花結び6



何日か続けて雨が降り、その前後の天気も思わしくなく久しぶりに晴れると打って変わった快晴でごく少ないが雲も出た。屋外で食べるのに問題なさそうな陽気だったので、尾白は昼休みに校舎の最上階に赴く。定位置に座ってから当然のように日向を待っている自分に苦笑した。
日向は遅れてやってきた。先に食べる気が起きずにぼんやり雲を眺めていた尾白が扉が開く音に振り返れば、後輩の立ち姿におやと思う。
「先輩、こんにちは」
待っててくれたんですね、と日向は尾白の様子を見て軽く笑む。尾白はそれに生返事で答え、横に座る後輩の一挙手一投足を見守った。腰を落ち着けて一呼吸、空を見上げるその横顔がなんだか弱々しい気がする。
「具合悪いのか?」
「え?……いえ、そんなことはないですけど」
「ふうん」
それから尚もじいっと尾白が見つめ続けると、日向は先輩は鋭いですねと眉を下げた。
どうも最近忘れ物や失くし物が多くて困っているのだという。気を付けているはずなのに、気が付くとなくなっている。そのための補充ややり直しで時間も手間もかかりずっとバタバタしているのだと。今日もそれが原因で遅れたという。
「学校に慣れてきて気が抜けたんでしょうか」
そう苦く笑った日向は、いやむしろ先輩の傍にいることができて浮かれてるのかな、と至極真面目に呟く。気分を切り替えるように息を吐き、では食べましょうかと尾白を促した。
ウェットティッシュを渡され、使うと回収される。尾白はサンドイッチを手に、日向の弁当の蓋が開けられるのを待った。日向も心得たもので、蓋を置くと尾白に見えるように弁当箱を持ち上げる。
「今日は唐揚げです」
「へえ、うまそう」
「冷めても美味しい唐揚げを目指しました」
やはり少し自慢気に言う日向である。なんだか日向家の食事事情にかなり食い込んでしまっている気がするのだが、日向が心なしか明るさを取り戻したようなのでまあいいかと流す。
「じゃあ唐揚げ一つもらおうか」
「はい、どうぞ」
日向の即答を受けて尾白は後輩の方に少し体を傾ける。自分で摘まむなり箸を貸してもらうなりすればいいのだろうが、一口のためにわざわざその労力を割くのは面倒くさい。日向も尾白の要求を最終的には飲んだので、日向から尾白へ今日の一口が渡るのは初回からずっとこの方法である。
尾白が選んだ唐揚げを日向が箸で挟み、持ち上げる。落ちても大丈夫なように片手を添えて差し出されたそれに尾白は遠慮なくかぶりついた。この食いつく動作になんだか釣られた魚の気分になると日向に言ったところ、僕は釣った魚にも餌をやるので安心してくださいと謎のアピールをされた。
箸を噛まずに目当てのものを抜き取り、後輩の作だという唐揚げを咀嚼する。下味がしっかりついて衣の食感もいい。肉自体も柔らかく食べ応えがあった。これぞ唐揚げというオーソドックスな味と出来栄えである。
「うん、うまい」
何かの審査員のように重々しい端的な感想を溢すと、緊張の面持ちで控えていた日向が途端に表情を明るくする。それからいくつか日向から細かい質問をされた後、お互い食べることに集中した。日向が最後に一口サイズのゼリーを食べようとしているのを見て、尾白は気になっていたことを聞いてみた。
「ゼリー好きなんだ?」
後輩の弁当にゼリーの登場頻度は高い。なので余程の好物なのだろうかと、そこには手をつけずにいた尾白である。日向の指の間で小さな容器が押され、弾力の良さそうな半透明の固体が出てくる。それが尾白の疑問を受けて引っ込み、また押し出される。日向は考え考え言った。
「好き、と言えば好きですけど、絶対にないと嫌だと言うわけでは」
思い返してみれば、日向も尾白と同じように熱烈に好む食べ物はないらしい。精々あったら嬉しいという程度。
ではこの後輩が他に好むものは何だろう。尾白は続けて問うてみる。
「――そう、ですねえ……」
ううんと日向は宙を睨み、ゼリーが出ては引っ込むのを繰り返す。そうしてようやく捻り出された答えに、半透明の固体がぴょこんと飛び出たまま固定される。
「……もずく」
「もずく?」
「はい、もずくは結構好きですね。あとめかぶとか」
やっと思い当たってすっきりした様子の日向はいかにも好青年然とした学生であるだけに、予想だにしなかった単語のギャップに尾白の笑いのツボが刺激された。そんなに面白いことを言った覚えはないのにと不思議がられれば余計に笑えてきてしまう。
