結構性にあってたみたい。これなら続けられそう」
と、姿勢を戻して軍手をはめながら照れくさそうに笑う。雨月も改めてネット越しに友人を見やる。矢田川はジャージ姿で作業をする他の生徒達と同じようにこの風景に馴染んで見えた。素直にそう伝えると、やめてよもうと嬉しそうにする。それから不思議そうに、
「それで雨月はどうしたの〜?約束があるんじゃなかった?もしそうならこのへんで待ち合わせしてそうな人は見なかったから、場所間違えてるんじゃないかと思って声かけたんだけど……」
そう、昨日日向から卯月名義の手紙を受け取った雨月は矢田川と勅使河原に今にも駆け出しそうな自分を戒めるため、そしてその嬉しさを共有したくて大事な約束ができたと二人に報告したのだ。そんな矢田川からの指摘に不可解と当惑の糸に塞き止められていた雨月の思考がようやく正常に回り出す。
矢田川の何も知らなそうな様子はとても演技とは思えない。勅使河原に聞いた話とこの齟齬は何なのか。あまり考えることが得意でない雨月にも、何が普通でないことが起こっているのは分かる。
「あっ、いや、えーと、うーんとね……矢田ちゃん、今日玉生の練習見に行った?」
「行ってないけど」
あっさり答えた後、何かあったのかと心配し出した矢田川を制し、雨月は重ねて問う。

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