「ほ、他には」
「他は……茶碗蒸し?」
「ふぅぐ……っ!」
「え、そんなにですか?」
まあ先輩が楽しいならいいですけど、と複雑そうながらも満更ではない様子でゼリーを食べる日向である。決して馬鹿にしているわけではないのだが、日向本人にはこの面白さは分かるまい。しかしそうだとするとこの後輩の好みの一端がいくらかでも掴めた気がする。尾白は笑いを含んだ口調で後輩に水を向けた。
「お前、プリン好きだろ。緩めじゃなくて固めのやつ」
「ええ、はい。そうです」
尾白の指摘に日向はいちいち真面目に頷く。
「いかの塩辛とか、ああいうのも好きだろ」
「確かに好きですけど……そんなに分かりやすいですか?」
尾白は笑うだけで何も答えない。先輩、と焦れた日向が腕を叩いてきてもじゃれるような軽いものなので尾白もニヤニヤするばかりだ。取り繕ってしかめ面をしていた日向も、本気で怒っているわけではないのでそのうち尾白につられて笑い出す。その笑顔にやっと日向らしい表情になったと尾白は思う。
「あ、先輩。それ食べないんですか?」
尾白の手にはサンドイッチの最後の一口が残っていた。そこで尾白は日向へのお返しに、わざわざ飲み物を買うのではなくこちらからも一口提供すればいいのではないかと考えた。日向へ向けて最後の一口を差し出す。
「食べるか?」
「えっ」
ジュースの時と同じく忙しなく日向は尾白と差し出されたものを見比べた。あのときは押し切れたが、さすがに人の食べかけを喜んで受け取る人間は少ないだろう。だから尾白も強くは出ない。
「いらないなら別にいい」
「いえ!……あの、い、頂きます」
空になった弁当を横に置き、日向は尾白に向き直って正座する。全身がカチコチに固まってぎこちなかった。
なんだか無理矢理言わせた感は拭えないものの見たところ極度の緊張状態にはあっても嫌々という感触はないので、尾白は最後の一口を恭しく受け取ろうとする日向の両手を避けるようにサンドイッチの残りをひょいと上に持ちあげた。
「先輩?」
どうして、とありありとお預けを食らった切ない犬の風情を醸し出す日向に、今回に限っては意地悪をした覚えのない尾白は苦笑を浮かべる。最後の一口のサンドイッチを日向の口許に持っていき、目を細めた。囁く。
「口、開けて」
食べ方も同じにしなくてはお返しにならないと考えたのだ。ほら、と急かすようにサンドイッチを摘まんだ指先を動かせば日向は何かを堪えるような間を置いたあと、おずおずと唇を開いた。
控えめに開かれたそこは、いくらサンドイッチの欠片といえど通るには忍びない。
「もっと大きく」
要求すると日向はぎゅっと目を瞑り、その口は十分な広さをもって尾白に向けて開かれる。
「そう、いい子だ」
尾白は後輩に最後の一口を押し込む。指が軽く唇に触れ、そのやわらかさにぎくりとした。束の間落ち着かなくなった指先を擦り合わせているうちに日向は尾白からのサンドイッチを食べきる。それから深く息を吐いた。その肌はほんのりと赤い。
「うまかった?」
日向は視線をうろつかせ、胸に手を置いて言う。
「ドキドキしすぎて味が分かりませんでした……」
「そ、そんなにか」
「はい。でも、ありがとうございました」
例の笑顔で穏やかに言う日向に尾白は頷く。そしてそのままなんとなく二人は見つめ合った。普段ならこのあと時間がくるまで雲を眺めるのが通例だが、どうしたことかどちらも動かない。――いや、動けないのか。
日向は潤んだ瞳で尾白を眩しそうに見つめている。一方で尾白は、自分はこういうとき日向をどう見ているのかを考えた。日向の唇が開く。さっき触れた唇だ。この雰囲気でこの流れだときっと言われる。いつものように日向からの好意が紡がれるのを遮らずにいると、聞こえてきたのは全く別の言葉だった。
「あのー、お楽しみのところほんっと申し訳ないんすけど、ちょっといいスか」
シャボン玉が割れたかのようなあっけなさで場の雰囲気が急速に日常のものに戻った。瞬きをし、二人同時に振り返ると、屋上につながる扉から心底申し訳なさそうにした男子生徒が一人顔を出している。
玉生、と日向が呼び掛け、友達ですと紹介される。玉生くんとやらは、同じクラスでもありますと自分で更に付け加えた。

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